<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


紅く揺らめく私の鏡面に映る、蒼い陽炎のような君

洞窟の内部は、あちこちに自生した光苔と手に持った松明の光で、陽光には及ばないもののそれなりの明るさだった。
土と岩盤の天井からは様々な太さの根が、行く手を遮るように垂れ下がっている。そこを奥へと進む無数の影。
ぼんやりとした光でできた影は、ゆらゆらと洞窟内に伸び閉塞感を助長しているようだった。幾つも分かれ道を選び、とっくに入口は見えなくなっている。
「いまので五つか?」
先の尖った丸太を遠くに投げ飛ばすと、めんどくさそうに男が言った。
陽光が届かないので分からないが、ここに入って相当の時間が経過しているのは確かだった。それはいままで越えてきた罠の数でも明白だ。
「あの、ねーちゃんが壊したのも入れると……八つだな」
別の男が指折り数えながら、思い出すように言った。
「いったい、どんな宝なんですかね?」
「さぁな”噂”になってるくらいだから、けっこうな物なんじゃねぇの?」
まるでピクニックにでも来たような口調で問いかける男に、松明を持った誰かが楽しそうに答える。彼らは亜種族盗賊団”アルメージュ”近隣では屈指と言われる一団だ。
「……噂は噂ってこともあるけどね」
先頭付近を歩いていた盗賊にしては線の細い少年が、嫌みを含んだ口調で付け足す。その言葉に反応して先頭の少女が足を止めた。
「景気の悪いこと言ってんじゃないよ! 宝があれば奪う。盗賊の基本じゃないか」
尾を地面に打ちつけると、彼女は振り返って力説した。
赤銅色の髪に金色の瞳。種族的にはドラコニオンと呼ばれる彼女はアズリィ・アルメージュ。この盗賊団をまとめ上げる歳若い首領だ。
「この場合、盗掘って言うんじゃないの?」
「細かいことを……」
「アズがおおざっぱ過ぎなんだよ」
「お頭って呼べ!」
痴話げんかは日常茶飯事なのか、止める者はいない。立ち止まって不毛な会話を続ける二人を、団員達は苦笑しながら追い越していく。
その前方、盗賊団とはそう離れていない所を進む一つの影があった。苔の幽かな光だけで十分なのか松明は持っていない。
月光を集めたような銀の髪に、褐色の肌を持つラティス・エルシスは、背後の雑音に気を取られることなく、蒼く鋭い眼差しを前方に注いでいる。
油断なく踏み出した一歩に、ささやかな違和感が返ってきた。尖った耳が風切り音を捕えると、盗掘防止のために仕掛けられた罠が発動したのか、左右から銀の輝きが飛んできた。
その無数の動線を最小の動きでかわすと、ラティスは何事もなかったようにまた歩き始める。
「九つ目か」
「さすがエルフ。身軽だ」
一人が呟き、別の者が顎に手をやってうめいた。感心したように言う団員の声は小さかったが、アズリィの気を引くには充分の力を持っていたらしい。
「なに感心してんだい! ほら、とっとと行くよ!」
言い合いをしていた少年に顔をしかめて、アズリィは先頭まで駆け戻ってきた。
「あんなやつに先を越されんじゃないよ! 宝は”アルメージュ”のもんだ!」
アズリィが宣言すると、団員の間から歓喜の叫びが上がった。

夜目のきくダークエルフと、亜種族とはいえ松明を持った大所帯では、進行速度に差があるのは仕方ない。先を進むラティスの背中を、アズリィは複雑な気分で見ていた。
周囲がただの岩土から、あきらかに人の手が加えられた古い石造りの通路に変っても、アズリィ達とラティスの間は微妙に開いている。
その距離は時に縮まることもあるが、いつのまにか引き離されている。追い越せたことはない。
頭では理解しているものの、遅れている事実がアズリィには気に入らなかった。
「……っ! 先に行くよ!」
集団を牽引するように大きく踏み出した一歩が、段差もないのに低く落ちこみ、足元で岩が割れる音がした。
「危ない!」
いち早く気づいた少年が叫ぶのと、アズリィの身体が団員の前から消えたのは数秒も違わなかった。
視界が地面で遮られ反射的に手を伸ばした。しかし掴んだのは細い、腐りかけた根だった。それはアズリィの体重を支えることなく、あっけなく切れた。
「やばっ!」
必死で上に伸ばされたアズリィの腕を誰かが捕まえた。自由落下が止まって、穴の壁に苔が淡く光っているのが判る。木を打ち鳴らすような音がして下を覗くと、赤く松明の炎が張り出した岩にぶつかりながら落ちていくのが見えた。
今回はいつもと勝手が違う。背中を伝う冷たい汗を感じながら、アズリィは詰めていた息をほどく。土石の混じった側面にしっかり足を掛けると、制御しきれない本能が膝を震わせた。
「ありが……ってなんで、あんた!」
振り仰ぐアズリィの目に、思ってもみなかった人物の顔が飛び込んできた。
「暴れるな。落とすぞ」
感情の波を出さない声で淡々と告げると、ラティスは捕まえた腕を強く引き上げた。
「お頭!」
穴から顔を出すと、周囲に集まった団員達が色めきたつ。中には涙を滲ませている者さえいた。失態は教訓に、瞬時に気持ちを切り替えるとアズリィは笑った。
「なんだい、大袈裟だよ」
差し出された仲間の腕に掴まりながら軽口をたたく。上に立つ者として団員を不安にさせるわけにはいかない。不安が統率を乱す事を知っているからこそ、彼女は若くとも首領という地位に立てるのだ。
「あれ、あいつは?」
いるはずの顔がないことに気づいたアズリィが、団員の肩に手をかけて見渡すと、少し先の緩く曲がった所に、銀色の髪が消えていくのが見えた。声を掛ける間も無かった。
「礼ぐらい言わせなっての」
洞窟の前でかち合った時の会話を思い出し、アズリィは苦笑を浮かべた。
あの時、財宝から手を引けと言うアズリィにラティスは挑戦的な瞳の輝きで答えると、時間が惜しいとでもいうように、無言で洞窟の闇に消えたのだ。
「変なやつ」
捕まれた腕は今もまだラティスの体温を残している気がした。
「皆すまなかったね! さぁ、遅れを取り戻すよ!」
声は反響して、洞窟の中を駆け抜けていった。

どこまでも続くような長い石造りの通路が途切れると、洞窟とは思えないほどの広い空間に出た。床や壁を隙間なく光苔が覆っており、今まで歩いてきた所よりは格段に明るい。
高く弧を描いた石の天井。中心からは鉱物で造られた線が四方に延び、それぞれの到達点は一抱えもある石柱に繋がっていた。表面には鳥とも獣とも呼べない生物が彫られ、複雑な色の鉱石が一定間隔ではめこまれている。
石の床は天井と同様の鉱物で二重の正円が描かれ、内部には幾何学の複雑な文様が刻まれていた。入口から向かって奥にある場所は三日月に欠け、澱んだ水が闇のように溜まっている。
財宝が隠された場所というよりは、古びた闘技場のようだ。
柱の影や、壁と床の境には無数の骨が転がり、錆びて曲がった剣や槍とともに蜘蛛の巣を纏っている。崩れて原形を保てない骨に埋もれ、それほど時間の経っていない死体もあった。それはでき損ないのミイラのように干乾びていた。骸骨の上を大きな百足がぞろりと這う。
ラティスが周囲の気配を鋭く探っていると、後ろからアズリィ達が追いついてきた。
「お宝は?」
アズリィの言葉が引き金になったのか、下から突き上げるような一撃がきた。最初は細かな砂が跳ねた程度だったが、何度も繰り返すうちに、立っているのもやっとの衝撃に変っていった。
「な、なんだ?」
間断なく続く振動に団員達がざわめき出す。しかしラティスの青い瞳とアズリィの金の瞳は、惑うことなく、正確に同じ一点に向けられていた。
視線の奥にある沼が不自然に波うち、小山のように隆起すると、黒く重い雫を滴らせながら泥の人型が立ち上がった。風穴を通り抜ける音に似た咆哮が放たれ、腕らしい部分が緩慢な動きでラティス達の方に向かう。
「って……ゴーレム? 冗談じゃないよ!」
アズリィの悲鳴が終わらないうちにラティスは地面を蹴った。いつ抜かれたのか、手には愛用の剣を構えている。
重さを感じさせない跳躍で、壁のわずかな突起を駆け上がると、ラティスはゴーレムの胸に書かれた”emeth”に刃を滑らせた。
伝承どおりなら、最初の”e”を削り取ればゴーレムはその秘術から解き放たれ、ただの物質に戻るはずだ。”e”の文字を消された巨体は予想を裏切らず、指先から不揃いな泥の固まりになって崩れ落ちていく。
勝利を確信したラティスが眼下に視線を向けた瞬間だった。狙ったようにゴーレムの胸を貫いて、輝く巨大な腕が現われた。
体勢を整えようと、ラティスはゴーレムを蹴ったが、術を解かれた泥土はブーツを汚すだけで足場にはならない。
凶悪な光を湛えた手がラティスを捕えようと開かれる。その動きは、時間の法則を無視したようにゆっくりだった。逃げ場は無い。
その輝きが銀髪に触れる寸前、ラティスの背後から別の光が放たれた。それは指を横なぎに砕き落とすと、反動を利用して主の腕に戻った。
「獲物の独り占めは許さないよ!」
落ちてくる泥を避け、地に降りたラティスの背に声が飛ぶ。肩越しに視線を送ると、斧を持ったアズリィが照れくさそうな視線を返してきた。落とし穴の借りは返したという事なのだろう。
「ああ、気をつける」
「それだけか!」
床に尾を打ちつけるアズリィを黙殺して、ラティスはゴーレムを仰ぎ見た。全身が透明度の高い鉱石で造られたゴーレムは、光を乱反射し輝いている。胸の中心には製造者の悪趣味を示すように、赤々と明滅する石の心臓が埋まっていた。
指の無くなった手をかざし、ゴーレムが不思議そうに首をかしげると、胸の宝石が呼応するように赤味を帯びた。
「なっ?」
驚くラティス達の前で、砕かれたはずの指が天に向かって氷柱のように伸びていく。
我にかえった数人の団員が背後から忍び寄り、片腕を叩き落としたが結果は同じだった。胸の鉱石は地獄の火のように燃え上がると、瞬く間にゴーレムの腕を再生してしまう。
「……こんなのアリか」
「泣き言いうんじゃないよ!」
弱気になる仲間を叱咤し、アズリィは斧を手に飛んだ。
ゴーレムに切りこむ勇猛な姿を見送ると、ラティスは間合いを測りながらアズリィとは別の方向に走り出す。先ほどのように、真理の名を削る事さえできればゴーレムなど敵ではない。しかし輝く体躯のどこにも”emeth”の刻印は見当たらなかった。
ゴーレムの輝く体表を探っているラティスの脳裏に、ふいにある考えが浮かんだ。
それは明滅する蛍火のように頼りない光だったが、ラティスの心を確実に撃ち抜いた。駆けるアズリィに視線を投げると、力強い頷きを返された。同じ事を考えているんだと直感で理解した。正攻法ではないが、呪術の供給源である心臓を破砕できれば、ゴーレムは二度と甦生できないはずだ。
「四肢にロープをかけな! 動きを封じるんだ!」
個別攻撃をしていた団員は、アズリィの指示に行動を一転させ、ゴーレムの動きを牽制するように闘いはじめた。攻撃を避けながら、手足に掛けた縄を四本の柱に掛けて締め上げる。
「あんまり長くは無理ですよ!」
「だってさ!」
必死に叫ぶ団員の声に、余裕を含ませた一言をつけ加えると、アズリィは視線を投げた。
「判っている」
ラティスの深い色の瞳が、狩りをする猛禽類のように砥がれた。
反らされたゴーレムの胸部。紅い鉱石を覆った鉱物の脆弱な所を探し出すと、細身の刀身を楔のように突き立てる。至近距離で確認した心臓の表面には”emeth”の文字があった。
「しあげは任せな!」
ラティスの頭上から自信に満ちた声が降ってくる。素早く剣を抜いて横に飛ぶと、穿たれた穴の中心をアズリィの斧が叩いた。
細かい罅が全身に伝わると、術力を押え込めなくなったのかゴーレムは弾け、塵のように霧散していった。

洞窟から出ると、ちょうど朝日が昇りはじめたところだった。周囲の木々が夜の蒼から、朝の朱色に染められる。
「あーぁ、無駄足だったなぁ」
「過ぎたことをいつまでも言ってんじゃないよ」
あれから洞窟内を隅々まで探したが、アズリィ達は一枚の金貨も見つける事はできなかった。壁面や柱を飾っていた鉱石は粗製なものばかりで、盗ってくるような価値は元から無い。
「アレはアズが砕いちゃったしね」
「だからーぁ ……って”お頭”だって言ってんだろ!」
少年とアズリィがお決まりの会話をはじめると、屈託のない笑い声が団員の間に広がった。
結果を引き当てた今なら、ゴーレムの胸に埋まっていた紅い宝石が、噂の財宝と考えることもできるが、術から解放し、砂粒にしてしまった現状では全て後の祭りだ。
しかしアズリィを筆頭として、団員の表情はどれも晴れやかで、宝が手に入らなかったことなど、何の苦でもないように見えた。
「っと、待ちな!」
その傍をすり抜け、森に向かって歩き出すラティスを鋭い声が呼び止めた。
優美な動作で振り返ったラティスの瞳には、蒼い棘が宿っている。それを正面から受け止めたアズリィの瞳も、金の炎を帯びて輝いていた。
洞窟で決まらなかった勝敗のけりをつける気かと、団員達がため息混じりに顔を見合わせる間をかきわけ、アズリィはラティスに近づいた。
闘いに備えラティスの手が柄に添えられる。剣の間合いギリギリに立つと、アズリィは瞳の色を穏やかなものに変えて気負いもなく言った。
「あんた、仲間にならない?」
アズリィの言葉は、張り詰めた空気を溶かすのに充分すぎる威力を持っていた。ラティスの瞳が大きく開かれる。
「なに引き抜きかけてんですか!」
「気に入ったから」
団員の疑問にこれ以上ないほど簡潔に答えると、アズリィは視線も逸らさず「で、どう?」と続けた。
強い奴がいれば盗賊団に勧誘する。確かにそれは集団を強くするために必要な行為だが、さっきまで競っていた者を口説くというのは滅多にない。ラティスの強さが別格なのか、アズリィの思考が柔軟なのか、ともかく希少な事態だといえた。
朝日がラティスの横顔を柔かく包む。予想を越えた提案に毒気を抜かれたのか、瞳にあった厳しさの棘はいつのまにか抜け落ちていた。
「気が向いたらな、アズリィ・アルメージュ」
「へっ? 名のったっけ?」
正確に言い当てられて、今度はアズリィが目を見張る番だった。
「『アルメージュ』の首領が誰かぐらい知っている。自分の風評くらい知っておけ」
一触即発の剣呑な出会いをした場所で、一日とたたず向き合っているのに、瞳の奥に流れる河はどちらも穏やかだった。
「それから……」
ラティスは言いかけると、玲瓏な顔に浮かんだ表情を確かめる隙さえ与えず、近くの木に飛び上がった。細身の枝が反動でかすかにしなり、葉の朝露が散る。
「私はラティス・エルシスだ。”あんた”などという名ではない」
愛想の欠片もない言葉をアズリィに残し、一瞬の後ラティスは姿を消した。
太陽に暖められた大気は次第に温度を上げ、森は木々の呼吸で満たされていく。緑の中に溶けた影の痕跡はどこにも見つけることは出来なかったが、諦める気はなかった。簡単に手に入る財宝なんかに興味はない。
「あんたの名前くらい……初めから知ってたよ、ラティス」
アズリィの口元には大輪の笑顔が咲き誇っていた。