<東京怪談ノベル(シングル)>
見えない答え
糸にフェルト、木材に粘土、紙もあれば綿もある。
「う〜ん……」
それらをまじまじと見つめ、時折手に取り、真剣な面持ちで思案している者が一人。
少年顔の――人形だ。
「う〜ん、ねぇ、素材は何が良いと思います? どれも魅力的すぎて迷っちゃうんですよ〜」
髪と同色である紫がかった紅い瞳に苦笑と困惑を混じえ、つい先程彼が完成させたばかりの木製人形に話しかける。
「またキミのような木造りにするのも素敵ですし、小さな小さな指人形っていうのも可愛らしいです。機械仕掛けの人形もカッコイイですし!」
少年はまだ、あの人形はこうだでもあの人形もこうだと語らしめている。
木製人形がカタカタと音を立てて動き出した。その動きが止まったのは、少年のまわりを丁度一周したときだった。
「ボクの本当に創りたいものをつくれって?」
問いかければ、カクンと音を立てて頷く木製人形。
その姿に、少年は思わずくすりと笑みがこぼれる。
「ありがとうございます。それじゃあ……」
彼が手に取ったのは、紙とペン。
「他のものも捨て難いですが、久し振りにヌイグルミをつくりますね。まずは型紙の作製からです。大丈夫、失敗しませんって。人形師ファサードの名を賭けても構いませんよ!」
あまりに自信たっぷりのファサードに、今度は木製人形の方がカラカラと笑う番だった。
ファサードはそんな彼の息子とも娘ともいえる同胞の頭を優しく撫でてペンを握った。
まさにその瞬間、ファサードの瞳に真剣が宿る。
彼の中で、新たな人形へのイメージが弾けるようにして生まれた。
ペンを動かせば動かすほどに、そのイメージは拡張する。
「うん、とりあえず、型紙の完成です」
まるで自慢するかのように、ファサードはできたばかりの型紙を掲げた。
木製人形はがそれを覗き込み、他の人形仲間達もぞくぞくとつられるようにして集まってくる。
新たな仲間の種の完成とあって、皆黙ってはいられないようだ。
「楽しみですよね! この子はどんな子になるんでしょう。いっぱい、ボクの想いを込めてつくります。さぁ、作業再開です!」
型紙の沿って布地にもペンを走らせる。そしてその線に沿り、今度はハサミを入れる。
「……」
不意に、ファサードの手が止まった。
何かに想いを馳せるように、何かの声を聞くかのように、彼はただただ真っ白な天上を見つめている。
ジジジと背中の動力を使いながらゼンマイ人形が駆けつける。蝋人形もトテトテとそれに続き、先程の木製人形も困ったように左右を往復している。
皆、ファサードを心配しているのだ。
「あ」
大切な、大好きな皆の視線に気づき、ファサードはハッと意識を取り戻した。
「ごめんなさい。少し、ボーッとしていました。じつは……」
作業を続けながら、ファサードは静かに口を切る。
裁ちバサミが布を切る音が、不気味なほどに室内によく響いた。
「ボクも、ずっと昔はヌイグルミの姿をしていたんです」
その頃はまだ、魂はあっても今のように人形づくりをすることはなかった。
自分のつくった人形達が新たな仲間を作ることはないように、ファサード自身もまた、その中の一人にすぎなかった。
――ただの、意識ある人形でしか。
『なぁ、ファド。答えは見つかったのかよ?』
ドクン。
囁けるような突然の声に、ファサードの心臓が大きく跳ね上がった。
この声の主を、ファサードは誰よりもよく知っている。だって、この声は他ならぬ自分自身のものなのだから。
『何でただここにいるだけで満足できねぇんだ? 人形づくりを始める前だって、あんたは十分幸せだったはずだろ?』
もう一人の自分の声に、ファサードは答えることができない。何もかも、彼の言うとおりだった。
ファサードが人形づくりをしなければならない理由はどこにもない。それまでだって、ファサードは幸せに暮らせていた。
『ファド、あんたは一体いつまでそうしてるつもりなんだ?』
「いつ、まで……」
投げかけられた問いを、無意識下で繰り返す。
彼の周囲にはすでに彼のつくったほぼ全ての人形が集まってきているが、すでにその声すらもファサードの耳には入ってこない。
今手にしているフェルトの感覚さえも、ファサードには遠いもの。
ヌイグルミだった頃。
ファサードは、自分をつくってくれた人形師のことを見て日々を過ごしていた。
今ではもう、その人形師の顔も声も思い出すことはできないけれど、長くて細い指が人形を誕生させていく、その光景だけはよく覚えている。
「ボク、は……」
ぴくりと、ファサードの指が動きだした。
けれどもその瞳は、相変わらず虚ろで焦点が定まっていない。
背中の片翼の紅が、さらに深いくれないへと変わる。
ファザードの異変は誰の目にも明らかであり、人形達もさらに落ち着きをなくした。
「何故、いつまで、人形をつくるのか……?」
声の響きも、いつものファサードのものとは違っていた。
それだけではない。
人形を縫うその指先すらも、いつもとは別人のもののようだ。
「だって、僕はもうそうしなければ生きていられないから」
『生きていられない?』
「人間がものを食べないと生きられないのと同じ。僕はもう、こうしていなければ此処にはいられない。そういう身体になったんだ。少なくとも、僕はそう思ってる」
『あんた……』
ファサードの中のファサードが言葉に詰まる。
一度息を呑み、その後でゆっくりとそれを吐き、はじめて言葉を繋げる。
『本当に、ファドか?』
その言葉を聞き終えた瞬間に、ファサードの口元がわずかに上がった。そしてそっと、呟いた。
「そうだよ。キミだって、ファサードじゃない。ファサードっていう存在は、いくつもの記憶の名残だからね」
『そう、だったな』
その声は、どこか遠くに響いて消えた。
ただ、二人のファサードが思ったこと。
――何で、同じはずのものが、こんなにも違うのか。
それは、決して答えのでない自問。
まるで何かのサインのように、タイミング良く時計の鐘がリンと鳴った。
ファサードがヌイグルミをつくり上げたのは、窓に月明かりの差し込む頃合だった。
「できました……」
できたばかりの小動物系の姿をしたヌイグルミを抱えながら、ファサードは虚ろな声を出す。
「皆……」
ハッとファサードが気がつきまわりを見渡すと、他の人形達は珍しく揃って眠りこけていた。
腕の中のヌイグルミだけが、きょとんとした面持ちでファサードを見つめている。
「あっと、はじめまして、ボクはファサードです。とりあえず……」
ボク達も、眠りましょうか。
薄く笑って、ファサードはぎゅっと、新たな仲間を抱き締めた。
ヌイグルミから伝わってくる温もりが、自分の存在を確立してくれているようで。
……その事実だけが、今のファサードを救っていた。
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