<東京怪談ノベル(シングル)>


絆の証明−前編−

「痛っつう‥‥」
 冷たい岩肌に背中をもたせかけ、少年は小さく呻いた。腕に負った傷を軽く舌で舐めて血止めをする。大した傷はなく、その殆どが掠り傷のようなものだ。
 状況から考えればこんなものでは済まなかった筈だ。
 まるで手加減されたような気がして少しだけ腹も立ったが、命あっての物種だ。大人しく捕まっておいてやろう、そんな風に少年は考えた。
 そもそも、相手の方に殺す気がない事だけは確かだ。殺すのなら、わざわざ手間をかけて捕まえる必要はない。
 それにしても。
「ドジったよなぁ。やっぱり、油断したのがマズかったか」
 後悔しても後の祭り。
 そんな言葉をしみじみと噛み締めながら、逃げ場のない洞窟の牢屋の中で仕方なく寝っ転がった。油断を招いた原因を回想しながら――。



 そもそもの原因は今朝に起こった。

「いくぜ!」
 掛け声と共に少年――湖泉遼介(こいずみ・りょうすけ)は、勢いよく拳を繰り出した。
 相対するのは、竜人の姿を型どる幻のようなもの。ヴィジョンと呼ばれる、聖獣の力を宿したカードを媒体にその聖獣自身を様々な形状で召還する力で、遼介によってこの世界に具現化した存在だ。
 彼は、日々の鍛錬をヴィジョン相手に続けている。
 遼介自身、そのレベルはかなりの高さである為、そうそう練習相手が見つからない。それを補う為の、英雄クラスに匹敵するヴィジョンとの模擬戦闘だったのだが‥‥。
「おい、ちゃんと真面目にやれよ」
 明らかに馬鹿にしたような態度で、ヴィジョンが遼介の攻撃を軽々と避ける。ムカッときてなおも繰り出そうとしても、ひょいと軽い動作で彼を飛び越え、お情け程度の蹴りを背中に与えた。
 ここ最近、そんな調子の練習がずっと続いていたのだ。
 様子のおかしいヴィジョンに対し、遼介は何度も言い聞かせる。時には再召還すらしてみた時もある。
 だが。
「な、なんなんだよ、おまえ! ちったぁ真面目に――うわぁ!?」
 グッと襟元を掴んだ瞬間、思いっきり足払いをされてしまい、遼介はそのまますっ転んだ。
「いってー!」
 したたかに尻を打ち、思わず声を上げる。涙目になりそうなのをグッと堪え、きつい視線でヴィジョンを睨んだ。
「くそ、このやろーっ!」
 直ぐに立ち上がり、再び飛びかかる。拳と蹴りが、ほぼ交互に繰り出された。
 ヴィジョンはその攻撃を、まるで流れるように避けていく。ある意味芸術とも取れる体捌きであり、本来なら遼介もお手本にしなければならないのだが、頭に血が上った今の彼では、そんな余裕すらなかった。

 結局。
 さんざん振り回されながら、朝の鍛錬は終わりを告げた。ヴィジョンの召還時間がきたからだ。
 からかわれた事に苛々が収まらず、なんとなくすっきりしない気持ちのまま、遼介は捕縛を依頼されていた山賊団のアジトへと向かうことにした。



「‥‥今思えばさあ、あれって俺だったんだよな〜」
 岩牢の中、ぼそりと洩らした声が妙に響く。
 同時に零した溜め息が、冷えた大気の中で白く染まった。
 ヴィジョンの様子を思い返して、その行動は確かに自分であったと自覚する。
 自分より弱い連中‥‥ただ大人であるというだけで、威張り散らしていた奴等。貴族であることを鼻にかけ、なにかと自慢したがる同世代のボンボン達。そんな奴等を、遼介は自らの剣法を用いて散々憂さ晴らしをしていた。
 剣撃から発生する真空の刃――カマイタチ。
 そいつらの服を、髪を、さんざん切り刻んでいき、往来のど真ん中で素っ裸にしてやった事はまだ記憶に新しい。奴等が真っ赤な顔で逃げ出す後ろ姿を、ゲラゲラ笑いながら見送ったものだ。
「あぁ‥‥あれはちと酷かったかもな」
 その時は、理不尽な振る舞いをする連中を懲らしめる為だったのだが、今考えてみると結構悪質だったかもしれない。
 はあ、ともう一度溜め息を吐いて、胸元から唯一取られなかったカードを取り出す。そこに描かれているのは、遼介自身を守護する聖獣――ティアマット。堅牢なる竜の姿。
「ペットは飼い主に似るっつうけどなあ。まさかおまえ、俺に似てきてんのか?」
 ヴィジョン。
 幻視の存在。
 主の力により具現化する事を許される。
「‥‥まさか、自我を持っちまったんじゃないよな‥‥」



 その山道は、かなり険しいものがあった。
 さすが山賊のアジトへ進む道だ、と変なことに感心しつつ遼介は前に進む。
 連中の人数はあらかじめ聞いている。結構な人数になるという話だったが、遼介は頓着しなかった。自分には『気』の力を使った剣法がある。ただの山賊が相手ならそれで楽勝だ、と依頼人に大見得を切ったのだ。
「子供だからって甘くみんなよ」
 自信はあった。
 が、さすがにこうも山奥に入っていくと、本能的な不安が頭を過ぎる。
 ふと、ヴィジョンの事が思考に浮かんだ。本当に一人で大丈夫だろうか、ヴィジョンでももう一人いた方が有利じゃないのか。
 だが、次に思い出されたのは、今朝の不安定なヴィジョンの態度。人を小馬鹿にし、召還主である自分をからかう。
 思い出した途端、また腹の中がムカムカしてきた。
「あんな不安定なもん、いらねえよ。俺一人だって十分だ」
 声に出したのは、あるいは自分を納得させる為だったかもしれない。あんなの頼らなくても自分は一人でやっていけるんだ、そう暗示する為の。
 その時。
 ヒュッ、と大気を切る音が耳に届いた。
 瞬間、遼介は素早く上体を反らす。ハッと視線をずらせば、直ぐ傍の木に鋭い矢が突き刺さっていた。
 とっさに剣を構えた直後、草むらから姿を見せた三人の男達。
「なにもんだ、てめえ!」
 答える気はない。
 素早いダッシュは、一瞬で遼介を男の背後に回す。相手からすれば瞬間移動したように見えただろう。そのまま彼は、問答無用で剣を振るった。
「がっ?!」
「て、てめえ!」
「‥‥遅いッ」
 残った二人の男が両脇からかかってくるのを、彼は軽々と飛び上がってかわした。当然、男達は急に止まれない。最初の勢いのまま、お互いにぶつかり合う。ゴン、という音が響き、彼らは同様の体勢で地面へと倒れていった。
 枝の上からその様子を眺めていた遼介は、
「へっ。だらしない連中だな」
 この調子なら楽勝楽勝。
 襲ってきた山賊達の力量を、その連中で計った事が油断の第一歩。さっきまでの警戒心もどこへやら、遼介はひとっ飛びで山賊達のアジトへと向かった。

 そうして辿り着いた山賊団のアジト。
 事前に教えられていたとおり、もとからある洞窟を利用して、天然の要塞を構えている。今まで自警団の連中が何度もやってきては、そのたびに返り討ちにあった場所。
「さあて、行くか!」
 ちらほら見える男達を前に、彼は一気に飛び出した。
「な、なんだてめえ‥‥うがっ!」
 一太刀、二太刀。
 気の力と組み合わせた遼介の剣が、流れるように山賊達を討つ。多勢に無勢の不利を、その力量で懸命にひっくり返しつつある。

 ――イケル!

 思わずそう確信した時だった。
 バサリ。
 不意に目の前が暗くなる。何が起きたのか、慌てて周りを見渡そうとして‥‥遼介は愕然となった。自分に被せられたのは、目の細かい網だった。
 そして。
「‥‥威勢のいいガキだな。単独でここに乗り込んでくるたぁ恐れ入ったぜ」
 突如、上から降ってきた声に思わず見上げたが、そこには誰もいない。急いで剣で払おうとしたが、網に粘着性でもあるのか、刀身に絡まってなかなか動かない。
 次の瞬間。
「グッ!?」
 腹に思いっきり激痛が走り、遼介の意識はそこで途切れた――。


                 ...to be continued