<東京怪談ノベル(シングル)>


報酬
「おう、来たな。何泣いてやがる――あぁ、なに?でかいのにやられた?そんなのはなぁ、倍返しだぞ倍返し。どーれ、俺に見せてみ?」
 びーびー泣いている少年の肘と膝が擦り剥け、頬まで乾いた泥がこびり付いているのを目を細めて見ながら、椅子にどっかりと腰を降ろした大男がよしよしと大きな手の平で頭のてっぺんをごく軽く叩く。
「んじゃまず洗って来い。裏の井戸水なら冷たくて気持ちいいぞ?あー、お前らもだ。どのみち皆泥だらけじゃねえか」
 怪我をした少年と、その付き添いの子供ら。皆一様に乾いた泥と埃にまみれている。恐らくは喧嘩した相手もそうだろうなと考えていると、言われた通り服までびしょぬれになりながらもさっぱりした顔の子供らが戻ってきた。
「おうおう、皆綺麗な顔になったな。いつもより2倍増しに見えるぞ。さーて怪我した奴は出て来い、順番に薬付けてやる」
 普通サイズの椅子の筈なのに子供用に見える椅子の上に座る男の威圧感に逆らう気も起きないのか、神妙な顔で並ぶ子供ら。その目の前で塗り薬を練り上げて行く。
「いいか?この薬はな、よーく効くんだがちぃっとばかし染みるんだ。だがそんなのに怖がる年じゃねえってことで遠慮なく塗るぞ。さあ1人目来いー」
 ざわっ。
 先頭に立っていた少年の顔が一気に引きつり、後ろへと回ろうとするのを次に並んでいた子供が先頭にさせられてなるものかと押し留め、その後ろの子供も後ろで良かったような、でも染みる薬は怖いような、と複雑な表情をしながらおろおろと辺りを見回す。
 その先頭の少年の腕をむんずと掴み、にやりと人の悪い笑みを浮かべながら――薬草専門店の店員であり、また医者でもあるオーマ・シュヴァルツが軟膏を指先で塗りこんだ。びくぅっと身体を硬くしてされるがままになっていた1人目が、きょとんとした顔をする。――当然だろう、やや熱さを感じるとは言え単なる軟膏なのだから。
「痛かっただろ?」
 ばちりと不器用なウインクをし、「ほれ次ー」と次々に塗りこんで行き、最初大泣きしていた少年の番になった。さっきまでの涙は乾いていたが、意味ありげに目の前で薬を練っているオーマに再びじわーっと涙が浮かんでくる。
「泣くな泣くな、男だろ?」
 腰が引けている少年の肘に膝に、おまけに転んだ時に顔も擦ったらしく其処にも丁寧に塗りこんでいく…と、やはり想像していたよりも痛くなかったのか、涙の代わりに照れ笑いが浮かんできた。
「うむ、1人も泣かずにいたな?よしよし、それじゃ今日はもう喧嘩するなよ」
 手近な少年の頭をぐしぐしと撫でると、行って来い、と外へ押し出し…塗り薬と椅子を片付けて診療所を店じまいし、普段の仕事、薬草店での店番へと早変わりする。尤も、診療所と言っても使用していた場所は薬草店の中なのだから元に戻した、と言った方が正しいのかもしれなかった。

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「いい天気だなぁ」
 満天の星空の下、涼風に目を細めながらオーマが楽しげにぶらついている。身体にしみこんで来そうな闇色に何故だか口元がにんまりと満足そうな曲線を描く。
「くぅぅ。ここでエールでもキューッと出来たら最高なんだろうになぁ」
 そう言うオーマの足はいつもの酒場には向いておらず、大抵の人間が見上げざるをえない背をのそりのそりと動かしながら、特に目的地も無いように歩き続けていく。
 ……穏やかな夜。
 この世界へ来てからのお気に入りの1つが、このゆったりとした時間だった。以前居た場所ではこういった時間もぴりぴりとした空気からは逃れられず、常にフルタイムで『仕事』をしていた身にはとてつもない贅沢なモノに思えたものだったが。
 ――いや。この世界でもやはり贅沢な品だ。すぐ手元にあるように見えて、その実本当の意味でこの『品』を味わえる者はごく少数だろうから。
 もう一度空を見上げ、穏やかな世界の空気を胸いっぱい吸い込み、
 そして。
「酒場が閉まるのがアレ位だから…そうなると、ふむ。この程度か」
 ひと気の無い街の片隅――その場で一抱えはあるだろう銃器を、いつの間にか凍り付いていた『気』の中で具現化させ、顔中が口のようににんまりと笑みを浮かべる、と、
「仕事の後の一杯…そのくらい楽しめるように時間残しといてくれよな――」
 その言葉が合図だったように、
 オーマが――夜空を切り裂いて、跳躍した。

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「あ?何だお前ら、今日も痛い薬塗って欲しいってのか?」
 怪我をしている様子はあまり変わっていないのだが、昨日と打って変わって誇らしげな顔が薬草店の中に満ち溢れた。変わってしおらしくうなだれているのは、少年らよりも1つ2つは年上らしい体格の大きな少年。
「おうおうおう。敵討ち成功か。そりゃ良くやったな」
 胸を張るその小さな頭を次々にぽんぽん叩き、そしてオーマの奥…店の入り口にうな垂れている少年らにも声をかける。――昨日のように、井戸水で身体を洗って来い、と。
 自分らよりも身体が大きな子供たちが、オーマの例の『脅し』に本気で怯えていたのを見てすっとしたらしい。気付けばわだかまりも溶けたか、互いに倍に増えた遊び仲間と共にオーマの臨時診療所を飛び出していく後姿をにやにや笑いながら見送り、そして診療所――椅子を片付けて店じまいする。
「悪くねぇな」
 こう言った日常を普通に過ごしていく、それが報酬なら、悪くない。
 常に緊張を強いられる職場も悪いものではなかったが――目に見える場所に守るモノが在る、という現実にとってみれば充足感は比べようもなかった。
「――悪くねぇよな」
 まだ完全に癒えていない身体の傷――その痛みさえも。
-END-