<東京怪談ノベル(シングル)>


薔薇に誓う想い。


 王女が居ないと解った瞬間から、彼の持ち合わせる空気がガラリと変わる。決して他人に害は無いのだが、それでも近寄りがたいオーラが、いつもの倍、出ていた。
 そんな彼の名は、鞘継(さやつぐ)。若干十五歳の若き帝国騎士であり、第四王女直属の、護衛を務めている。普段から人を寄せ付けぬ雰囲気を持ち合わせているのだが、今日のように、王女の姿が見えなくなると、それが倍に膨らんでしまうようだ。鋭い紅い瞳が、より一層、強いイメージを植えつける。
「……また、城外か…?」
 鞘継が仕える王女は、口には出さないが心優しい少女であった。自由時間が殆ど無い鞘継のことを気遣い、王女の自由時間には、決まって彼女は温室へと向かう。彼に一言告げてから。王女が休む僅かな時間、自分も休めと言う意味の元だ。
 本当に、優しい王女なのである。
 その王女が、今日は何も告げずに鞘継の目の前から姿を消した。これも、今に始まった事ではないので、事を荒げるつもりはない。だが、現状としてはあまりいいものでもないのだ。何も言わないのは、彼女に何かが起こった時。大抵は腹違いの兄妹たちに、酷い仕打ちを受ける事が多い。今回は、探しに向かった温室内の、彼女が育てて居た花壇の一部が荒らされていた事が原因なのだろう。鞘継は、やりきれない思いと同時に、静かな怒りもその心根に刻みながら、深い溜息を吐く。
 こうなるとおそらく、もう城内にはいない。
 以前もこうしたことが何度かあり、その度に彼女は護衛の一人もつけずに、城を抜け出してしまうのだ。
「………」
 一度刻み込まれた眉根の皺は、そう簡単には解くことが出来ない。そんな表情は大人びていて、とても十五歳の少年だとは思えないほどだ。
 鞘継は意を決したように、地を蹴り、城内を後にした。


 鞘継は人ごみを掻き分け、王女が行きそうな場所を、必死に探し回った。見せ物屋から、雑貨屋。そして、花屋と。
「……姫…」
 直属の、護衛として。
 鞘継は、誇りを持ちながら、王女に接してきた。そして、自分が、彼女の支えになれたらと。今はなれないとしても、近い将来、必ず支えていける存在になろうと。そんな彼の決意は、他の誰よりも、強い。
 王女は周囲から、『我侭な姫君』とよく囁かれているが、鞘継が知っている限りでは、そんな素振りは全く無い。逆に、心の中で詰まらせている思いや、言葉などは、その可憐な唇からは、漏れたことも無い。…言いたいことなど、十分の一ほども、口には出来てはいない。それでいて、心を許している人物への思いやりは、人一倍だ。それは鞘継自身が身をもって体験している事なので、熟知していると言ってもいい。
「…………」
 目の先、その姿を見つけた今でも、王女は捨てられた仔犬に向かい、何かを話しかけている。優しい瞳で。その姿は、誰より綺麗であり、それでいて淋しそうであった。
「……姫!!」
 鞘継が駆けながら言葉を発すると、弾かれたように王女は視線をめぐらせる。その光景はまるで、ゆっくりとした画像のように、思えた。ほっとした表情の中に、今にも濡らしてしまいそうな、青い瞳。
「お探ししましたよ、姫…」
 鞘継がそう言うと、王女は申し訳なさそうに少しだけ笑いながら、
「黙って抜け出してごめんね、もう帰るわ」
 と言葉を漏らした。
 鞘継は膝に手をつき息を整えながら、その声のトーンをきちんと聞き分ける。
 …どう聞いても、良い状態の声音ではない、と。
 王女の名を呼び、彼女を見上げると、片手に持っていた一輪の深紅の薔薇で、口元を隠していた。
 誓いを、新たに。
 そう思った鞘継は、王女の手を取り、その場で膝を折った。そして頭を下げ、彼女の手の甲へと自分の口唇を落とす。
 その哀しみを、少しでも自分へと。
 全てを拭い取れなくとも、僅かでも和らげられるようにと。
 自分が守り、救っていくのだと。
 そんな意味の篭った、口付けである。
「…姫、ひとつよろしいですか」
「なに?」
 少しの間の後、ゆっくりと立ち上がり、王女の手を取ったまま、鞘継は仔犬へと目をやった。
「……離れの温室で、飼われてはいかがです。世話等はお手伝い致しますし…」
 耳打ちのようにそう言うと、王女の瞳がゆらり、と揺れた。
 飼いたいのに、決して自分の口からはそうは言わないだろうと見越しての、提言である。
 鞘継はその王女の心の揺らぎに、困ったように笑いながら、手を引いた。
「後で、引取りに来ます。その時、まだ誰にも貰われていないようでしたら、温室へと連れて行きますので」
 そう言うと、王女は手に持っていた薔薇で再び、口元を隠した。頬が少しだけ、いつもの綺麗な桃色に、戻ったように思える。
 その場は取り敢えず離れ、鞘継は王女を導くように、手を引きながら歩みを促した。
「…何か、見透かされたみたい」
「え?」
 王女の口から漏れた言葉を、鞘継は敢えて聴こえなかったような素振りで、接してみる。肩越しに振り返ると、彼女は何とも言い難い表情をしていた。
 それを見て、鞘継が笑ってしまったのは、自分だけの秘密である。
「鞘継、私を独りにするなんて、許さないんだから」
 前を歩く鞘継に、ぶつけられた王女の言葉。
 声音は小さくとも、鞘継にはしっかりと聴こえていた。
 どんなに嬉しい一言であり、何よりの活力になることか。それは鞘継の心の奥でしか解らない、感情だ。
「…貴女の、御心のままに」
 鞘継は王女を振り向くことなく、その言葉を捧げた。届いてなくてもいい。そう思いながら。
 すると
「ずるいわね…」
 と独り言のような、王女の不満げな言葉。
 その言葉には、酷く満たされたような気持ちが溢れ。
 聴こえなかったふりをしながら鞘継は再び、静かに笑みを作り上げていた。


 どんな形でも。言葉でも、何でもいい。今、届かなくとも。
 王女が必要としてくれるのなら、自分はそれに、精一杯応えて見せると。自分だけは、自分だけが守り抜いてみせると。
 たとえ、支えになれなくとも…。
 鞘継は、王女の手をしっかりと握り締めながら、城への道を一歩一歩踏みしめて、彼女を導き、進むのであった。



-了-

------------------------
鞘継さま

ライターの桐岬です。
前回のお話とリンク、と言うことでしたので
そのように書かせていただきました。
如何でしたでしょうか?
少しでも理想に近づけていると嬉しいです。
この度も有難うございました。

また感想などをお聞かせください。

※誤字脱字がありました場合、申し訳ありません。

桐岬 美沖。