<東京怪談ノベル(シングル)>
鳥篭の中で
穏やかな温室の中で、荊姫はふうと小さな溜息をついた。
荊姫はルシェイメア帝国の第四王女――王位には遠い存在であるが、だが王家の直系であることには変わりなく、ゆえに、世界情勢や魔法、帝王学などの勉強に追われる日々を送っていた。
今日も朝から山積みの本を読んで、昼過ぎになってようやっと温室に出て来れたのだ。
荊姫は、城の外れにあるこの温室に来るのが好きだった。いや、ここでしか落ち着けないと言うべきかもしれない。
城の外れにある鳥篭のような形をした古びた温室は、日々の喧騒を少しだけ忘れさせてくれる、荊姫にとっての憩いの場であった。
そう、今日だって……。
こつこつと地道に植物たちの手入れをしながら、思う。
勉強だけならまだ良い。だけど、大きな権力を持つ場所では、権力争いというのがつきものだ。
別に荊姫自身は王位になんて興味ない。けど、そんなこと関係ナシに、周りは荊姫に突っかかってくるのだ。
原因の一つには、荊姫の母親が第四王妃であるということもある。四番目の王妃ともなると軽んじられることも多く、それゆえか兄弟たちも荊姫には冷たい。
荊姫の母親に同情的な従者が多いのがせめてもの救いだろうか……。
今日だって、こちらから特に何かしたというわけでもないのに、ネチネチと嫌味を言われて。
そんな兄弟たちへの対応はもうすでに慣れきってしまっているけれど、いくら慣れたって疲れるものは疲れるのだ。
「自分に自信がないから、突っかかってくるのよね」
どこか尊大な物言いでそう呟いて、荊姫は植物の世話を続ける。
突っかかってくる兄弟たちに、精一杯の虚勢で背筋を伸ばして言い返して――もしくは適当に受け流して。
負けるような気がして悔しいから「疲れた」だなんて絶対に口にはしないけれど、心のどこかではわかっていた。
自分が、疲れていること。
肉体的な意味ではなく、精神的な意味で。
「姫様、どうですか?」
声をかけられて、荊姫はくるりと振り返る。
「ええ。問題ないわ」
自信たっぷりの口調で告げる。
ああ、そうだ。今は一人じゃなかったんだ。
一人考えに浸っていられる状況ではなかったのだと思い出す。……まあ、相手は仲の良い温室の庭師だ。そこまで虚勢をはる必要のある相手ではないけれど。
だけど、自分の弱いところを人に見せる気にはなれなかった。
「それではワシはそろそろ行きますが、姫様はどうぞごゆっくりなさってください」
「ありがとう」
庭師の気遣いを少し嬉しく思いつつ。だけど、そんな感情を表には出さずに、ただ王女としての声音で礼を告げる。
荊姫が一人になりたいと思っていることをわかっているのか、庭師はいつも、荊姫に少しだけ土いじりを教えてくれるとすぐに立ち去ってしまうのだ。
まあ、荊姫としてはありがたいことなのだけど。
「……」
一人になった温室で、改めて周りを見る。
ここに一番多いのは薔薇の花。
荊姫は、薔薇が結構好きだった。
美しいのに刺がある。
そんな薔薇に親近感を覚えるのだ。
こんな場所で一人で、黙々と植物の世話に没頭していると、なんだか世界に自分一人だけになったような錯覚を起こす。
外れにあるせいで城の賑やかな空気はここにはない。
時折、兵士の訓練なのだろう剣戟の音が聞こえてくる。それが耳に届くと、一人だけではないのだと思い出せるけれど。
そうすると今度は別の感情が鎌をもたげてくる。
なんて言うか……荊姫自身は、この感情につける言葉を知らない。不安、とは少し違う。寂しいわけではない。
いや……本当は寂しいのかもしれない。ただ、自分では認めないだけで。だって、認めたら隠すのが難しくなる。
寂しくない、寂しくなんかない。
そう思い込むことで、弱気な思いを隠して強気に出ることができるのだ――ガラスのような偽りの強気に裏打ちされた行動は、周りからは気性が荒く横暴で我侭だなんて見られることが多いけれど。
「荊姫ー」
呼ばれて、荊姫はふいと顔をあげた。
知った顔――直属の護衛騎士が荊姫を探しに来たらしい。
見上げれば、いつのまにか空は夕暮れに赤く染まっていた。
「あたしはここよ」
立ちあがって自分の存在を示すと、彼は小走りにこちらに駆けて来た。
……なんだか少し、ほっとする。
「お探ししました」
荊姫の前で礼をする彼に、ツンと不機嫌そうな顔を見せた。
「さ、戻るわよ」
そんな心情は見せずに有無を言わせず言い放って、荊姫は歩き出した。
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