<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


ひかりの娘


 一仕事を終えてフロアに戻ってきたエスメラルダは、カウンターにオーマ・シュヴァルツの姿を認めると、声をかけてくる客を陽気にあしらいながら、そっと近づいてきた。
「良かった、待ってたのよ。ねえ、仕事をする気はない?」
 彼女は周囲を憚るように声のトーンを下げ、一枚の依頼書を取り出す。
 笑顔の絶えない彼女には珍しく、神妙な表情を浮かべている。
「仕事だって?」
「そう。ちょっと厄介な仕事になりそうな予感がするのよ。だから、貴方のようなタイプにお願いしたいの」
「俺のようなタイプでなければ引き受けられないような類の依頼……?」
 果たしてそれはどんな類の依頼なのか。
 オーマは首を軽く首を傾げながら、小さく頷く。
「分かった。話を聴こうじゃねえか」
「そう言ってくれると思ったわ。……ねえ、エスト通のゼネスは知っている? そうそう遣り手の貿易商の」
 カウンターに肘をつきながら、エスメラルダはフゥと悩ましげに吐息を漏らした。
「あそこに、16歳、17歳のお嬢さんがいるのは知っているかしら?」
「ああ、知ってるぜ」
 オーマは話題にのぼった少女の姿を瞼の裏に思い浮かべた。強面の父親ではなく、早くに亡くなったという奥方に似たのだろう、金髪碧眼のそれは美しい少女だった。本人いわく、蝶よ花よと育てられたらしいだが、たおやかな外見からは想像できないほど、芯がしっかりした娘だ。
「あら、知りあいなの。それなら話が早いわね。その子がね、魔物に攫われてしまったらしいの」
「……さらわれただと?」
「しっ」
 少し声を荒げたオーマにエスメラルダは眉を顰める。
「秘密裏にお願いしたいっていう条件付きなの。……西の森にいるのは分かってるわ。そこがその魔物の住処なんですって。ゼネス自身が雇った傭兵は歯がたたなかったらしくって、ウチにしぶしぶ依頼していったのよ」
「なんだか妙な依頼じゃねえか」
「でしょう。……どう?引き受けてもらえるかしら」
「ここまで聞いといて断れんのか?」
 エスメラルダはにっこりと作り笑顔を浮かべると、席を立ち上がった。
「他にも何人か声をかけてあるの。紹介するわ」
 はじめから自分に断らせる気などなかったらしいエスメラルダの後ろを、オーマは苦笑を浮かべながらついていった。


2 ゼネスの娘

 エスト通りのゼネスと言えば、この世界でも十本の指に入るだろう貿易商である。
 海産物から高価な宝石までその商いは多岐に渡り、その財力から政財界にも強い発言力を持つといわれている。それゆえに敵も多く、荷や人の護衛など黒山羊亭への依頼も頻繁で、冒険者仲間の間でも名が通っている人物だ。
 そんな彼の弱点──それが愛娘であるシアだった。
 若くして亡くなったという奥方にそっくりな美貌を受け継いだ彼女を、ゼネスは盲目的に愛していた。


 オーマと少女が知り合うきっかけとなったのは、足に擦り傷を作って往生していた彼女の手当てをしたことからだった。
「街を一人で出歩くようになってから気付いたんだけれど、どうやら私、人よりドジみたい」
 擦り傷の手当てをするオーマに少女は小さく肩をすくめた。
「ただ普通に歩いているだけなのに、こんな風に転んで傷を作ったり、どこかに頭をぶつけたりするの」
「それにしちゃぁ、結構嬉しそうな顔してるな」
「シュヴァルツ先生、これが結構楽しいのよ」
「転ぶことがかい?」
 珍妙な答えを返してきた少女に、オーマは目を丸くする。違うわ、とシアは首を振った。
「屋敷の中にいたらずっと知らないままだったことを知ることが出来て嬉しいの。私、自分がドジだってことも知らなかった」
 目を輝かせて自分がドジであることの喜びを語る少女にオーマは盛大に吹き出した。
「そりゃぁきっと、嬢ちゃんにとって街を歩くことが『日常』になってねぇからだな。キョロキョロ周りを見ながら歩いて、足元が不如意になってんだろ。慣れれば、普通に歩けるだろうぜ」
「そうかしら。じゃあ、頑張って屋敷を抜け出さないと。でもその前に傷の手当ての仕方くらい覚えておかないと駄目ね」
「じゃあ、簡単な救急キットをやろう。あと使い方な」
「有難う、先生!」
 それからというもの、屋敷を抜け出した彼女は頻繁にオーマの元を訪れるようになった。
 自分で育てたという季節の花を携えて。
 世間しらずなところがあるものの、上流階級の子女らしい上品さと生来の素直さを持った彼女は、誰からも好かれた。彼女が持ち込んだ花々からさえも。
 
 オーマの脳裏に部屋に飾ってある花の姿が浮かぶ。
「あいつらが悲しむな……」




3 冒険者たち

「なんというか、このメンバー、エスメラルダさんの意図を強く感じますね」
 店奥のテーブルでお互いに挨拶を交わしたあと、穏やかな口調でそう告げたのは、青髪青瞳、口調同様柔和な面立ちをした軽戦士アイラス・サーリアスだった。
「確かにな」
 その言に静かに頷くのは、侍である習志野茉莉。彼女の静かな佇まいが、酒場特有の喧騒をこのテーブルから退けている。
「もしかしたら、知り合いなんじゃねえのか。嬢ちゃん、意外と顔広いみたいだしな」
 苦笑を浮かべて他の二人の顔を見詰めるオーマ・シュヴァルツは、医者として冒険者の間では名が通っているが、ガンナーとしての腕も確かな人物だった。
「今回は、武というよりは智という選定のようだな。その点を買われたということか……。確かによく考えると今回の依頼は腑に落ちない点が多い」
 茉莉の言葉に、他の二人が頷く。
「まぁな。嬢ちゃんの誘拐としては、アレだ。営利誘拐っていうのが一番しっくりくるヤツなんだけどな」
「営利誘拐ならゼネスさんが身代金を惜しむはずがないんですよね。シアさん溺愛してるし」
 しかし、今回、少女を攫った魔物から身代金の要求は一切なかったという。
「金の要求はねぇとなると、嬢ちゃん自身が目的ということになるな」
 確かに顔も心も綺麗な娘さんだけどな、と得心がいかないという表情でオーマが呟く。
「私も、何故彼女を生かしたまま連れ去ったのか疑問に感じた」
「やはりここは直接、件の傭兵さんにお話を伺ってみましょう」
 アイラスの提案に茉莉とオーマも力強く頷いた。
 
 
4 証言

 もう勘弁してくださいよ。医者に患者の守秘義務があるように、傭兵にだって守秘義務ってもんが。
 え、マリさんたちが今度あの森行くんですか……?
 じゃあ、いいのかな。確かにシュヴァルツ先生が言うように、彼女を取り戻すのが最重要ですけど…。
 オレが言ったってゼネスの旦那には秘密にしてくださいよ!?
 絶対ですよ、アイラスさん!
 えーと、コトの発端はゼネスの旦那がお嬢さんの誕生日に送った宝石だったらしいんです。
 滅多に手に入らないもので、死んだ魔物の心臓が結晶化した赤い丸っこい宝石らしいんですけれど。
 持ってると幸運に恵まれるっていう話です。
 だけど、プレゼントされたお嬢さんはメチャクチャ怒ったらしいですよ。
 こういうものはきちんとした所有者が持っているべきだって。
 え、前置きが長い? そうですか。 で、攫われちゃったんですよ。あ、端折りすぎ?
 だから、その宝石を取り返しに来た魔物にお嬢さんは攫われてしまったんですよ。宝石ごとね。
 え、場所? 屋敷の庭だったそうです。 風のように現れて風のように消えたって。
 ゼネスの旦那にその宝石売った奴を問い詰めたら、もともとは西の森の魔物の持ち物だったそれを盗んで手に入れたらしくって。
 盗品に手を出して、そのせいで娘を魔物に攫われましたなんて、世間に知られたらお店のイメージを悪くするでしょう?
 ゼネスの旦那の所はお貴族さまの客も多いですからね。
 それでこっそりオレみたいな傭兵を雇ってお嬢さん奪還!を試みたんですが、見事に失敗。
 どんな魔物だったかって? ヒトの形をしてましたよ。結構オトコ前でねぇ。
 攻撃? 戦闘らしい戦闘はさせてもらえなかったんですよ。
 魔法はすべて跳ね返ってくるし、幻みたいなヤツで剣は当たらないし。
 だから、この傷とかは自分の攻撃が跳ね返って出来たものなんですよねえ。
 ……本当に秘密にしてくださいよ、皆さん。


5 西の森

 頭上を揺れる木々の梢から零れ落ちていた陽の光も、森を奥へ奥へと進むうちに徐々に遮られた。
 薄暗い森の中。
 更に視界を狭めるように白い霧が生き物のように現れる。
「こんな森の奥までようこそ」
 その霧にまぎれるように現れたのは一人の青年だった。黒い髪に白いシャツ、黒いスラックスと街を歩いていても不自然ではない格好の彼は決して魔物には見えない。今回の誘拐が周囲に漏れる騒ぎとならなかったのは、彼のこの容貌のせいかもしれない。
「お前さんが、ゼネスんトコの嬢ちゃんを攫った『西の森の魔物』かい?」
 オーマの問いかけに、青年は苦笑を洩らす。
「そうなりますね。本来の目的は彼女ではなかったんですが」
「ならば、彼女をこちら側に引き渡しても問題はないだろう。君は既に目的の宝石を取り戻したのだから」
 茉莉の言葉に、青年は緩く首を振る。
「返せなくなりました」
「まさか、彼女に何かあったんですか?」
気色ばむアイラスに、青年は、いいえ、と自嘲の笑みを浮かべた。
「彼女は元気ですよ。……わたしが彼女を帰したくないんです」
「オーマさんが言ったように、彼女自身が目的の誘拐になってしまったってワケですね……!」
「光に憧れてやまないのは、人ばかりではない……。闇に属するがゆえに、もしかしたらそれは人より強いかもしれない。あなたには……もしかしたらご理解いただけるのではないでしょうか?」
 オーマに視線をなげ青年は微笑を浮かべ、一歩後ろに退く。
「このまま穏便に、お引取り願いたいんですが……」
 青年の言葉に、三人は一歩前に出た。しかし誰も自らの武器に手を伸ばす者はいない。
「私たちも君と戦うのは本意ではない。ましてや力ずくで彼女を取り戻そうとも思っていない」
「そうです。僕たちは本人の意志を尊重したい」
「こっちはな、魔物だろうがなんだろうが、敵意がないヤツに銃プッぱなす程野暮じゃねぇよ」
 三者三様の言に青年は盛大に吹き出した。
 
「魔物の僕に『交渉』ですか? ……面白い人たちだね、君の知り合いは。シア」

 青年の呼びかけに彼の背後から一人の少女が足を引きずりながら現れる。
「貴方も冗談が過ぎるわ。……そんな気ないくせに」
「嬢ちゃん、どうした、その足は」
 医師であるオーマが少女に駆け寄るのを青年は咎めなかった。茉莉とアイラスもそれに倣い、彼女に駆け寄る。
「私、ここにいる間にちょっとドジってしまって。お父様の反応が怖くて、ある程度治るまで帰りたくなかったの。皆さんにはご心配とご迷惑をおかけしてしまってごめんなさい」
 深々と頭を下げる少女に三人は苦笑を浮かべる。
「始めから彼女を親元に帰すつもりだったということだな?」
 茉莉の言葉に青年は頷く。
「親が子を思う気持ちや子が親を思う気持ちを踏み躙るような真似はなるべくしたくないんですよ」
 奪われた宝石はわたしの母親のものなのです、と青年は小さな声で告げた。
「彼女を連れ去ったのは……そう始めは意趣返しだったんですよ。話が大事になる前に返すつもりはあったんですが、色々計算外でした」
 シアをよろしく、そう言うと青年は静かな笑みを浮かべた。


「さて、これからもう一仕事残っているな」
 街への帰路を辿りながら、茉莉が他の二人に話しかけた。少女はオーマの背に負ぶさられながら三人の会話を不思議そうに聞いている。
「もう一仕事ですか……?」
「なんだ、そりゃ」
「ゼネスのこの子に対する溺愛ぶりは君たちも知っているだろう。この怪我をみて彼が西の森に対して何もしないと思うか?」
 火を放ちかねない、とゼネスをよく知る茉莉は言葉を続けた。
「ああ、そういわれりゃそうだな……」
「せっかく穏便に済んだのに、それはマズイですよねえ」
「そこでだ……」
 智謀策略に富んだ茉莉の話にアイラスとオーマはじっと耳を傾けたのだった。
 
 
 
 その後、娘を取り戻したゼネスが西の森に対して行動を起こしたという話は、ついぞ聞くことはなかった。
 
 
 
 了
 
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 1771 / 習志野茉莉 / 女性 / 37歳 / 侍 】
【 1953 / オーマ・シュヴァルツ / 男性 / 39歳 / 医者兼ガンナー 】
【 1649 / アイラス・サーリアス / 男性 / 19歳 / 軽戦士 】

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■         ライター通信          ■
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オーマ・シュヴァルツさま

このたびは黒山羊亭冒険記にご参加くださいまして有難うございました。
ライターの津島ちひろです。
今回参加された皆様のタイプから、派手な戦闘ではなく穏便な方向での事件の収束となりました。
物足りなく感じられたら申し訳ありません。
少しでも気に入ってくださる部分があると幸いです。
今回はオーマさまの医師としての面を強調させて頂きました。上手く表現できていると良いのですが。
ご発注有難うございました。