<東京怪談ノベル(シングル)>


【忍、忍ばざる恋】
 踊り子レピア・浮桜の数少ないお気に入りの店として、同業者のエスメラルダが働く黒山羊亭がある。店の中央のステージで、観衆をその類稀なる美貌と舞で酔わせるのが彼女の楽しみのひとつだ。
 今日も夜になると、レピアは黒山羊亭の入口をくぐった。
「また躍らせてもらうわ」
「いらっしゃい、レピア」
 エスメラルダが手招きする。まずはワインでもおごってくれるのかと思って近づくと。
「――また来てるわよ、彼女」
 耳打ちされて、レピアはエスメラルダの指差す方向に目をやった。
「……」
 話し声笑い声で騒がしい空間の片隅。いたって普通の格好、しかし艶やかな紫色の髪と美しい顔の町娘が、カップ一杯だけで静かに座っていた。中身はコーヒーだろうか。
「……」
 時折こちらに顔を向け、逸らす。頬がやや染まっている。
「ここ1週間くらい、毎日よ」
「そうね。2日前に来た時もいたわね。あと4日前もか」
「熱烈なファンってやつかしら? いや、違うわね。まるで――」
 想い人に告白のチャンスを見出せずにいる少女。エスメラルダは娘のことをそんな風に感じていた。
「ま、常連さんが出来るってのは店にとってもありがたいわ。……レピア?」
 エスメラルダに背を向けると、レピアは娘に近づいていった。娘が心底驚いているのが表情からわかる。
「あたしと踊らない?」
 予想もないその言葉に、娘は一瞬あっけにとられたあと、
「あ、う……うん!」
 差し出された右手に応えた。
「……?」
 レピアは一瞬、眉をひそめた。
 娘の手は乾いていた。歴戦の戦士のような、カサカサの手だった。
(ま、いいか)
 とりあえずは彼女の緊張をほぐしてゆっくり話を聞こうと思った。
 だが、ステージに上がるところまで来て腕を引っ張られた。手を握ったままの娘が足を止めたのだ。潤む瞳でレピアを見ていた。
「何か言いたいことがあるの?」
 レピアは優しく尋ねた。
 そして、娘は言った。
「……お姉様、好きです。私と……私と付き合ってください」
 その告白に、レピアは無反応だった。
 容姿といい踊りの腕といい、全身から魅力が滲み出るようなレピアである。男はもちろん、女から告白されることもそう珍しいことではなかった。
 レピアは男より女の方が好みだ。が、友人以上の好意を寄せられる女性は、今向こうで自分たちを見守っているエスメラルダ他、数えるくらいしかいない。才気溢れる踊り子エスメラルダに比べると、この美しいだけの凡庸な娘はそれほど魅力的には映らなかった。
 それに、いくらなんでも、誰とも知らぬ人間にお姉様と呼ばれるのには抵抗があった。
 レピアはゆっくりと首を横に振った。せっかく勇気を出した彼女を、なるべく傷つけない配慮だった。
「……」
 娘は無言で、うつむいてしまった。
(いくらやんわり断ったって、振られたのだから無理ないか)
 レピアが思ったその時。
「ん……んんっ?」
 それは、奪い去るような短い口づけ。呆然とするレピアを尻目に、娘は黒山羊亭を飛び出していった。
「泣かせちゃったの? ふふふ」
 エスメラルダがレピアの肩に手を置いた。
「……あれ? いや、気のせいかな」
 急接近したあの娘の顔に、レピアは何か引っかかるものを感じた。

 数時間後、レピアは店から出た。
 魅惑の踊り子は夜が更けても人の絶えないベルファ通りを颯爽と歩いた。何人かの男が言い寄ったが彼女は歯牙にもかけない。酔っ払いが強引に絡めば強烈なミドルキックを食らわして、何者にも縛られない強い女という印象を見せつけていた。
 そんなレピアのやや後方に、静かなる彼女がいた。
「お姉様、ゴメンなさい」
 ショックでつい出て行ってしまったけれど、諦められるはずもない、忘れられるはずもない。だから、悪いと思いつつレピアを尾行した。住処を突き止めたうえで、改めて話をしようと思って。
 レピアが辿り着いた先は、多くの冒険者が滞在する、エルファリア王女の別荘だった。
(ここが、お姉様の住んでいるところ)
 レピアはさっさと玄関をくぐった。周りにはもう誰もいないので、娘は極力慎重に、気づかれないように後を追った。
 そうして、レピアが入った部屋のプレートを見て、娘は驚嘆した。
 エルファリア王女の部屋、とある。そんな位の高い人間の部屋に出入りしているなんて、一体他の誰に許されているだろう。
 レピアと王女はすでに親密な仲なのか? 距離感を感じた。部屋に踏み込めないでいた。こんな薄い扉一枚が、何と隔たりを作っていることか。
 焦燥感は高まり、娘はわけもなく中央ロビーや裏庭を行ったり来たりした。
 そんなことをしているうちに、辺りは闇が薄れてきて、淡い空色に包まれてきた。夜が明けたのだ。同時に、娘も冷静になってきた。
「……迷ってたって仕方ないじゃない。もうあとには引けないんだから」
 レピアと王女との仲が、浅はかならぬものならそれでいい。それ以上に自分を見てもらえるように己を磨けばいい――。
 娘は王女の部屋の前に立った。
 ノブを回す。鍵は掛かっていない。起きているのだろうか?
 部屋に入る。照明は当然ついておらず、窓からわずかに入り込む朝の薄明かりのみに照らされていた。
 その部屋の中央、最高級の彫像のように美しいレピアが佇んでいた。後ろ向きだった。
 ただひとつおかしいのは、入ってきた自分に振り返らないこと。
「お姉様?」
 声をかけたが、やはり振り返らない。
 ――驚く暇もなかった。レピアは、瞬く間に体も髪も失色してゆく。
 次の瞬間娘の目に映ったのは、真実の石像と化した踊り子だった。



 咎人。普通の人間が断罪され、何らかの呪縛を受けて罪を背負ったまま生き長らえさせられている者。
 各国巡った経験から、娘はその存在を知っていた。彼らのあまりにも悲劇な生き様に涙したこともあった。
 自然と、想いはさらに強くなった。このレピアという女性が愛しくなった。
 だから矢も盾もたまらず、石像となった彼女を盗み出してしまっていた。



 レピアが覚醒したのは、それから半日後。再び世界が夜に包まれようとする黄昏時だった。
 彼女の動揺は少なくなかった。何しろ目を覚ましてみれば、まったく見慣れぬ別の場所なのだ。
「ちょ――ここ、どこ?」
「ここは、私の隠れ家です」
 声がした。後ろを振り返る。
「あんた、昨日の」
 紫色の髪の娘が立っていた。
 しかし昨日とは違う、全身黒一色の姿で。
 青い目をパチクリさせるレピアの首根っこを、娘はすかさず両手で掴んだ。
「好きなんです、あなたが。あの時、私をあっさりと負かして地に押し倒したあなたが……!」
 娘はそのままレピアを引き倒した。
「あ」
 レピアが声を上げた。眼前の娘の顔と記憶とがダブり始め――完全に一致した。
「あんた、あの時の忍……くノ一?」
 レピアはようやく思い出した。1週間前にエルザード城からスパイ撃退の依頼を受け、その時に戦った黒装束の忍者のこと。その覆面の中身が、穢れのない綺麗な女の顔だったこと。
「あの日、忍として生きてきた私は完全に否定された。何ひとつとして技が通用せず、倒された。悔しかった。でも……でも! あの時から強く美しいあなたにどうしようもなく惹かれてしまったの、お姉様! たとえ危険を冒して忍を抜けても……!」
 口早にまくし立てられて、レピアはじっくりと頭の中で言われたことを反芻した。
 このコは自分が好きで、今告白した。それは昨日の繰り返しに過ぎない。
 だが、軽くあしらった昨日とはまったく別の感情が生まれてきた。
「――ゴメン、服が違うから全然気がつかなかったんだ」
 あどけない娘の体を包む殺伐とした黒装束。アンバランスかに思えるが、よく見てみればひどく似合っている。
 何か、好きだ。少なくとも、平凡な町娘の格好よりはずっと。
「けど、王女の部屋からあたしを盗むなんて、とんでもないコね」
「許してお姉様、私――」
 互いに倒れたまま見つめあう。
「ふふ、あんたみたいに、ちょっと強引で、でも一途な女って好き。この忍者姿もカッコよくて好みだし」
 今度こそ告白に応えてあげないといけない。ゆっくり顔を近づける。
 レピアは、自分から唇を重ねた。初めての蕾のような柔らかさだった。
「望みどおり、あたしの妹にしてあげる」
 元くノ一の娘は、たまらず涙をこぼした。
「お姉様、私、あなたみたいな踊り子になりたい。少しでも近づけるように頑張るから」
「いいわ。ビッチリ鍛えてあげる。あと、たぶん忍連中が裏切り者ってことであんたを血眼で探しているんでしょ。そいつらからもあたしが守るわ。だってお姉さんだものね」

【了】