<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


闇の坑道の果てに

 そこには、放置され、風化した炭坑が残っていた。
 かつて、力を有した領主によって開かれ、鉱物を採掘する為に、掘られる事になった炭坑だった。
 当時は、多数の労働者を使い、多大な犠牲を払い続け、掘削は続けられた。
 だが、それも既に過去の話だ。
 その場所は、長い歳月の中で打ち捨てられ、結果、誰もよりつかぬ場所へと姿を変えていった。
 付近にあった街の賑わいも消えた。
 今は僅かな人々が暮らす集落を残すのみ、だ。
 そんな過去を秘めたまま、坑道跡には風を生み出す、狼の遠吠えにも似たうねりがそこには響き渡る。
 ―じき、嵐が来るな。
 そこに住まう、たった一人の男は坑道跡から僅かに顔を覗かせて、そう確信を抱いた。
 髭の顔から僅かに覗く皮膚には、歳月を感じさせる皺が刻まれていた。
 そう、その男の過去をもろともに語るかのように……。
 手探りで蜀台を探す。
 壁に手を這わせると、そこにあったのは固い岩盤の感触のみだった。
 たった今付けたばかりの蝋燭の炎が揺らめく。
 当分この風もやむまい、男にはそれも分かっていた。
 その時、そんな風化した坑道の中に現れた人影があった。
 ―何故こんな場所へ?
 炭坑に住まう男は、その者にそう声を掛けた。
 僅かに残った土地の人間達とでさえ、殆ど口をきく事が無い、その男がこうして自分意外の誰かと話すのは、一体どれほどぶりであったことか……。



「ふ〜ん……気になるなぁ」
 楽師の青年、狂歌は一言そう言って、ごろんと足をその場に投げ出した。そんな狂歌の背にある、一対の純白を思わせる華やかな羽も大きく揺れた。
 何時もと何ら変わらぬ、白山羊亭の一角である。
 本日の客層は、ざっと見る限り、老若男女の比率がほぼ均一……全体としての、統一感はある、そんな雰囲気であった。その理由は、まだ今現在が昼日中という、この時間帯のせいなのだろう。
 明るい店内の中では、狂歌とアイラスの側を、何時も通りルディアが忙しく給仕の仕事に追われていた。
 そんなルディアは、今日はこのふたりに対して、言葉を掛けてくる余裕が無い程に忙しいらしい。
「大変そうだよね」
 そんな慌しい様子のルディアを横目で見ながら、狂歌はそう言った。
 そうして何気なく覗いた窓からは空が見えた。
 今日は、それも何処となくこの街全体が曇りがちで、窓から目にする景色も幾分暗い印象を受ける。
「確かに気になりますよね、その話は」
 狂歌と向かい合った姿勢で腰を下ろした、軽戦士、アイラス・サーリアスがそう言いつつ、目の前に据えられた、自分のグラスに口をつけた。
 その動きと共に、背後の首の辺りで束ねられた、アイラスの長く淡い青の髪が、音も無く揺れた。
「ねぇ〜? やっぱり、気になるよね! 」
 この卓を囲んだ状態で、アイラスと狂歌、この二人を除くもう一人の人物が、つい今しがたまで確かにそこに腰を下ろしていた。
 今、狂歌とアイラスが言わんとしているのは、その人物が語っていった話なのである。
 そうして、現在は空いたままになっているその席は、椅子の配置が多少ずれたままで、そこを去った人物の陰を色濃く残したままになっている。位置がずれた椅子は、二人にとって何処か所在無さげな存在に映った。
「何でもいいんだけど……僕は歌を探したいんだ。それがあるところだったら、何処でも行ってみたいな」
「それならこの際、実際に行ってみるのも手でしょうね」
 アイラスの言葉に、狂歌が頷いて見せる。
 随分と話が遠回りになってしまった感があるものの、狂歌とアイラスが話題にしているのは、ついさっき耳にしたばかりの、既に閉鎖になった炭坑の話だった。ただ前述の通り、その話を二人に聞かせた人物の影は、今は皆無だった。
「とっくに閉鎖になって、誰もいない炭坑の跡に、たった一人で住んでるって、その人は一体どんな気持ちなのかな〜? 」
 狂歌の言葉を聞きながら、その時、ふとアイラスが顔を上げた。
「確かに僕達には想像もつかない部分が大きいですね……何だか興味をそそられますし、では僕も一緒に行きますよ、そこへ」
「え?! 一緒に来てくれるの〜? 嬉しいなー」
 狂歌は素直に嬉しそうな声を上げた。
 それを見ながら、アイラスは店の入り口付近に目をやってから、狂歌を促すかのようにして、改めて視線を投げ掛けた。
「ともかく、ここは混んできたようですし、席を占有したままというのも、心苦しいですから一度出ましょうか」
 アイラスはそっと、狂歌にだけ聞こえる小さな声でそう言うと、相手が頷くのを確認してから、その場に立ち上がった。


 その、話の中で聞きつけた閉鎖された炭坑へ向かう前に、アイラスと狂歌は直接目的の場所には赴かずに、まずはその近郊に位置する、ある小さな町へと向かった。
 そこは歴史に名を残した炭坑と共に、まさにそのままの衰退と運命とを共にした町とも言うべき場所だった。
 現在では、僅かな人口を残すのみ。もうその地に住まう人間の数は相当に少ない。
 そこで、ふたりは多少の酒と食料を手土産に購入する為に、一軒の店へと立ち寄った。
 閉鎖された炭坑にたった一人で生き続ける男の事を尋ねると、その小さな商店を開いている店主が快く教えてくれた。
「あの人は、たまにしかこの町へも出てこないからね。もっとも、ここも今や町とは名ばりの……ただ、さびれて放置された建物の廃墟ばかりがひしめく、墓場のようなところだからね」
 店主の男の言葉に、狂歌とアイラスは改めて、開かれたままになっている店の戸口辺りから、僅かに見える外を見た。
「ええ、確かに……ここは使われていない建物の方が多い感じですね」
 アイラスの言葉に、店主の男が頷く。
「そうさ、取り壊す事もまた手間や資金がかかるからね、どれもそのままにしてあるんだよ」
店主はもう再び口を開くと、そう言った。


「そのままに放置された……廃墟の町ですか」
 店を出てから、アイラスは改めて周辺を見回した。
 辿りついた場所は、まさしくアイラスの言葉通りの姿でそこにあった。風雨に晒されたであろう、そこにただ立ちすくむように残った建造物群が、二人に直接のしかかるかのようにして、そこに無言のまま立ち並んでいる。
「……ええと、炭坑の場所は……っと。おっ……ここから意外に近いみたいだね〜! 思ったより早く着けそうだよ」
 手元の地図を確認しながら、狂歌がそう言った。
「あの……今、ふと思ったんですが」
 アイラスの言葉に、狂歌がそれまで目を通していた地図から顔を上げた。
「何? どうかしたの? 」
「いえ……突然、僕達のような見ず知らずの人間が訪ねていって、はたして相手の方に歓迎されるのかどうなのか、と多少考えていたところだったんです」
「う〜ん、確かにね」
 そんな言葉を交わしながら、二人が更に歩き続けてゆくと、やがて途中で、何かを燃やして出来たらしい、地面に焼け跡がくっきりと刻まれた場所の側を通りがかった。
 二人はそこでいったん足を止め、自分達の足元をしげしげと眺めていた。
「これ、何だろうね。随分古い感じがしない? 何かが焼け焦げた跡みただけどね〜」
「確かにそのようですね」
 アイラスも頷きつつ、そう言った。


 ―その坑道は暗く、深遠なる闇に溶けるように奥まで続いていた。
 そこにある空間の中での唯一の光源は、所々に歪んで無理矢理置かれたような燭台に据えられた、短い蝋燭の照らし出す明かりのみだった。
 その中から音も無く現れたのは、顎の髭が、伸び放題に伸びた姿の、大柄の男だった。
「何故……お前達のような人間が、こんなところへ来たんだ」
 深みを帯びた、男の低い声が響いた。
「僕は狂歌っていうんだ……はじめまして。この通り見て分かると思うけど、楽師をしてるよ。突然来てごめんなさい。でも、人に聞いてここまで来たんだ。貴方はどうしてこんな所に独りですみ続けてるの? 」
 その坑道の内部で、初めて対面したその男に、狂歌はまずそう切り出した。
 そうして、そのまま狂歌が見せたのは、屈託の無い微笑みだった。
 このほの暗い光の中であってさえ、狂歌独特の華やかなそれが、空間に満たされてゆく。やはり彼は天性の楽師なのだ。
「もしよかったら聞かせて欲しいな。この土地が、昔はどんな風だったかとかも。色んな人とお話するのって楽しいよね! 俺はね、色んな所で新しい歌を探してるんだ。だからこの地に残る素敵な歌があったら、教えてくれないかな? 」
 狂歌の言葉の後に、後ろを歩いてきたアイラスが一歩前へ出てきた。
「僕もお邪魔します……僕はアイラス・サーリアス。狂歌さんと同じですが……偶然、この坑道の話を聞きまして……」
 アイラスの言葉に、男は面白そうに顎をさすって見せた。
「ほう……この死んだような炭坑の事を、外部の者達がまだ覚えていたとは、心底意外だったな。歌を探したいと言う事だが……確かにあるぞ。ここで働いていた奴等しか知らない歌だ。しかも、何時だったか、それを聴きたいと言って、お前等と同じように、ここへやってきた人間が一人いたな。もっとも、その時には、この通り俺の姿を見て、あっという間に逃げ帰っていったがな。俺は人と口をきくのすら久し振りだ」
 男が唇を歪めるようにして、そう言った。
 その光景を沈黙のまま見つめていたアイラスは、その男の表情の中に底知れぬ闇を感じて、眼鏡の奥の両眼を、一瞬鋭く光らせた。
「どうしてここに住むのか、と訊いたな。その理由は実際には、俺にもよく分からん。ただ、ここでは俺の仲間が、どうにもならない程死んだ。粉塵で身体を痛めた人間もいる。殆ど奴隷同然の扱いでね。魔物も働かされてはいたが、環境はどっちにしろ劣悪だった……」
 男はそこまで言うと、言葉を一旦区切るように、深く息を吸い込んだ。
「それに関しては、僕も少しはここへ来る前に、文献を読ませて頂いたり人から聞き及んだりしています……」
 アイラスはそう思い出すようにひとつひとつをゆっくりと、噛み砕くように口にしながら、手にしていた酒を手近な容器に注ぐと、男に黙って差し出した。
 男は頷き、片手で容器を受け取ると、そのままゆっくりとそれを飲み干した。
「そうか。ああ……じゃあ、知っているんだろう? 事の顛末も。どっちにしろ、ここじゃ、大したものも出なかった……おかげで見事に閉鎖になった。だが、思い出すな。よくここが……この土地がまだ生きていた頃は……」
 そう言いかけ、突然男が激しくむせ返った。
 嘔吐しかかった程の、激しく苦しむ様子に、狂歌とアイラスは言葉を無くしている。
「……す……まない。生き残った俺も、このざまだ」
 男は呼吸を整えながら、息も絶え絶えにそう呟いた。
「苦しそうだね」
 狂歌の心配そうな言葉に、男は問題無い、というように、幾度か手を軽く振って見せた。
「ああ……働いていた頃に、塵にやられて……な。気が付いた時からは、ずっとこうだ。もう治らない。だが、落盤で死んだ奴等に……潰された連中に比べれば、俺はまだましな方なのかもしれない。今もまだこうして生かされているんだからな」
「落盤……ですか」
 アイラスの言葉に、男は目を細めた。
「ああ、そんなものはここにいれば、日常茶飯事だった。別に珍しくも何とも無い。そのせいで、一時期は余りにも毎日のように死人が出るので、この少し離れた場所で、直接、木材を集めてきて、そこで亡骸を皆焼いたくらいだ。今でもあの時見た煙はよく覚えている……忘れられない。それに幾ら雨に打たれても、その時の焼け跡は消えないままだ。余程、強い火が大地を焼いた結果なのか、それとも生きる人間以外の何かの意志が働いているのか分からないが……まだそのまま残っている。あんたらは見たんじゃないか、あれを」
「……」
 男の言葉に、アイラスと狂歌は思わず顔を見合わせた。
「だが、何故なんだろう。俺は自分が今でもよく分からないでいる。今更ここに留まったところでも何も無いのは明白だ。だが、俺はまだここに居続ける。何故だろうな、そういう自分が一番理解出来ないまま、自問自答を繰り返してきた……」
 男の言葉が暫く途切れ、沈黙が流れた。
 その後、狂歌がゆるゆると口を開いた。
「僕達、多分その焼いた跡を見たよ……多分見たんだと思うんだ」
「……ええ、多分」
 アイラスも狂歌の方を見ながら、言葉を続けた。
「やはりな……ああ、思い出すな……目を閉じると幾らでも蘇ってくる。その当時はここもよく賑わっていてな。人間も大勢いた。金が集まるところには、自然と人も群がってくる。だが、俺はそれが全て嫌いだった。けれど、突然炭坑はあっけなく閉鎖が決まった……そのままここの労働者達は、俺を含め、誰もが投げ出されたような格好で仕事を探す為に、皆離散していった……だが、俺はここに残ったんだ」
「……」
 沈黙した狂歌とアイラスの前で、男は更に言葉を続けた。
「憎んでいた世界のはずだった。だが、俺にはそれ以外の……憎むべき世界以外の一切の記憶が無い。家族と暮らした記憶すら微かに残るばかりで、自分が何処で生まれたか、何時生まれたのかも分からない。それだって、その気になりさえすれば、調べる事も出来たかもしれない。だが、本当はそれだけじゃないんだ」
「それだけじゃない? それはどういうコトなのかな? そうして、家族の元に帰りたいと思わなかったの? 」
 狂歌の不思議そうな問い掛けに、男はふっと口元に笑みを浮かべた。
「そうだな……俺のような、離れ離れになった子供を探しに来る肉親もいないわけじゃなかった……だが……」
「だが……なんでしょうか? 」
 アイラスもじっと男を見つめたまま、そう問い掛けた。
「大抵の子供は、ここへ来る時、僅かな金と引き換えにして、売られてきたも同然だった。当然それは実の親の手で……な。だから、それが後ろめたくて、親達は名乗り出る事も出来ずに、探しにも来ない……それが露見するのは、要するに外聞が悪いという事に繋がるからな」
「なっ……」
 アイラスと狂歌は、男のその言葉に、思わず絶句したような表情を見せた。
 男は二人が見せた様子に、苦々しい笑いを浮かべた。
「……そう、だからこそ、ここにいた奴等の中には、外部の人間には理解しがたい独特の絆があった。誰もが同じ境遇で、ここしか知らない連中ばかりだったからだ……そこにいた誰もかれもが金が無かった。何にも持っていなかったが、それでも生きていた。運良く生き残り……簡単に打ち捨てられても、『代替』の補給は数え切れない程、後がある。俺達には、個々であるということすら無かった……ただ、それを証明できたのは、自分と全く同じような中間達の記憶の中でだけ。ここの者は誰もが、莫大な権力の中で、名も無いまま消えてゆく……」
 男はアイラスと狂歌が考えていた以上に、遥かに饒舌だった。
 酒の勢いも手伝ったのか、すらすらと紡がれる言葉を、アイラスと狂歌はただじっと聞いていた。
「この地は炭坑の閉鎖の日、時が止まった。そのまま何も変わらない。ただ人間だけが跡形も無く姿を消し、その残骸だけが残った。だが、現実には時はそのままに流れていて、何もかもを風化させてゆく。過去を淘汰させるようにして……そうしておそらく、俺も近い時期に消えるのだろう……最後は俺だけに受け継がれた、その全ての過去の証が、この歌だ。聴くか? 」
 狂歌とアイラスは、黙ったまま頷いて見せた。
 男の口から紡がれる旋律に、狂歌は思わず目を細めた。
 悲哀と、そこに身を委ね、消えて行った名も無き者等の声、そのもの。
 アイラスも同様に、目を閉じたまま、耳をそっとその歌にだけ傾けた。
 過去の時……確かにあったもの。
 それを鮮明に蘇らせる程の、悲しさ。
 過酷な状況であっても、懸命に生きたであろう者達の証。
「俺達を繋いでいたのは、記憶だけだ。だから、出来るならば忘れずに何処かに覚えていてほしい……俺はただそう願う」
 男はそう告げると、再び深い闇へと歌を紡いだ。
 その旋律は、坑道の奥深くまで消える事無く、長く響き続けていた。


 おわり



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649 / アイラス・サーリアス / 19 / 男 / 軽戦士】
【1910 / 狂歌 / 男  / 22 / 楽師】



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■         ライター通信          ■
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こんにちは、桔京双葉です。
何時も本当にお世話になっております。
感謝の思いは、もう言葉に表現しきれぬ程です。
今回は炭坑の坑道、闇の世界です。
アイラスさんのお土産の、酒と食料は相当に気に入られてしまったようです。
本当に本当にありがとうございました。