<東京怪談ノベル(シングル)>


薔薇に隠した秘密。


 夏の匂いを含んだ風が、薄桃色の頬をくすぐった。
 賑わいを見せる、城下町。人の声、空気の音。穏やかな中での喧騒は、それほど嫌だとは思えない。
 城内の、煩わしさに嫌気をさすと、荊姫はこうして護衛もつけず、一人で城下町を散策する。早い話が、『お忍び』なのだが。
 平民を装い、それ相応の格好をしているのだが、甘い感じの金糸と、瑠璃色の瞳が、どうしても高貴なオーラを隠せずにいる。それでも、彼女はそれを隠すことも無く、道を進んでいた。
 市が出ていれば、その場へと足を運ぶ。商売をしている国民は、誰もがいい笑顔をしていた。
「……城内では、あまり見られない表情よね」
 ぽつり、と誰にも聞き取れない独り言を零しながら。
 荊姫はゆっくりと流れる風景に、思いを馳せる。見慣れた映像であっても、再び足を運んだとき、新しい発見があったりするからだ。
 暫く歩くと、荊姫が密かに気に入っている店の前にたどり着く。何のことの無い、普通の花屋なのだが。彼女はその花屋に並ぶ、生き生きとした花々を見つめるのが、好きだった。特に、薔薇の花が。
 見るもの全てを魅了しながらも、手にすると棘で遠ざける。そんな危うさと、美しさに、惹かれているのだ。
 どこか、知らずに重ねているのかも、しれない。『荊姫』と言う名の自分と、薔薇の花を。
「やぁ、また来たのかい。お嬢さん」
 深紅の薔薇を見つめていると、中から人のよさそうな女性が出てきた。おそらくここの主人なのだろう。エプロン姿のその腕には、切りそろえられた新花が抱えられている。
「あたしを憶えてるの?」
「そりゃあね、そんだけ目立つと」
 主人は大きな花瓶に抱えていた花を差し込みながら、荊姫にそう言葉を返す。
「あたし、目立つかしら?」
 荊姫は内心、自分の素性が割れてしまったのだろうかと思いながら、自分の姿を見える限りで見直す。
「服装じゃないよ。あんたのその顔立ちと、目の色。綺麗な色してるからねぇ。うちの自慢の花たちでさえ、負けそうさ」
 主人は荊姫を見ながら、笑ってそう言った。
「………」
 その、女性の言葉を、荊姫は不思議そうに受け止めていた。
「なんだい、言われたことないのかい? だったら、お嬢さんの周りのやつらの目は、よっぽどの節穴なんだねぇ」
 よいしょ、と言葉を繋げ、店の前に並ぶ花々の様子を見ながら、答えの返らない荊姫に新しい言葉を投げかける。
 どう、応えていいものなのか。
 荊姫が、少しだけ戸惑っていると、主人は溜息を漏らし、徐に薔薇の花を一輪、手にした。
「ほら、持っていきな。あんたにはこれくらいの魅力があるってことだよ。嫌味の無い、ね」
 すっと差し出し、荊姫にその薔薇を手渡す、主人。
「…え、でも…」
「金はいいよ。その薔薇が、あんたに貰ってほしいって言ってるんだしさ」
 主人は満足そうに笑いながらそう言った。そして薔薇を手にした荊姫を見、『似合ってる』と後付の言葉までおまけしてくれる。
「ありがとう、またくるわ。今度はお花の話、聴かせて頂戴」
「いつでもおいで。あんたみたいなお嬢さんなら、大歓迎だよ」
「………」
 いい笑顔だ、と。
 荊姫は見送ってくれている主人に頭を下げながら、心の中でそう呟いた。
 城内には無い、『笑顔』。その笑顔に、常に起こっている権力争いに、辟易していた事を、彼女は少しだけ忘れてしまっていた。それだけ、この場が癒しの場になっていると言うことになる。
 ルシェイメア帝国第四王女と言う、位置づけ。
 自分の意思など完全に無視されている方向で、巻き込まれてしまう、権力闘争。権力が低かろうが、そんなものは、お構い無しらしい。
 荊姫自身には、あまり興味ない現実なのだが…。
 血の繋がりがあっても、いつも腹の探り合いをしている兄妹たち。そして荊姫を軽んじながらも、何かに怯え、ピリピリした空気を自ら作り上げていることに、気がついていない。
「……あたしが王位を狙っているとでも、思っているのかしら…」
 花屋の主人に貰った紅い薔薇の花を口元に近づけながら、独り言を漏らす。その瞳は少しだけ、曇っているようにも、見える。
「………」
 ふと、足を止めてしまう。
 自分の生れ落ちた、星。そんな事を、たまに考えてしまうときが、ある。考えても仕方ないと、解りきっていながらも、どうしても行き着いてしまうときがあるのだ。
 ――寂しい、と感じてしまった、その時に。
「クゥン」
「…?」
 足を止めた、すぐ傍で。小さな泣き声が、荊姫の耳を傾けさせた。
「…仔犬」
 城へと続く帰り道の路地の隅。底に置かれている箱の中を覗けば、生まれて数ヶ月とも経たない仔犬が、顔を出していた。
 曇りの無い、真っ直ぐな眼差し。荊姫だけを、見上げる強い瞳。
「………」
 仔犬の瞳を見つめながら、荊姫はいつも自分の傍にいてくれる、護衛騎士の存在を思い出していた。
 彼にさえ、何も言わずに城を抜け出してきた。恐らく今頃、城中を探し回っているか、そろそろ城下へと降りてきているか…。どちらにしても、黙って出てきてしまったことに、少しだけ後悔を憶える。
「……ごめんね、あたしはお前を飼ってあげられない…」
 荊姫がそう言うと、仔犬は悲しそうな瞳をしていた。
 その姿に、自分を重ねてしまう。
 こうなってしまうと、自然に涙腺さえ緩くなってくるのを、荊姫は知っていた。それでも気丈に、踵を返し、その場を離れる。
「……め」
「!」
「…荊姫ッ」
 まるで、示し合わせたかのようなタイミングで。
 荊姫の視界に捉えられる位置に居る、護衛の姿。自分が一番信頼し、心を許している、存在だ。
「…お探ししましたよ、荊姫ッ」
 息を切らしながら、駆け寄ってくる、護衛。見れば荊姫とさほど年が変わらないであろう、少年である。
「黙って抜け出してごめんね、もう帰るわ」
 両膝に手をつき、息を整えている護衛に向かい、荊姫は静かにそう言った。その声が少しだけ、暗い気がして、護衛は慌てて頭を上げる。
「……荊姫」
「なに?」
 荊姫は再び口元を薔薇の花で隠していた。それでも、笑っているようだ。
 護衛の少年は、開きかけた口を閉じ、何も言わずに荊姫の手を取った。
「どうしたの」
 その問いに答えることは無く。
 護衛は静かに、荊姫の手の甲に、口唇を落とした。
 敬意を表す、行動だ。
「…………」
「…帰りましょう、姫」
 荊姫が言葉を失っていると、護衛はゆっくりと笑みを作り、彼女を見上げた。
「…何か、見透かされたみたい」
「え?」
 荊姫は護衛の少年に手を引かれながら、城への道を歩みだした。その背を見つめながら、口元を薔薇で隠したままで、言葉を漏らす。すると少年が肩口に振り返るが、それには応えようとはしなかった。
 姿が見えた途端、心の中が暖かくなったのは、事実。心根から、安堵してしまった。急激に襲ってきた『寂しさ』を掻き消してくれたのは、紛れも無く、この彼なのだ。
 それは決して、口にはしないと、思いながら…。
「――、私を独りにするなんて、許さないんだから」
 その背に、ぶつけるかのように。
 手を引かれたままの荊姫は、護衛に向かって、独り言を漏らした。すると、それに応える形であろう、
「…貴女の、御心のままに」
 と、振り向くことは無かったが、護衛が答えを返してくれた。
「………」
 荊姫は少しだけ頬を膨らませて、彼を睨み付ける。
「ずるいわね…」
 その独り言は、今度こそ目の前の彼には届くことはなく。
 二人はそのまま、まっすぐ城へと続く道を、進むのであった。


-了-


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荊姫さま

初めまして、ライターの桐岬です。
この度はお声掛けいただき、有難うございます。
荊姫さんはとても可愛らしいお姫様ですね。
書いていてとても楽しかったです。
ご期待に応えられているといいのですが…。
宜しければ、感想などをお聞かせください。今後の参考に致します。

それでは、今回は本当に有難うございました。

※誤字脱字がありました場合、申し訳ありません。

桐岬 美沖。