<東京怪談ノベル(シングル)>


ユキ

 金の髪の青年が足元に落ちてきた。青年の胸元のロケットがカチャリと転がった。スラッシュは思わず片眉を上げる。時は、昼。砂の乾燥が一番酷い期間だ。青年にクッションにされた砂塵は天高く舞い上がる。スラッシュは口元を覆う布の前で片手を払った。
「……どうしたんだ」
 青年は二階の窓から跳ね飛ばされてきた割に、元気そうな様子でハハハッと軽く笑った。スラッシュはその手を黙って取る。手首から肘まで赤黒く染みが付いていた。
「……手当てをする。……来い」
「アハハッ。いーよいーよ、ってか、ボク、男に看病される趣味ないんだよね。ホラ、やっぱり看病されるなら、女の子じゃん?……ってオーイ、もしかして聞いちゃいねえって話?」
 スラッシュは、男を軽々と肩に持ち上げ、歩き出していた。
「イヤー……キミ、見かけによらず力持ちだねー。イヤもおその顔で、腕っ節も強いんじゃあ、女の子にモテモテっしょ?」
「……少し黙ってろ」
「うわーお一蹴?ってか肯定?アハハッス・テキー♪」
「……」
 スラッシュは軽くため息をついた。家の扉を片手で開け、足で乱暴に閉じた。

「……それで何をやったんだ」
 青年を家のベッドの上に放り投げて、スラッシュは、その服を脱がしながら言った。両腕と胸、それから腹にまで大きな青痣があった。スラッシュは右手でそっと触れる。青年は痛そうに小さく「うっ」とうめく。ベッドに腰掛けた両足が上がる。スラッシュは、タンスの、上から二番目の棚を開き、薬草を取り出す。適当に磨り潰して、患部に塗った。
「……別に…言いたくないなら…それでもいいが」
「あっ!!ちゃうちゃうっ!!」
 青年は大仰に両手を前で振った。
「イヤうん……慣れてんなーってちょい感心していただけ。手先も器用だし……何かそーゆー仕事してんの?」
「……一応…歯車仕掛けを作る仕事をしているが…それより…前の質問」
「オーイッエースッ!!……ってうーどーしても言わなきゃダメダメ?」
「……いや……」
「うっわークールっ!!」
 青年は前のめりになって両手を上げた。その拍子に「イッテーッ!!」と叫ぶ。ベッドの上を転げまわった。
「……オイ……」
「あ、ワリワリ一人突っ込みボケしてる場合じゃねえよなっ!!質問、答えねえとなっ!!」
「いや…だからもう……」
「アッハハハー。実は無銭飲食なんだっ!!だから、薬草代はねえのよ。ゴッメーンね?」
「……」
 スラッシュは黙って磨り潰した鉢を持って、隣の流しの方に行った。良く洗い、食器入れに立てかける。そして、戻ってくると、青年は脱がした上着も羽織らないで、胸のロケットを見ていた。それは良く見ると少しだけへこんでいる。
 スラッシュの視線に気づくと、青年はニパッと白い歯を見せて笑った。
「ナニナニ?コレ、気になる?」
「……いや」
「そーか。気になるか。コレはスッゲースッゲー素敵なオレ様の大親友のものなんよ。もうその親友っていうのがカッコよくてね〜。剣をやらせても超一流、体術をやらせても超一流、頭もスッゲー切れてねー。うん。オレの自慢のダチなんだわ。それに優しくて人格者でねー。天は二物も三物も与えるっての?オレ的には嫉妬する気も起きなかったなあ」
「……」
「あ、そういや、お前さんちいと似てっかも。なんでも器用にこなせそうなトコロが」
「……そうか」
「だっから速くこれ返してやんないとねえ」
 青年はそのまま、ベッドに背から倒れて寝転がった。スラッシュは横にある毛布をかけてやる。青年は小さく「サンキュ」と言った。

 翌日。スラッシュが居間のソファで目覚めると、ベッドが空になっていた。ベッドの縁から出入り口まで点々と続く血とテーブルの上に置いてある「嘘ついてゴメンね」というメモと金貨にスラッシュは舌打ちをした。外套を素早く肩に掛け、飛び出す。そして何かにぶつかり、鼻を押さえた。半歩退く。
「……あっごめんなさい。今、呼び鈴を鳴らそうと思ったのだけど……」
 そこには清楚な少女がいた。清潔そうな髪が腰まで流れている。十七、八才といったところか。色素の薄さと全体的な細さから何処か頼りなげな雰囲気がある。少女は首を傾げる。
「あの、ここに男の人が来ていませんか?金の髪の、結構がっしりした人なんですけど……」
「……いたが…今はいない」
「……?」
「……出ていった」
「!!」
 少女は一気に青ざめて両手を口の前に当てる。指先が小刻みに震えていた。
「私……私が勇気がなかったから……」
「……どういうことだ?」
 少女は目を伏せる。
「あの人、私に会いに来てくれたんです。でも……私怖くて。だって、私の恋人、殺したのは……あの人だからっ!!」
 スラッシュは目を見開いた。少女は固く拳を握っている。足も震えていた。
「あの人と彼、いつも一緒だった。それなのに……還ってきたのは、あの人だけだった……あの人、血まみれで……。そんな人が今更見せたいものがあるなんて突然言ってきたって……」
「……だから…追い返したのか?アイツ…肋骨折れてたんだぞ」
「……」
「どこに…行ったか…分かるか?」
「……砂隠れの塔。――そう、言っていたわ」
 スラッシュは少女の隣をすり抜けた。少女の頬は濡れていた。

 砂隠れの塔は、スラッシュたちの町から半刻ほどのところにあった。その名のとおり、辺り一面は砂嵐が吹き荒れている。草木も一本もなく、辛うじて『砂隠れの塔』と書かれた看板が三階建ての塔の前に立っている。スラッシュはその円筒形の建物に迷いなく入った。

 入るとそこにはモンスターの死骸が床一面に広がっていた。それから無数の槍や剣、弓。所々に四角い落とし穴も開いていた。スラッシュは携帯用の松明に火を詰め、窓が小さくやや薄暗い塔内を慎重に歩いた。
 ふと、足元に何かが当たる。宝箱だ。しっかりと錠が締められている。松明を他にも揺らすが、その二、三歩先の箱も同じような状態であり、部屋の何処を見ても開いている物はないようだ。スラッシュは魔物の血で塗られている床に目を細めた。

 塔の二階への入り口は、中央部にあった。スラッシュは、拾ってきていた小石を二、三個階段に投げる。そのすべてが足先に返ってきた後、一歩を踏み出した。

 二階は一階よりはやや狭いようだった。奥の四角い窓から入る光が僅かに見える。スラッシュは微かに聞こえる刃音に耳を澄ませた。と、突然現れた、二足歩行で立つ人の二倍はある犬の形をした魔物がスラッシュに襲いかかった。スラッシュはスッと目を見開き、ナイフで獣の喉を掻き切る。首から血飛沫をあげ、後ろ向きに倒れる魔物。スラッシュはその魔物の最後のうめきを聞くことなく、内部へと走った。壁全面に小さい窓があるにも拘らず、物や魔物が黒い蠢く影でしか認識できない薄闇の中で、その中央部でほとんど動かない人と同じ形をした影に近づいた。人影が動く。スラッシュの気配に気付いたようだ。だが遅い。スラッシュはその影の喉への攻撃を瞬時で避け、逆にその標的の喉にナイフを突き立てた。
「……お見事」
 人影はニヤリと笑った。スラッシュは松明を翳す。探していた青年だ。顔色を蒼白く変え、肩で息をしながら、左の手で長剣をスラッシュの背に翳している。スラッシュもフッと口端だけで笑った。
「……そっちこそ」
 青年の腕が下がる。その時。
「……!!」
 スラッシュは青年の左肩を掴み、押し退けた。右肩に鋭い衝撃。壁に背中から叩きつけられ、スラッシュは意識を手放した。

 目覚めると頬に雫が流れていた。金色の輝き。小窓の太陽がその背から伸びており、髪先から伝わる冷たい水滴に目線を上げた。精悍な男の顔。睫を震わせ、唇を歪め、額に皺を寄せている。スラッシュは熱い肩に手をやった。血は付かない。嗅ぎ慣れた薬草の匂いがした。
「……」
 スラッシュは口を開けようとして閉じる。青年の目が開いた。目尻に溜まった涙が一気に駆け下りる。と同時に青年は右手を上げていた。
「……なっ!!」
 スラッシュの口端から血が流れる。スラッシュは鋭く見上げた。青年の手は、もう片方も上がろうとしていた。スラッシュはその手首を抑える。上半身を折り曲げ、力を込めた。スラッシュはその寸前で揺れる瞳を睨んだ。
「……どういうつもりだ」
 青年は、呟く。
「……何故、庇った」
「……は?」
「何故、オレのようなまだ会って間もないヤツを庇ったっ!!」
「……」
 スラッシュはその瞳を見て、軽くため息を吐く。青年はギリッと歯軋りをし、スラッシュの細い手首を振り払った。立とうとする。スラッシュはその肩を強引に引き戻し、腹を思い切り掴んだ。
「イッ……」
 青年は膝を折り曲げる。スラッシュが立ち、周りを見渡す。どうやら小部屋のようなところらしい。大人二人分がギリギリといったスペースで青年の後ろにある小窓からはまだ外を闊歩している魔物の姿が見える。
「……何なんだ」
 青年がうめく。スラッシュはその頬を殴り飛ばす。青年の口から血が飛ぶ。歯が二、三本抜けた。その目先に金貨を二枚落とした。
「……なめるな」
「ハッ。何だよ。すぐに金を出さなかったのが気に入らねえのか?」
「……」
 スラッシュは更に左頬を拳で抉った。青年が床に叩きつけられる。スラッシュはその血を振り、青年の視線まで腰を落とした。道具袋からメモ帳を取り出す。あるページで止めた。半分で千切れた四葉が挟まっていた。
「……この…葉をくれた場所はもう無い。砂に消えた。日々消えている。それなのに…俺たちが生きている意味を考えてみろ」
 青年はスラッシュの目を真っ直ぐ見た。それから口端を歪めた。
「……アッハッハー。やだなあ。キミ、ボクの親友と同じコトを言うんだなあ。『生きろ』って。……アッハッハ。もうホント……ヤダなあ」
 青年は俯いた。スラッシュはその横に座り、その喉がしゃっくり上げるのを背中越しに聞いていた。

 陽の影が反対になった頃、青年は、スラッシュの背に寄りかかってきた。心臓の音も穏やかになっている。ポツリと語り出した。
「オレはさあ、昔っからこんなんで……アイツの足を引っ張ってばかりいた。オレはそれを何とかしたくて……結構、無茶ばかりした。一人で魔物の群れに突っ込んでいったり……ダンジョンに挑戦してみたり」
「……」
「でもさあ、そのたんびに何故かなあ、アイツが気づくんだ。そんで、オレの分まで怪我をスゲーして。……オレは自分が情けなくなるばっかりだった」
「……」
「そんな時さあ、アイツに女が出来て。オレもすげー喜んだんだけどさ。……間が悪いことってのは続くものでさ」
「……惚れたのか」
「ご名答―。キミはホントに鋭いねえ。……まあ、でもねえ、叶うわけないって最初から知ってたし。オレはアイツが喜ぶ方が嬉しかった。……なのに、さ。ちょっとふざけて取ったロケットが生死を分けるなんて、さ」
 青年は、スラッシュに何かを投げた。スラッシュは腕を伸ばし、掴む。金のロケット。中が開いている。今朝の少女の写真だ。
「……胸に一発だった。罠を間違えてオレが発動して、アイツは即死。オレは、ソイツに助けられた」
「……」
「皮肉だよなあ。ホント、オレ最低なヤツだよ」
 スラッシュは黙ったまま、ロケットの蓋を閉じる。青年の掌に握らせた。
「でも、オレアイツが最期まで彼女に見せたがっていたモノだけは、見たいと思ったんだ。……彼女は、望まなかったけどな。それだけは、しておきたいと思った」
 青年がうーんと背伸びをする。スラッシュも立ち上がる。スラッシュが振り向くと、青年はニパッと笑った。どんどんとスラッシュの腕を叩く。
「よっしゃー。ではでは行っきますかー!」
「……ああ」
 青年が小窓に手を這わせる。三階への階段が上から降りてきた。

 三階は、窓が一つも無かった。スラッシュが松明に火をつけようとすると、青年がその手を押し止める。白い息を吐き出し、その真っ暗闇の空間に真っ直ぐ突き進み、不意に止まった。ポケットに手を入れる。固形状のものを前方に放り投げた。爆発音。砂塵が吹き、スラッシュは腕で顔を隠した。服や髪が風に巻かれ、浮き上がる。青年は微動だにしなかった。微笑みを刻み、崩れた壁から飛び込んできた太陽を正面から受ける。スラッシュもゆっくりと目を開く。そこには、霧が立ち込めていた。
「……これは」
 青年は薄く笑みながら振り向く。
「彼女の名前……何て言うか、知ってる?」
「……さあ」
「ユキだよ」
 青年は固形物を今度は床にたたきつけた。再び爆発音。スラッシュもまた目をふさぐ。ガラガラと何かが崩れる。スラッシュの肩に背中に足に冷たいものが落ちた。肩を叩かれる。見開いた。
 七色に輝く氷の結晶。闇に星空をまぶしたように散っている。ゆっくりと落ちていく。スラッシュは手を伸ばした。結晶は掌で溶けて消える。
 青年は笑んでいた。彼の長い金の髪が背中で棚引いて七色に光っていた。まだ砕けずに残っている天井の氷柱が彼の姿を幾つも映した。
「これが……ユキ」
 スラッシュは呟く。青年も頷く。
「ああ……ユキだ」
 青年はロケットを首から外す。穿った穴から外へ投げた。スラッシュに向かって大きく微笑み、親指を立てた。スラッシュも親指を立てた。