<東京怪談ノベル(シングル)>
『I lost my way in the mirrorworld』
世界の法則はそれを知らぬ者にとっては、絶対なるモノなれど、
世界の法則の真実の姿を知る者にとっては絶対では無い。
例えばあなたが生きるその世界。
それはひとつ?
それが真実なる世界の姿?
絶対唯一のモノ?
あなたはそれを証明できますか?
それではイメージしようか?
この世界には世界を映すモノがある。
例えば鏡。
あるいは水面。
瞳の中に見る世界が映るが如く、この世の風景を映し出すモノ。
それは数多くあり、そのモノの数だけ多くの鏡映の世界が存在する。
しかしそれは本当に映し出されているだけであろうか?
そこにある世界と瞳に映る世界・・・あなたはあなたの瞳が真にその世界を写しとっていると確信を持って言えるであろうか?
そう、この世界には同じ世界など存在はしない。
世界の理を知る者にとっては世界は決して一つではない。
世界は限りなく無限に存在し、
そして彼女もまたそれを知る者だった―――――
合わせ鏡の中に映る無限の鏡の回廊に存在する鏡映の世界はすべてがその数だけ存在するパラレルワールド。
+
―――それを行うには『代価』を引き換えとするのですが良いのですか?
見下した嫌な物言いをする声が脳裏に響いた。
こんなのは初めてだ。
これが次元を超えるという事の意味であろうか?
あるいは自分の中にある迷いや躊躇い、恐怖に不安が作り出す幻聴とか?
亜麻色に近い金の長髪に縁取れた美貌に少女は臆する表情を浮かべた。当たり前だ。その少女、美夜はまだ齢17の少女。花を愛で、恋を夢見、愛を語り合う…未来に溢れんばかりの希望と幻想を抱く頃合の娘。
その華奢な身で世界がそこに住まう者たちに隠し抱く世の法則…理に直面するにはあまりにも精神的にも肉体的にも早すぎた。
ならばなぜ美夜は『代価』を払い、世界の法則に語りかけ、世界を渡ろうというのであろうか?
それは観察者にはわからない。だがそれは当たり前な事なのだが、当の本人である美夜の中ではそれはそれをするに充分に値する理由で、
そして人とは元来どうしようもなく弱い生き物であるが、
時には大きな意志の下にとてつもない力を発揮したり、
途方も無い事をやったりする。
亜麻色に近い金の長髪に縁取られた美貌には臆した少女の表情は無かった。
あるのは強き女の顔だ。
気高き意志の下に花は凛と咲き誇る。
「はい」
――――承りましたよ、お嬢さん。
それでは世界と世界とを分ける扉を開けましょうか。
さあ、開きますよ。
渡りの扉が・・・・・・・
美夜が見たのは巨大な鏡であった。
そこに映るのは自身の姿。
亜麻色に近い金の長髪。
それに縁取られる陶器で出来たビスクドールかのような見目麗しき白磁の美貌。
前髪の奥にあるのは強き意志を宿す深い湖のような青い瞳。
薄く形良い桜色の唇。
さほど身長も高くない標準の背をした彼女の女性らしくほっそりとした体は露出の高くない服に包まれていて、
その服を飾るのは胸元に輝く十字架のペンダント。
美夜は良く見慣れたはずのその自分の姿を…顔をじっと見つめた。
そこにいるのは本当に美しい少女であった。
おそらくはその容姿だけでも彼女には幸せに染まった未来が約束されている事を見た者ならば察する事ができるだろう。
そう、彼女は間違いなくその容姿とそして生来の気質、性格どれをとっても優れているのだから、幸せになれる要素は多く持っている。
わざわざ『代価』を払ってまで渡り…異世界へと行く必要は無い。
鏡に映る見目麗しき少女はくすっと口だけで笑ってみせた。
『ねえ、美夜。美しいとは想わない? 私達は。本当に。この容姿だけでも言い寄ってくる男どもはたくさんいるわ。何を好き好んで、住み慣れたこの世界を捨てて異世界なんかに行かなくっちゃならないのよ? 馬鹿げているわ。そう想わない。ねえ、美夜。楽しく暮しましょうよ。この世界でさ』
鏡映の美夜は卑猥に笑う。
笑いながら水面からすぅーっと手が伸びるように鏡の中から手を美夜に伸ばす。
しかし美夜は顔を静かに横に振って、そして鏡映の美夜に微笑んだ。
「私はあの人に会わなければならないから…だから渡りをするの。あの人がいるかもしれない世界へと行くのです。それは…そう、あなたが言う通りの未来を…あるいはこの世界での約束されていた未来を捨てる事になるのでしょうが、それでも私は構わない。あの人に逢いたいから。それはそうするだけの価値に値する事だから」
『価値? 価値って何よ? その人が私達に何をしてくれるのよ???』
両手を壊れた玩具のように振ってヒステリックに訴えかける鏡映の美夜に美夜は優しく語りかける。ぎゅっと両手で胸元の十字架のペンダントを握り締めて。
「してくれる、ではありません。してくれたのです。あの人は」
私は覚えている・・・・・
あの人は私の死んでしまった身体の代わりにと、自分の身体を裂き、
命を縮めながらも臓腑の幾つかを私に与え・・・命を、生きる為の時間を与えてくれた人。
だから私は・・・・・
「私は行きます。あの人がいる世界へ」
鏡映の美夜の青い瞳を美夜がしっかりと同じ青い瞳で見据えそれを口にした瞬間に、鏡の中の美夜の姿は水面に波紋が浮かぶが如くに大きく崩れ、
そして次の瞬間にはそこには何も映ってはいなかった。
そう、美夜の姿は鏡に映らない・・・・・・
――――それは世界の修正力が働いた証拠。
世界とは様々な微妙なバランスの上に成り立つ不安定な器。
その器から美夜、というモノが消えただけでもその微妙なバランスの上で成り立っていた世界はだから大きく不安定となる。最悪、その世界が崩壊してしまうぐらいに。
世界とは生き物だ。
明確なる意志を持っている。
その意志が働くのだ。
世界の崩壊を避けるために。
鏡映の世界から消えた美夜。
――――それが示す事は、不安定な世界は美夜の渡りによって起こるバランスの変化を無くすために美夜を最初からその世界には存在しなかったという事に修正したのだ。
即ちそういう事。世界に存在していないのなら、鏡に映る事は無い。
渡りのための行程の一つが今、終了した。
美夜はそっと自分の姿を映さぬ鏡に細くしなやかな指の先を伸ばした。
それは触れた鏡に。
そして指先は水面に触れるが如くに更にその向こう側に沈む。
美夜はその感触にわずかに眼を細め、そして下唇をきゅっと噛むと、足を前に一歩踏み出し、
指先から手首、
手首から肘、
肘から肩、
胸、
身体の前半分、
身体の後ろ半分、
最後に亜麻色に近い金の長髪の先・・・
と鏡の中へと入っていった。
そして美夜はわずかに髪の毛一本だけを元いた世界に残し、
鏡の中へと完全に消えた。
今となっては彼女がいた事を証明するその髪の毛一本だが、しかし鏡が消えると同時にその長い毛も、すぅーっと消失した。
その瞬間、美夜という存在は完全にその世界から抹消された。
+
風吹く草原。
緑の絨毯の上を、ひとひらの花びらが水面を走る船のように滑っていく。
さぁー。さぁー。さぁー。
美夜は風に踊る髪を手で押さえ、そこを見渡した。ここは何処だろうか?
ここに・・・
ここに・・・
ここに・・・・・・・・
――――――――――――――――――――――――――――――――此処に何?
美夜は小首を傾げた。
さらりと額の上で揺れた前髪を右手の人差し指で掻きあげて、彼女はその場に立ち尽くす。
つぅーっと青い瞳から一滴の涙が零れ落ちた。
私は此処に何をしに来たのだろう?
此処はどこだろう?
此処にはとても大切な何かがあって、
その何かは自分の前にあった幾つモノ道を捨てるに値して、
忘れてはいけない、
忘れたくないモノであったのに、
なのに・・・・・・・
美夜は顔を両手で覆って、
その場に泣き崩れた。
華奢な肩が小刻みに揺れる。
長い髪が、彼女の顔を覆う。
手の指の隙間から零れ落ちる水の珠は、
鮮やかな緑の上に落ちて、
大地に染み込んでいく。
渡る風は静かに美夜が漏らす泣き声を、
その世界に運ぶ。
美夜は泣いた。
哀しかったから。
何が哀しいのか?
忘れたくなかった。
忘れたくはなかった・・・・
忘れてしまった事を忘れてしまいたくはなかった・・・・
思い出したい・・・・・・・
今指の隙間から砂時計の砂のように少しずつ零れ落ちていく大切な忘れたくないモノを繋ぎ止めたい。
ああ、だけどそれは叶わない。
美夜の中からそれは薄れていく。
微笑む彼は誰だろう?
茶色の髪に、紫の瞳をした優しげな微笑を浮かべる・・・・・青年・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
美夜は小首を傾げた。
「私はどうして泣いているのだろう?」
美夜は小首を傾げる。
さらりと揺れた髪は、涙に濡れた頬に数本が貼りついた。
彼女は歳の頃よりも幼い娘のように手の平で涙を拭き、指で乱れた髪を梳いて、立ち上がった。
肌に当たる風は優しかったが、しかしその感触がまるで自分を憐れんでくれているように感じたのは果たして気のせいであろうか?
――――――美夜は真剣にそれを考えたが、しかしそれに思い当たる節は無く、だから彼女は考えるのをやめた。
歩いていく。草の上を。靴を脱いで、脱いだ靴は両手で持って、草の上を歩く。風に髪を躍らせて。
その裸足で歩く美夜の足にころころと転がってきたボールが当たった。ピンクの色のキャンディーボールだ。
そのキャンディーボールを見て、美夜は想った。そう言えば昔はよく二人で一緒にキャンディーボールで遊んだな、って。
二人、で?
―――――誰と誰が・・・・・
思考は泡のように浮かんだ疑問符に溺れる。
頭がずきりと痛んだ。
美夜の中で何かが打ち震える。
まるで卵の中でヒナがその硬い殻の向こうにある世界を想い打ち震えるように。
想い出して、美夜
誰かの声が聞こえた。
美夜はそちらに視線を向けた。
大きな樹。
枝がぱぁーっと広がって、
その樹の陰の下では馬や羊、サルにライオン、犬に猫、様々な動物たちが身体を丸めて眠っていた。
そしてそんな動物たちと一緒にいるのが白いワンピースを着たひとりの少女。
麦藁帽子をかぶった少女の顔は影に隠れていてよくわからなかった。
それでも彼女の唇の動きが読めた。
想い出して、美夜。あなたはこっちに来てはダメよ。
想い出す?
想い出すって、
何を????
美夜はそれを教えて欲しいと想った。
それは願ってはダメな事なのであろうか?
わからない。
美夜は再び幼い子どものように青い瞳から涙を流しながら頭を横に振った。
苦しかった。
とても。
とても。
とても。
美夜は足に当たって止まったキャンディーボールを両手で拾い上げた。
そして麦藁帽子の少女に懇願する。
「そっちに行ってはダメ?」
その時に強い風が吹いた。
少女がかぶっていた麦藁帽子が飛ばされ、
腰まである銀色の髪がなびく。
その髪の隙間から見えた少女は、
ほんの一瞬だけ美夜をものすごく哀しそうに哀れむような表情をし、
そしてその次に怖い夢を見た、と言って布団の中に潜り込んできた我が子を見つめる優しい母親のような表情をして、
こくりと頷いた。
「良いよ。こっちにおいで、美夜」
「はい」
美夜は少女と一緒に樹の陰の中で座った。
だからと言って二人でおしゃべりをしている訳でもなかった。
ただ静かに二人一緒に並んで座っていた。
とても静かで心地良い場所であった。
そこはそういう場所だ。
何も考えずに、
何も想わずに、
何にも苦しまずに、
ただそこでそうしていれば良い場所。
意志などは必要としない。
過ぎていく時間を哀しむ事も無い。
そこは永遠と言う名の楽園。
一切の苦しみから解放された場所。
あるいは人が望む場所。
あなたが望んでいた場所は其処なの?
「どうしたの?」
「いいえ、何でもありません」
「そう」
美夜は小首を傾げた。少女がまたとても悲しげな表情をしているから。
「麦藁帽子、飛んでいってしまいましたね」
それが飛んでいった方向を青い瞳で見てみる。
隣で少女がくすっと笑った。
それを不思議に想って、美夜が見ると、
少女は先ほどのように麦藁帽子をかぶっていた。
「どうして?」
「此処は楽園だから。だから願えば何でも手に入るの。二番目のモノから」
「二番目のモノから?」
「そう、二番目のモノからよ。あたしが望むこの麦藁帽子は一番目のモノではないから、だからこうしてまたあたしの頭にあるの」
「じゃあ、一番目に望むモノは何なのですか?」
そう訊くと少女は、ただ純粋無垢に微笑んだ。恐怖も哀しみも、喜びも怒りも無い…ただただ笑う、という行為を実行しただけの微笑み・・・表情・・・・・
「忘れてしまったわ、それは」
「・・・」
「二番目のモノは覚えている。それ以降のモノも。だけど一番望んでいたモノは忘れた。それはあたしだけではないの。ここにいる皆がそうなのよ。皆、かつては望むモノがあった。それを必死に追いかけていた。だけどそれはとても苦しいことなのね。うん、そう当たり前よね。だって一番に望む物なのだから、簡単に手に入る訳が・・・容易に自分がそれにとどく訳が無いのよ。だからその悲しみが苦しみが・・・弱さが此処に・・・楽園に囚われてしまった」
少女の白く小さな手が美夜の頬に触れた。
「ねえ、美夜。そう言うあなたが一番に望むモノって何?」
青い目を見開く美夜。
望むモノ・・・
望むモノ・・・
望むモノ・・・
私が一番に望むモノって、何?
「じゃあ、質問を変えるわね。ねえ、あなたが覚えているモノの中で一番に大切なモノって何? ああ、それを望むモノと考えてはダメよ。そう考えた瞬間にそれはあなたの手の中から零れ落ちてしまうから。イメージするのは一番大切な記憶」
イメージするのは一番大切な記憶―――――
ありますよ。
覚えていますよ。
それはとても優しい手の平の感触。
眠る私の頭を優しく撫でてくれる。
温かな声。
ああ、そうだ。あなたは、病弱な私を励まし、一晩中ですら傍らに居てくれましたよね。
それはとても温かで優しい記憶。
とても
とても
とても
大切な。
あなたはとても優しい人。
私の大切な人。
私の大切なあなた。
ああ、だけど私は同時に知ってます。
あなたがとても苦しんでいる事を。
あなたは私に謝っていましたよね、
私を生かした事を。
辛い想いをさせてすまないと苦しんでいましたよね。
そう、だから私は望んだのです。
願ったのです。
美夜がそれを想った瞬間、彼女の周りに存在した世界に亀裂が生じ、そしてその隙間から黒い霧状のモノが彼女に向かって伸びてきて、
彼女の細い身体を縛った。
そしてそれは再び美夜から【それ】を奪い取ろうとする。
だけど美夜は恐れなかった。
願った。
強く。
強く。
強く。
もうあの人の事を忘れたくないと。
またあの優しく自分に微笑みかける顔を見たいと。
「・・・ぁ。・・・・・・・さまぁ。・・・・・・・・・・・・・・・兄ぃさぁーまぁー」
美夜があらん限りの願いを込めてそれを叫んだ瞬間、彼女は第二の関門を越えた。
彼女は渡る。
新たなる異世界ソーンへと。
美夜は草の上を歩いていく。
そして樹に触れる。
幹に触れ、そしてその境界線上の向こうへと行った指はソーンへと先へ行っている。
美夜は麦藁帽子の少女を振り返り、そして微笑んだ。
「ありがとうございます」
少女は静かに顔を横に振り、
微笑した。
「逢えるといいね。お兄さんに」
「はい」
そして美夜はソーンへと旅立った。
+
渡りのために私は世界の法則に語りかけて、
そしてこの異世界ソーンに来た。
そのために支払った代価は
――――視力―――――
と
――兄様の記憶――
だけどそれでも構わないのです。
私が兄様に出逢えれば。
今も苦しんでいる兄様に私が出逢う事が出来れば、
そうしたら私は兄様を助けてあげる事ができるから。
だから何時か逢いたくって、
逢えると信じて、
今日も私はこの世界を旅するのです。
― fin ―
**ライターより**
こんにちは、美夜さま。はじめまして。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
素敵なプレイングをお寄せくださってありがとうございます。
最初にプレイングを拝見させていただいた時には僕などがこんなにも綺麗な物語をさせていただいていいのであろうか?という想いで一杯でした。
それでもそれ以上に、プレイング、そして美夜さんの設定などを読み、書きたいと思える物語がすぐに浮かんできて、すごく嬉しかったのですけどね。はい。^^
寄せてもらったプレイングに込められた優しさ、それを一番に表現できるようにと想いましたのはもちろん、同時に描写しなければいけないと想ったのは美夜さんの強さです。
兄様を大切に想うからこそ生まれる彼女の強さ、それが一番の魅力であり、書きたいと思えたモノでした。
そういう意味から今回のストーリーは生まれたのです。
いかがでしたでしょうか?
お気に召していただけていたら幸いでございます。
僕も、少しでも早く美夜さんが、兄様に会える日を祈らせていただきますね。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきます。
美夜さんにとって一番重要だとも思えるシーンを任せていただき、本当にありがとうございました。
また機会があれば再会できるのを楽しみにさせていただきます。^^
それでは失礼します。
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