<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


懐かしい燻り

 「親友」の言葉の意味を、百人の人間に聞いたら、たぶん、百通りの答えが、返ってくるだろう。
 ある人は、お互いを高め合える存在だと、言っていた。
 また、ある人は、短所も、長所も、その全てを受け入れられる相手だと、言っていた。
 一つ一つの答えが、全て本物で、嘘はない。
 では、リラは?
 
「時間が、そこだけ、ゆっくりと流れるような感じが……するの」

 優しい気配が好きで、温かい想いに惹かれる。
 母親の腕に抱かれて眠っているような、穏やかな日差しと微睡みを、いつも、彼の近くに、感じる。
 静謐な教会の建物ではなく、その教会に住むある少年に会いたくて、リラは、頻繁に、この辺鄙な地へと足を運んでいた。
 方向音痴の彼女が、供も連れず、たった一人で。
 本に熱中すると周りが見えなくなる少年のために、一所懸命、差し入れを用意する。ありがとう、と、言ってもらえることが、嬉しかった。誰かの、何かの、役に立っているような気がする。
 どちらかと言えば、支えてもらうばかりの、自分。
 だけど、聖は、自らが優位に立とうとは、決してしない。
 対等でいてくれる。
 妹か娘の役回りしかしたことのないリラに、姉になったような、母親になったような、自分が少し成長したような、不思議な安堵感を与えてくれる。
 
「リラさんがいてくれなかったら、僕は、とっくの昔に、飢え死にしてしまっていたかも知れません」

 教会にはシスターもいるのだから、そんな事はないのだが。
 本気で思っているらしく、苦笑混じりに、少年が呟く。
 
「今日も、ご飯、ちゃんと食べていないかも……」

 差し入れのバスケットを持って、リラが、今日も、教会へと向かう。
 木の香りが漂うような、古い扉を、そっと開けた。

「聖……さん?」

 微かな扉の軋む音と、聞き慣れた声に、聖がはっと顔を上げる。
 そこにリラの姿を認め、客が来たのかと一瞬引き締めた貌を、また、ふっと和ませた。
「いらっしゃい」
 いつもの挨拶を済ませ、再び、視線を、紙面へと戻す。少年は、ちょうど、聖書を読んでいる最中だった。
 神に祈っていると言うよりは、人を想っているような、優しい表情で。
 盲目的な信仰は、聖には、無い。
 神を求める前に、その歴史の背景を、ちゃんと知っている。
 昔の人々が、何を想って、聖書を書いたか。何を信じて、聖書を、幾度も幾度も紐解いたのか。
 物語の中から、散りばめられた心を、拾って行く。
 だから、興味は尽きない。目を通すたびに、新しい何かが、自らの中に、吹き込まれる。

「……聖書、読んでいるの?」

 足音を立てないように、静かに静かに、リラは歩いて、そっと、聖の目の前の椅子に、腰掛ける。
 
「あのね……」

 話しかける。邪魔かな、と、ほんの少し、思いながら。
 返事は、すぐに、返ってきた。

「……はい」

 他愛ないお喋りの返事は、いつも、「はい」の一言。
 相変わらず、聖書から視線を外すことなく、彼らしいと言えば彼らしい言葉を返す。

「ええ。……そうですね」

 本当は、怒ってなどいないのだが、ほんの少し意地悪をしたくなって、リラが、わざと、膨れっ面を形作る。
 少しは怖く見えるかなと、自分の頬を二度、三度、軽く叩いて整えて、馴染みの少年の横顔を、覗き込んだ。

「ちゃんと聞いてる?」
「ええ。聞いていますよ」
「嘘。本当は、相槌だけでしょ」
「いえ。そんなことはありませんよ」
「じゃあ……聖、今、私が言ったこと、もう一度、言ってみて?」

 少年が、顔を上げた。
 紅い瞳が、いつもより、少し、丸く見開かれる。まじまじと、聖は、リラの顔を見つめた。ライラック色の髪を揺らして、少女が、首をかしげる。髪よりも、ほんの少し色素が濃く出ているらしい菫の瞳が、じっと、少年の双眸を見返していた。

「聖?」

 私、何か、おかしな事、言ったかな?
 あまりにも自然に口を付いて出たため、リラ自身も、その微かな変化に気付かない。
 少年を、初めて、名のみで呼んだこと。
 きっかけなど、要らないのかも知れない。
 自然の風が流れるように、ゆるやかに、変化を遂げて行く。
 
 知人から、友人へと。友人から、親友へと。

「聖? どうしたの?」
「いえ……」
「そうなの? なんだか、聖、変な感じ」
「いえ。実は、ぽつりぽつりとしか、聞いていなかったのですよ。リラ」
「やっぱり、話半分だった」
「すみません。リラには、かないませんね」

 聖が、ぱたりと、聖書を閉じた。
 少し居住まいを正して、リラが持参した差し入れのバスケットを、手に取る。

「頂きます」
「召し上がれ」

 聖書の続きを読むよりも、ずっと、もっと、大切な一時。

「天気が良いから、外で食べましょうか」

 質素な机の上を手早くかたし、真昼の光の溢れる外へと、飛び出す。
 聖書を持ち出すことすらも、忘れた。
 草の匂いと、鳥の声と、花々が、二人を出迎える。
 なだらかな広陵に佇む教会。近くの森と。遠くの街と。何時か何処かで見たような風景を重ね合わせた、懐かしい彩。
 違和感無く溶け込んで、二人ともに、穏やかな夢を見る。
 異世界であることなど、忘れてしまう。ここに生まれ、ここで育った。ここから学び、やがては旅立つ。その前の、幻のような、けれど、何よりも明らかな……時間。
 
「焦ったら、いけないって、最近、思うの」
「夢の中の人……ですか」
「焦らなくてもね、時が満ちれば、その時は来るって、思えるの」
「そうですね……僕も、そう思います」
「聖も?」
「はい」
「そう……それなら、きっと、そうなのね」
「根拠が無くて、申し訳ないのですが……」
「そんなこと、ない。聖の言葉なら、そのまま、それが根拠になるような気がするから……」
「僕の……言葉?」
「神様よりも、強いような、気がするの」

 傍らに居てくれる親友の言葉だから、信じられる。
 見たことも、感じたこともない、神よりも。確かな力を、与えてくれる。
 神は、祈りも届かず、彼女の体を焼いたけれど。聖は、精一杯の親愛を持って、ずっと、変わらず、語りかけていてくれる。

「ここに来て、友達、たくさん、できたの」
「そうですね」
「でもね。その中で、やっぱり、聖が一番話しやすい」
「嬉しいですね」
「私も、聖にとって、一番話やすい友達になりたいな……」
「それは、わざわざ願うまでもなく、もう、とうの昔に、叶えられているかも知れませんよ」

 差し入れの弁当が、気が付けば、空になっていた。
 食べ過ぎです、と、聖が笑う。
 
「もう少し、ここで、のんびりして行きましょうか……」

 太陽はまだ高く、日差しは眩しいほどに降り注ぐ。
 微睡みながら、二人は、やがて目を閉じた。
 仲の良い兄妹のように、肩をくっ付けもたれ合い、いつか現実になるはずの、未来を……見る。

「ずっと……変わらず……親友でいようね」