<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


貴族アーク・ダイカンと悪徳商人
●オープニング【0】
「酒だーっ、もっと酒持ってきやがれーっ!!」
 ガチャン、と何かが割れた物音が黒山羊亭に響き渡った。カウンター席の方を見ると、1人の中年男性が泣きながらエスメラルダに酒を要求していた。
「飲まなきゃやってらんねーんだよーっ!! ううっ……シズ……父ちゃんが馬鹿なばっかりによぉ……」
 そして泣きながらカウンターに突っ伏す中年男性。この荒れ様はいったい何事なのだろうか。
 エスメラルダにそれとなく話を聞いてみると、何でもこのクマゴという中年男性、借金の形に娘シズを今日連れてゆかれてしまったのだという。その借金をした相手というのがこれがまた、ちと評判のよろしくないいわゆる悪徳商人エチゴ・ヤーだったのが、クマゴにとって不運であったのだ。
「何だよ、1日10割の利息ってのはよぉ……わざと見にくく細かい字で書きやがって、あの野郎よぉ……」
 いっ、1日で10割!? それって、日々借金が倍増してゆくってことでは……。
「きっと娘さんに最初から目をつけていたんでしょうね。同じ目に遭ってる人、結構居るらしいから」
 エスメラルダが淡々と言った。どうやらよく使われている手らしい。
 ところで、連れてゆかれた娘はその後どうなるのだろう? そんな疑問がふと浮かんだ時、エスメラルダがこう続けた。
「温泉で有名なハルフ村は知ってるかしら。連れてゆかれた娘さんは、翌日の夜にはそこにある特別な離れで、貴族のアーク・ダイカンに売られている……と言っちゃいけないわね。メイドとして引き渡されているという話よ。今までもそうだったらしいから」
 貴族アーク・ダイカン――政治手腕はまあ平凡なのだが、とりわけ好色である人物だ。どう好色なのかはあえて説明しないけれども、色々と噂は聞こえてくる。ちなみにそこそこハンサムな30代だ。
 ハルフ村までは馬車でゆっくり行き1時間弱、徒歩でも2時間強の距離、明日の夜までなら十分に間に合う。エチゴ・ヤーの酷いやり口、このまま放置する訳にはゆかないではないか。
 さあ、どうにかしてシズを連れ戻そうではないか!!

●娘として【1C】
(可哀想……)
 隅のテーブルに居た可愛らしい歌姫の少女、ロイラ・レイラ・ルウは娘を想い荒れているクマゴの姿を見ながら、ふとそう思っていた。
 連れてゆかれたシズも可哀想だし、騙された形で娘を奪われたクマゴもやはり可哀想である。
 クマゴがシズのことを大切に思っているのは、この荒れ具合から察せられる。どうにも思っていないのであれば、こんなに荒れるはずがないのだ。酷い親になると、借金を払わなくて済むなどと思うことだろう。
 ロイラが心配そうにクマゴの姿を見つめていると、男のつぶやきが聞こえてきた。
「……エチゴ・ヤーか。噂は俺も聞いているぞ。何でもずいぶん泣かされた奴が居るらしいな」
 ジョッキを運ぶ手を止めてつぶやいたのは、腕が4本ある多腕族のがっしりとした戦士、シグルマだった。もっともそのつぶやいた後、ジョッキの中身は瞬く間に飲み干されてしまったのだが。
「しかし、何と言いますか……」
 泣き荒れるクマゴを横目に、大きく溜息を吐いたのは軽戦士のアイラス・サーリアスであった。
「そもそもは、借金をした上で返せないあなたが悪いのですよね。いかに悪徳な金貸しであったとはいえ、お金を借りて、契約通りに返していないことは事実なのですから。それに、そういう場合にはきちんと隅々まで文面を読まないといけませんよね。それを怠ったから、こういうことになっているんです」
 辛辣だが、アイラスの言葉は筋が通っていた。少なくとも1日10割の文言に気付いていれば、クマゴは借金の形にシズを連れてゆかれることはなかったかもしれないのだから。
「……分かってら、そんなこたぁ。別に俺ぁどうなったっていいけどよ、シズにゃ罪ねぇんだよ……うう、シズゥ……」
 クマゴは突っ伏したまま、アイラスに言い返した。アイラスはさらに何か言おうとしたが、それを制した男が居た。
「まぁ、そこまでにしとけって。重々反省してるようだしよ」
 苦笑しつつアイラスの言葉を制したのは医者兼ガンナーの大男、オーマ・シュヴァルツだ。オーマは少し思案する素振りを見せた後、まだ突っ伏しているクマゴに話しかけた。
「おうクマゴさんよ、俺らがその好色馬鹿からきっちり娘さんは取り戻してやっからそう荒れなさんなって」
 『俺』ではなく、『俺ら』である。きっとオーマの中では、シグルマやアイラスも頭数に入っているのだろう。そして、それは間違っていなかった。
「ああ、そうだな。この際だからお灸しておくか」
 シグルマはそう言って、お代わりしたジョッキを再び空にした。
「まだまだ言い足りませんが……そうですね。借金をした本人ならともかく、娘さんが連れて行かれるのではかわいそうですからね」
 クマゴに対し説教し足りないといった表情ながら、アイラスもシズを連れ戻すことには異議がない様子である。
(……うん!)
 ロイラは意を決して席を立つと、クマゴたちの居る方へ近付いていった。そして話しかける。
「あの。あの、ええと……お話を聞かせていただいたんですけれど……私もご一緒して構わないでしょうか?」
 両親のことを大切に思っているロイラとしては、この状況を見過ごすことが出来なかったのだろう。そう申し出たのである。
「……危ねぇかもしれねぇぞ。それでもついてくんのか?」
 オーマが一瞬、ロイラを心配するような眼差しを向けたように見えた。こくっと頷くロイラ。決意は固い。
「そーか。けど、無理はすんじゃねぇぞ」
 オーマは、軽くぽんとロイラの頭に手を載せた。
「うっ……うう……ありがとうよ……こんな俺のために……」
 テーブルから顔を上げ、4人に対し感謝の言葉を口にするクマゴ。その顔は、涙と鼻水とよだれでべちょべちょになっていた。
「いえ、熊五郎さん」
「クマゴだろ」
 アイラスの言葉に、シグルマがすかさず突っ込みを入れた。
「細かい違いじゃないですか。ともかくクマゴさん。あなたのためではありませんよ、娘さんのためです」
 他の者はどうか分からないが、アイラスとしてはこのことをはっきりとさせておきたかった。
「……ついでに、他に囚われちまってる嬢ちゃんたちも一緒に馬鹿男から解放してやろうぜ」
 オーマがニヤリと笑みを浮かべた。先程のエスメラルダの話が本当なら、過去にもアークに売られ……もとい、メイドとして引き渡されている娘は少なくないはず。
 そういう娘たちを解放出来るようなら、オーマは一緒に解放させたいのだろう。もっとも、ハルフ村にメイドたちを連れてきているかは全くの不明だけれども。
 かくして、この翌日に4人はシズを奪還するための行動を起こすことになったのだった。

●当り屋【2】
 翌日の夕方近くのことである。エチゴ・ヤーを載せた大型の馬車が聖都エルザードを発ち、ハルフ村へ向かったのは。
「全く、急に取り引きの話が入ってくるとは。おかげで今日の予定が大幅に狂ってしまったではないか」
 馬車の中、警護の傭兵たち7人に囲まれているでっぷりと太った身なりのよい中年男――エチゴ・ヤーは、何やらぶつぶつと文句を言っていた。
 どうも本来はもっと早くにハルフ村へ向かうつもりだったのが、仕事の都合でこの時間になってしまったらしい。
「……まあよいわ。取り引きはこちら有利で済んだし、娘は先に酒とともにハルフ村へ送っておる。アーク様のご機嫌を損ねることもなかろう……ふふ」
 それでもちゃんと手を打ってある所が悪徳商人らしい。それなりの力を得るには、やはりこのくらいはしているものなのだろう。
「ともあれ、急ぐに越したことはない。これ、馬車の速度をもっと上げんか!」
 エチゴ・ヤーは少しでも早くハルフ村に着くべく、御者に聞こえるよう大声で言った。
「はっ!」
 御者が馬たちに鞭を振るうと、馬たちのいななきとともに馬車の速度が上がった。
 次第に暗くなってゆく道を、馬車は走り続ける――そんな時だった。
「うわっ!!」
 御者の驚く声が聞こえ、馬車の向きが進行方向右へ少しずれた。そして馬たちのいななきと馬車に走る若干強めな衝撃。その衝撃で馬車の中に居たエチゴ・ヤーの身体が、前に座っていた傭兵の胸の中へ飛び込んだ。
「おふっ!! な、何事だっ!!」
 慌てふためくエチゴ・ヤー。だが御者がそれに答えるよりも前に、外からは男の声が聞こえてきていた。
「おうおう、いてーじゃねーかこの野郎。どこ見て馬車操ってんだ?」
「どこって……そっちが飛び出してきたんだろ!」
「お? てめーの責任は棚上げか?」
 男と御者の会話から察するに、男が突然馬車の前に飛び出してきて、言いがかりをつけているようだ。先程の衝撃は、恐らく男がぶつかったためか。
「おー、いて。普通の奴だったら即死だったぞ。で……この落とし前、どうしてくれるんだ?」
「何寝言言ってんだよ! こっちは慌てて方向変えたのに、自分から激しくぶつかってきて! ……ははん、分かったぞ。この馬車が大商人エチゴ・ヤー様の物だと分かった上でぶつかってきたんだろ! いやっ、絶対そうに違いないっ!! 旦那様! 旦那様、どうされますかっ!!」
 どちらかと言えば口調にまだ冷静さがある男に対し、御者の方は明らかに冷静さを失っているようだ。1人ヒートアップしている。
「ふむ……」
 思案するエチゴ・ヤー。ややあって、ニヤリと笑みを浮かべた。
「おい、お前たち。外で言いがかりをつけてる奴を、ちょいと可愛がってやんなさい。誰に対してそんな口を叩くのか、身体に覚えさせねばな」
「ははっ!!」
 エチゴ・ヤーが顎で外を指し示すと、傭兵たちがバラバラと馬車を降りていった。いずれも腕に自信のある者たち、たった1人を相手にするなら瞬く間に決着はつくことだろう。
 傭兵たち各々の声が聞こえてくる。
「おい、てめぇ。いきがってんじゃねぇぞ!」
「4本腕だからって、1人でこの人数相手に出来んのか、ゴルァ!!」
「この馬鹿が! 狙う相手間違えてんじゃねえぞ!!!」
「エチゴ・ヤー様に刃向かったら、どうなるかその身体にしっかり叩き込んでやらぁ!!」
「おう、こいつたたんじまえ!!!」
 この言葉を合図に、傭兵たちは一斉に男へ向かっていったようだ。エチゴ・ヤーとしては、ただ決着がついて傭兵たちが馬車へ戻ってくるのを待つだけでよかった。
 しかし……金属同士がぶつかり合うなど戦闘の音が聞こえなくなって外が静かになっても、傭兵たちがなかなか戻ってこない。そのうちに、御者が情けない声を上げた。
「だっ……旦那様ぁ〜……!」
 ここでようやく異変を察したエチゴ・ヤーは、馬車の外に顔を出した。
「のぁっ!?」
 大きく目を見開き言葉にならない驚きの声を発するエチゴ・ヤー。何と外では、傭兵たちが冷たい地面と揃って仲良くしていたのだ。
 ある者は白目を剥いて仰向けに、またある者は地面とディープキス、近くの木にもたれかかっておねんねしている者だって居る。
 傭兵たちの武器は地面に突き刺さったり、見事に真っ二つに折られていたり、はたまた粉々に粉砕されている物だってある。鎧なんかも、金属鎧はべっこべこだ。ええ、べっこべこ。
「口だけは達者な奴らだな……」
 その中で、たった1人だけ立っており、エチゴ・ヤーに背を向けている4本腕の戦士が居た。剣、斧、鉄球、金槌……各々の腕に握った男だ。
 そして男――シグルマはくるっと振り返り、エチゴ・ヤーの顔を見付けるとニヤリと笑った。
「おっと、ようやくお出ましか」
 そのシグルマの表情は、まるでとっておきの酒が出てきた時に近しい物であった。

●バカ殿登場【3】
 時を同じくしたその頃、ハルフ村の特別な離れではアークがエチゴ・ヤーの到着を、今や遅しと待ちわびていた。
 ちなみに特別な離れがどのような作りになっているかと説明すると、何でも地球という世界の日本という国にある、和風旅館なる宿泊施設を元にして作った物であるらしい。……いったい誰が持ち込んだのやら。
 アークが居るのは、木々や岩が美しく綺麗に配置された庭が見える大部屋であった。庭には小さな池もあり、部屋から見る風景はなかなかの物であった。
 なお、この離れはアークの所有物という訳ではなく、日程を決めてその間借り上げているという認識が正しい。念のため。
「これ、その方。エチゴ・ヤーはまだ来ぬのか?」
 金髪細身の優男であるアークはお付きの者に、エチゴ・ヤーのことを尋ねた。その顔は真っ赤で、かなり酒が回っているのは明らかであった。
「はあ、まだ到着していないようですが」
「まだ来ぬのか……。いったいいつになれば、私は新しいメイドに会えるのだ?」
 つまらなそうに言うアーク。お付きの者が、そんなアークをなだめる。
「も、もう少しのご辛抱です! メイドとなる娘はすでにこちらに来ておりますので、到着次第に……はあ」
「何じゃ、もう来ておるのか。ならばせめて顔だけでも……どうれい」
 顔をほころばせ、立ち上がろうとするアーク。だがお付きの者が慌てて引き止めた。
「なりませぬ! 今は医者が娘の健康状態をチェックしている頃ですゆえ!」
「……そうか、つまらぬのう。が、メイドの健康は大切じゃからな。医者にしっかり見てもらうとよかろう」
 アークは浮かせた腰を降ろした。ところが、お付きの者の話にはまだ続きがあった。
「ただ、今日の医者は……」
「うん? どうせいつもの医者であろう?」
「いえ。今日はいつもの医者が急用だとかで、その医者の紹介状を持ってきた別の者が。身の丈2メートルはあろうかという大男と、その助手という少女でございます」
「紹介状に不審な所でもあったか?」
「いえ、それは全く。ですがいつもの者と異なると、気になりますもので」
「その方は気にし過ぎじゃ。腕と身元が確かなら、誰が診てもよかろう」
 アークはそう言うと、グラスの中のワインをくいと飲み干した。
「ははっ!」
 うやうやしく頭を下げるお付きの者。しかし、このお付きの者の不安は正しかったということを、後にアークは知ることになる――。

●潜入【4A】
「こちらでございます」
 軽装の兵士が2人の者を案内し、廊下を歩いていた。1人は身の丈2メートルはあろうかという眼鏡をかけた大男、もう1人は若干落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見ている可愛らしい少女。オーマとロイラである。
 2人は今、いつも出入りしている医者からの紹介だと称して、この離れに乗り込んできたのである。紹介状を用意したからだろう、さほど警戒されずに中へ入ることが出来た。
「あの。……大丈夫なんでしょうか?」
 オーマにだけ聞こえるくらいの声で、ロイラが心配そうに尋ねた。
「心配すんなって。ちゃんとアイラスと2人がかりで『お願い』してんだしな。紹介状にも快くサインしてくれたぜ」
 笑みを浮かべ、軽くぽんとロイラの肩を叩くオーマ。
「そうなんですか。私、どういう風にお願いしたのか知りませんから……少し心配だったんです」
 オーマの言葉を聞いて、ロイラの表情にも笑みが浮かんだ。きっと、ほっとしたのだろう。

 さて、その頃――特別な離れの近くにある寂れた小屋にはアイラスの姿があった。
「ご協力感謝します」
 アイラスは小屋の中に居る人物に対し、笑顔で礼を述べた。
「むー! むー! むがもが……むーむー!」
 小屋に居た……というか押し込められた形になっているのは、縄で身体を縛られ、口に猿ぐつわをはめられた中年男だった。
 そう、この男こそが本来出入りしている医者であるのだ。オーマとアイラスによってどのような『お願い』がされたかは……推して知るべし。
「まあ人助けですからねえ。あ、後でちゃんと戻ってきますから」
「むー! むー! むーっ!!」
 身をよじり必死で頭を振る中年男の姿を尻目に、アイラスは小屋の扉を閉めた。

 場面は再び離れへ戻る。
「こちらです」
 案内していた兵士はとある一室の前で立ち止まり、オーマとロイラに中へ入るよう促した。それから自分は廊下を引き返そうとする。
「おっと待ちな。忘れもんだぜ」
 オーマが兵士を呼び止めた。
「はっ?」
 足を止め振り返った兵士のみぞおちに、すかさずオーマが拳を叩き込んだ。
「うっ……!!」
 呻いたのも一瞬のこと、その場に崩れ落ちる兵士。あっという間におねんねである。
「……さてと。先に入って、まずは安心させてやんな」
「はいっ!」
 オーマの言葉にこくっと頷いたロイラは、静かに部屋の戸を開いて中へ入っていった。そこには怯えた表情を見せる、ロイラと同じくらいの年頃の少女が居た。
「えっと……シズさん……ですか?」
 ロイラが小声でシズの名を呼んだ。すると少女がぴくっと反応を見せ、おずおずと頷いた。それを見て、ロイラに安堵の表情が浮かんだ。
「よかった……。助けに来ました」
「えっ。助けにって……」
「おう、細かい話は後にしな。ぐずぐずしてっと、見付かっちまう」
 両手両足を縛って猿ぐつわまで噛ませた兵士を肩に担ぎ、ひょっこりとオーマが顔を出した。
「ひっ!」
 急に大男が顔を出して驚いたのだろう、シズが後方へ後ずさった。慌ててロイラが説明をした。
「大丈夫です! 一緒に助けに来たんですよ!」
「あ……す、すみません」
「なーに、いいってことよ。それより、とっとと出るぞ」
 ぺこんと頭を下げるシズ。それに対し、オーマは笑みを浮かべて答えた。
 気絶した兵士を代わりに部屋に放り込むと、オーマとロイラはシズを連れて速やかに歩いてきた廊下を引き返していった。

●紙吹雪、舞う【4B】
 オーマとロイラがシズを見付け出した頃、シグルマはどうしていたかというと――。
「ひっ、ひぃぃぃぃ……頼むぅ……金なら出すぅ……助けてくれんかぁ……」
 頬を土で汚し、非常に情けない声を発しているエチゴ・ヤーは、シグルマの腕によって胸ぐらをつかまれて高々とその身体を持ち上げられていた。
「だ、旦那様ぁ〜……」
 シグルマによって縛り上げられた御者も情けない声を上げる。
「最初っからそう素直に言やいーんだ。さ、ついでに証文とか持ってんなら出してもらおうか」
 満足げなシグルマの言葉。エチゴ・ヤーが懐にあると言うと、さっそく空いている手で証文の束を引っ張り出した。
「ずいぶんとたくさんありやがるな……。けど、もう要らねーよな?」
 と言って、シグルマはびりびりと証文を破り出した。もちろんエチゴ・ヤーは胸ぐらをつかまれたままである。
「あーーーーーーーーーっ!!! 何てことをーーーーーーーっ!!!!! わしの証文がーーーーーーーーっ!!!!!!!」
 身を必死によじり、叫ぶエチゴ・ヤー。エチゴ・ヤーにとって証文が破り捨てられることは、身を切られるよりも辛いことなのかもしれなかった。
「うるせえ! 静かにしろい!!」
 エチゴ・ヤーが至近距離で大声を出したものだから、シグルマの耳が一瞬キーンとなった。
「どーせ悪どい真似して手に入れたモンだろーが」
「しっ、しかしっ……!」
 なおも文句がありそうなエチゴ・ヤーの表情。それを目にしたシグルマは、横目でちらりと何かを見た。
 そちらには何故か、古い樽が転がされていた。

●予定外【5】
 オーマがシズを連れて玄関の所まで戻ってくるとサイを手にしたアイラスが居た。足元には崩れ落ちた兵士2人の姿が。きっとサイを叩き込んで、気絶させたに違いない。
「思ったよりも早かったですね。そちらがシズさんですか」
 笑顔でアイラスが2人を出迎えた。……ん、2人?
「ところでロイラさんはどちらですか?」
「あ?」
 そこでようやく、オーマはロイラの姿が見当たらないことに気付いた。
「ついてきてるとばかし思ってたんだがな……参ったなぁ」
 ぼりぼりと頭を掻くオーマ。そしてアイラスにシズを託すと、自分はまた戻ってきた廊下を引き返してゆくことにした。
 で、問題のロイラはどうしたかというと――。
「あれ……? こっちの道だと思ったんですけど……」
 不安そうな表情で、きょろきょろ辺りの様子を窺いながら、ロイラは廊下を歩いていた。実はロイラ、戻る途中で転んでしまい、オーマたちの姿を見失ってしまったのである。
 もちろんロイラもすぐに追いかけた。けれども右に曲がるべき所を左に曲がってしまい、どんどんと深みにはまっていってしまったのだった。
 こうしてロイラが道に迷っていた頃、いい加減アークは痺れを切らしていた。
「遅い! もう待てぬ! 新しいメイドを見に行くぞ!!」
 赤ら顔のアークはすくっと立ち上がると、ふらふらと廊下へ出ていこうとした。
「なりませぬ! どうか今しばらく、今しばらくお待ちをーっ!」
「ええい、邪魔じゃ!!」
 お付きの者はどうにかアークを引き止めようとしたが、アークはそれを振り払って部屋を出ていってしまった……。

●大混乱【6A】
「……ほう、向こうに向かったんだな? ありがとうよ」
 庭に面した廊下を通っていたオーマは、そこに生えていた木に短く礼を言うと、教えられた通りに廊下を進んでいった。木が言うことには、そちらにロイラが歩いていったそうである。
 そのロイラは未だ廊下を彷徨っていた。
「……ここ、さっきも通った気がします……」
 さらに不安さが増しているロイラの表情。歩けば歩くほど道に迷ってしまっているようだ。
 そんな時だった。ロイラが赤ら顔のアークとばったり出くわしてしまったのは。
「あ」
「お?」
 互いにしばし固まる2人。先に反応したのはアークの方であった。
「おー? そうかそうか、そちか?」
 ニターッと笑い、鼻の下を伸ばすアーク。ロイラは嫌な予感がした。
「そちが新しいメイドじゃな? どうれい、私が少し可愛がってやろう……ふっふっふ」
 スケベな顔になったアークが、じりじりとロイラににじり寄ってきた。
「きゃ……きゃあーっ!」
 回れ右。ロイラはパタパタと廊下を走り出した。だがアークは笑いながら、千鳥足で追いかけてくる。
「むぁてぇい〜。よひではなひか、よひではないか、愛い奴じゃ、愛い奴じゃ〜、はっは〜っ」
 悲鳴を上げて逃げる無垢な少女を追いかける酔いどれ好色貴族の図。典型的なダメパターンだ。
 こんな状態に、離れに居る者たちが気付かぬはずがない。ロイラの悲鳴も聞こえたことだし、何事かと廊下に飛び出してくる。で、当然――オーマと遭遇する訳だ。
「曲者だーっ! 出会えい、出会えい!!」
 兵士の1人が騒ぎ出すと、たちまちに他の兵士たちもオーマの近くに集まってきた。するとオーマの肩に、巨大な銃器が出現した。オーマが精神力で具現化させたのだ。
 兵士たちがその銃器を見て、ざわめき始めた。
「さて……死にたい奴はどいつだ? 俺は別に誰からだっていいぜ?」
 オーマはやや挑発気味に言うと、肩に抱えた巨大な銃器の銃口を兵士たちに次々と向けていった。
「ひっ、ひぃぃぃっ!!」
「逃げろぉぉぉっ!!」
 本能的に銃器が危険物だと察したのであろう、我先にと逃げ出す兵士たち。
「……本当に貴族の兵士か?」
 オーマとしてはちと拍子抜けだったが、戦わず進ませてくれるのならそれに越したことはなかった。
 また、兵士たちが集まってきたのは何もオーマの周囲だけではない。庭先にも兵士が集まってきていたのだ。
「曲者は庭にも居るぞー!!」
「おや、曲者になってしまいましたか」
 参ったなといった表情でつぶやいたのは、アイラスだった。シズを安全な所まで連れていってから、また離れへ舞い戻ってきたのである。そして庭先に居た所を兵士に見付かったのだ。
「いったいどちらが本当の曲者だか分かりませんね」
 肩を竦めるアイラス。
「おとなしくしろ!!」
 剣を抜いた兵士2人が、アイラスを挟み込むように向かってきた。アイラスはじっとして動かなかった。が、兵士たちが至近距離に迫った瞬間に素早く前方に移動した。
「なっ!」
 アイラスの素早い動きに対応出来なかった兵士2人は勢いもそのまま進んでしまい……見事に正面衝突したのである。いわゆる自爆というものだ。
 そしてアイラスは両手に持ったサイで、迫り来る兵士たちの武器をいなしたり落としたりしながら、縦横無尽に庭を走り回った。時折兵士が池に落ち、激しく水しぶきが上がったりもしていたが、もちろんアイラスの仕業である。
 そうやってアイラスが庭で奮闘していると、突然黒い塊が弾丸のように庭を横切って離れへ飛び込んでいった。
「むぁてぇ〜、よひではなひか〜」
「やーっ!! 嫌ですーっ!!」
 追いかけてくるアークから、なおも逃げ続けていたロイラ。アークが酔っているからまだ捕まらずに済んでいるが、それでも距離は徐々に縮まってきていた。
 そのうちにアークの手がロイラの襟に、もうちょっとで届きそうになる。ロイラ危うし!
 ところが――ロイラの前方より黒い塊が猛スピードでやってきて、アークに飛びかかったのだ!
「うわあっ!!」
 黒い塊の勢いに押され、アークがひっくり返った。
「グリン!?」
 ロイラはその黒い塊――黒狼を見て、驚いて手で口元を押さえた。それはロイラの家族とも呼ぶべき関係の召還獣、黒狼のグリンであったのだ。きっとロイラの危機ゆえに現れたのだろう。
 グリンはひっくり返ったアークから離れると、ロイラの前に立って廊下を走り出した。脱出路を教えてくれているらしい。
 ロイラがグリンについて廊下を走ってゆくと、やがて庭へ出た。庭には倒れて呻いている兵士たちの姿と、1人元気そうなアイラスの姿があった。
「……仕方がないですよね。仕える主人が悪かったということです」
 アイラスはぐるり周囲を見回すと、ほうっと溜息を吐いた。
「あ、無事でしたか?」
 それからロイラの姿を見付け、アイラスが問いかけた。
「あ、はい……。あの……この人たちは……」
 ロイラは心配そうに倒れている兵士たちに目を向けながら、グリンとともに庭に降りてきた。
「大丈夫です、気絶しているだけですから。ただ、数日は喋られるかどうか分かりませんけれどね」
 さらりと答えるアイラス。……何をやったんだ、何を?

●降臨【7A】
「見付けたぞ〜」
 廊下を這いずりながら、アークがアイラスとロイラの居る庭先までやってきた。何というか、好色貴族ゆえの執念なのか。その根性だけはたいしたものである。
 ロイラがささっとアイラスの後ろに隠れた。グリンはアークの方を向いて、低い唸り声を上げていた。
「ああ。ひょっとしてこの人が悪代官さんですか」
「アーク・ダイカンだっ!!」
 アイラスの言葉に、アークがすかさず突っ込んだ。
「そんなことよりも、その娘、渡してもらうぞ!」
「でも、人違いですから」
 さらっとアイラスが答えた。
「は?」
「本当の娘さんももうここには居ませんよ。助け出しましたから。と、肝心なこと忘れてました。たぶんもう、誰も呼んでも来ないと思います。一目瞭然でしょう」
 淡々と説明するアイラス。アークは唖然とするばかりであった。
 そんな時だ、どこからともなく突然庭に巨大な生物が現れたのは。それは翼を生やした非常に巨大な銀色の獅子、思いきり空を見上げなければ顔など見えやしない。
「せっ、聖獣!?」
 激しく驚き動揺するアーク。それはそうだろう、聖獣カードのヴィジョンならともかく、これほど巨大な聖獣など今まで見たことはないのだから。
「アーク・ダイカンよ」
 銀色の獅子がアークに語りかけた。
「はっ、ははぁっ!!」
 アークは思わず土下座をしていた。
「お前の行動は逐一見せてもらった。我ら聖獣はお前の行動に呆れ返っている。このままでは……」
「えっ、あっ、そっ、それだけはっ!! 守護が失われると私はぁっ!!」
「ならばもう2度と悪さはせぬと約束せよ。さもなければ……」
「はっ、はい! 女遊びは控えます! 控えますから!! 何とぞ、何とぞ〜っ!!」
 がんがんと廊下で額を打たんばかりに頭を下げ続けるアーク。
「その言葉、しかと覚えておくぞ」
 銀色の獅子はそう言い残すと、忽然と姿を消した。
「は……ははぁっ!!」
 アークは銀色の獅子が居なくなっても、しばらく顔を上げることは出来なかった。
 ややあって、オーマが庭先へやってきた。
「おう、無事だったか。ここに他の嬢ちゃんたちは居ないようだな」
 オーマは開口一番、アイラスとロイラにそう言った。
「オーマさん! 今さっき、ここに聖獣が……!」
 ロイラが驚きの表情で、先程の様子をオーマに伝えた。
「いやあ、実にらしい光景でしたね。印篭か、桜吹雪かといった感じで」
 1人何かを納得したように、うんうんと頷くアイラス。
「ほう、そうなのか。俺も見たかったぜ」
 オーマがニヤリと笑って言った。
 ともあれ、シズの救出には成功した3人であった。

●樽男【7B】
 では同じ頃、シグルマはというと――。
「このまま魚の餌にでもしてやろうか? ああ? うん?」
 樽の中に詰めたエチゴ・ヤーの頬をぺちぺちと叩きながら、そんなちと物騒なことを言っていた。
「いいいいいいいいいい、けけけけけけけけけけけけ、ややややややややややややや」
 顔面蒼白のエチゴ・ヤー。ろくに言葉になっていない。きっと『いやだ、結構だ、やめてくれ』と言いたいに違いない。
「だ、旦那様ぁ〜……」
 未だ縛り上げられたままの御者が情けない声を上げた。
「なら、文句はねーな?」
 シグルマがそう尋ねると、エチゴ・ヤーは壊れた首振り人形のごとく、何度も首を縦に振ったのだった。
 手段は少々どうかとも思うが、エチゴ・ヤーの方もこれでどうにか片付いたようである。

●顛末【8】
 ここからは蛇足になるが、あれこれと説明をしておこう。
 まずエチゴ・ヤーだが、突然今までの借金をちゃらにすると言い出した。当初は皆が訝しんだが、裏もなく本気であることが分かった。
 また急にどうした風の吹き回しか、孤児院などに寄付を始めたという。その寄付金を4本腕の男が渡しに行っているという話があるが、この辺の話は曖昧である。
 借金の形に取られた娘たちであるが、時を同じくしてアークがメイドたちに暇を出したこともあって、そのほとんどが親元に戻っていった。中には自由意志で留まる者も居たが、それはそれである。
 ちなみに好色で知られるアークだが、意外や意外、少々はめを外すことはあっても、メイドたちに手を出すことはなかったらしい。これは親元に戻ってきた娘たち複数の言葉なので、信用出来る話であろう。
 で、そのアーク。ここ最近はその好色振りが少し控えめになっているとのことである。あくまでも『少し』だが。
 それからクマゴはどうしたかというと、シズを取り戻してくれた4人に深く深く感謝して、シズとまた親子仲良く暮らしている。エチゴ・ヤーへの借金はちゃらになったとはいえ、元金はどうにか返したとのことだ。
 最後にハルフ村だが……聖獣が現れたという話で、しばらくの間は持ち切りとなった。観光客も少し増えたらしい。
 これにて一件落着――。

【貴族アーク・ダイカンと悪徳商人 おしまい】


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 整理番号 / PC名 / 性別 
             / 種族 / 年齢 / クラス 】
【 0812 / シグルマ / 男
             / 多腕族 / 35 / 戦士 】◇
【 1194 / ロイラ・レイラ・ルウ / 女
             / 人間? / 15 / 歌姫 】◇
【 1649 / アイラス・サーリアス / 男
              / 人 / 19 / 軽戦士 】◇
【 1953 / オーマ・シュヴァルツ / 男
 / 詳細不明 / 39 / 医者兼ガンナー(ヴァンサー)副業有り 】◇


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■         ライター通信          ■
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・『黒山羊亭冒険記』へのご参加ありがとうございます。担当ライターの高原恵です。
・高原は原則としてPCを名で表記するようにしています。
・各タイトルの後ろには英数字がついていますが、数字は時間軸の流れを、英字が同時間帯別場面を意味します。ですので、1から始まっていなかったり、途中の数字が飛んでいる場合もあります。
・参加者一覧についているマークは、○がMT13、◇がソーンの各PCであることを意味します。
・なお、この冒険の文章は(オープニングを除き)全13場面で構成されています。他の参加者の方の文章に目を通されると、全体像がより見えてくるかもしれませんよ。
・大変お待たせいたしました、高原のおふざけ全開なお話をここにお届けいたします。タイトルやNPCの名前を見れば一目瞭然でしょうね。ただ、もし『エチゴ・ヤー、お主も悪よのぉ』『いえいえ、アーク・ダイカン様こそ』という会話を楽しみにしていた方が居られたのであればごめんなさい。今回のような展開でも、たぶんこの会話は出てこない可能性が高かったと思います。その理由はすぐ下で説明されています。
・今回のお話ですが、悪乗りしているように見えて、実はトラップ仕掛けてました。『危険度:5』とはそういう意味合いでの数字でした。具体的に言うと、アークの方での対応で下手打つとお尋ね者になりかねなかったということです。エチゴ・ヤーは悪人でしたが、アークの方は悪人という訳ではないんですね。エチゴ・ヤーが借金の形として連れていった娘を、アークがメイドとして買い取っているだけのことで。
・ともあれ、結果的にはお尋ね者になるようなことはありませんでしたし、騒動も伏せられたままになるでしょう。というか、アークにしてみれば大恥ですから他の者には決して言えませんね。
・ロイラ・レイラ・ルウさん、冒険記では初めましてですね。プレイングの内容から、本文のような展開とさせていただきました。シズは無事にクマゴの元へ戻りました。あと、OMCイラストをイメージの参考とさせていただきました。
・感想等ありましたら、お気軽にテラコン等よりお送りください。きちんと目を通させていただき、今後の参考といたしますので。
・それでは、また別の冒険でお会いできることを願って。