<東京怪談ノベル(シングル)>


オーマの休日

晴れた、爽やかな王都エルザードの朝。
露天商たちが道の端で開店の準備を始める。都の活気が生み出される場所。
そんな光景を楽しそうに見つめながらゆったりと歩く男が一人。年のころは30か、多く見ても40は行っていまい。
大きなを通り越して巨大な体躯と、炎のような紅い瞳は目を引くが、嫌な印象は与えない。周囲を見回し愛しげに笑うその笑顔の為だろうか?
「いい朝だ。たまにはちぃと早く起きて朝の散歩ってのも悪くはねぇな。ああ、オッちゃん!その腸詰パン一つくんな。」
通りすがりに買った朝飯をかじりながら彼は空を仰いだ。
遅寝、遅起に慣れた身には空のコバルトと、山の緑が眩しい。
軽く目元を押さえ頭を振って周囲を見渡す。
「ん?ありゃあ一体?」
ふと、足を止め目を瞬かせた。彼の視線は他の人よりも頭一つ分以上高い。その視線がある影を見つけたのは偶然だった。
その影は…準備中の果物屋の前にさりげなく立ち…ダッシュをかける!
「おーっと!遅くなって悪かったな。娘。埋め合わせに欲しい果物買ってやっから、そう焦んなって!」
彼の長い手がそのまま行けば、店に激突、という寸前で影の首筋を掴んだ。
「は、離して!」
まるで、猫のように引き上げられ持ち上げられた少女は軽く足をバタつかせた。その拍子に店先のリンゴの籠が一つ地面に落ちる。
「ちょっと兄さん。困るよ。これも売りもんなんだからね。」
店主の軽い責めるような口調に彼は肩をすくめた。右手はまだ少女を持ったまま笑って左手で頭を掻く。
「っとすまねえ。うちの娘はせっかちでいけねえ。じゃあ、そのリンゴ一山くれるか?」
「あいよ♪まいど!」
さっきまでふくれっ面を満面の笑みにかえて店主は紙袋に二つ、手早く品物を詰めた。男と少女に視線を送り楽しそうに笑う。
「娘さんと朝の散歩かい?いいねえ…って訳でもないか。」
「まあな、最近娘も反抗期でなあ。好物の果物ででも機嫌を取らねえとな。おっと、どうも。」
「うちの娘もそうだよ。年頃の娘ってのは難しくてなあ。ま、頑張ってな。またどうぞ!」
右手の少女を軽く肩に担ぎ、左手の紙袋を持ち替えて男はアルマ通りを平然と降りて行った。
一歩間違えば人攫いとさえ見えるかもしれないこの状況を、怪しむものは誰もいなかった。
男の全開で輝く笑み故に。

「さてと、嬢ちゃん。そろそろ降りてくんねぇか?流石に重くてなあ。」
そう言って男は少女を肩から降ろした。
「勝手に、担いだのはあんたでしょ!おっさんが余計な事しなければ今頃は…。」
少女は男にそう毒づいた。
「へえ、ってぇことは余計な事をされたって自覚はあるんだ。確信犯かい?」
言われて顔を赤らめて俯く少女を値踏むようには見つめた。
…12〜3。自分の娘と同じくらいだろうか。朝日を紡いで流したような薄金の髪、服もキレイに整えられている。
人気の切れた物陰、壁を背に降ろされた場所。逃げようと思ってもすぐに捕まるそれがちゃんと解っているあたりまんざらおバカな子供では無いようだ。
「おめえさん、あの店のもん盗ろうとしてたろ。リンゴの一個や二個、買えねえ生まれには見えねえがな。」
「…別に、盗もうとしてたわけじゃないわ。ただ…退屈だったから…。」
「退屈?」
今まで少女を見つめていた男の視線がピン!音を立てたように凍りついた。だが、彼から視線をそらす少女はそれに気付いてはいない。
「毎日同じ生活に飽きたの!何か変わったことがしたかったのよ!!」
…前に店の棚が壊れて品物が通りに転がったのを見たとき、みんな笑ってた。
だから、同じことをして皆を楽しませてやろうって、そう思っただけ。
盗むつもりじゃないから誰も困らない。悪いことなんかじゃない!
少女は、顔を男に向け、そう続けようとした。だが、言葉は続かなかった。
『…退屈?そうか…ならば、そんなことを考えられないようにしてやろう!!!』
言葉ではない何かが少女の頭に響いてかき回す。頭を押さえる少女の目の前で【おせっかいなおっさん】だった存在は銀色の炎になり燃え上がった!
「な、何!!」
竜巻と火花が炎の周りで馳せる。少女は一瞬目を閉じた後、再び開いた目を、口をもう閉じることができなかった。
「銀色の…獅子?キャア!!」
唖然とする少女を銜えると獅子は建物を蹴って空に舞い上がった。銀の翼を空に翻して…。
それを見た群集たちが異形の化物が出た!、いやあれは聖獣様の御光臨だと騒いでいたらしいが、それを彼らが知ることはとりあえず無かった。

ドサッ。
地面に落とされた少女は、すでに話す機能も動く機能も失ったかのようにただ震えている。
『人の子よ。言い残すことはあるか?』
(こわい、こわい…、こわい!!)
耳ではなく、心の中に飛び込んでくるその言葉に少女は目の前の巨大な獅子に、ただ首を振り続けていた。
『世界は広い。そなたの知らぬ事、知らぬ生き物が山のようにあるのだ。それを知ろうともせずに退屈というのなら、永遠に退屈など考えられぬようにしてやろうか!』
獅子の怒声に唸り声。そして巨大な牙を称えた口が、目の前に迫ってくる!少女は目を閉じた。
(助けて!)
身体を食いちぎられる感覚。
巨体に押しつぶされる衝撃。
命が消える感触…。
だが、想像していたそれは、何時までたっても彼女に襲い掛かってくることは無かった。
おそるおそる、目を開ける。そこにさっきまであったはずの獅子の姿は無かった。あるのは、いるのは…紙袋を抱えたさっきの【おっさん】だけ…。
(えっ…あれは…夢?)
「…あ…っ。」
まだ震え止まらぬ少女の前に赤い光が差し込んだ。差し伸ばされた手の上の赤いリンゴ。
「食うか?」
少女の膝にリンゴを一つ落とすと彼は、自分のリンゴをかじった。少女は身体の機能をゆっくりと取り戻し、リンゴを見る。
少し汚れたリンゴ。自分が傷つけてしまったリンゴ。
「おめえさんみてぇな子供がよ、世の中に退屈するなんて、まだ100年は早ぇぜ。世の中には知らねえ事がたっくさんあるんだ。解っただろう?」
「…はい。」
囁くような小さな声だったが返事をした少女の髪を男はくしゃくしゃと撫でた。
いい子だ、と微笑んで。
「何かをしよう、変えようって気があるんなら、もっと考えて動きな。人助けとか冒険とかよぉ、おめぇにもできる、おめぇを待ってる何かがこの世には必ずあるんだからな。」
「…私にも、何かできるの…かな。」
「やろうと思えば、何でもできるさ。そうだ!早速やってみねぇか?リンゴ代の代わりによ。」
そう言うと男は少女の手に手を差し伸べた。少女は男の手に触れる。その手は長いこと触れていなかった父の手のように大きく、暖かかった。

小さなベルが鳴る。薬草店Green Melody
開かれた扉の向こうから勝手知ったるという顔つきで冒険者らしい青年が入ってきた。
「いらっしゃいませ。…え〜っと、何かお探しですか?」
すかさず駆け寄ってお辞儀をする美少女に、青年は少し驚き、そして破顔するように笑った。
「オーマさん、どうしたんです。こんな可愛い子。まさか、噂に聞くオーマさんの娘さん?」
「違うって!俺がスカウトしたアルバイト。」
「そうだと思った。こんな美少女がオーマさんの娘だったらきっと…奥さんだけに似…。」
「…用事がねえならとっと…帰ぇりな。」
店員の不機嫌を絵に描いたような顔に、客は両手を上げて謝罪と降伏の意を表した。
店長よりもずっと恐ろしい強面の店員の前では歴戦の勇者も獅子の前のネズミも同様である。
注文した毒消しの薬草をカバンに入れた青年は見送りに出た少女の耳にこう囁いた。
「今度、デートしませんか?」
「えっ?」
「こら!アルバイトに手ェ出すんじゃねぇ!!」
振り上げた店員の拳の下で店主と、アルバイトと客の3つの笑い声が華やかに重なり弾けた。

「ほい、これ、今日のバイト代だ。」
少女の手に男は銀貨を一枚握らせた。
「リンゴ代の代わりじゃあ?」
首をかしげる少女に男は笑って手を振る。
「いいってことよ。頑張ってくれたしな。ああ、これも持っていきな。」
余ったリンゴの袋も少女に押し付け…微笑む。
「もう、あんなことすんじゃねえぞ。おめぇにはあんなこと以外にできることがあるって解ったろ。」
「はい…。今日はごめんなさい。そして…ありがとうございます。」
丁寧にお辞儀をした少女の髪を、男はまたくしゃくしゃっとかきまぜた。
微笑む少女はふと真顔になり、男の顔を見つめた。
「あの…お名前を伺ってもいいですか?」
「ああ、そういやあ言って無かったな。俺はオーマ。オーマ・シュヴァルツだ。」
「私は…。」
少女の声は夕刻を告げる鐘の音と重なった。オーマの耳に届いたかどうかは解らない。
やがて二人は手を振り別れる。お互いの胸にそれぞれの秘密を持って。

「あいつにも、あれくれぇの可愛げがあったらねぇ。やっぱ育ちの差か…、やばっ!こんなことを聞かれたら俺の命がねぇな。ないしょないしょっと。」

「…あら、こんな傷だらけのリンゴ、料理長が出したのかしら。」
部屋を掃除する女中は主の部屋の窓際に大事そうに置かれたリンゴを不思議そうに見つめた。
リンゴの隣には汚れた銀貨が一枚。銀貨の汚れをふき取ると女中は部屋を出た。

彼らは夜の町並みを静かに見つめていた。
エルザードの…一番高い場所から。