<東京怪談ノベル(シングル)>


「小さな村にも日は暮れる」

-1-

「ねぇねぇ、ウォズって凄く恐いんでしょ? おれ母ちゃんから聞いたんだ」
 たった今治療を施し終えたばかりの少年が、短く刈り込まれた茶髪を撫でまわしながら、オーマの袖をひいた。
「あぁん? そりゃお前ぇ。それこそピンからキリまでいらあな」
 豪快な笑い声で少年に返事をすると、オーマは次に並んでいる子供の膝に薬草を塗りつけた。
薬草を塗りつけられた子供もまた少年だ。二人共に年のころは十を数えたばかり。
つまらないことが原因で、取っ組み合いの喧嘩をしてきたのだと告げる子供達の怪我を処置してやりながら、
オーマ・シュヴァルツは紅蓮の瞳に笑みを浮かべたままで、少年の膝に包帯を巻いていく。
「イテテテ。この薬痛いよ」
 包帯を巻き終えた少年はそう言うと大袈裟に膝を抱えてみせ、ぴょんぴょんと片足で跳ねまわった。
「阿呆。良薬口に苦しっつう言葉を知らねぇのか? ちっとしみるくらいのほうが、薬も効いてらあって気になるだろうがよ」
 ぴょんぴょんと跳ねまわっている少年の背中をドシンと押しやって笑い飛ばすと、オーマは薬草だのをしまってあるカバンの蓋を閉めて、大きな欠伸を一つ。
「おれな、おれな、デカくなったらオーマみたいに強くなって、悪さをする奴らをふっとばしてやるんだ!」
「おれも。おれらデカくなったらコンビを組んで一緒に仕事するんだ!」
 悪びれない元気な口調。
 オーマは立ちあがってそんな子供達を見下ろすと、うんうんと首を縦に振ってみせる。
「そうかそうか。そんならお前ら、母ちゃんの言う事はちゃぁんと聞いて、食って遊んでよく寝ろ。
家ん中に篭ってるようなモヤシじゃ、一回パンチを食らったらあの世まで飛んでっちまうからな」
 子供達の輝く瞳を頼もしげに見つめ、オーマはもう一つ大きな欠伸をしながら伸びをした。

 伸びついでに仰ぐ空はのどかに晴れ渡った青。
仕事の途中で立ち寄った小さな村は、地図にも載っていないような少数民族が集っている集落。
あちこちに掘っ立て小屋のような家屋が屋根を並べ、行き交う人々は皆屈託ない明るさを持った顔ばかりだ。
背筋を伸ばすことで、ただでさえ大柄な体躯のオーマの体がさらに大きくなる。
 彼を囲む子供達はいつのまにか数を増やしていて、それぞれが口々にオーマの武勇を訊いてきている。
「ウォズって皆悪いやつばっかりなの?」
「ウォズにも母ちゃんとか父ちゃんとかいるのかな」
「ウォズの話を聞かせてよ」
 
 口々に問いてくる子供達の声に、オーマは満面の笑みをもって応じてみせる。

「おうおう、お前ぇら。実は俺の耳は右と左にきっちり一個づつしかついてねぇんだ。だからそんなに
一度に話しかけてきても一度に全部は聞き取れやしねえんだよ」
 豪快に笑いながら自分の足下に群れている子供達の小さな頭を順に撫でまわすと、オーマはその場にどっかりと
腰を下ろし、目許にニンマリとした笑みをたたえる。
「毎度毎度どうしようもねぇガキ共ばっかりだな。――おっしゃ、じゃあ今日もいっちょ聞かせてやるか」
 
-2-

 それはなかなか止まない雨が、鬱陶しく首をうなだれている灰色の雲から飽きもせずに落ちてきている。そんなある日の午後の事だった。 
――魔の森――
 あまり好ましく思われないような呼び名をつけられている森の奥に、ウォズの群れが現れたという報告を受け、オーマはたった一人で現場へと向かった。
 それは森の中に踏み入った者を脅すだけで殺しはしないというそのウォズの話を聞き、ひどく興味を持ったからだった。

 被害者を一人も出すことなく――もっとも、逃げる途中で勝手に怪我を負った者はいるとのことだが――、ただ森に住んでいるだけのウォズ。
ウォズの中にはごく稀に、そういった攻撃性の少ない存在もいるのだ。
 
陰鬱とした雨に濡れた葉が、風もないのに揺れている。
「……どうにもしみったれたところだねぇ」
 小さな舌打ちと共に吐き出した言葉は、生い茂るブナの原生林の中に吸い込まれて消えていった。
ぬかるんだ足下は歩くごとにオーマの足をすくいとっていく。
視線を空へと向ければ、森への侵入者を追い立てるかのように、怪鳥の群れが金属音のような泣き声をとどろかせる。
その群れからわずかに離れて飛んでいる鳥に視線を向けて眉根を寄せると、彼は背中に負っている銃器をヒョイと持ち直した。
体長2メートルをゆうに越す身丈を誇る体躯の持ち主であるオーマを、さらに追い越すほどの巨大な銃器。
それはオーマの精神力を具現化して生み出したものだ。おそらく――いや、間違いなく彼以外の者の手には扱うことは出来ないだろう。
 
 傘もささずに歩いてきた体は頭から足までずぶ濡れになっている。
顔に張りつく黒髪を片手で持ち上げると、その下から獲物を捜し求める獣のような眼光が赤い輝きを放つ。
そしてその視線を、さっき怪鳥が飛び去っていった方向に向けなおして銃器を構える。
かなりの重量があるだろうと思われるそれを軽々と持ち上げ、大砲のような弾薬を放ると、雨空の下に眩い一閃が駆け巡った。
 殺傷を目的としたのではなく、対象の目を眩ませて捕獲のタイミングを作りやすくするための閃光弾。 
確かな手応えを感じてメガネの下の瞳を緩める。そして空から墜ちてきたそれの傍まで近寄ると、小さな溜め息と共に言葉を紡いだ。

「お前ぇがこの森に家ぇ持ったっていうヤロウか?」
 泥の中でうごめくウォズは、羽を広げれば3メートルほどには達するのだろうかという大きさだった。
鷹の翼に犬のような顔が二つ。尾は弱々しいながらも火を吹く蛇だ。
「――? お前ぇ、ヤロウじゃねえのか」
 オーマの問いに、ウォズはわずかに顔を持ち上げて唸り声をあげる。

 形こそよく見かけられる魔獣のそれをしているが、こうして目の当たりにしてみればその違いがよくわかる。
 自分がウォズであると見破った男がヴァンサーであると悟ったのか、怪鳥はその姿をゆっくりと霧散させて、オーマの目の前で人間の女へと変化してみせた。
一糸まとわぬ裸体をさらした女の姿をとったウォズは、オーマを見上げた切れ長の瞳をさらにつりあげて睨みつけてきた。
「貴様も我が命を脅かすというのか」
 ウォズの声はかすかに震えながらも、凛とした響きを確かに持っている。
オーマはその問いを笑い飛ばして一蹴すると、女の目線の近くまで腰を落として口の端を歪ませた。

 長く伸びた髪はハニーブロンド。肌は浅黒く、オーマを睨みつけている瞳の色は黄金。
 オーマはウォズの体を隅々まで眺めると、ゆっくりと上着を脱いでその裸体の上へと被せてやった。
「お前ぇも女の姿に変態するってんなら、ちっとは恥じらいってもんを学習しやがれ。それとも俺みたいな
男をどうにか上手く惑わしてたぶらかそうって腹かい」
 そう言い終えて豪快に笑い声をあげると、オーマは赤い瞳を緩ませて言葉を続ける。
「残念だがなあ。俺ぁ妻子持ちでなぁ。余所で女に手ぇ出したとあっちゃあ、女房が黙っちゃいねえだろうからよ」
 大袈裟な嘆息をわざとらしくついてみせるオーマを、ウォズは訝しんだような目で見上げている。
「…………私を殺さないのか?」
 ウォズの瞳は緩められることなくオーマを睨みつけている。
「俺ぁ不殺主義なのよ」
 自分を睨みつけてくる黄金色を真っ直ぐに見据えて、
「――お前ぇこそ。俺を殺さねぇのかい?」
 言葉を続けて訊けば、ウォズはのろのろと立ちあがってオーマの上着を体にまとった。

 華奢な体躯。――しかし、オーマはウォズの腹を見とめ、改めてウォズの顔を見やった。
「お前ぇ……子供孕んでやがるのか」
 その言葉を告げた途端、ウォズは表情を攻撃的なものへと変化させて金切り声をあげた。
「私の子供には誰だろうと指一つ触れさせない! 早々にこの森を立ち去れ!」
 その絶叫が木霊となって森の隅々にまで行き渡ったのか、森中の獣が逃げ去っていく音が聞こえてくる。
 オーマは泥の上に中腰をとったままでウォズの目を見上げ、宥めるような口調でゆっくりと告げた。
「子供ってぇのはいいもんだ」
 告げた言葉にウォズが驚き、目を見張っているのを確かめてから、オーマはゆっくりと立ちあがる。
「自慢なんだが、俺の子供はそりゃお前ぇ、可愛くって可愛くってなあ。こう、拗ねた口調もたまらねえんだ」
 胸ポケットから銀細工の小さなペンダントを取り出して蓋を開き、中にしまってある娘の写真をウォズに見せびらかす。
しかし降り続けている雨の雫が写真を汚してはマズいと、ペンダントは開いてすぐにまた閉じられる。
「お前ぇが森に入ってくる奴を脅してたのは、子供を護るためかい?」
 問いを続けると、ウォズはようやく瞳を緩ませ、両手で腹を庇うような姿勢をとった。
 
 ははぁん、なるほどな。

 楽しそうに笑って呟くと、オーマは背中に負ったままの銃器を消して頭を掻いた。
「――この森の入り口んところに、小さな集落を作ってある。そこはお前ぇみたいなウォズが人間に化けて暮らしているところだ。
……この森には魔獣もうじゃうじゃいることだし。どうだ、お前も森を出てそっちで子供産んで暮らしてみねえか?」
 言いながら口の端をもちあげて笑みを作るオーマの顔を、ウォズは再び訝しげに目を細めて見つめた。
その目は、しかしさっきよりも幾分か和らいでいるように思える。

 雨が勢いを弱め、灰色の空は端のほうから緩やかなスピードで青空を見せ始めていた。


-3-
 
 そこまで話してから水筒の水を口に運んだオーマを、周囲に群がった子供達が無邪気な笑顔をもって見つめている。
「それで? それでその女ウォズはどうなったの?」
「そのウォズが集められてる場所ってここから近い?」
「すげぇー。おれ、今までウォズってどれも殺しばっかりやってるのかと思ってた」
 一人が筆頭となって口を開くと、それに続いて集まっている子供達が口々に思いの丈を述べ出した。
 水筒の蓋をしめて口を拭うと、オーマは村中に響き渡るような豪快な笑い声をあげて膝を叩いた。
「おうおうおう、さっきも言っただろうが。俺の耳はきっちり一対しかついてねえんだからよ。お前らの話は一度に聞き取れやしねえのよ」
 笑いながら立ちあがり、暮れてきた空を見上げたついでに首を鳴らす。
服の裾についた土ぼこりを払い落として子供達の頭を順番に撫でまわすと、オーマはゆっくりと足を進めた。
「ウォズだろうが人間だろうが、悪さを好むやつもいればそうでない奴もいるってことさ。だから、いいかあ?」
 歩き出した自分の周りを取り囲み、次に出てくるオーマの言葉を待っている子供達の目を見つめて笑みを浮かべる。

 どれもこれも、未来に希望を持っている。――良い目をしてやがる。

「お前ぇらがデカくなって俺みたいになりてえってんなら、母ちゃんや父ちゃんの言う事をちゃぁんと聞いて、
飯食って喧嘩して遊んで、夜になったらクソして寝ろ。喧嘩のやり方くらいなら、俺がいくらでも教えてやらあ」

 子供達の歓声が村中に響き渡る。
オーマの言葉に子供を迎えにきた母親の一人が口を挟む。
「ちょっとオーマ。子供らがアンタみたいになったらどうすんだ。このイロモノ親父が」
 
 腰に両手を据えて仁王立ちに立っているその女を見やり、オーマは瞳をゆるりと細めて首をすくめた。

「おうおう、おっかねえ母ちゃんが迎えに来やがった――さあ、もう家に帰れ。飯食って寝ちまえ」
 そういって膝に包帯を巻いた少年と、その隣にいる少年の背中を軽く押しやる。
――軽く。ポンと押しただけだったが、少年達は前のめりになってすっ転び、膝や肘に新しい傷を作った。
「いてぇ、いてぇよオーマ」
 少年が二人同時に苦情を口にして立ちあがり、コノヤロウと言って笑いながらオーマの体を叩いてくる。
それを受けとめて流しながら、オーマはもう一度空を見上げた。

 よく晴れ渡った、雲一つない夕焼けの空を。


end


**********

オーマ・シュヴァルツ様

今回はシチュノベを発注くださいまして、まことにありがとうございました。
ソーンは未だ未開の土地でありましたので、とても唸りながら構想などを練らせていただきました。
オーマ様の設定等も目を通したつもりですが、それでも万が一設定と異なるような箇所が
ございましたら、どうぞ遠慮なくお声をくださいませ。

正直、とても難しかったです。ですが、これを機にソーンへの進出を考えてみようかとか
思い立ったりしましまし、とても良い機会を与えていただけたと、感謝の念しきりです。
本当にありがとうございました。

オーマ様のような性格設定の方を書くのは(私には)あまりないことでもありました。
難しくはありましたが、とても面白く書かせていただくことが出来ました。
願わくば、この作品がオーマ様のお気に召していただけますように。

それでは、また機会がありましたら、お声かけなどお待ちしております。
今回はありがとうございました。