＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
【SHI・NO・BI '04】
「あら、珍しいお客さんね」
エスメラルダはひゅう、と口笛を吹いた。黒山羊亭の入口を潜ってきたのは、レーヴェ・ヴォルラス。エルザード城門の守りを担う屈強の大戦士といえば、城下の人間なら誰でも知っている。言ってみればたいそうな有名人だ。
「騎士様、お酒を飲みに来たわけじゃなさそうね」
エスメラルダはそんなことを聞いた。レーヴェは沈痛な表情をしていた。どんな用件なのかはすぐにわかった。
「ここ数日、城に何人かのスパイが潜入している。どこぞの剣呑な国のな」
「お城の人間じゃ手が足りないから、ここに出入りする冒険者の力を借りたいわけね」
レーヴェはウム、と頷いた。
「で、そのスパイってのはどんな？」
「夜の闇に溶けそうな黒装束をまとう『忍（しのび）』と呼ばれる者だ。その姿を垣間見た部下の話によれば、諜報活動に長け、恐るべき敏捷性を誇り、戦闘では手段を選ばず相手を殺す。……未知の敵ということもある。そなたの言うとおり、城の兵だけでは対処しきれん。恥とはわかっているが……このままではいずれ王や王女の身にも危険が迫ろう」
「恥なんかじゃないわ」
エスメラルダは微笑んだ。
「お城はみんなのシンボル。自分たちだけで守るなんて変なプライドに凝り固まって、エルザードを危機に陥れることこそ恥よ。ええ、ここに依頼してくれたからには、とっておきの人材を用意させてもらうわ」
翌日の昼。レーヴェは『とっておきの人材』とともに、エルザード城の大広間にいた。
「幾人もの冒険者に触れ合ってきた黒山羊亭のエスメラルダが言うのだから、そなたたちの腕に間違いはないだろう。信頼している」
「任せてください。それにしても、忍者と実際に対決出来るなんて夢のような話だよ」
湖泉・遼介が喜びを満面に押し出した様子で言った。
「相手のこと、知ってるんですか？」
アイラス・サーリアスが尋ねた。
「見たことはないですけどね。何を隠そう忍者ってのは、俺の生まれた国が発祥で、そこの人間なら知らない人はないってくらい有名なんです。だから知識としてどんな連中かは大体わかってる」
それは頼もしいな、とレーヴェが笑う。
「して、その彼女は夜になれば動くようになるということだが？」
レーヴェはアイラスの隣に置かれた女性の石像を上から下まで見渡した。故あって日中は石化するという呪いをかけられた悲劇の舞姫、レピア・浮桜だ。無論そんなことを知らないレーヴェは、変わった体質なのだなとしか思っていない。
「ええ、エスメラルダさんからの伝言なんですが、彼女は――レピアさんは、エルファリア王女のお部屋で護衛をしたいということです。きっと王女のお部屋に忍び込むって予想しているようです」
アイラスが説明した。
「そうか。王女のお部屋の前には護衛をつけているが、中にまで兵を置くことは出来なかったからな」
彼女はまさしく適任だろう、とレーヴェは頷いた。
「ではこれで一旦解散する。各々夜になるまでに城の構成を把握しておいてくれ。その他の一切は任せる。自分で考えて行動してほしい。レピアの石像に関しては、私が兵たちに説明しておく」
■アイラスVS忍2■
深夜になった。
アイラスは灯りも持たず、誰の兵も伴わずひとりで城壁の内側の庭を見回っていた。見張りも多く、明るい場所に敵が来るわけがない。来るとしたら、そうでない場所だろう。道理に基づいた行動だった。アイラスは人より夜目が利くので、暗さが不都合になることもなかった。
それに、忍者なんて見たことがない。出来れば誰にも邪魔されずにひとりで戦ってみたい。不謹慎かもと思いながら、アイラスはそんな考えを持っていた。
なかなか出来ない経験だ。こういうのも楽しいなと思った。
その時だ。アイラスの背後から、わずかだが高い場所から着地するような音が耳に入った。
今この時に、そんな音を立てる人間はひとりしかいない。
「止まりなさい！」
アイラスは振り返ると同時に、音の主に声をかけた。
そこに、黒装束の人影があった。屈んでいるところを見ると、城壁から飛び降りたばかりらしい。
「む？ お前、ここの兵じゃないな」
人影――忍が言った。黒い覆面をしていて表情はわからないが、声からして男だ。
「確かにここの兵じゃないですがね。でも、エルザードのシンボルたるこの城に入り込もうってスパイを、放っておくわけにはいかない」
言い終える前にアイラスは忍に急接近していた。右手には、攻守に優れた愛用の釵。彼は接近戦しか戦闘法を持たないだけに、それを極限まで鍛え上げている。自信を持っている。相手がどんな獲物を持っているかは知らないが、速さと技で叩き伏せるのみ。
アイラスは忍の左肩をめがけて釵を突き出した。直撃すれば骨まで抉れるだろうスピードだった。
それを、忍はアイラスごと飛び越えてかわした。見失いこそしなかったが、アイラスが今まで出会った敵の中でも最高峰の速さだった。
「驚いた。我々にも忍者にも負けない速さではないか」
忍もまた、アイラスの桁外れのスピードに驚嘆のため息をついた。
「スパイにしてはずいぶんとお喋りだ」
アイラスは冷たい眼差しで相手を見る。いつもは温和な彼だが、本格的な戦闘となれば仕草ひとつに容赦はない。
「なに、俺はそもそも話好きなんだ。それに、これから死ぬ奴が細かいことを気にすることもあるまい」
侮蔑の言葉を吐いて、今度は忍の方から突進してきた。右手にはアイラスの釵と同じほどの大きさの刃物を持っている。忍者の基本武器であるクナイだ。
「そらそらそら！」
縦に横に斜めに銀の刃が走る。狙うのは目あるいは喉に限定していた。無論、当たればそれで勝負が決まる。
アイラスはそれを釵で確実に受けつつ、蹴りによる反撃を試みる。
だがそれは、膝でことごとくブロックされ、さほどの効果も得られなかった。
そんな攻防を数分。長いような短いような時間。
どちらに分があるとも言えない。ほんの些細なことで均衡が破れるのを待つのみかと思われるほど、力はほぼ互角だった。
この彼は、今宵集まった忍の中でも最高の使い手ではあるまいか。アイラスは息を整えながらそう思った。幸か不幸かはわからない。
「ならこれはどうだ？ 分身の術！」
忍が叫ぶと、その体が分裂してゆく。瞬く間に20人に増えた。その20人が同時にクナイを投げた。
「それなら、僕だって出来る！」
忍は覆面の下で唸った。アイラスもまた、見る間に20人に増えてゆく。ミラーイメージと呼ばれる魔法だった。
小気味いい音を立てて、20本のクナイは20本の釵に弾かれた。
それを見届けると、忍は一旦引いて、間合いを取った。
「このままチンタラやりあっても決着はつかないな。もはや後の任務のことは考えず、全力でぶつからなければ倒せないようだ」
「同感だ。来い！」
アイラスが言うと、忍びは屈んで両手を地につけた。
スプリンターのような構え。その姿は、まさしく獲物に目をつけた黒ヒョウのようだ。
凄まじい気迫が伝わってくる。一歩間違えば死ぬだろう。アイラスは瞬きせず黒い敵を凝視した。
「この俺の最高の奥義だ。かわせるか！」
言って、忍はただ一直線に、ありえないほどの速さで迫った。
それが奥義。何者にもかわされたことのない超スピードの突撃。
突き出すのは野獣のような掌。確実に喉を圧砕する――！
――紙一重とはこのこと。アイラスはその魔速の右腕をギリギリまで引き付け、神速でいなした。
「た……あああああああ！」
そして、勢いは殺さずに二の腕を掴み、力の限り投げ飛ばし、地に打ち付けた。
「ぐはっ！」
向かってきたスピードそのままで背中から落ちたのだ。呼吸すらままなるまい。
だが、倒しただけでは終わらない。アイラスはそのまま関節の極めに入った。立て続けに忍の両肩、両肘から鈍い音が響いた。
「ガッ！」
「よし、あとはこれで……と」
腰につけていた縄で縛る。ここまでやられては、さしもの忍も身動きを取ることが出来なかった。
「くそ……互角だったはずだ。なぜ負けた」
それには答えず、縛り終えた忍を背負って、アイラスは城内へ足を進めた。その間、勝てた理由を自分で考えていたが、やがてこう言った。
「僕もガムシャラだったからわからない。まあ、負けるわけにはいかないとだけ思っていた」
速さや技では絶対に負けたくない。彼はいつも無意識にそう思っている。
決め手があるとすれば、その信念が、死のギリギリの中でアイラスの動きを昇華させたのだろう。
■エピローグ■
「3人のうちふたりを捕縛か。本当によくやってくれた」
レーヴェをはじめ兵士たちの前に転がる忍者ふたりは、両手両足を縛られ、猿ぐつわをされ、まさしく手も足も出ない状態だ。だが、目は屈辱にとがっていた。
「怖い顔してるけどな、立場を考えろよ？ じっくりと尋問してやるから覚悟しておけ」
兵士のひとりが言った。
「では、あとは我々に任せてもらおうか。疲れただろう、各自寝室を用意してあるからそこでゆっくり休んでくれ」
遼介たちはレーヴェの言葉に従って、各自割り当てられた部屋に入った。3人とも瞬く間に寝息を立てた。
短い夜が瞬く間に明けると、遼介とアイラスは、帰り支度を整えて大広間に出た。
そこに、レーヴェがいた。ふたりが声をかけると、騎士はゆっくりと振り返った。目にクマが出来ている。眠っていないらしい。
「おはよう。よく眠れたようだが……」
レーヴェは、レピアはどうしたと言いかけたが、夜が明けると石になってしまうのだったと思い出した。彼女がここを出るのは、再び夜になってからだ。
「で、どうなんです連中は？」
遼介が聞くと、
「ちっとも吐かん」
レーヴェは疲労まじりの重いため息をついた。
「さすがは忍者だね。何があっても黙秘を貫くと」
「時間がかかりそうですね」
遼介もアイラスも、兵士たちの苦労を思うと疲れそうになってきた。
「そなたたちが気に病むことはない。昨日も言ったが、これは我々の領分だからな。依頼は果たしてくれたのだから、そなたたちはいつも通りの冒険者に戻ればよいのだ。私はこれから遅い睡眠をとる」
それでレーヴェは大広間を出て行った。
「じゃ、俺らもここらで」
「そうですね」
もうここにいる意味はない。遼介とアイラスは門の方向へと向かっていった。
【了】
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【1856/湖泉・遼介/男性/15歳/ヴィジョン使い・武道家】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】
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■ ライター通信 ■
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担当ライターのsilfluです。ご依頼ありがとうございました。
今まで戦闘シーンの入る話はいくつか書いてきましたが、
今回は大部分が個別戦闘の、緊張感のあるテキストにしました。
やっぱり手に汗握る命がけのバトルは、万人が楽しめる
ものだと思います。
それではまたお会いしましょう。
from silflu
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