<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
孤島
外出から戻ると、玄関扉が豪快に開いていた。
風でも通しているのだろうと深く気にも止めず、刀伯・塵は敷居をまたいだ。
そこに鎮座する強面男の像を、無言で避ける。こんな事は、慣れっこだった。天井からの奇襲に備えて掲げた腕を、案の定、ヌルリとした天使が滑り落ちた。
いつもの家に帰ってきたのだ。白ワニを飛び越えて、廊下の一角から顔を出している、温泉ペンギンの挙手に返事を返す。リビングで、カエル男爵がヒョイと帽子をあげて挨拶するのにも、ちゃんと頷き返した。
角のある赤ん坊が寝ているのに気遣って足音を殺し、透けてる精鋭達が、ぎっしりと詰め込まれている部屋の扉は黙って閉じる。
怪しげな生き物たちへの接し方も、そろそろ堂に入ってきたと、しみじみ思い馳せる塵の背中に、玉響夜・日吉の透き通った声が届いた。
「お帰りなさい、父上さま」
おっとりと柔和な笑顔で迎えてくれた愛娘は、一人分のティーセットと、菓子皿の乗ったトレーを手にしていた。いつも日吉のが使っているものとは違う、接客用の茶器だ。
「誰か来たのか?」
そう塵が問うと、日吉はこっくり頷いた。
「はい。父上さまがお出かけして直ぐに。ドアをノックしていらっしゃいました」
ドアをノックして……なるほどと、考えると同時に、塵は悩んだ。『誰が』と言う問いの答えとして、これは相応しいのだろうか。
そもそも、やってきた者が自らノックしたり呼びかけなければ、家の中の者はいつまでたっても来客に気付かない。ごく当然の行為なのだが、何故そんな事をわざわざ言うのだろう。
にこやかに笑う日吉を前に、塵は落ち着かない気持ちになった。
客人は菓子に手を出さなかったのか、綺麗に焼けたクッキーに埋もれて、皿の底は見えなかった。
「どんな奴が来たのか、教えて貰いたいんだが」
きょろんとした目を一度天井に向け、日吉は、そうそうと思い出したように頷きながら言った。
「とても礼儀正しい方でした」
扉をノックして入って来た、礼儀正しい方。
俺の質問が悪かったのだろうか?
帰ってきた答えは、的から微妙にずれている気がする。
そうだ。きっと、俺の質問が悪かったのだ。それで、核心へ近づけないのだ。質問を変えてみよう。そうしよう。
塵はもう一度、日吉に尋ね直した。
「礼儀正しい、どこの『誰』なんだ?」
今度は、大丈夫だろう。自信たっぷりに頷きかけた塵であったが、その耳が来訪者の名を聞くことはなかった。
「玄関から入っていらっしゃって、父上さまのお部屋で、しばらく待っていました」
日吉、わざとなのか? わざとやってないか? 俺をからかってないか?
塵の目が、そんな意味合いを含めて、愛くるしい日吉の顔を見つめる。
自分の影を追いかけているような。
穴に近づくと引っ込んでしまうカニのような。
捉えられそうで捉えられない、もどかしさ。
日吉は良く出来た娘である。家事全般をそつなくこなし、いつでもほのぼのとにこやかで、小さな太陽のように家の中を明るく和らげてくれる。
誰かをからかって、こんな問答を繰り返す娘では無い。
そうだ。
きっと、俺の質問がまたしても悪かったのだ。それで、日吉に質問の意図が伝わっていないのだろう。そうに違いない。
塵は、順を追って尋ねてみた。
「ノックをして、玄関から入って、俺の部屋で待っていたのは分かった。それで、その客人とは、どこの誰なんだ?」
はい──そう言って日吉は微笑した。
今度こそやった、と塵が確信したのも束の間。
「父上さまの、お知り合いのようでした」
と、日吉は言った。
がくう。
塵は思わず、膝を突きそうになった。
お知り合いだから、訪ねて来たのだろうに。
だから誰なんだ、と訪ねても、日吉は「とても無口でした」とか、「お茶を三杯も飲んで行かれました」とか、「落ちたお茶菓子を拾えずに、踏んづけてしまって」とか、ニコニコと微笑みながら、全く要領の得ない、のらりくらりとした答えばかりを返してくる。
「……つまり、『玄関から入ってきて、俺の部屋で茶を三杯飲み、落ちたお茶菓子を拾えずに踏んづけるような客』が、やってきたんだな?」
そう結論付けてみたが、塵には誰が訪ねて来たのか、さっぱり分からなかった。どの行動を取っても、普通である。一人待っている間、静かで礼儀正しいのは、当たり前の事だ。一人ではしゃいで奇声を発し、暴れる客の方が怖いではないか。
しかし、落ちた茶菓子うんぬんは、何か引っかかるものがある。あるのだが、いくら反復しても、何が引っかかるのかわからない。
もう、わからない尽くしだ。
日吉の穏和な笑みを見ていた塵は、激しい脱力感を覚えた。考えるのは止めた方が、もういっそスッキリするだろう。日吉に夕食まで休む事を告げ、塵は自室へ向かおうとした。
ところがである。
「日吉」
「はい、何でしょう。父上さま」
「これは何だ?」
そう言って塵が指さしたのは、廊下に面した壁であった。下から数十センチの所に幅1メートルほどの、真新しくも大きな擦り傷が出来ている。
「出かける前からあったか?」
首を傾げる塵に、日吉はあっさりと言った。
「お客さまがぶつかった時に出来ました」
塵の目が、日吉から離れて、じっとりと壁に向いた。
果たして場所は、塵のくるぶしや脛の高さほどしかない。誰がどんな風にぶつかれば、こんな場所に傷をつけられると言うのだろう。そして、ぶつかった壁に勝利するほどの硬度な体の持ち主とは、いったい誰なのか。
「鎧を着た客だったのか?」
笑みの絶えない日吉の顔が、横に動く。
「いいえ。何も身につけてらっしゃいませんでした。体が少し欠けてしまって、可哀想だったんですよ?」
塵の目が点になった。聞かなければ良かったと思うような言葉を、日吉の口から聞いた気がした。
額に滲んだ嫌な汗を手のひらで拭い取り、なんとか冷静を繕って日吉に問い返す。
「それで……その欠けた部分はどうしたんだ?」
「お客様の上に、乗せておきました」
耳から血が吹き出そうだった。
あんぐりする塵に向かって、笑顔で頷く日吉。
欠けた体の一部を、客の上に乗せる娘も娘だが、乗せられる客も客である。その前に、どんどん人間だった外見予想図が、塵の脳裏から消え失せようとしているのが大問題であった。
塵は壁を凝視した。よく見れば、傷の中に土のようなものが詰まっている。
「そう言えば、体が欠けた割に、出血は無かったみたいだが……」
片膝をつき、傷に手を触れながら、塵は日吉を見上げる。日吉は、相変わらずニッコリと笑って、「大丈夫でした」と言った。
「ただ、父上さまのお部屋が──」
ギクリとして立ち上がる塵。
「少し汚れてしまいました」
「なっ!」
考えるより早く、塵は走り出した。
もしや、部屋中に血が飛び散っているのでは、と、嫌な予感に息を荒げながら、バッと部屋に飛び込む。
キョロキョロと壁や天井に目を走らせ、物の位置を確認した。
が。
「……何もないな」
部屋は、出かける前とさほど変わらぬ体で、塵を出迎えた。訝しんで立ち尽くしていた目が、床に濡れたような浸みを拾い上げる。ちょうど、テーブルの一辺の、誰かが座っていたと思われるような辺りであった。
「娘よ……」
背後に立つ娘に向かって、塵は言った。
「はい」
「濡れているように見えるが、何かこぼしたのか?」
「お客様が、お茶を浴びていかれました」
お茶を。
浴びた?
塵は、湯気の立つカップを手に、客が茶を浴びる姿を想像した。だが、出来なかった。「茶は飲むもので、浴びるものじゃない」と、情けない顔でモソモソと呟く。
それを聞いて、玉響夜はニッコリと笑った。
「飲んでいるようには、見えませんでした」
幸か不幸か。
その無邪気さが、今の塵には怖かった。
部屋の隅々をくまなくみてまわると、テーブルの縁にも、やはり何か硬いものがぶつかったような、擦り傷が出来ていた。
無口で、硬くて、欠けた体で茶を浴びる客。
多分、人間ではない。きっと、人間ではない。もう十中八九人間ではない。
塵は、そう確信した。
「正直に言ってくれ。ここへ来た客の名前が知りたい」
日吉は穏やかに笑ったまま、そっと窓辺に立ち、外をスイッと指さした。
「あの方です」
「?」
言われるがままに、塵はその指を辿って目を凝らした。誰もいない。少なくとも、人間は。
ただ、静かな池と、その中に小島が浮かんでいるだけである。
池と、小島。
待てよ、と塵は窓枠に手をかけた。
身を乗り出して池を見つめる。
島の位置がおかしい。岸にぺったりとくっついている。もっと池の中央付近にあったはずだ。しかも、右側がちょこんと欠けており、亀の代わりに、拳を二つ合わせたほどの土塊を乗せていた。
「どんなお茶菓子が良いか……お口に合うものを探すのが大変でした」
「……」
開いた口が塞がらなかった。
お口などと言うものが、『アレ』にあるのだろうか。
手も無いのに、どうやって茶を浴びたのか。
聞いてはならない疑問が、塵の頭の中をぐるぐるとまわる。
「つまり……そう言う事なんだな」
「はい」
屈託のない娘の笑顔が、やけに眩しい昼下がり。
池に囲いをつけるべきか否かを、塵は鬱屈した気分で考え始めた。
終
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