<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


0.オープニング

 真夜中を過ぎ、人通りの絶えた路地裏を、音もなく走る影がひとつ。
 影の主はかなり大柄な男であるらしく、おぼろげな月が投げかけた光に捉えられたそれは、長く長く地面を這っている。
 どこかで酔った男の喚き声が聞こえた。
 瞬時に、男の影が動きを止める。
 遠くで吠え立てる犬の声に混じり、また、男の喚き声が響く。
 声の聞こえた方角を確認すると、影は再び、夜の中を泳ぐようにゆらりと動き出した。

 翌朝、ベルファ通りの一角に人だかりが出来ていた。中心には一人の男が倒れている。この界隈でも名の通った伊達男が、どうやら追い剥ぎに襲われたようであった。
「またか……これで何人目だ?」
「馬鹿な奴だよ。だから夜中の一人歩きはよせと言ったのに……」
 野次馬の中には男を見知った者も居るらしく、ざわめきに中にはそんな声も混じっている。
 男は死んでいる訳ではなかった。多少の擦り傷や打ち身はあるものの、意識はしっかりとしており、後ろ手に縛られて猿轡を咬まされた状態で無様に呻いている。
 だが、誰も男に近寄ろうとする者は居なかった。ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて眺めているだけだ。
 身ぐるみ剥がされた男の腰には、不似合いな赤い褌が不恰好に巻きつけられていた。頬を染めて視線を逸らすご婦人方の様子からも、その締め具合は容易に想像できるだろう。

 ここ暫らくの間に、立て続けに起こった数件の追い剥ぎ事件。これらにはある共通点があった。被害者は全て男性で、身ぐるみを剥がれた後で何故か褌を締められ、縄で縛られた挙句に放置されるのだ。

 数日後、件の伊達男から追い剥ぎ退治の依頼書を差し出されたエスメラルダは、それを受け取りながら必死で笑いを堪えていた。


1.黒山羊亭にて

「えぇと……この依頼書は、何かの冗談ですか?」
 提示された依頼書に目を通していた青年が、何とも言えない表情でエスメラルダに顔を向けた。
 澄み切った夜空を思わせる深い青。その、レンズ越しに向けられた真っ直ぐな視線を避けようともせずに、女は軽く肩をすくめて見せる。
「依頼の斡旋っていうのは、うちの店の大事な仕事のひとつなの。そんな信頼を損なうような真似、する訳ないでしょ?」
「はぁ……ですよねぇ。それにしても、『あかふん』ですか……」
 返り討ちにあったら嫌ですね――青年、アイラス・サーリアス(あいらす・さーりあす)は、依頼書の陰でこっそりと溜息を吐いた。
 彼自身に、褌を身に着ける趣味は無い。
「追い剥ぎをこのまま放っておく訳にもいきませんし、とりあえず、僕も犯人を捜してみましょうか」
「こんな面白い事件、解決させちまうのかよ。どうせなら、もうちっと笑い話を作ってからでもいいと思うンだけどな?」
 自分自身を納得させるかのようにアイラスが呟いた時、不意に背後から声が聞こえた。奇妙な馴れ馴れしさを伴った声は、確かに自分に向けられたもののようである。
「……ぇ……?」
 虚をつかれ、思わず漏れた声を自分でも間が抜けているなと考えながら、アイラスが振り向く。
 そこには、ズボンのポケットに片手を突っ込んだ1人の少年が立ち、興味津々といった風にこちらを覗き込んでいた。
「君は……」
 以前に何度か行動を共にした事のあるその少年は、アイラスのそれよりやや色の濃い青色の髪をしていた。会話を立ち聞きした事に悪びれる様子も無く、遠慮する素振りすら見せずに隣の椅子に腰掛ける。
「忘れちまったのかよ。俺だよ俺。湖泉・遼介(こいずみ・きょうすけ)」
 とっさに名を思い出せないアイラスに向かい、少年が名乗る。変声期は過ぎたようだが、それでも結構声は高い。
「でさ、さっき話してたのって、最近話題になってる褌の事だろ?」
「あら、あなたもこの事件に興味があるの?」
 大人の雰囲気漂う黒山羊亭にはどう見てもそぐわない闖入者に、エスメラルダがからかうように声を掛ける。
「まぁなっ。何の目的で褌なんて着けさせるのか興味あるし、そんな事する奴の顔も拝んでみたいし。なぁ、俺にもその依頼、やらしてくんねー?」
 テーブルの上に身を乗り出して、アイラスとエスメラルダの顔を交互に見やり、遼介はニッと笑った。
「それは別に構わないけど……」
「あの……キョウスケさん?」
「リョウスケだ。リョ・ウ・ス・ケ。間違えないでくれよ」
 首を傾げるエスメラルダを横目に見ながら、話しかけてきたアイラスに対して即座に発音を訂正する遼介。この少年は、自分の名前を間違われる事を極端に嫌うようだ。
「っと……失礼しました。それで遼介さん、本当にこの依頼を受けるつもりなんですか? 確かに死人が出ている訳では無いですが、相手は追い剥ぎ……子供が参加するのは危険かと思いますが」
「あ、背が低いからって子供扱いすんなよ。これでも俺、15歳なんだぜ?」
「15歳ですか……」
 ――やはり、十分子供のような気がする。
 アイラスはそう思いはしたものの、口には出さなかった。言えば相手の機嫌を損ねる事は、目に見えていたから。
「なぁ、いいだろ? 情報集めたり犯人捜したりするにも、人手は多いほうがいいだろうしさ。ぜってー足手纏いにはならねーって」
 まるで友人を相手に話をするかのようにバシバシと青年の肩を叩き、エスメラルダに同意を求める遼介。叩かれた拍子にずれた眼鏡を直しながら、アイラスも彼女の反応をうかがう。
「んー……まぁいいわ。ただし、無茶はしないって約束してくれるならね」
「あぁ、任しとけって。そーゆー訳で、ヨロシクなっ♪」
「……はぁ……」
 ――本当に無茶をしなければいいのですが――
 相手の勢いに圧されるように曖昧に頷いたアイラスは、頭の片隅でそんな事を考えていた。


2.情報

「噂? そう言われてもねぇ……狙われたのは割りと女にモテる顔をしてる奴ばかりだって話だぜ。それから、縛られた連中が転がされてるのが毎回同じ場所だって事とか……俺が知ってるのはそれ位だな」
「成る程……他に何か知ってそうな人は居ませんか?」
「多分、他の連中に聞いても同じだと思うぜ? 何せ襲われた連中、俺達には一言も犯人の事は言わなかったしな」
「そうですか……」
 アイラスが話を聞いたのは、今回依頼を出した被害者を一番初めに発見した男であった。ベルファ通りの隅で小さなパン屋を開いているその男は、開店準備の為に店に向かう途中で被害者を発見したらしい。
 とりあえず礼を言い、情報料代わりに幾つかのパンを購入して店を出る。
 通り沿い、予め待ち合わせ場所に指定しておいた場所に向かうと、遼介は先に来ていたらしく、ぼんやりと人の流れを眺めながら彼の到着を待っていた。
「早かったですね。……どうでした?」
 声を掛けられ、アイラスに気付いた遼介が寄りかかっていた壁から背中を離す。
「面白いだけの噂話なら結構あちこちで聞いたけど、情報として使えそうなのは殆ど無かったかな。被害にあった奴は、よく夜中に遊び歩いてたらしいけど。……あとは、明け方近くに男の悲鳴らしいものを聞いたってオバさんが1人」
「! もしかして、その人が犯人を見てるんじゃ……」
 勢い込むアイラスに、しかし遼介は首を振る。
「俺もそう思ったんだけどさ。そのオバさん、半分寝ぼけてたらしくて……夢だと思って、もう一度寝ちまったんだって。聞こえた悲鳴ってのも、一瞬だったらしいし」
 足元に落ちていた石を蹴り、遼介は言葉を続ける。
「んでも、オバさんの家ってのが、被害者が転がされてた場所に近い裏通りに面したトコらしいんだ。これで襲撃場所とか、多少は絞り込めるんじゃないかな」
「えぇ、そうですね。後は実際に襲われた人の話を聞いて、対策を練るとしましょうか」

 その頃、藤野・羽月(とうの・うづき)とリラ・サファト(りら・さふぁと)は一番初めに追い剥ぎの被害にあったという男性の家を訪れていた。
「……お留守でしょうか」
 何度かノックを繰り返した後、リラはそう呟いて首を傾げた。
 通りに面した家の窓にはカーテンがひかれ、ドアには鍵が掛けられている。
 だが、羽月は部屋の中で動く微かな気配を敏感に感じとっていた。息を潜めるような、押し殺した気配。抑圧されているからこそのピリピリとした緊張感が伝わってくる。
「いや、中に誰か居る。恐らく俺達を警戒しているんだろう」
 追い剥ぎに襲われただけでなく、褌姿で道端に放置され、情けない姿を公衆の前に晒されたのだ。近所の噂によると、以前はかなり浮名を流していた男だったとか。羞恥の極み、他人に会いたくないという気持ちは同性として羽月にも理解できる。
「だが、会わずに帰る訳にもいかないだろう。もう暫らく粘ってみるか」
「はい」
 そしてリラは再びドアをノックする。
 カーテンが揺れ、細い隙間から2人の様子を窺う男の視線。
 やがて、ドアの向こう側でカチリと鍵の外れる小さな音がした。

「依頼人が住んでるのって、ここでいいんだよな?」
 エスメラルダから手渡された地図を手に陸(りく)が立ち止まったのは、洒落た扉が印象的な一軒の家の前。黒山羊亭からさほど離れている訳でも、道が判り難い訳でもなかったが、未だこの辺の地理に不慣れな陸にとって、彼女の手描きの地図は命綱にも等しい重要アイテムの一つである。
 しかも、陸は自分の読み書きに関する能力に絶対の不信感を持っていたから、地図を手に入れたといっても、まっすぐ目的地に着けるとは考えていない。
 ――故に。
「う〜ん、やっぱ違ってっかもしんねぇなっ」
 たっぷり10分程も家の前で地図を眺めた後、くるりと踵を返して元来た道を引き返したりする。
「ん?」
 ほんの数歩ばかり歩いたところで、陸の足は止まった。細い路地を向こうからやって来る、1人の青年を見つけたのだ。
「なぁ、ちょっと聞きたいんだけどさ。この地図の家ってどの辺か知らねぇか?」
 見知らぬ相手に突然声を掛けられ、エルバード・ウイッシュテン(えるばーど・ういっしゅてん)は驚いたように相手を見返した。紫色の瞳に、人懐っこい笑顔の陸が映し出される。
「家探しか? どれ……」
 手渡された地図と自分の居る場所を頭の中で重ねあわせ、エルバードは1軒の家を指差した。
「そこの家じゃないか?」
 陸が示された方向に顔を向けると、そこには先程の洒落た扉。どうやら間違ってはいなかったようだ。
「そっか、サンキュなっ♪」
「あっ……ちょっと待ってくれ」
 礼もそこそこに背を向けた陸を追うように、エルバードが声を掛ける。
「まさかとは思うが、エスメラルダから追い剥ぎ退治の依頼を受けてたりしないか?」
「そうだぜ。けど……なんで知ってんだ?」
「なんだ……外れか」
 やや落胆したように呟くエルバード。彼としては、エスメラルダの話していた『同じ依頼を受けた可愛らしい女の子』と合流したかったのだが。
「……? 外れってなんだ? 当たりだろ?」
 相手の呟きを耳にした陸が、不思議そうな顔をした。野生児そのものといった外見のこの青年は、エルバードの独り言をしっかり聞いていたらしい。
「あ、あぁ……こっちの話だ、気にしないでくれ。実は俺も同じ依頼を受けたんだ。だからあんたもそうなのかと思ってさ。その地図の住所、依頼人の家だろ?」
 陸の問いをはぐらかすように、エルバードは言葉を続ける。
「依頼人の所に行くなら、同行させてくれないか。追い剥ぎについての手掛りを、色々と聞いておきたいからな」
「おぅ、俺1人じゃ何を聞いたらいいか判んねぇしなっ! 大歓迎だぜ〜♪」
(……何を聞くかも判らずに依頼人の家を訪ねて、どうするつもりだったんだ?)
 知り合ったばかりの仲間の台詞に、いささか不安を覚えるエルバード。
「俺は陸ってんだ、ヨロシクなっ」
「エルバードだ」
 無造作に差し出された褐色の逞しい手を、もう1人の青年が握り返す。ほっそりとしたエルバードの指先から僅かに血が滲んでいたが、陸は気付かなかったようだ。
「それじゃ、さっそく行こうぜ♪」
 足取りも軽く歩き出す陸の背中に、エルバードはニヤリと笑みを送った。遠見の媒介は出来た。これで何かと動きが取り易くなるに違いない。

「ご苦労様。他の人達は、もう先に来てるわよ」
 羽月とリラが黒山羊亭に戻ると、エスメラルダは2人を奥まったテーブルへと案内した。そこには既に、遼介やアイラス等4人の姿があった。
 全員がテーブルに着くと、簡単な自己紹介の後、早速情報の交換が行われる。
「依頼人が言うには、犯人の顔は見ていないそうだ。ただ、相手が大柄な男なのは間違いない。明け方近くに裏通りを歩いていて、いきなり背後から襲われたと言っていた」
 エスメラルダに軽い飲み物を頼んだエルバードが、まずはそう報告した。
「他にも色々聞いたんだけどさ、なんつーか、青い顔をして『それ以上は何も知らない』の一点張りなんだよな〜。あいつ、絶対何か隠してるぜ?」
 頭をガリガリと掻きながら、不満気に陸が言う。依頼人を『あいつ』呼ばわりした事に対し、アイラスは僅かに眉をひそめた。だが、沈黙を守ったまま次の報告に耳を傾ける。
「こちらも似たり寄ったりだな。最初の被害者は、鼻息の荒い男に後ろから体を締め付けられ、息苦しさですぐに気を失ったらしい」
「あ……2番目に被害にあった人は、襲われた時に甘い香りがしたって言ってましたよ。香水みたいな」
 羽月の言葉を、リラがごく自然に補足する。親友や相棒というより、気の合う双子といった雰囲気だ。
「香水? 普通の男が甘ったるい匂いの香水なんて使わないと思うけどなぁ」
 テーブルに両肘をつき、その上に顎を乗せた遼介の言葉に、陸がそうだよなと同意する。
「あの……これは道端に転がされていた被害者をすぐ近くで見たという人の話なんですが……」
 テーブルに集った5人の顔色を窺うように、アイラスは恐る恐る口を開いた。
 何やら浮かない表情で、あまり積極的に報告するという感じではない。むしろ、言わずに済むならそうしたいという雰囲気だ。
「その人の話では……被害にあった男性の体のあちこちに、奇妙な痕があったそうなんです。首筋とか、胸元とか……その、キスマークでも付けられたみたいに……」

 ――暫し訪れる重い沈黙。

 背後から襲いかかる、鼻息の荒い大柄の男。甘い香水の香り。被害者の体に残された奇妙な痕。
 男達の脳裏に、不吉なイメージが極彩色の翼を広げる。
「……なぁ。この依頼、受けなかった事には……」
 エルバードの言葉に、全員が首を横に振る。
「……だよな、やっぱり」
 茶色の髪を持つ青年は、溜息をついた。


3.囮作戦

「それで……どうやって追い剥ぎさんを捕まえるんですか?」
 黙りこんでしまった男性陣に向かい、リラが無邪気に問いかけた。
「……そうだな、やはり囮を使って誘き出すのが妥当だとは思うが……」
 少女の視線を受け止めた羽月の返答は、やや歯切れが悪い。
 確かに打倒ではあるのだが、今度の場合、囮役には通常とは異なる種類の危険が付き纏う事になる。命に関わる類のものではないが、ある意味、命を狙われるよりも恐ろしい危険が。
 それが判っている以上、羽月には誰かに囮をやれと強制する事は出来なかった。無論、彼自身が囮役を引き受けるなど論外だ。腕に自信はあるものの、もし遅れを取ればどのような事態に陥るか。想像するだけでも背中に悪寒が走る。
 他の者も似たような事を考えているのだろう。アイラスやエルバード、遼介等は、微妙な表情を浮かべたままで互いの様子を窺い、沈黙を保っている。
 ――ところが。
「囮作戦か! 面白そうだなっ。だったら俺が囮になって、追い剥ぎの奴を誘い出してやるぜ〜っ!」
 やたら元気な声を張り上げた約1名に、驚きの視線が集中する。
「ただし、ただの囮じゃねぇぞ。最初っから褌装備だ! やられたフリして脱がせてびっくり。既に褌な俺! そして追い剥ぎがひるんだ瞬間に全力で殴る!」
 周囲の驚きなど意にも介さず、自信満々で言い放つ陸。この元気はいったいどこから湧いてくるのだろうか。
「そうは言っても危険ですよ? 追い剥ぎがどんな『攻撃』をしてくるか……本当に囮になるんですか?」
 何か未知の生物でも見ように、アイラスが陸に念を押す。
「大丈夫だ! そいつは相手を褌にするだけなんだろ? 褌愛好家の俺にはそんな攻撃は通じねぇ!」
 得意満面で胸を張る陸は、それ以外の『危険』については何も考えていないらしい。実は、先ほど仲間が黙り込んでいる時に彼が大人しかったのは、他のテーブルから漂ってくる食事の匂いに気を取られていたからで、追い剥ぎの正体に気付いて戦慄していた訳ではなかったのだ。
「凄ぇなっ! 褌愛好家なら囮には適任だし、丁度いいじゃんか」
 あからさまに安堵の表情を浮かべた遼介が、陸の肩を叩く。いざとなれば自分が囮になろうという覚悟はしていたが、今回は相手が相手だ。自分から囮役を買って出る者が居るのなら、どうしてそれを引き止める必要がある?
「なら、俺達は離れた場所から見張って、追い剥ぎが現れるのを待つとしようか。……頑張れよ、陸」
 お前の活躍は、陰から生暖かく見守らせてもらう――エルバードの視線は、如実にそう物語っていた。

 薄い雲のかかる夜空から、欠けた月が弱々しい光を投げかけてくる。
 この季節には珍しく肌寒さを感じさせる夜気の中、一本の細い路地裏を銀髪の青年が歩いていた。
「あの……羽月さん?」
「ん……?」
「もしその追い剥ぎさんに会われたらどうします? 予め褌にしていた方が良いんじゃ……」
 物陰から陸の様子を確認しながら、リラは相手に小声で話しかけた。誰もが寝静まるこの時刻、人通りの絶えた路地裏に、陸以外の足音は聞こえない。 
「私か?私なら元々褌故に心配は要らぬ。…着物故、普通の品では如何せん不自由なのでな」
「……元々褌だったんですか?」
 ぱちくり。
「って、何故其処で瞬きをするかっ!?」
「……いえ、別に……初耳だなと」
 ひそひそと会話を続ける羽月とリラの姿を屋上から双眼鏡で覗きながら、エルバードは何故自分はこんな事をしているのだろうと自問していた。
(何か俺が捕まえなくてもいい気がするんだよな……褌の被害に遭ってるのは、男だけだろ? 女性が被害にあってるならともかくなぁ……)
 気乗りしないまま、昼間陸に付けておいた血液を媒介にして遠見の術を発動させる。囮役の様子に変化は無く、追い剥ぎが現れる気配も無い。
 不意に冷たい風が吹いた。
 思わずくしゃみをしそうになり、エルバードは慌てて口元を押さえる。
「びぇ〜っきしょい!」
 静寂が支配する夜の路地裏に響き渡る盛大なくしゃみは、陸のもの。
「……緊張感のない奴だな」
 呆れたようにエルバードは呟いた。しかし、これが始まりだったのだ。

「びぇ〜っきしょい!」
 ずび。
 冷たい風に首筋を撫でられた青年が鼻をすする。
「くそー。なんでこんなに寒いんだ。追い剥ぎも出ねぇし……」
 ぶつくさ文句を言いつつも、ゆっくりと歩を進める。同じ場所を何度往復したかなど、覚えてもいない。
「今夜は出ねえかもな〜」
 路地が交差する地点で足を止め、大きな欠伸をしたその時。
「んっふっふ〜♪ 捕まえたわぁんvvv」
 妙に甘ったるい、それでいて野太い声が耳元でしたかと思うと、陸は背後から何者かによって抱きすくめられていた。
「出たな追い剥ぎ! 覚悟しろっ!」
 一瞬の驚愕から立ち直った青年は、即座に腕を振り払おうともがき始める。
 だが、その努力は正しくは報われなかった。背後に立つ人物は陸よりも更に頭1つ分ほども身長が高く、また、逞しい身体つきをしている。
 生まれながらに強靭な筋肉を備えた体を持つセンシ族の陸ではあったが、先手を取られてしまった上に、相手のほうが力でも勝っているこの状態では腕から抜け出す事も出来ない。
「あぁんっ☆ そんなに暴れなくてもいいじゃなぁい。大丈夫よぉ、ちゃんと優しくしてあ・げ・る♪」
「わ〜っ!? おい、変なトコ触んなっ!」
「うふっ。可愛いわねぇんvvv」
 ハアハアと鼻息を荒げた追い剥ぎの手が、陸のベルトに掛かる。
「陸から離れろ! この追い剥ぎ野郎っ!」
 叫びつつ、物陰から飛び出した遼介が果敢に飛び掛り、2人を引き離そうとする。
「ぎゃーっ! 何か変なモン触っちまった!」
「あぁん☆ えっちなボウヤねぇん♪」
 追い剥ぎの腰に回した手が、ゴリッとした硬い感触の物体に触れ、慌てて飛び退く遼介。汚いものでも触れたかのように、手を服に擦り付ける。
 対する追い剥ぎは、くねくねと怪しく腰をくねらせて喜んでいる。
「俺……もうダメだ……」
 ガクリと地に膝をつく遼介。肉体的には無傷だが、精神に受けたダメージの大きさは計り知れない。
 この時点で既に、羽月、アイラス、リラの3人も姿を現している。リラを庇うように一歩進み出た羽月は剣を引き抜き、その切っ先を追い剥ぎに向けた。
「貴様、無理やり身ぐるみ剥いだ挙句に褌を付けさせて晒すなど……恥を知れ!」
「僕達が来たからにはもう逃げ道はありません。馬鹿な真似はやめて自首した方が身のためですよ」
 アイラスは説得を試みつつ側面へと移動し、追い剥ぎの退路を絶とうとする。
「褌は漢の美学なのよぉん。アタシにはその素晴らしさを世間に認めさせると言う崇高な使命があるんだから、邪魔しないでほしいわぁん」
 陸を抱きかかえて盾にしながら、追い剥ぎはじりじりと後退していく。
 再び風が吹き、薄い雲の切れ間から地上に届いた月光が、壁を背にした追い剥ぎの姿を照らし出した。
 綺麗に剃り上げた艶やかな頭。逞しい肉体を誇示するかのようにぴっちりとした薄い服を身に纏う、髭面の巨漢。
 アイラスの特殊な眼鏡は、豊かな口髭の下の分厚い唇が鮮やかなピンク色に染められている事を、正確に主に伝える。
(見るんじゃありませんでしたね……)
 視覚光量補正機能付きの眼鏡を装備してきた事を、ちょっぴり後悔するアイラス。
「うっわ。やっぱそういう人種の奴だったのか。あんまり近寄るとヤバいんじゃないのか? アイラスの奴……」
 暗視双眼鏡を目に当てたまま、屋上のエルバードは呟いた。
 今すぐここから降りて、包囲網に加わる事は簡単である。しかし、万が一陸のように巨漢のオカマに抱き付かれでもしたら、自分の中の大切な何かが根本から崩壊してしまいそうな気がする。
「ま、もう暫らくは連中に頑張ってもらって……」
 他人事のように下界を眺めていたエルバードの台詞が途切れた。羽月の背に庇われていたリラが、不意に行動を起こしたのだ。
「陸さんを放してください!」
「リラさんっ!?」
 ライラック色の髪をなびかせて駆け出したリラが、珍しく強い口調で言いながら、追い剥ぎの腕に手をかけた。巨漢に全ての神経を集中させていた羽月の制止の手は、わずかの差で届かない。
「イヤっ! 女がアタシに触らないでっ!」
「きゃ……」
 振り払われた勢いでリラは数歩よろめき、そのまま尻餅をつく。慌てて少女に駆け寄る羽月。
「貴様……っ!」
 その瞬間、エルバードの怒りが爆発した。
 一族に伝わる秘術、血呪によって己が血液から作り出した弓と矢を、怒りのままに構え、射放つ。緋色の矢は文字通り無数の軌跡を描き、雨のように巨漢に降り注いだ。
「いやぁぁんっ!」
「ぎゃーっ! なんで俺まで〜っ!」
 なんだか陸の悲鳴も聞こえたような気がするが、そんな事はこの際どうでもいい。
 センシ族の青年を解放して壁に寄りかかった巨漢に飛び掛り、遼介とアイラスはロープで縛り上げた。正直、触れたくもなかったが、ここで追い剥ぎを取り逃がす訳にもいかない。
「ふ……またつまらんモノを撃ってしまった……」
 1人屋上で髪をかき上げるエルバード。
 少しばかり空しくなったのか、そのまま暫し黙り込む。
「……下に行くか……」
 ぎゃーぎゃーと元気に騒ぐ陸の傷をリラが癒す姿を確認した後、青年は貧血でふらつく体をどうにか支えながら、階段へと向かった。

「なんてゆーか、色んな意味で死ぬかと思ったぜ……」
「まぁ、お陰で追い剥ぎも捕まえられたし、一件落着って事で忘れた方がいいんじゃねー?」
 疲れきった表情で座り込んだ陸に同情し、遼介が慰めの言葉をかけている。
「それでは、僕とエルバードさんはこのまま犯人を役人に引き渡してきますから」
「あぁん☆ そんなに引っ張ったらロープが喰い込んじゃうわぁんvvv」
「髭面の男が身悶えするなよ、気色悪いな」
 追い剥ぎを縛り上げたロープの端を握りなおしたアイラスは、巨漢を連行しようと歩き始め、角を曲がった彼等の声は、次第に遠くなっていく。
「全く……あまり無茶をしてくれるな。万が一があってからでは遅いのだからな」
「すみません、夢中だったのもですから……でも、奇妙な事件でしたけど、なんだか新鮮でした。羽月さんが褌だったなんて知らなかったし……」
 安堵の吐息と共に羽月に額を小突かれて、リラが笑う。

 ベルファ通りを騒がせた連続追い剥ぎ事件は、こうして幕を閉じた。
 明日からは再び、平和な日常が始る。


 ・Fin・


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【1856/湖泉・遼介/男性/15歳/ヴィジョン使い・武道家】
【1887/陸/男性/18歳/忍者】
【1879/リラ・サファト/15歳/とりあえず常に迷子】
【1985/エルバード・ウイッシュテン/21歳/元は軍人、今は旅人?】
【1989/藤野・羽月/15歳/傀儡師】


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■         ライター通信          ■
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 初めまして。OMCライターの左京と申します。
 今回はご参加くださりありがとうございました。
 コメディというより、完璧イロモノな依頼になってしまいましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
 1万文字を超える文字数になってしまったので、読んでいて疲れたりしなければと思うのですが……もしPCのイメージと合わない様でしたら、何卒ご容赦くださいませ。
 とても楽しく書かせていただきました。またアイラスさんにお会いできる日を楽しみにしております。