<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


真夏の雪

 海を、見たい。

 行きたい、ではなく「見たい」と言う言葉が何故か出て。
 リラ・サファトは一瞬だけ、僅か、本当に僅かではあるが表情を曇らせた。

 見たい、と言ってどうするつもりだったのだろう。
 だが、やはり「行きたい」よりも「見たい」

 見たいから――

「ごめんなさい」

 思わず呟いて相手の表情を見てしまう。
 怒っては居ないか、呆れてはいないか。
 僅かながらの表情を探るように探しては、見る。

「……そうだな、そろそろ海も見頃か。行くには良い季節だろうな」

 考え込むようにして、ぽそっと呟いてくれた人の言葉に。
 リラは、花が咲いたような柔らかな笑顔を見せた。




 思い出すのは、一面の砂漠。
 歩いても歩いても見えるのは黄金色の砂ばかり――そうして、時として。
 蜃気楼が、見える。
 霞む風景の中に、オアシスが見えて、次こそはと思うのだ。
 次こそは「海」を見れるかもしれないと。

 失われた蒼を、求めて駆け出す。
 駆ける足に、砂が纏わりついては落ち、更なる砂が足にかかる。
 けれど見たくて、次こそは、と思い。

 だが、リラが駆け出しても駆け出しても。

 答えを――蒼を見られることは無かった。

 求めても求めても。
 見たい風景は得られる事が無かったから……何時しか、口には出せなくなった。
 本当に、言っても笑わないと知る人以外には。





 一面の水。
 そうとしか言いようが無いほどの圧倒的な水の蒼が目の前に押し迫る。
 返しては戻る波は、白く白く……だがやがて、再び蒼へと戻っていく。
 不可思議な、自然ならではの偉大な行為に、リラの瞳はリラ自身が意図するまでもなく丸くなり、ぱちくりと瞬きを繰り返した。

「これが、海……」
「エルザードの海は、東京の海より遥かに美しいものだな……東京の海は、黒く淀んでいて……時に奇妙なものを運んできてな」
「? 海て住んでる所によって色が違うものなんですか?」
「勿論だ。水質の環境にもよるだろうが、海を美しく保とうとしないところの海は大概にして濁る。逆に環境を守ろうとすれば…ちょっとした事だけで海の色は美しい蒼のまま、在り続ける」
「……何だか、不思議な話……変わるのなら良い方にだけ変われば良いのに……」

 様々なものが変わってしまう。
 無論、自分自身でさえも。
 確かなものは何もなく、時に記憶でさえ曖昧になってしまうリラには、その事だけが、とても哀しかった。

(この掌に残るものは、何も無いのかな……)

 落ち込む気持ちを振り払うように、すん、と鼻を擦ると、傍らに立つ少年、藤野・羽月の手を取った。
 温かな手に触れると、それが嬉しくもあり、更に、此処……エルザードでは滅多に見ないだろう「着物」の裾をもう片方の手で、掴む。
「なんだ?」と問い掛ける蒼の瞳に、悪戯っぽくリラは微笑んだ。

「夢が、あるんです」
「ほう? どんな夢だ?」
「憧れの海に来たら……絶対に、砂の城を作るんだって、そう言う夢。……子供っぽいって、笑いますか……?」
「いや? では手伝おうか…どのような城を作る?」
「大きいの……大きくて、堅固な造りの」
「……中々難しそうだな。まあ、いい……作ってみよう」

 そうして二人は砂浜へと座り込んだ。
 さらさらとした砂は僅かばかりの太陽の熱を含んで、温かい。

「夏になれば、もっと熱くなるのかな……」
「なるだろうな…それこそ、靴をきちんとはかねば辛いと思うくらいに」
「…本当ですか?」
「…冗談だ」
「…冗談に聞こえないですよ、それ……でも、羽月さんはそう言う思いをした事があるんですか?」
「小さい頃に」

 羽月がポツリと語りだした。
 人の話を聞くのが好きなリラは、何が聞けるのだろうかと続きを促すべく、わくわくと手を止め、羽月を見ている。
 こういう時のリラの表情は、何処か猫に似ているな……と羽月が思うほどに、楽しげな表情を見せてくれるのだ。

「鎌倉の海へ行ってな。真夏日だったからか…凄く砂が熱くて、なのに、其処から離れられずに、私はただ海を見ていた――海には何故か白い花束がふたつ投げられていて、綺麗で……」
 だから、砂が熱かったと言う事を覚えてるのかもしれない。
 そう言い、砂を固めていく彼にリラも深く、頷いた。
「記憶に、残る……映像ですね」
「ああ」

 他愛ない話をしながらも二人は土台を作り、城を作りあげ……この中に海水を入れて、城を作ろうとリラが持参してきた小さな水筒に何度となく海水を汲んでは、その作業を繰り返していく。
 時にリラが転びそうになり、早足で駆けてきた羽月に抱えられたりとか、そう言う小さなハプニングはあったけれど。
 一緒に作り上げたから、それとも手際が良かったのか、あまり時間を費やす事もなく城は出来上がった。

 高い高い、塔のある城。
 砂で作り上げ、海に飾り……どちらも共存する事のできる風景だと、リラはそう、思いたかったから。
 だからこそ、作り上げたいと言う夢があって。

(砂漠に水は限られた場所にしか、無い。けど海ではそう言う事がないから、だから……)


"嬉しい"

 自然に零れる笑みを抑えることもせずにリラは喜んだ。
 感情の起伏が浅いリラではあるが、相手から見ても本当に嬉しいのだろうと言うことと――その嬉しさが届く場所に居る事が幸せで笑みが浮かびそうになる。


が。

 羽月が何かを言う間も笑う間さえもなく、城は予想しなかった程の大波に攫われ、大部分を崩され持っていかれ……その、儚くも崩れていく城の姿にリラは一瞬息をすることを、いや、瞬きさえも忘れて城の残骸を見つめ続けた。
 崩されてしまう……望んでも、駄目で――……消えて、しまう。

(……何で、だろう……)

 崩れてしまった城に、リラは、今、違う世界に居る実父の事を思い出していた。

 腕を伸ばしても、掴んではくれなかった。触れるだけで、ただ、通り過ぎていった。

 寂しいよ、と呟いても、微笑うばかりで答えが帰ってくることは無い……、ああ、そうだ。

(大波に良く似てる……)

 攫うばかりで、答えなど見せてもくれなくて。
 いつか「必ず」、別の場所へと帰ってしまう……決して何かを残してくれない…いいや、残すのは寂しさと虚しさばかりの、優しくて残酷な。

 ……本当に欲しいものは、たった一つだったのに。

「…崩れちゃいましたね」

 漸くそれだけを呟き笑うと、羽月が「ああ」と苦笑を浮かべた。
 作り上げたものが壊れていく虚しさは、恐らく彼も知っている所だろう。
 なのに、苦笑いとは言え、彼もリラと同じように微笑う。

 そして。

「作っても手元に残せるものは何も無いのかな……」
 そのぽつりとした呟きに、羽月はリラの手を取ると再び砂浜へと座らせる。
「壊れたら、作り直せばいい……形は違えど作る人は同じだ」
「……はい」

(手元に残るのは変わるものだけ?)

 変わってしまう人たち。
 変わるもの。
 一つとして同じは無い。

 けれど。

 何処かに必ず、想いは残る。


 残骸を整え始める彼を手伝い、リラはもう一度だけ、もう一度だけと……二人で作り上げる城を、見たいと思い始めていた。





 抱きしめても、消える。
 掴んでいても、すり抜ける。
 力いっぱい、両の手で繋ぎ止めようとも、その隙間を潜り抜けてしまう。

『崩れちゃいましたね』

 その呟きにどうしても苦笑しか浮かばなかったのは――多分、何かが彼女の身にもあったことに気付くゆえだったろうか。

 手元に残るものは何もないのか、と聞かれても「そうだ」とは決して言えない自分。

 何故言いきれるだろう?

 消えた姿を追い続ける事が出来るのに。
 その度に、自らの想いを再確認するだけだと言うのに。

 相手が居なくなったとしても自らが感じた想いだけは、必ず残る。

 だからだろうか……。
 崩れた城をもう一度作り直そうとさえ思った。
 今までならば壊れた物は壊れたものとして放置していただろうに、随分私も変わったものだ、と羽月は自らの唇に浮かぶ苦笑の形をますます深くする。

(だが、これでは余りにも、辛い)

 壊れた想いを。
 残された想いを、もう一度違う形に組み直す、為にも。




 最初に作った城とは、また違うけれど。
 ゆっくりゆっくりと、形作られる城の姿に、リラも羽月も安堵の表情を浮かべた。
 波の音は穏やかなままに、静かな音を繰り返しては寄せる。

「……完成、だな」
「はい」

 先ほどよりもしっかりと……しっかりと、作ろうとした所為なのか、気付けばかなりの時間が経過していて、陽は高さを変え、風は夕刻の涼しい時間を作り出していた。

 海から吹く風は少しばかり潮を含んでいるのだろう、何処か優しくて、まるで抱きしめられているような感覚をリラの身に残しては吹き抜けていく。

「…出来上がって、良かった」

 崩れないように、壊されないように。
 ――記憶に、留めておけるようにリラは、じっと砂の城を見つめた。

 違う、形。
 でも作った人は同じ。
 羽月さんと、私。

(……不思議)

 確かに形は違うのに、それにも関わらず、リラは今ある砂の城を好きになれた。
 最初に作ったものよりも、もっと確かに。作れて良かったとさえ、思えるほどに。

「……?」

 ……いつもならば、見つめすぎていると「そんなに見ていると穴が開くぞ」と言われるのに、今日に限ってはそれが無く……「おかしいな」と羽月の座ってる方を見ると。

 出来上がって、疲れが一気に押し寄せたのか、緊張の糸が切れたのか、座ったまま、健やかな寝息を立てていた。
 息と同時にかすかに上下する顔は、起きている時に比べたら歳相応に見え。

「お疲れ様、でした♪」

 くす、とリラは微笑い、そのまま視線を羽月の手へと落とす。
 いつも掴んでくれる掌。

 例えば、はぐれそうになった時。
 例えば、自分が転びそうになった時。
 例えば……と、あげ続けていくと、キリがなくて。

 ちょっとだけ、傍に寄りたくて。
 リラは羽月の隣へと移動すると、ちょこんと座り、その手に触れた。

(波に、貴方だけは攫われないで)

 それは、リラの羽月に対する、変わってしまわないで、と言う願いだったのかもしれない。
 二度目に作ったものが、例え、より良く見え大好きなものになったとしても。

 一人だけ、変わってしまわないで欲しい……と、言う切実な。


「ん……?」
 リラの手の感触に、羽月は少しばかり眠ってしまったことに困ったような笑いを浮かべると、すぐに、
「……どうかしたか?」
 と、問いかけリラの掌を握り締めた。
 温かな、手の温もりがリラの掌に緩やかに伝わって。

 出ない筈の、涙が溢れそうになる。

 触れた時、嬉しくて涙が溢れそうになるだなんて誰が教えてくれたろう?

 だから。
 リラは、首を振ると、花の様な笑顔を羽月に向けて、
「もう少しだけ、ここにいましょうか……」
 そう、呟いた。
「ああ」と、羽月もそれに同意し握る手の力を少しだけ緩めて、まだ残る砂の温かさを確かめるように、手と手を重ね合わせた。

 陽が、傾いてゆく。
 波は、どんどん静かな色合いへと変じ、海との区別がつかなくなる。

 重ね合わせた掌に瞳を閉じ、リラは、ただ想う。
 今だけは、もう少し、このまま、と。
 教えてくれた感情を幸せに思いながら、自分の内にも相手の内にさえも、芽生えつつある花の開花を待つように。
 花が、まるで綻んでいくように。

 ……夕闇を告げる空は、まるでリラの髪のようなライラックの色に染まってゆき……ふたりが居る砂浜を、空と海の狭間を、優しく、照らしていた。





・End・


+ライター通信+

こんにちは、今回このお話を担当させて頂きました、ライターの秋月 奏です。
まず今回はリラさんのご発注を再び頂けて、凄く凄く嬉しかったです……!
最初に書かせて頂いた時にも、あまりのプレイングの素敵さに
「はうっ」となったりしたのですが、また今回も素敵なプレイングで
うわわわ…と叫びながら書かせていただきました…って、一応叫びは心の中でなのですが。
相手様との会話もこのような形でいいのかな?と考えつつ楽しく書かせていただきました。

そして、今回プレイングを見て。

真夏の国に住む人は、雪を。
真冬の国に住む人は、陽を。

ありえないものを夢見ると言うのを思い出してちょっとばかり切なくなったりもして……。
な、なので、そう言うこともあり(ぇ)、タイトルは「真夏の雪」とさせて頂きました。
ありえないけれど夢見てしまう。
それはやはり、人ならではだと思いながらも、リラさんが今後少しでも幸せに
なっていってくだされば良いな、と祈るばかりです(^^)
羽月さんと、どうかお幸せに…って、相関を見て思ったのですが(汗)

それでは、今回は本当にどうも有り難うございました!
また何処かにて逢えます事を祈りつつ……。