<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


紅蓮鋼牙・前編

【紅竜ファラフレア】

 裂けた額から、止め処なく溢れてくる血が、視界を遮り、ひどく前は見にくかった。
 腱を切られて動かない右腕が、邪魔だった。どうせ使い物にならないのなら、いっそ、落としてしまおうかと、青年は、考える。腕の一つや二つ、惜しくはない。わずかな時間さえあれば、たちまちのうちに再生する。
 不死身に近いはずの、自らの、竜の肉体。
 まさか、その自分が、殺されかけているとは……青年は、輝石のような紅い瞳を細め、苦笑とも嘲笑とも付かぬ曖昧な表情で、目の前の女を、見つめた。

「竜狩りの魔女……」

 瞳と心臓を寄越せ、と、魔女は、言った。
 むろん、それに応えてやる義理はない。
 彼には、守らなければならないものがあるのだ。
 新しい国を興そうとして、果敢に戦っている、少年。主と認めた。恒久に、命尽きるまで、仕えると。この身も、魂も、その、いずれ王になる少年と、彼が興す新しい国に捧げた。
 魔女に奪われて良いものなど、何一つ、無い。
 
「貴様に、くれてやるくらいなら……」

 竜族の青年が紡ぎしは、今は知る者もほとんどいない、竜言語。
 古代の秘術「ディダクト」。
 生命体を、その意思を宿したまま、物質に変える禁呪法である。わずかな躊躇いさえも、失敗の元となる。自らが、「物」として未来永劫生き続けていく恐怖に、大概の者は耐えられない。
 青年とても、恐ろしかった。
 この身を、何に、変えるというのか……。

「刃に」

 どんなものでも切り裂ける、剣に!
 未だ混乱収まらぬ乱世を、収めるために、少年には、力がいる。
 紅き竜が、刃となって、彼を助けよう。魔女に殺され心臓と瞳を奪われるくらいなら、「命」の放棄さえも、恐ろしくはない。悔いは……無い。

「我が名は、紅竜ファラフレア。我が命よ。我が魂よ。我が言霊を聞け。その在るべき姿を剣に変え、我が意思を、内に封じよ」

 人として、もう、仕えることは出来ない。
 やがて王になる少年は、これを知れば、嘆くだろうか。それとも、唯一無二の魔剣を得たと、存外に、喜ぶだろうか。

「ファラフレア……! ディダクトを……ディダクトを使うなどと……!!」

 魔女が、歯噛みする気配が、伝わってくる。
 してやったりと、竜は笑った。
 これで、魔女に、心臓と瞳を奪われることはない。
 永遠に、この力は、主のために。
 王の、ためだけに……。





【失われし魔剣】

「我が国の魔剣ファラフレアは、即位の証。だが、十年も前に、行方不明のままだ……。何としても、これを見つけ出さなければ……」
 二百年前に、トゥリア王国を打ち建てた少年王が、深紅に輝く魔剣を、持ち帰った。
 以後、魔剣は、国の王の証となった。
 常に、王の傍らに、剣はある。
 それが、十年前に、神殿の奉納宮から、忽然と消えた。
 剣がなければ、王は生まれぬ。紅き竜ファラフレアの認めた者でなければ、トゥリアの座を受け継ぐことは許されないのだ。
 そして、今、剣がないために、即位できない王太子が、いた。
 彼は、言った。自分は、トゥリア王家の血を、一滴も、引いていないと。彼は、先の王が哀れに思い拾ってきた、孤児だったのだ。

「私は、王家の人間などという、大層な身分の者ではない。私は、ただの孤児だ。だが、トゥリアを愛している。故国として。私は、取り戻したいのだ。国の宝を。トゥリアの誇る、紅蓮剣ファラフレアを。ここには、一騎当千の強者が揃うと聞いた。剣の探索に、どうか、力を貸して欲しい……」

 王子は、よくよく見れば、王子ではなかった。王女だった。
 女だてらに、たった一人の従者を連れただけで、旅を続けてきたのだ。
 その気概に、エスメラルダは、半ば感嘆とも取れる溜息を、吐き出す。もちろん、と、踊り子は笑った。

「さぁ、誰か、いないかしら? この勇気ある王女殿下を助けてくれる人間は!」

 十年前に失われたという、紅蓮剣ファラフレア。
 探索は……あるいは、厳しいものとなるやも知れぬ……。





【トゥリアヘ】

 なぜ、私は、男に生まれなかったのだろう。
 なぜ、私は、王家の血を、引いてはいないのだろう。
 何処の誰とも出自の定まらぬ、得体の知れない、この体。
「貴女は、貴女ですから」
 そう言って、幼い頃から仕えてくれたただ一人の忠臣さえも、犠牲にした。
 逃げ続けた先に、何があるかもわからぬままに、遠い、遠い、異境のこの地に、夢を見る。
「ソル……」
 彼は、騎士だった。
 騎士に相応しく、常に控えめに、傍らに寄り添っていてくれた。
「王家の責任が重いのなら、いっそ、捨てておしまいなさい。私だけは、必ず、変わることなく、お側におりますので」
 捨ててしまえたら、どれほど、楽だっただろう。
 身分も要らない。お金も要らない。血筋も、立場も、それを惜しいと思ったことなど、一度もない。
「駄目なんだ……。ソル。早く、トゥリアの次の王を、決めなければ」
 王の居ない国には、争いの華が芽吹く。我こそはと、不遜な望みを抱く者たち。人の欲には限りが無く、成長した野心という草を刈り取るのは、なるほど、容易なことではない。
 
「早くトゥリアを纏めなければ、戦が起きる」

 戦乱。二百年前の再現か。動き出したら、歴史は、もう、止めようがない。人が死ぬ。土地が荒れる。未来に繋ぐ様々な可能性が、火と血の中に消えて行く。
 それだけは、させない。絶対に、させない!
 だから、彼女は、ここに来たのだ。
 故郷から遠く離れた異境の地に、何かが変わりそうな、予感を覚えて……。





 黒山羊亭で、剣の探索に名乗り出てくれた勇士は、七人。
 中には、あまり戦闘向きではない者もいたが、これだけの人数が揃っていながらも、王女に対し否定的な者は、誰一人としていなかった。
 国の興亡などには興味が無くとも、ただ、自国を戦場にしたくないというその気持ちだけは、理解できる。
 自らを生み出してくれた、故郷。自らを育んでくれた、祖国。
 傷つけたくない。守りたい。
 ソーンに紛れ込んだ旅人たちは、皆、多かれ少なかれ、何らかの郷愁を持っている。想いが、あるいは同調したのだろうか。
 これまでに、王女は、ひどく孤独だった。ただ一人の従者ともはぐれてしまい、仲間もいない長い道のりの中で、もう駄目だと諦めかけたことは、決して、一度や二度の話ではない。
「総勢八人でゾロゾロ移動するのも、かえって非効率かもしれんな。私たちは、その行方不明だという従者の方に、重点を置こうか」
 ヴェルダの提案で、七人のうち、三人が、別行動をすることになった。ヴェルダ、エルバード、遠夜、の三名である。
 残りの四名、ティアラ、ラティス、アズリィ、フォルティーナにあっては、王女と共に、とりあえず、トゥリアを目指す。
 トゥリアは、まともに歩けば三ヶ月は余裕でかかるという遠国だが、ソーンに残された様々な遺跡の中に、三ヶ月の旅程も一瞬に縮めるという「転移の門」というものがある。王女自身も、この門を潜って、遙かエルザードまで流れてきた次第であった。
「一度、トゥリアに戻った方がいい。剣が消えた現場を実際に第三者が見てみるべきだし、何よりも、そんな野心の芽が何処とも知れず潜んでいるとあれば、監視の意味でも、国を長く空けすぎない方が賢明だ」
 遠夜の意見は、現実的だ。捜査の基本は、まずは現場から。向こうの世界で、とあるへっぽこ探偵に付き合っているうちに、自然、身に付いてしまったのだろう。それとは別に、純粋に、気遣ってやりたいという想いもある。
 王女は、本当に、国が好きなのだ。言葉の端々、態度の節々に、容易にそれを見て取れる。
 自分以外の人、自分以外の物、自分以外の何かを気遣うことの出来る人間を、遠夜は、好ましく感じる。
 基本的なことだが、彼が元いた世界では、そんな人間が、何と数少なかったことか……。
「二百年前に、紅竜を追いつめ、禁呪を使わせた魔女……。やはり、同じ人物なのだろうか……」
 遠夜は、「竜狩りの魔女」に、一人、心当たりがある。
 彼自身が、その魔女の片腕を切り落として、退けたこともあるのだ。殺してやる、と叫んで消えた魔女の怨嗟は、容易に忘れられるものではなかった。今も、この手に、この指に、肉を斬り骨を絶つときのおぞましい感触が、染みのようにこびり付いて、離れない……。
「まぁ、報酬は、嬢ちゃんの血と言うことで」
 まるでボウフラのように湧いて出て、がしっ、と王女の手を握り締めたのは、エルザード一のナンパ男……いや失敬……せめて伊達男と称しておこう……エルバード・ウイッシュテン。
「まずは、魔剣の形状、容姿、特徴、管理状況……それに触れられる可能性のある人物……なんかを教えてもらおうかな」
 言っていることは、すこぶる理に叶っている。
「国内外の情勢は、まぁ大体聞いたが……後は、交友関係とかも……ああ、それと、可能ならスリーサイズも」
 妙な質問も紛れ込んでいるようだが。
「おやめ。馬鹿」
 かなり容赦のない張り手を、すかさずヴェルダがくれてやった。しかし、それでめげるようなナンパ根性ではない。人類の至上のお宝は美女と美少女だと、本気で信じ込んでいるこの男に、へこむなどという事態が、起こり得るはずもなかった。
「ヴェルダ姉さんのスリーサイズでも良いけど……」
 神をも恐れぬ発言を醸し出し、ヴェルダの顔に、束の間、般若のごとき微笑が浮かぶ。
 とりあえず、遠夜は、王女を連れて、そそくさと隅に移動した。
 ごきゅ、とか、ごりゅ、とか、何とも形容しがたい音が聞こえてきたが、彼は、努めて聞かないフリをした。
「不安だ……。このメンバーで、剣の探索なんて、本当に出来るのか……」
 いや。個々の能力は高いのだ。
 組み合わせの妙で、何やら、喜劇の様相を呈してはいるが…………たぶん、大丈夫だろう。
 いや、本当に、多分、だが。





 最終的には、別行動をする三人も、同じくトゥリアを目指すことになる。
 全ての鍵を握る王国だ。
 澄んだ湖を、深い森を、水豊かな川を、広大な野を、幾つもその胎の内に眠らせる、東の雄。北に荒海を臨み、西には狭隘な峰が壁のごとくそそり立つ。その峰には、古くから、翼竜が住んでいる。エルザードではワイバーンの名称で知られるこの翼竜は、トゥリアの軍事力の要である。
 大きな畏怖と、少しの憧憬をもって、他の国々は、トゥリアをこう呼ぶのだ。

 紅蓮の真竜の加護を受けし、竜王国トゥリア、と。

「正直、私は、国の興亡なんかには、興味がない。生まれるものもあれば、滅びるものもある。それは、人の世の常だ。その二つがあるからこそ、世の中は変化が絶えず、面白い。私は見定める者だ。それに関わる者ではない」
 では、何故、こんな確率の低い探索劇に、自ら乗り出したのか?
 エルバードの問いに、ヴェルダは笑う。
 答えは、呆れるほどに、単純だった。
「私は、ただ、知りたいだけだ。この先に何が待っているのか。そして……紅蓮の真竜が自らの存在をなげうってまで、変化して生み出した、剣。紅蓮剣……ファラフレア。私も長く生きてはいるけどね。こんな無茶は、聞いたことがない。だからこそ、彼に、聞いてみたいのさ。何を望んでいるのか……何を、求めているのか」
「多分、それは、この探索に乗り出した、全ての人間に共通して当てはまる疑問だと……思う」
 かなり欠けてきた月を遙かに眺めやりながら、遠夜が呟く。
 竜狩りの魔女の残した爪痕が、二百年の時を経て、こんな所に来てまで傷口を抉る事実が、胸に響いた。
 かつて、白い竜を、助けることが、出来なかった。白い竜は、彼が駆けつけた時、既に死んでいた。
 だからこそ……紅い竜だけは、助けたい。
 一人の人間のために、生命体であることをも放棄した、紅竜。
 剣となって、見守ってきた国から、なぜ、忽然と姿を消したのか……。
「二百年も経てば、国だって腐るもんさ」
 エルバードが、肩を竦める。
 この世の中に、完璧なものなど無い。
 二百年は、折り目正しく続いてきた国が腐敗するには、十分な長さのはずだ。国とは人の集まり。そして、人とは弱い生き物なのだ。弱い生き物が打ち立てたものである限り、永遠は、あり得ない。
 いつかは、潰えて、消えるもの……。
「剣が消えたのは、自らの意思だとでも言いたげだね。エルバード」
 ヴェルダが、三つの目を、すっと細める。紫の瞳が、それを真っ直ぐ見返した。
「俺の意見じゃなくて、美人のダークエルフの姉さんの受け売りだけどな。一国を象徴する剣。宝剣にして、神剣。そんなものが、人知れず、簡単に行方不明になるものか、ってね。まして、意思ある剣ときたもんだ。愛想を尽かしていなくなった可能性の方が、なるほど、高いと思ったよ」
「愛想を尽かして……ね」
 あの王女が、本当に王家の血に連なっていたら、今回の混乱は起きなかったかも知れない、と、ヴェルダは思う。
 彼女の目には、王の資質は、十分に備わっているように思えた。
 一番大切なことが何かと聞かれたら、あの王女は、きっと、迷わず、こう答えるだろう。「民を知り国を愛することだ」と。王の資格など、それで十分ではないか。それ以外に、血筋だの血統だのを尊ぶ輩の気が知れない。
「自分は、孤児だ、と、彼女は言っていた。彼女を縛っているのは、きっと、彼女自身だと思う。生まれに対する引け目……トゥリア王家の血を引いていないという、負い目のようなもの……。誰かが、傍らで、支えてくれれば強いのだけど……一人では、宮廷というどろどろした世界で生き抜いていくのは、難しいのではないかな……」
 凛として見えたけど、遠夜は、彼女がひどく疲れていることに、すぐに気付いた。
 王家の血を引いていない、王太子。
 通常であれば、考えられない。先の王の代から、城中に、何らかの確執めいたものがあったのだろう。巻き込まれる身にしてみれば、溜まったものではない、何か。抜け出すことは叶わず、生き続けていくためには、敵を葬ってでも、ただ、戦い続けてゆくしかない。

「おい……」

 初めに気配に気付いたのは、エルバードだった。
 我知らず、手が、愛用のデザートイーグルのホルスターに伸びる。
 適度を越えた緊張感を、遙かに凌ぐ、この緊迫感。
 剛胆なはずの彼の額に、冷たい汗が、幾つも浮いた。
 
「避けろ!!!」

 ごう、と、風が唸った。
 一瞬見えたのは、巨大な、真空の大鎌のようなもの。
 辛うじて避けたエルバードの頭上を擦り抜けて、衝撃波が、大木を薙ぎ倒す。刃物で切ったように、鋭利な傷跡が、生々しかった。ズタズタに裂けた枝葉が、雹のごとく降り注ぐ。霞む視界の向こうに、二つの人影が、あった。
 
「戦っている……誰か」

 がん、と、金属の触れ合う音。
 その度に、大気が歪む。先程の衝撃波は、悪夢としか言いようがなかったが、激突する二人の戦士が生み出した、剣圧だったのだ。
 遠巻きに、三人が、様子を見守る。
 一人は、着物姿の、黒髪の男。全てが闇色に沈む中、ただ手にした太刀だけが、淡く白い燐光を発している。戦いの最中だと言うのに、眉一つ動かさず、あくまでも無表情であることが、それを目にする全ての者の心に、寒風を吹き込まずにはいられなかった。
 闇と、影の、色濃い青年。
 三人とも、全く見覚えがなかった。

「セ……セフィラスさんっ!?」

 もう一人、それに対峙する青い髪の青年の方には、遠夜のみが見覚えがあった。
「セフィさん!」
 名を呼ばれ、一瞬、青年が、足を止めた。一秒にも見たぬ時間だったが、隙と呼ぶには、十分だった。影の青年の放った衝撃波が、まともにもう一人を襲う。大木をも容易に分断する、恐るべき威力なのは、立証済だ。殺られた、と、誰もが思った。
 そう思わなかったのは、当の本人たちだけだっただろう。
 青い髪の青年の背に広がった、純白の、翼。翅輝人、の名に相応しく……それは、薄く光を放っているようだった。
「ようやく出したか。翼を。その姿こそが本来のものなれば、内に畳んだ状態では、さぞや自らを制御しにくかろうな」
 影の青年が、言葉を紡ぐ。
 忌々しげに、翅輝人が答えた。
「邪魔をするな。夜都。お前に関わっている暇はない……」
「そうはいかぬ。私は、お前と、お前の守る依頼主を、この先の転移の門へと向かわせるわけにはゆかぬ。それが、私が主と結んだ契約ゆえ」
「契約か。笑わせるな。主など……。お前が誰かの飼い犬になるなど、あり得ない」
「私は退魔師。されど、この刃にかかるは、常に魑魅魍魎とは限らぬ。私は斬ってきた……魔物どもよりも愚かしい、人間という生き物を」
「お前の雇い主は、トゥリアを戦乱に巻き込んで、乗っ取ろうとしているんだぞ!!」
「関係ない。私には。栄も、滅びも。王も、国も」
「…………平行線か」
「その通り」
「ならば……力づくで通るのみ!!」

 再び、大気が、揺れた。
 激突した刀身から、あり得ない歪みが、波紋のように広がってゆく。
 魔法で補強してあるとはいえ、セフィラスの剣は、所詮は人界の武器屋で手に入れた、平凡な品だ。夜都の持っている妖刀「白眉」とは、その強度において、違いがありすぎる。
 滑らかに見えた刀身に、ついに、亀裂が走った。傷が広がるのは、早かった。耐えきれなくなった刃が、悲鳴を上げて、砕け散る。
「つっ……!」
「武器が、追いつかぬか」
 常の相手ならば、良い。だが、夜都相手に、加減をしている余裕など全く無い。武器が実力に追いつかぬそのもどかしさに、セフィラスは苛々した。そして、今の状況において、武器を無くすることは、すなわち死を表していた。

「白眉は、折れぬ。決して……」

「セフィさんっ!」
 遠夜が、懐から、呪符を取り出す。素早く、誰の目にも馴染まない、手印を切った。符が、途端に、音を立てて燃え上がる。紅くはない。白かった。白い炎の中から、やがて、一降りの刀が誕生の息吹を上げる。太刀は、自らの意思で、翅輝人の手に納まった。
「その太刀なら折れない……。それは、十二神将が一人、伐折羅大将の宝剣です! どんな術にも耐えられる!」
「バサラ……?」
「三分だけ、凌いで下さい……。理由は知らないけど、こんな削りあい、どう考えてもおかしい……!」
 再び、遠夜が、何らかの術を行使する。彼は、危険極まりない二人に、あまりにも近付きすぎていた。エルバードが、慌てたように、遠夜の腕を掴んで引き離そうとするが、少年は、がんとしてそれを受け入れない。
「危ないって! あの二人に不用意に近付くな!! 剣圧だけで、大木を裂くような奴らだぞ!!!」
「知り合いなんです! 放ってはおけない……!」
「……って、だから、人の話聞けよ! 無茶だって……!」
「仕方ないね。やるよ。エルバード」
「いいっ!? ヴェルダさんまで! 一体どういう風の吹き回し……」
 たちまち文句を言いかけたエルバードを、ぴしゃりとヴェルダが遮った。
「トゥリア、と、白い方が、言っていた。あの二人も、当事者さ。何らかの形で、今回の騒動に関わっている。どうせ、右も左もわからない、お手上げ状態なんだ。手がかりになりそうなものを、目の前でみすみす見逃したとあっちゃ、記録者の名が廃るだろ」
「あ、あのとんでもない喧嘩に首を突っ込む方が、よほど、名折れのような気が……」
「ごちゃごちゃ言うんじゃないよ。あんたを、あの二人の間に放り込むよ」
「ヴェルダさんなら、本気でやりそうで怖い……」
「やるよ。私は。こう見えても、冗談と嘘は言わないタチでね」
「あの二人よりも、姉さんの方が怖いって……」
「怖いなら、さっさと用意しな」
 ヴェルダが、遠夜の隣に、進み出る。多くを語らずとも、やるべきことは、わかっていた。
「一人で出来るかい?」
「大丈夫です。とにかく、夜都さん……でしたよね。確か……。彼の方を止めれば、何とかなります。少なくとも、セフィさんは、僕には剣は向けないはずです」
 エルバードが、それが何より難しいんだと、もっともな溜息を漏らした。
「符で、一時的に、彼を呪縛します。ただ、本当に、一瞬です。動きを止められるのは……。緊縛が効く相手には見えませんから。そうしたら、後は実力行使です。可能なら、羽交い締めか何かにして、引き離して下さい」
「おい……」
 遠夜の言葉に、限りなく不吉なものを感じ取り、エルバードが、顔を引きつらせる。
「その、羽交い締め役、誰がやるんだ?」
「そりゃ、エルバード、あんたしかいないだろ」
 いっそ清々しいほどの、ヴェルダの一言。スッパリと死んでこい、と言われているようなものである。じゃあ代わりにスリーサイズを……という、いつもながらのおトボケも出てこない。俺って不幸かも……と、エルバードは、この時、本当に神様を心の底から恨んだそうである。

「ちっ……こっちサイドにくっ付いて来たのが、運の尽きか!」
 
 エルバードが、空に向かって、銃声を、一発、轟かせた。
 それこそが、合図。
 遠夜が、五枚の符を同時に放った。さらに、三枚。八方陣、と呼ばれる、緊縛・封印の術の中では、最高クラスの強度を誇るものである。一瞬でも動きを止められると、そう思ったのだが、しかし、予想は甘かった。甘すぎた。
「笑止!」
 白眉が唸る。符が、真っ二つに切り裂かれた。
 やはり、術の類は、夜都には効かない。もっと直接、生命身体に危害を及ぼすような凶悪な秘術ならともかく、呪縛程度では、止められない……!
「だったら、これならどうだ!!!」
 切られた符の代わりに、蛇のようなものが伸びてきて、夜都の腕に絡みつく。振り払おうとしたが、これは無理だった。
 むろん、蛇でも、紐でもない。
 紫水の血から生まれた、緊縛縄だ。たとえ悪鬼妖魔の類でも、おいそれと断ち切れるものではない。
「ぬ……」
「トゥリアだ!」
 ヴェルダが、一際大きな声を張り上げる。夜都が、はっとしたように、刀を構えた手を下げた。
「トゥリアについて、聞きたい。あなたは、彼の国と、どういった関わりがあるというのか」
 無言のまま佇む夜都の代わりに答えたのは、翅輝人の青年。
「そいつは、トゥリアに敵対する大国ラガートに雇われた、刺客だ。王女を殺すために……」
「何?」
「紅蓮剣がこのまま見つからなければ、トゥリア王の座は空いたままだ。ラガートは、その混乱に乗じてトゥリアに戦を仕掛け、彼の国を乗っ取るつもりなんだ!」
「雇い主の思惑など、私には関係のないことだ」
 セフィラスの言葉にも、夜都は、やはり何の感心も示さない。彼が傭兵や暗殺者まがいの仕事を引き受けるのは、純粋に、金のためだった。必要最低限の金を得るためだけに、それをしているに過ぎないのだ。大義とか、名分とか、彼は、その言葉の意味すらも、きっと、知らないに違いなかった。
「それが定めならば、滅ぶ。人の世の理だ」
「その意見には全く同感だけどね」
 ヴェルダが、やれやれとでも言いたげに、頭を振った。
「雇い主の思惑が関係ないというのなら、僕たちに協力は出来ませんか」
 遠夜の言葉は、直線的だ。早い話、寝返れと言っているわけだが、何故か、それを相手に感じさせない。少年が持って生まれた徳であり、性質のようなものでもあった。
「十年前、トゥリアから忽然と消えた、紅蓮剣ファラフレア。僕たちは、それを探しています。かつて、竜が化身した、世に二つと無い魔剣です。国の興亡の云々よりも、その魔剣の探索の方が、興味深いとは思いませんか?」
「ファラフレア?」
 二人の青年が、反応する。白と黒の対比も鮮やかな、雄敵同士が。
 ただ、一つの名に。
「紅竜……ファラ、か?」
「え?」
 セフィラスが懐かしそうに目を細め、夜都の顔にもまた、ほんの一瞬、何らかの感情のようなものが、過ぎった。
 二人ともに、知っていた。
 その名を。
 いや……。
 二人ともに、会っていた。
 その名を持つ青年に。

「ファラ……そうか。ディダクトで、剣に……。魔女に、殺されていたわけでは、なかったのだな……」

「ちょっと待て。二百年前の話だぞ!? あんた、知っているのか!? その竜を!」
 エルバードが、もっともな疑問を口にする。夜都が答えた。
「二百年前の、トゥリア建国にかかる、ラガストリアの大乱……。その戦に、私も、セフィラスも、参加していた。傭兵として。ファラフレアと共に、あるいは、ファラフレアに敵対する者として、戦った。ある日を境に、竜は、姿を見せなくなったが」
「…………つーか。お前ら、何歳……」
 いや、頭を抱えたくなる気持ちは、よくわかる。エルバード。
「さぁ……。俺の方は、573歳までは、数えたが」
 律儀に答える翅輝人。
「ご老体か……」
 言わないで良いことをつい口にして、エルバードが、思いっきり殴られた。
「斬ってもいいよ。何なら」
 助ける気は更々無いらしい、ヴェルダ。
「俺、一応、血呪を使って、貧血気味なんだけど……ヴェルダさん」
「貧血の目で、私を見るな」
「だって、この場に、麗しい女の人は、一人しかいないし」
「我慢したらどうですか?」
 何気なく、遠夜が冷徹なことを口にする。貧血を根性で治せと言うのだから、これはなかなか手厳しい。
「鬼……」
「式神で良ければ、女性形の武将を召喚しますけど」
「違う……。それは何かが違う……」
「盛り上がっているところ、申し訳ありませんが」
 一人冷静な夜都が、まるで付け足しのように、口を開く。口調が普段の礼儀正しさを取り戻したところから察するに、とりあえず、目の前にいる者たちを、敵と識別するのは止めたようである。
「先にトゥリアへと向かっている従者と、早く合流した方が良いのではありませんか」
 全員が、はたと動きを止める。
 ヴェルダ、遠夜、エルバード、の三人が、何やら文句を言い合いながら、走り出した。
 それに追随する形で、夜都とセフィラスが後を追う。

「お前が味方か。妙な気分だ」
 気のないふりを装いつつも、翅輝人は、わずかに、嬉しそうだった。敵として会ったことしかない人間が、初めて、同じ側に立つのだ。何か、思うところがあるのだろう。
「結末を、見届けるだけだ。私は……。ファラフレア、ただ一人の人間にあくまでも殉じた、あの愚かな竜の……その行く末を」
「行く末には、何があると?」
「さて……あの竜ならば、相応しいのは、光、か」
「光か」

 かつて、一人の、紅き竜がいた。
 魔女に追いつめられたとき、竜は、人の身を捨て、剣として、唯一絶対の主と共に生き続けると、誓いを立てた。
 戦は終わり、やがて、主である少年は、王となった。
 竜は見てきた。
 王の建てし、祖国トゥリアを。
 竜は、あるいは、望みを捨ててはいなかったのかも知れない。

 何時の日にか。
 人の姿を、取り戻さん。
 何時の日にか。
 祖国の大地を、この足にて、踏み締めん。

 転移の門を潜り抜けたその先で、何かが始まりそうな予感を、この時、誰もが、感じていた。
 全ての鍵は……トゥリアに。
 




 無事、従者と合流し、その一週間後には、六人は、竜王国へと到着した。
 街は慌ただしく、遠目から見ても、その混乱は容易に見て取れた。
 何かがおかしいと、とりあえず、顔色の悪い住人に、問いただす。
 恐れていた答えが、返ってきた。
 事態は、彼らが考えていたよりも、もっと、ずっと、激しい変化を迎えていたのだ。

「ラガートの大軍が、トゥリアに攻めてきたんだ! ついに、戦が、始まっちまうんだよ!!」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1996 / ヴェルダ / 女性 / 273 / 記録者】
【1985 / エルバード・ウイッシュテン / 男性 / 21 / 元は軍人、今は旅人?】
【2017 / セフィラス・ユレーン / 男性 / 22 / 天兵】
【0277 / 榊 遠夜 / 男性 / 16 / 高校生/陰陽師】
【2000 / 葛城・夜都 / 男性 / 23 / 闇狩師】

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■         ライター通信          ■
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大幅な納品遅れ、本当に申し訳ありません。
しかも、危惧したとおり、前後編物語に別れてしまいました……。
何とか、一話完結を目指したかったのですが、無理でした……。
本当にすみません。
また、紅蓮鋼牙の後編募集については、しばらく未定です。

今回は、お申し込み、ありがとうございました。
そして、納品遅れ、本当にすみません……。