<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
【吟遊詩人がやってきた】
絶え間なく飛び交う注文。楽しげな笑い声とひっきりなしに聞こえる誰彼の武勇伝。夜の白山羊亭はいつにもまして繁盛の様子を見せていた。
ウェイトレスのルディアは店内を忙しく駆け回っていたが、ちょうど入り口に新しい客が見えたので足を止めた。体の線は細く、いかにも優男といった風だ。
「いらっしゃいませ。お食事ですか? それとも冒険ですか?」
「いえ、そのどちらでもありません」
男は微笑み、穏やかに言った。
「わたし、旅の吟遊詩人なんですが、この店には非常にたくさんの旅人、冒険者が集まっていますね。こういうところを見ると、うたうたいとしての血が騒ぐのです。どうか少しだけここに留まり、私の声を皆様に聞かせることを許していただきたいのです」
歌と聞いて、ルディアはワクワクしはじめた。そういった賑やかなことは店にとっても大歓迎である。
「どんなことを歌うんですか?」
「旅人や冒険者のことを歌うのです。それはその人の生涯の縮図。何より楽しく、美しいものです」
「へー、じゃあ、今ここの人たちのことを即興で歌うとかって、出来ます?」
「ええ、ご希望の方は、ぜひ!」
「詩を歌ってくれるのかー。面白そうだな!」
店の奥から豪快な声がした。吟遊詩人が振り向いたその先には、酒樽がいくつも転がっており、男たちが酔いつぶれていた。その中心に、牛馬のごとく酒を飲み続ける四本腕の男がひとり。小麦色に焼けた身は強靭。それを包む白虎模様の鎧。どんな状況にあろうと揺るがないだろう意志の強い目。精悍という形容がピッタリの戦士だ。
「喜んで。では、あなたのお名前をお聞かせください」
「俺は多腕族の戦士、シグルマってんだ。さっそく俺の詩を歌ってみてくれ。といってもここでは酒を飲んでる姿しかわからねーがな。それでも歌えるかー?」
シグルマは笑いながらコインを一枚はじき、吟遊詩人がそれを受け取った。
「十分ですよ。では、始めさせていただきます」
吟遊詩人は手頃な椅子に座ると、竪琴の弦をゆっくりと鳴らした。そして、儚げな口元から詩をつむぎだした。
錆つきを知らぬ鋼の体
揺るぎを知らぬ雄々しき心
大剣操る四つの腕は
天に与えられし宝物
疾風のごとく地を駆け抜け
怒涛のごとく敵を飲む
彼の者に並ぶものはなし
強戦士その名はシグルマ
流麗な発音とメロディーが溶け合う。白山羊亭は魔法がかかったように幻想的な空間と化していた。誰もが食事の手を止め、談話を中断した。耳を傾けていないものはいない。聞き惚れるとはまさにこういうことだった。
弦の響きが止むと、人々は一斉に眠りから覚めたように、拍手と歓声を巻き起こした。
「ありがとうございます。いかがでしたか」
「いや、驚いた。ここまで俺を的確に歌うとは!」
シグルマは四本の腕で握手を求め、吟遊詩人は律儀にそれに応じた。
「次、次は僕を!」
「ああいえ、私を!」
「ワシ! ワシ!」
たちまち発生したリクエストの嵐に、吟遊詩人は苦笑した。
「私がランダムに決めさせていただきますね」
吟遊詩人は店内を見渡した。すると、ステージ上で挙手をしている踊り子を見て、
「そちらの青い髪の女性を」
迷わず言った。この人はいい歌になる、そう直感したのだ。
「どのような歌をご所望ですか」
「――とある踊り子を題材にした歌を、歌ってほしい」
女性の声には、どこか憂いが込められていた。
「とある踊り子、ですか」
自分のことではないのかと吟遊詩人は言いかけたが、何も聞かずにその言葉を飲み込んだ。青い髪の女性は淡々と語り始めた。
――巫女の家系に生まれた少女は修行の最中に踊り子と出会い、自らも踊り子を目指した。それから極寒・灼熱の地を問わず東西南北を奔走し様々な場所で色々な踊りを踊り、今の自分の踊りを確立していった。しかし、とある国で王の寵愛を受けてしまい、国を食い潰していた王妃の謀略にはまって罪を擦り付けられ咎人――普通の人間が断罪され、何らかの呪縛を受けて罪を背負ったまま生き長らえさせられている者の俗称――の烙印を押されてしまう。そして背負わされた、不老不死と日中の石化という無実の罪の呪縛。咎人となった踊り子の行方は誰も知らない――。
「すさまじい話だな」
酒を飲むのを止めて聞き入っていたシグルマは四本腕を組んで唸った。その他の客たちもため息を漏らした。
「それは、伝説なのかい?」
誰かがそんなことを口にした。すると彼女は、
「紛うことなき真実よ」
強く、そう言った。
「よろしいですか。歌わせていただきますが」
吟遊詩人が問うと、彼女はステージ上で両腕を広げ始めた。客たちはクジャクさながらの華麗さに唾を飲んだ。
「詩に合わせて踊りたいんだけど、いいかしら」
「ええ、どうぞ。では――」
巫女の少女は踊り子姫へ
見るものすべてを魅了した
東へ西へ北へ南へ巡れども
王妃の謀略受けたが悲劇
不在の罪と永遠の罰を身に受けて
美しき踊り子は何処へ消えた
緑の萌える夢の草原か
碧くたたずむ愛の渚か
空を行く鳥が恥らうほどの滑らかな舞いだった。吟遊詩人の声は美しいが、それに合わせたこの踊りは美しさを超えて、もはや神秘だ。こんな瞬間に立ち会えるとは。観衆は皆、心を溶かされるようだった。同時に、名も姿形も知らない悲劇の踊り子に対して、哀傷の念を抱かずにいられなかった。
ただ、その踊り子というのが、たった今そこで舞っているレピア・浮桜その人であろうとは、その場の誰もが考えもしなかったが。
すでに演奏は終わっていた。レピアが静止しても、観衆はまだ、夢か現かどっちつかずの境界上を彷徨っていた。
「ふう、こんなもんかな。いい腕してるねあんた」
「どうも。しかし、貴女はもしや――」
吟遊詩人が湧きあがる疑問を口にしようとすると、
「いい時を過ごせたわ。ありがとう」
さえぎるようにレピアは言った。そしてステージを降りるとそのまま白山羊亭を後にした。吟遊詩人は無言で青い後ろ姿を見送った。
「……さて、他にどなたかいらっしゃいますか」
「無理だなあ。どいつもこいつも、しばらくは放心状態だ。あの姉さん、何モンだか。一緒に冒険したいもんだが」
ただひとり、シグルマだけが正気を保っていた。鉄の精神力である。
「こうなっちゃあ、ここで終いだが。たった二曲で満足か?」
「ええ、素晴らしいふたりと、ふたつの曲に出会えた」
吟遊詩人は椅子から立ち上がった。
「この辺でお暇しましょう。ウェイトレスさん、感謝します」
「あ――え。は、はい! ど、どうも、ありがとうございました」
言われて、ルディアはようやく我に返り、慌ててお辞儀をした。
【エピローグ】
レピアは王女エルファリアの別荘に戻った。窓から覗く煌々と冴える月が彼女の体を幻想的に照らした。
「悲劇の踊り子、か」
踊っている最中、当時のことを思い出した。自分は何も悪くなかった。ただ、踊っていただけだったのに。自由を奪われながら永遠に生き永らえるしかないこの身を何度呪ったか。
それでも、過去を嘆くのは似合わないと彼女は自覚していた。
「今が楽しければいい。踊っていられれば幸せなんだから」
ベッドで安らかな寝息を立てている王女エルファリアを見て、レピアは誰ともなく呟いた。
【了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0812/シグルマ/男性/35歳/戦士】
【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】
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■ ライター通信 ■
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silfluです。このたびはご依頼ありがとうございました。
――それぞれのPCの詩を作るのに一苦労。今回はそれに
尽きます。
それではまたお会いしましょう。
from silflu
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