<東京怪談ノベル(シングル)>


金の瞳 〜失ったモノと得たモノ〜

 手にひんやりと金属の感触。
 もうすっかり慣れた今でも思い出す。クルクルと色を変える小さな金の瞳が、僕を見つめる度に。
 あれは深い谷。深い森。鬱蒼として光も見えない谷の底。
 海賊の証は財宝をどれだけ手にしたかにかかっていると信じていた。無論、現在でもその気持ちは変わっていない。けれど、手から零れしまったものを取り戻すことが、どれほど難しいことか知った空がある。抗うことも拭うこともできない過去がある。
「ごめん……」
 ちびドラゴンが僕の呟きに反応する。首だけこちらに向けキョトリと目を回した。僕の顔に答えを見出せなかったのだろう、再び食べかけの魚にかぶりついた。

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「かぁーーさ、ん!!」
 声にならない叫び声が鼓膜をつんざく。思わず耳を押さえた。
「叫び声!! ――子供? なぜ、このような場所に子供が?」
 耳の記憶を頼りに方向を探る。生い茂る草木を掻き分け、谷底を北へと向かった。かなり川幅が狭くなり、巨石が増えているところを見れば源流に近いのだろう。銀の鉱石が採れるという噂を頼りに歩いていた道を逸れ、再度響いた声に向かった奔走した。
 海賊の僕にはイマイチ得意な場所ではない。が、耳に届く声が激しい緊迫感を与え、幅の広い船長服さえも走りの妨げにはならなかった。滝の轟音が聞こえた瞬間、息を飲む場面が僕を待っていた。

 巨大なドラゴン。黄土色の肌に幅広の羽がつき、長い尾が地面を叩きつけていた。
 視線を下ろし、声を失った。
 ――女性!! 死んでいるのか?
 ドラゴンの足元には額から赤い血を流している女性の姿。声の主である少女が、すでに動くことのない体に覆い被さっている。巨大な体が踏み鳴らし叩きつけ煙る土埃。少女を狙って逆巻く火炎。
 反射的に腰のレピアを抜いた。身の丈の9割にも届くロング・レピアは僕の相棒。たったひとりで生きる海賊である僕を支えてくれたもの。滝から散り放たれる水滴が僅かに刀身を曇らせる。それでも太陽の光に輝き、素晴らしい切れ味であることを知らしめた。
 真っ直ぐに伸ばし構え叫んだ。
「我、スリーピング・ドラゴン号の唯一の乗組員にて、世に名轟く船長キャプテン・ユーリ!! いざ、参らん」
 俊足。
 ドラゴンの豪腕。掴もうとした少女を横抱きにして飛び退る。同時に、右手のレピアを旋回。ドラゴンの鼻先をかすめ血飛沫が空に舞った。
「ここにいるんですよ」
「母さんが! あそこに母さんがいるのーーー!!」
 抱きかかえる僕の腕を振り払い小さき手を伸ばす。、
 ――何と言う力! これがまだ幼き少女の力だろうか。
 自分が助かったのだという感覚すらない。少女の目に映っているのは、倒れている母親の姿。おそらくは少女をその背に庇っただろう母の姿。親子の絆の強さにダメという言葉を飲み込んだ。その隙をついて、少女は荒れ狂うドラゴンの前に立ちはだかった。
「許さない! 大好きだったのに! 返して、あたしの母さんを返してぇ!!」
 あらん限りの声をあげる。言葉を理解するはずのない相手と知っていても、止むことのない心の叫び。
「危ない――!!」
 再び少女をドラゴンの腕が襲う。間に合わない!!
「ぐぁっ……」
 庇った右腕。ドラゴンの腕の強襲を受けた左腕はちぎれ落ちた。流れる血。背に庇った少女が震えている。そのか弱き息遣いだけが僕を奮い立たせた。ここで倒れるわけにはいかない。意を決しレピアをドラゴンに向けた。願わくば、誰の血も見たくなかった。しかし、今は躊躇している時間はない。
 跳ねるように飛んで、岩影に少女を隠した。叫び、ドラゴンの気を引きながら、母親の力ない体を片腕で持ち上げる。巨人族の血が流れていたことを今、嬉しく思う。これ以上、母親を失った少女を危険に晒すわけには行かなかった。自分の痛みは体の痛み。心に傷を負った少女の痛みに準じるものではない。僕の傷など後でいい。同じ岩影にそっと母の体を横たえた。
「かぁ…さーーーん」
 少女が縋りつく。冷たくなっても尚、子を想って流したままの涙。頬を伝って血糊と共に乾いていた。

 ドラゴンの怒りは収まらない。滝を背にした僕らの目の前に巨大な体を唸らせた。
「逃げ切れないか……。ならば、仕方ない。ドラゴンよ、僕のレピアの前に屈せよ!」
 状況は不利。背後には滝と少女。左は切り立った岩壁右には滝壷へと向かう水の流れ。激しい轟音がその高さを嫌になるほど僕に教えてくれている。けれど、負けるわけにはいかない。金に輝く巨大な目を睨んだ。勝負は一瞬、逃すことのない瞬間。正面に対峙し、時を見据える。
 ドラゴンの足が浮いた。
「今だ!!」
 大地を蹴り上げ、振り下ろされた腕に飛び乗った。すかさずドラゴンの頭上へと身を跳ね上げた。残った右手には白く輝くレピア。失ったのが利き腕でなかったことを神に感謝した。
 真っ直ぐな下降線を描き切先に風が唸る。上空に飛んだ僕を追いドラゴンが両手を持ち上げた。僅かに狂うバランス。逃がさない。左目と頚椎を切りつけ、地面に舞い下りた。と同時に足元を一閃した。
 ドラゴンは身をよじらせた。吹き出す血に我を失う。赤く染まった左目が方向感覚を奪う。よろけるようにして巨大な体が滝壷へと落下していった。残ったのは冷たい風の音と、切断された左腕の痛みだった。

「何にをしてるんですか!!」
 息をつき、振り向いた目に少女の姿。涙と手にした石。少女の視線の先には、白い球体。
「壊わすの! アイツはあたしの母さんを殺した。だから、壊すの!!」
「これは、ドラゴンの卵! ――だから、逆上したのか」
 本来、ドラゴンは人に友好的な場合が多い。互いにそのテリトリーを荒らさなければ争うことはないのだ。きっとどちらの母親も必死だったのだろう。子を守ろうとした想いは、種族を超えて同じなのだから。
「止めておきなさい」
 そっと手から石を取り上げた。僕の行動に少女の怒りが満ちた目。
「どうして! どうして壊しちゃだめなの!!」
「涙の連鎖は誰かが止めなければダメなんだ……悲しくても悔しくても。キミが母さんを大好きだったように、この卵から生まれてくるドラゴンの子供も、きっと死んでしまった母親のことが大好きなんだ」
 優しく諌める。繰り返すのは悪意や後悔ではいけない、幸福でなければ。
「キミだけを責めるわけじゃないよ。僕も同罪だ。親殺しの罪を背負わなければならない。卵は僕が孵そう」
「この子も泣く……の…?」
「ああ、きっとね。だから、許してやって欲しいんですよ」
 怒りの色は悲哀の色へと変化して少女はうなづく。小さな手のひらが僕の手をそっと握り締めた。

                      +

「お前はよく食べるなぁ……。美味しいかい?」
 返事の代わりに、嬉しそうにカォと鳴いたのは金の瞳。忘れられない色。失った左腕の痛みとともに。
 僕をどう認知しているのか、食事を続けるちびドラゴンを見つめた。海の上を風が渡る。あの時の冷たさではなく、汗の滲む体に涼しい自然の恵み。手のひらを太陽に透かす。あの時の少女はどうしているだろう。僕のように幸せであるならいい。
 願わくば。願わくば。

 美味そうに魚を頬張っている相棒の横で、僕も食事を始めた。上質のフォズ酒とチーズ。
 金の瞳に乾杯。


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 こんにちは。ライターの杜野天音です♪
 かわいい相棒さんとの出会いの場面は、こんなにも悲しい過去が隠されていたのですね。書かせてもらえて光栄です。ユーリさんの華麗さが少しでも表現されているならばいいのですが。如何でしたでしょうか?
 きっと少女にとってもあの時の判断は正しかったと思います。犯した過ちはやり直すことができないのですから。幸せであることを私も祈ります。
 今回はありがとうございました!