<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
冬の残り香
ある日、こんな張り紙が店の掲示板に張り出された。
“冒険者急募
村の存続が危ぶまれる事態に陥り困っています。助けてください。
報酬はあまり多くは出せませんが、行き帰りの交通費に宿泊費、
必要経費と食事はこちらで負担します。御土産有り。
尚、防寒の用意は忘れずにお願いします”
詳しい話を張り出したルディアに聞けば、詳しくは知らないけど、と前置きをして、
「変な話なんだけど、この時期に雪に覆われた村があるんですって。そこもちょっとした観光地らしいんだけど…知ってる?『ブラッドチェリー』って真黒な甘いサクランボ。あれを出荷してる村なんだけど、その桜の木が開花出来ないって嘆いてるらしいわ。何でも雪の化け物みたいな子供達が暴れてるって…そう依頼人が言ったんですもの、私の言葉じゃないわっ」
ぷん、とからかわれたルディアが頬を膨らませ、それからちょっと困った顔をし、
「誰か行ってくれないかしらねぇ。今年のチェリーパイが絶望的なんて言われたら悲しいわ…」
お盆を小脇に抱え、ルディアは唇に軽く指を当てて恨めしげに張り紙を見つめた。
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「お待ちしておりました、ささ、どうぞ中へ」
季節外れどころか、真冬の村へ足を踏み入れた、雪まみれの一行を村長らしき威厳のある人物が慌てながらも嬉しそうに中へ招き入れる。
…村の入り口から、足が、背の小さいスゥなら腰まですっぽり隠れてしまう深さの雪を掻き分けながらやってきて温かい飲み物を振舞われながら、
「これは、雪が残っているというレベルじゃないですね」
アイラスが喉を通る熱い飲み物に一息付いて、村人へと話し掛けた。
「全くですよ…ここだけ真冬なんですから。街の方へ訴えてもなかなか信じてもらえませんで」
はー、と深い溜息を付いた1人が、再び表情を変えて嬉しそうに5人に顔を向け、
「それでも何とかしてもらえそうな方々に集まってもらえてこんな嬉しいことは無いです」
さ、さ、どうぞどうぞ、と温かい飲み物のお代わりを注いでまわったり濡れた服や防具を乾かしに動いたりとせわしない。
「果樹園はここから少し丘を上がった所にある」
説明しながらも、深い髭に覆われた村長が目に憂いを湛え、
「一番心配なのはこの長い冬で根腐れが起こっていないかと言うことでな…他にも雪が果てしなく積もれば枝も折れるだろうし、せっかく蕾を付けた木も咲くタイミングを逸してしまう」
今年は冬が長いなと思っていたんだがな…と、顔色を曇らせながら果樹園のあるであろう方向を見やる村長。
「雪の化け物みたいな子供が出る、と聞いたんだが」
「アレですか、アレは…子供くらいの大きさなんですが、真っ白で…目と口らしき部分にぽっかり穴が開いているだけなんです。俺が見に行った時には笑って木々を駆け回ってまして」
このくらいの大きさです、と腰くらいまでの…5〜6歳程度の子供の大きさに高さを合わせて説明した。
「『邪魔するな!』って怒鳴られて、気が付いたら村の入り口で倒れてました。口の中まで雪を詰め込まれて、死ぬかと思いましたよ」
まだ凍傷の跡が残っているんです、と苦笑を浮かべつつ、真赤な指先を見せ、そして思い出したのかぶるっと震えて暖炉の傍へと寄って行った。
「薪も新たに取って来なくてはならないのですが、そのためには雪を越えねばならず、それも困ったことのひとつで」
「それは、とても困りますね〜」
のんびりと言いながらもきゅっと眉をしかめたアンフィサが、暖炉でしっかりと暖を取りながら窓の外の雪を眺める。この中を行かねばならないと思ったか、身を縮め…そして暖炉の炎に安堵の表情を浮かべた。
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ざくざくと雪を踏みしめながら、緩やかな丘を上がって行く一行。ただ1人、ふわりとした黒いドレスを纏った少女だけが奇妙な程その白に映えているのを見ながら。
――きゃっきゃっ、と言う楽しそうな笑い声が聞こえてきたのは暫く進んだ後の話だった。
『そーれ』
『石入れるのは反則ー』
いびつな姿の、白い――真っ白い、子供達が数人、枝を広げた木々の間を走り回っている。背の高さはよちよち歩きの子供くらいだろうか。気のせいか寒さが増した雪の中、器用に走り回りながら手に持った雪玉を相手にぶつけてまわり、当たってははしゃぎ当てられては笑い。
それは、ごく普通の光景にも見えた。…子供が全身白いことや、季節を無視したこの寒さ――見ているとこの辺りだけ雪と風が次第に強くなってくる――それらを無視してしまえば、だが。
「――くしゅっ」
アンフィサが、寒さに耐えかねたか小さくくしゃみをして、更に村から借り受けた防寒具の中で縮こまる。
この寒さは、尋常なものではない。真冬にしても――この、山の上に居るような寒さはあり得るものではない。
――と。
『誰?』
『だぁーれ?』
『誰だー』
子供達が、次々に足を止めてくりんっと首を回し、やってきた皆を不思議そうに見つめた。
害意のまるで感じられない、幼い声。窪んだ2つの穴が目だろうか、其れを此方に向け、そしてやはり同じようにぽかりと開いた穴の口を動かす事無く話し出す。
『おまえら、なにしに来たー』
怖さの欠片も無い子供の声で、威嚇しているつもりなのか短い手足でふんぞり返る子供。その後ろにささっと隠れたのは他の子供達で。
「何しにっ、って言うのはですね〜、この地の桜の花が困っているからなんですよ〜。植物は守らないといけませんから〜」
もこもこと布や毛皮で埋まっている中から、目だけ出して語るアンフィサの声は聞き取りにくいことおびただしい。隣にいたアイラスが苦笑しつつ違う違う、と呟いて、
「花が咲かなくて困っているのは村の人ですよ」
そっと訂正した。
「ああ〜…そう言えばそうでしたね〜」
やはり布越しなせいかくぐもった声に笑みを乗せた。
「来た理由はそういうわけだ。…それじゃ此方からも聞こうか。お前たちはどうしていつまでもここにいるんだ?」
言葉を引き取って塵が白い息を吐きながら訊ね、その隣で見るからに寒そうな姿で平然と立っているスゥがこくこく、と頷く。
子供の姿を模したような形のそれらは顔を見合わせ、そして頭を付き合わせてごしょごしょと何やら話し合い。
『ボウケンシャなんかには言わないし、ここはずっとずーっと冬のままにするんだい』
中で比較的大きな体の1人が顔を上げて、皆へこう宣言した。
「…ふぅん?冒険者っていうのは分かるんだ」
脇から一歩足を進めた葵がそう言い。えへん、と胸を張る子供が大きく頷き、
『言う事聞かないとボウケンシャが退治しに来ますよって言ったから』
「あー…」
ぽりぽり、とどう反応していいのか分からないでいる塵が苦笑にも似せて顔をやや歪ませながら頬を掻き、
「つまり、だ。誰かの言う事を聞いてないんだな?それで、この場に留まってるってわけだな?」
『!』
ぎくん、とその雪の子供が身動きした。くるんと振り返って、また他の子供達と頭を突き合わせる。
『ばれてるよ』
『なんで?』
『ぐ、ぐうぜんだよ、ぐうぜん…』
小声のつもりなのだろうが、ゆっくりと近づいて行った一行の耳にはしっかりと届いていた。来るなとは言われていないし、第一動かずにいたら寒さが骨まで染みていきそうだったからだ。
ずずずず。
村からの心づくしの、温かい飲み物を毛布の内側で器用に啜っている音が辺りに聞こえ、はっと小さい姿が顔を上げた時には後一歩で手が届く距離にまで近寄っていた。
『はっ!いつの間にっ!』
他の子供達をかばうようにざっと前に立った小さいのが真面目にファイティングポーズを取り、
『か、かかってくるか!?ま、負けないぞっっ』
ぽすっ、と一番近くに居た塵へパンチを繰り出す。痛いどころか何かが当たったような、という感覚しか無いパンチに困ったような顔をし周りを見渡して、
「抵抗すると良くないことになるぞ」
あまり無益なことはしたくないんだがな、と小声で続ける塵。
「…なあ、この場所が果樹園だって知ってるかい?」
『果樹園?…この枯れてる木が?』
「か、枯れてなんかいませんよ〜、冬の間は春をじっと待っているんですから〜」
のんびりながらもちょっと怒った顔のアンフィサがめっ、と子供達を睨み。
『春になれば、変わるの?』
『あ、こらっ』
ひょこん、と後ろから顔を出した一回り小さい子供を、やや大きな子供が慌てて押さえようとする。その動きを押し留めてちょこん、と前に出てきた子供が、
『白黒の世界じゃなくなるの?』
かくーん、と大きく首を傾げながら聞いた。
「変わるよ。色んな色が出てくる。それに、この桜はブラッドチェリーって言うサクランボを実らせてくれるんだ。…食べてみたくないか?」
『それって美味しい?』
ひょこ、ともう1人が顔を出し。
『美味しいなら食べてみたいね』
『ねー』
後ろの2人が息の合った会話を見せるのを、一番前に居た子供がぷるぷると全身を震わせて、ぐるん、と体ごと5人へ向き直り、
『お、おまえら、僕たちを仲間割れさせてどうしようって言うんだー!』
怒ったのか、ぐんっと身体に力を入れるような動きをし、そして、
『お前たちも手伝えーっ!』
『はーい』
『おっけー』
後ろにいた2人もやや身体を丸めるようにする。
――ごぅ…っ
突如、吹き付けて来た強い風に一瞬視界が埋まった。慌てて手をかざすと、ごうごうと奥から聞こえる音と共に、激しい吹雪が皆に襲いかかる。
「うわ…っ」
誰かの悲鳴が聞こえる。
それ以上に、自分の体が先端から凍えていくのが分かる。
また、誰かの声が聞こえたような気がした。引き返す、と言っているようにも聞こえるが…何故なのだろう。
寒さは珍しく感じていなかった。その代わり、地震なのか辺りがゆらゆらと揺れているような気がする。
「大丈夫ですか――」
アイラスの声が、聞こえる。誰かに何かあったのか、聞き返そうとしてもどういうわけか体が言うことを聞かず、困りましたね〜、と内心で思い…そして、ふぅ、と意識が遠くなった。
――再びはっと気が付いたのは、頬が暖かい空気を感じた途端のこと。
俺も遭難するかと思った、と下から声が聞こえ、ばさばさと体中を叩かれて、そのまま荷物のように運び込まれていった。
「どうしたんだ?」
「…寒さが苦手なんだそうですよ。ですから…」
暖炉前に椅子をしつらえ、暖まった毛布を敷いてその上にぐったりとしたアンフィサを寝かせ、毛布でくるむ。
「――――」
暫くの後、ほぅ、と小さく息を吐いたアンフィサが静かに目を開ける。じわじわと頬に赤みが戻ってくるのを見ながら、ふぅ…と息を付く3人。そしてスゥは椅子の傍でアンフィサを心配そうに見下ろしていた。
「ほら、スープだ」
塵の手渡したカップをそぉっと手に受け止めて、アンフィサがはにかんだ笑みをゆっくりと浮かべた。
「あまりの寒さに気を失ったらしいです。…あの場に行くまでにも結構時間かかってましたしね」
ようやく人心地ついたらしいアンフィサが暖炉前で暖まっているのを見ながら、村長とあの子供達を目撃した村人を呼び寄せる。
「大丈夫?」
椅子近くでかくん、と首を傾げたスゥに、アンフィサが笑いかけた。
「大丈夫ですよ〜。アンフィ、寒さにちょっとだけ弱いんです〜。こうして暖かい場所にいれば、すぐ元気になりますから〜」
「うん。それならいいの。…あのね」
向こうで話をしている3人をちらっとスゥが見やりながら、不思議そうな口調になって、
「さっき、雪のむこうに女の人が見えたの」
「あら〜?女の人、ですか〜?」
こく、とスゥが小さく頷く。
「細い女の人に見えたの」
ちょっと考えたアンフィサが、
「あの3人を〜、呼んできてもらえませんか〜?」
そう、スゥに頼んできた。こくん、と頷いてスゥがトコトコ3人の場所へ行き、くいくい、と服を引張った。
スゥに服の裾を引張られた3人がアンフィサの傍へと寄る。もうすっかり元の状態へ戻ったアンフィサが、ごめんなさ〜い、と照れ笑いを浮かべながらスゥへと視線を向け、
「もう一度言ってもらえませんか〜?先ほど、キミが見た、という方のことを〜」
「…見た…?」
こくんと頷いたスゥが、今度は3人へ顔を向け、
「雪が降っていた向こうに、細い女の人が見えたの…皆を、じっと見てたの」
吹雪にも関係なく動けるスゥならではの視線だったのだろう。その女性の表情は雪で所々遮られる視界のためにそこまで詳しくは見えなかったが、確か細い女性だった、と告げ。
「そんな女性がいたとしたら、そいつが黒幕かもしれないな…雪が止んだらまた出かけるか。…アンフィサ、お前も行けるか?無理してまで付いて来なくても大丈夫だぞ」
そう、気遣うように言った陣にふるふると首を振ってみせると、
「どうしても〜、木々を見なくてはならないのです〜」
のんびりとした声ながら、それは決意を表すようにしっかりと頷いて見せて。
「寒さが辛くなったら言うんだよ」
「ありがとうございます〜…」
よし〜っ、とすっかり暖まったアンフィサが、椅子から立ち上がった。
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――気のせいか、先ほどより道が歩きやすい気がした。
雪を踏みしめながら、再び同じ道を歩いて行く一行。始めの時と違い、どう言う風に歩くかが大分判って来た分体力の消耗も無くて済む。
「やはりな」
ぽつりと低い声で言ったのは、何か考えていた塵。その声に視線の先を追った4人が其れを見て、え?と呟いた。
子供達は、始めに来た時と同じようにきゃあきゃあ笑いながら駆け回っていた。今度は鬼ごっこらしかったが…だが。
多きさが、皆一回り以上も小さく縮んでいた。
「……」
黙って、雪道をずんずんと進んでいく塵。その後を追うようにして付いていく皆…やや歩きにくそうなアンフィサの動きをサポートしているのは、小柄なスゥで。
『むっ。また来たなおまえたち』
ざっ、と皆の前に立ちはだかったその小さな子供は、口調も声も同じだったが大きさだけが激しく違っていた。
「何度でも来るさ。それが俺たちの役目だからな」
塵に目配せを受けたアイラスが軽く頷き、自らの得物をそっと取り出してゆっくりと別方向から近づいていく。塵は塵で、懐から愛用のハエタタキを取り出し、ぶんぶん振って風切り音で威力を見せ付けるように動かした。
びっくりしたような顔の――3つの穴では表情は良く分からないが、驚いているらしい――3人の子供が、塵の動きに釘付けになる。
その間に〜、と呟きながら、ひとつには先ほどのようにじっとしたままで体が冷えるのを怖れたのだろう、もう1つには何よりも気がかりになっている木々の状態を確かめるために、アンフィサがこれまたこっそりと動き出す。その動きを真似てトコトコ付いていくのはスゥ、そしてハエタタキを振り回している以上相手を傷つけることが目的ではないと見た葵が、アンフィサの元へ近づいていく。
アンフィサは木の幹へ耳を当て、そしてふんふん〜、と相槌を打つように呟きながら、にっこりと木に笑いかけた。
「この子の幹は大丈夫みたいですね〜。ああ〜、でも根はどうかしら〜」
しゃがんで雪を除けようとして、改めて冷たいことに気付いたかちょっと困った顔をするアンフィサに、
「少し、溶かそう」
葵がそう呟くように言って、アンフィサが調べていた木の根の周囲にある雪を円を描くように溶かし始めた。たちまち剥き出しになる地肌から見えている小さな芽にも笑顔を浮かべ、改めてしゃがみ、地面から突き出している根に触れる。
「…大丈夫そうですね〜。この分では間もなく咲き始めそうです〜」
それも間に合いそうですね〜、とアンフィサが言い、ぽんぽん、と幹を叩く。
「我慢できずに咲き始めるのも危ないんですよ〜。お花が実を付ける事が出来なくなってしまいますからね〜」
他の木へと移動しながら、安心したように幹を撫でた。その隣で、スゥが不思議そうな顔をしながら、なでなで、と一緒に木の幹を撫でていた。
次々へと3人で木々を回っていく。幹と根、そして枝に積もっている雪の具合を見ては一つ一つ安心したように笑みを浮かべていくアンフィサ。
そこへ、アイラスが何か話が変わったらしく、3人をやや急ぎ足で呼びに来た。
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「なんだ、これは…雪の精霊が、中に閉じこめられている」
やがて、塵たちが雪の子供たちと話をしている間に木々を見てまわっていた3人が呼ばれやってきて…そして、葵が小さく目を見開いた。うろの外で中を覗きこんでいるアンフィサは中に雪の子供たちが全員集まっていることに寒さを感じたか中へ入ってこようとはしなかったが、葵と、後を付いて来ているスゥがすたすたとうろの中へ入り、そして横たわっている雪の塊をしげしげと眺めてどこか痛ましげに呟く。
「中に?」
『冬を過ぎても、身体を脱げなくなったから。だから。…次の冬まで、冬にしてあげないと』
『…だんだん、弱って行ったの』
『ぼくらはへいきだったのに』
それでも、日差しも気温も違う。無理に冬を留めておこうとした結果が、この3人の姿なのだから。
「『彼女』は、友人なのか」
こくり、と頷いた3人。
「お友達のために、ずっと冬にしてたのね」
スゥがそう呟いて、仲間の4人の顔を交互に眺めた。誰か何か出来ないか、言葉よりも雄弁なその目で。
「…なんとか、出来ると思う」
そう言ったのは、ずっとこの雪の塊を見つめていた葵。
「出来るんですか」
「要は召喚の要領だ。返る場所があるなら…返してやらないとな」
そうだな?
振り返った子供達が、こくこく、と大きく頭を縦に振った。
葵が、手の平を雪の塊にかざす。目を閉じ、そっと人間で言えば心臓の位置へ手を置き。
「――…再び来たる時の為に…」
心臓部から、葵が手の平を当てた部分から、雪があっという間に溶けて行く。それに構わず、何か抵抗でもされているのか、くっ、と小さく息を付いてから一息に、
「今は只在るべき場所へ帰れ――」
そう、告げた。
ピシッ、と何かが砕ける小さな音がし、それと同時に一瞬だけ、
――ゴゥッッ!
うろの中に、吹雪が吹き荒れた。
「………」
一瞬で真っ白になる、うろの中。顔中を、服の隙間をことごとく雪で埋められた皆が、何故か無言でばたばたと雪を払う。
ほっ、とうろの外で盛大なため息を付いたアンフィサが、何かに気付いたように顔を上げた。
「ああ…待っていたんですね〜」
ほんわか、と柔らかな笑みを浮かべたアンフィサが、桜の木肌にひたりと手を当てながら呟く。
「待っていた?」
雪まみれの面々が、不思議そうな顔を上げる。にこり、と振り返って笑みを浮かべたアンフィサは、
「咲きたかったんですよ〜、とーっても」
ね〜?と、上を見上げ、歳経た桜へと語りかけ――――
ふわり、
彼女の髪が風になびくように持ち上がった。目をすぅっ、と細め、そして嬉しそうににっこりと笑みを浮かべ。
「いいんですよ〜、ほら〜」
一瞬。
木から、ぶわっ、と何かが膨れ上がり、そして。
――ぽん。
ぽん、ぽんぽん、ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽん!
まさに弾けるように。
大木の桜が一斉に花開いた。
――赤い花弁がひらひらと舞う。
ふっさりと積もった雪の上に。
それは、血よりは明るい、染みこむような赤。
『――キレイだね』
『――うん。キレイだね』
雪の子供達が、木の下から其れを見上げている。――雪は、とうに止んで、辺りを日の光が照らしていた。この季節に恥じない、明るい、暖かい太陽の光。
『咲いたね』
『うん』
『これが春なのかな』
『…わかんない』
動きが、止まる。
声が、鈍くなる。
――気配が、薄れて行く。
「―――」
そして、残ったものは。
「これが…本体?」
雪の子供達と同じ数の、溶けかけた雪の人形。だが、これらはもう動かない。話すことも、笑う事もない。
「……」
しゃがみこんだスゥが、不思議そうにいつまでもその塊を見つめていた。
「桜の木から〜、お礼があるそうです〜」
何となく押し黙ってしまった皆へ、アンフィサが良く通る声でそう告げる。え?と顔を上げた皆に、にこりと笑い、
「一枝分だけですけど〜〜」
…いつの間にか、その枝にだけ。
アンフィサが指し示した一枝にだけ、みっしりと…まるで血のような、黒にさえ見える赤いサクランボが実っていた。
わいわい言いながら其れを摘み、甘味の滴るような果肉を堪能する。
「――」
ふと。
葵が手の中の果実を見つめると、日に照らされたせいでか、それとも季節を早く取り戻そうとする何かの作用でか既に原型が殆ど無くなってしまった雪の塊にしゃがみこむと、その、口だったであろう緩い窪みに1つずつサクランボを埋め込んで行った。
「なんだ?…変か?」
それを見ていたアイラスに、葵がやや乱暴な口調で訊ね、いえ、と微笑みながら、
「…食べたい、って言ってましたからね」
気持ちは分かりますよ、そう続けた。
この土地はもう大丈夫だろう、そう確信して果樹園から村へ戻る事にする。
まだ残っている採れたてのサクランボは、村の子供達へ持ち帰ろうとポケットに入れ、一本だけ見事に咲いた大木を見やり、そして気付いた。
「葵さん、ほら」
アイラスの言葉と指し示す指の向こうを見た葵が、その言葉を聞いた他の者と一緒に小さく口元を綻ばせる。
今も溶けている人形達は、押し込んだサクランボの上にいつの間にか雪が被さって、全員口を閉じているように見えた。
まるで、与えられた果実を味わうかのように。
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雪は刻一刻と、時間の早回しを見るような速度で溶けて行った。元々不自然な形で残されていた雪は、実際の季節に応じた気温と土の温度によってみるみるうちに溶けていき、その速度でも待ちきれないような春の芽が一斉に芽吹き、白と緑のコントラストが目を楽しませてくれた。
アンフィサにとっては何より喜ばしいことらしく、村の出入りが楽になるまでは、と引き止められている間中村や果樹園を見回っては木々や花々の様子を見てまわっていた。
その後をちょこちょこと付いていっては手伝いをするスゥも嬉しそうに植物の手入れをするアンフィサの傍で一緒になって手入れをし、みるみるうちに満開になった果樹園の中を楽しげに歩き回っていた。
「満開だな」
「そうですね。…これは見事な」
「赤い、桜か…」
敷布を敷いて、酒ならぬ山からの冷たい雪解け水を甘露と酌み交わしながら、風に舞う花弁を見つめる男3人。その向こうでは桜の木々に語りかけているアンフィサの姿と、その傍らで同じように木をぺたぺたと触れているスゥの姿が見え、ふ、と3人が顔を見合わせて笑みをうかべた。
「あ〜、何、良い物を頂いているんですかぁ〜?」
とことこと寄ってきた2人に、葵がカップを持ち上げ、
「この地が待ち望んでいた甘露水だよ」
そう告げ、自分のカップに注がれた、きぃんと冷える水をくぃっと飲み干してゆっくりと喉を潤した。
「――ありがとうございます。これは些少ですがお礼の品です…お持ち帰り下さい」
うららかな日差し。周りにはまだ少しばかりの雪が溶け残っているが、もはや防寒具を必要とする気温では無くなっている。この分では数日中に残りの雪も消えてしまうだろう。
村長以下、帰り支度をした面々を見送ろうと村人達が嬉しそうに寄り集まり、各々の心づくしがどさどさと手渡される。白山羊亭と彼らへの依頼料は小袋ひとつで済んだというのに、それ以外の『御土産』がやたらと多かった。
中でも体格を見込まれたものか、塵への荷物はやたらと大きく、そして重い。何だろうと首を傾げつつ中を覗きこんだ皆が、「???」と中にある不思議な物体に首を傾げる。
それは、大きな瓶に詰め込まれた黒々とした物体。他にも、ワインボトルのような赤い液体が詰まった瓶が割れないよう包装されている。にこにこしている村人に断ってから包みを開け、陽光に晒してみると。
「これは?」
「砂糖と酒に漬け込んだブラッドチェリーですよ。去年仕込んだ物で、丁度良い浸かり具合になっております」
これまた自慢なのだろう、深く皺を刻んだ老婆が嬉しそうに語り。
「そっちの瓶はチェリーリキュールです。これもここの特産ですので。皆様の人数分と白山羊亭に3本用意しました」
ようやく収穫の目処が立った嬉しさで一杯、という顔の若者もいる。
「長雪で根腐れの心配もあったのですが大丈夫なようですし、いつもよりも時期は遅れますが収穫は出来そうです。これも全て皆様のお陰です」
皆の手を取って泣かんばかりの村長に苦笑いを浮かべながらも、意気揚々と引き上げて行く一行。
帰り際にちらと見える大きな桜の木に軽く挨拶を送りながら。
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「きゃーっ、まあーっ、いいの?コレ、本当にいいの?」
きらきらきらきらと目を輝かせながら、ルディアが渡された土産に嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ええ、まだありますから」
どん!とカウンターに置かれたおおぶりの瓶と、他の面々が持たされた酒漬けのチェリーをふんだんに使ったパイやケーキ、パン等に目移りしながらうるっと目を潤ませるルディア。
「…ルディアちゃん、悲しいの?」
ぱちくり、と瞬きしたスゥがかくん、と首を傾げ。え?と顔を上げたルディアがぶんぶんと大きく首を振った。
「そんな、とんでもない。嬉しくてつい、ね。…ああ、でもこのサクランボ漬けは皆で分けないと。丁度良い大きさの瓶あったかしら…」
重い荷をずっと担いできた塵がぐったりと椅子に座っている目の前をぱたぱたとルディアが通り過ぎる。続いてスゥが手伝うつもりなのか、それとも真似をしているだけなのか同じ動きでルディアの後を付いて行った。
「お疲れ様でした。重そうでしたもんね」
「…そう思ってたなら手伝ってくれたって良かったんだが」
塵の呟きが聞こえなかった振りをして、そして小さく笑うアイラス。あの瓶は僕達では無理でしたからね、と呟き。「彼女ならその荷物全部持てたんじゃないですか?」
ルディアに言われ、自分の分は要らないと言いながら、人数分の瓶と、お菓子を分ける為の小ぶりのバスケットを両手に抱えたスーがトコトコと歩いてくる。その量は少女の見た目から想像も付かない程多く、見た目にも重そうで。
「いくら丈夫で疲れなかろうが、背負わせる気にはなれないことぐらい分かるだろうが」
憮然として、いや照れ隠しかやたらと疲れた疲れたと連呼する塵に顔を見合わせたアンフィサと葵がくすくす笑い出した。
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「よかった〜。これで、あの子たちも正常な季節に戻れるわ〜」
報酬その他を受け取って上機嫌のアンフィサ。のんびりとどこかで聞いたような曲を口ずさみながら、家路に戻っていく。
沢山の春を待ち兼ねていた植物達が一斉に芽吹いた瞬間をうっとりと思い描きながら、帰る前に拾い集めた桜の花弁を一枚一枚拾い集めて包んだことを思い出し、嬉しそうに笑みを浮かべる。
乾燥させて保存が出来るのならやってみよう、そう思いながら。
雪の子供達、そして何故だか体から抜け出す事が出来ずにいた人型の雪の塊の事を思い出しながらも、やはり自分としての使命感は植物が正しい姿を現すことだと改めて確認し、そしてあれだけ一度に咲いたり芽吹いたり成長したりする手伝いが出来た事にふたたびほわ〜っと笑みを浮かべ…そして、よろけた。
「あら〜〜、疲れているのかしら〜」
植物の成長を手伝うだけでも能力を行使しているのに、その数が半端ではなかった事が今になって響いて来ているようだった。
これは早く戻って横にならないと〜、と急ぎ足、のつもりなのんびりとした足運びで家へと戻っていく。
時々よろろっ、とよろけながらも、あの桜たちの報酬でもあるお土産はなんとしても死守する、と気張ったためか、家に戻るまで転ぶ事も無く無事に帰りつけた。
…そのまま、ベッドに倒れこむなり熟睡してしまったのだったが。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0376/スゥ・シーン /女性/ 10/マリオネット 】
【1528/刀伯・塵 /男性/ 30/剣匠 】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/ 19/軽戦士 】
【1695/アンフィサ・フロスト/女性/153/花守 】
【1720/葵 /男性/ 23/暗躍者(水使い)】
NPC
村長
村人達
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。「冬の残り香」をお届けします。
桜が全盛期ではないにせよ何処かで咲いている状態の時期までに書き上げることが出来てほっとしています。出来れば旬の時期の話はその時期の中で済ませてしまいたかったので…。
如何でしたでしょうか。喜んでいただければ幸いです。
今回の参加、ありがとうございました。
またどこかでお会い出来ることを楽しみにしています。
間垣久実
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