<東京怪談ノベル(シングル)>
地獄の三分間クッキング
「いやー、いやいや、なかなかにうまかったぜ」
オーマはにやにやと笑いながら、カウンターの奥にいる青年に話しかけた。
目前には綺麗に食べ尽くされて空っぽになった皿が幾枚も重ねられている。
オーマは満足げに皿を一瞥した後、席を立つ。不思議な事だとオーマは感じる。これだけ美味しい料理を作る店なのに、昼時にオーマ以外に客はいないとは。
一五人分程度の席が用意された、やや広い空間には木の香り漂う。切りかぶの形をした椅子に、丸太を並べられて造られた机は素朴さを感じさせた。
「まっ、カミさんにしごかれ……いや鍛え上げられた料理の腕前にはちーっと届かなかったがね。まぁ、また来るぜ、暇があったらな」
にやにやと笑みを零し、オーマが戸に手をかけた。
「……料理に自信があるようですな?」
初めて青年が口をきいた。若く、下手すれば女に見違えるような外見にしては渋い声音だ。
「あん?」
そこでオーマは気付いた。戸がかたく閉ざされている。押しても引いてもびくともしない。
「な、おいおいおい、どうも面白いことになってきたみてえだな」
「ならば、お付き合い願いましょうか」
「へッ、戦るってのか……っておい」
青年は自分の表皮を剥ぎ取り、更にその場にて一回転して服装を変化させる。既にそこには女のような青年は存在せず、白い髭に顔四方覆われた老人が、これまた白い着物姿で立ち尽くしていた。
いつの間にやら、周囲に割烹着を着ている使用人が拍手しながらオーマと老人を取り囲んでいる。
包丁を手に老人は声高々に叫んだ。
「このワシとザ・どっちの料理が美味いでSHOWじゃ!」
「……なるほど、これが客のいなかった理由かよー。かーッ、やられたぜ」
オーマは顔を手で覆い、天井を一つ振り仰いだが、すぐに老人を真っ向から見据えて不敵な笑みを浮かべてみせる。
「ま、面白そうだからいいけどな」
「で、じいさん、ルールを説明しやがれ」
カウンターの前に用意された料理素材を目にして、オーマは軽く笑んだ。
「何、簡単よ。そこにある材料を使って料理をするだけだ。何品でも可。じゃが」
老人は口の端を引き攣らせた。
「……三分以内でな」
「三分以内だと――ッ!?」
オーマが驚けば、その顔が気に入ったのか老人は甲高く笑った。
「カミさんにしごかれた割には意気地のない」
「しごかれたんじゃねえ、鍛え上げられたっつーってんだろ!」
それに、とオーマは付け足す。
「別にびびったわけじゃねえ。面白くなってきたんでつい、な」
「ふん、ならば!」
老人は包丁を頭上に掲げた。
「貴様のカミさんにしごかれた腕、ワシに見せてみろ!」
「だから、しごかれたんじゃねえって言っているだろうが!」
オーマは叫ぶと、食材を吟味しようと目前を睨みつけ――
ふと、気付いた。
「そういや、誰に食わせるんだ? 審査員はあの使用人か?」
「いや、あれ飾り」
「何だと――ッ!」
「食すのはワシじゃ」
「おまえかよ!」
「ちなみにワシが作った料理を食べるのもワシ」
「勝負になんねえじゃねえか!」
老人はこくりと首を傾げ、オーマの肩をぽんと叩くと。
「勝負に私情は不要じゃ」
「じいさんが思いきり私情含んでいる気がするが」
オーマは嘆息する。
「ま、じゃあじいさんの作った料理は俺が食ってやる。それでいいだろ?」
「仕方ないのう」
「んじゃ、始めますか。まぁ見てなって。だてにカミさんのせい……いや、おかげで家事全般磨いていたわけじゃないんだからよッ」
オーマは袖を捲り上げると、包丁を手に取った。
(じいさんの食べるものといえば)
オーマはふと、自分の妻の顔を思い出した。妻にはどういう時にどういう料理を作っていたか。記憶を手繰り寄せて、老人の好みそうな料理を探してゆく。
(意外と難しいなぁ、こりゃ)
三分間という問題は、ちなみにオーマは困難だとは思っていなかった。具現能力で下ごしらえを済ませれば、さして問題はない。煮たり焼いたりするのも具現能力でいじらければいけないが、一番の要となるのは味付けだ。これだけはオーマの経験と工夫でこなさなければならない。
――自信はある。
(よし、うまいもの食わせてやるからな、じいさん!)
オーマはふ、と口元を緩めた。
「はい、三分終了――ッ!」
使用人の弾んだ声が部屋中に響いた。
「俺の方はばっちりだぜ。さて、じいさんは、と」
そういえば、とオーマは思う。老人は奥の方に引っ込んでカーテンで部屋を仕切って、料理を作っている状況を一切オーマに見せようとはしなかった。
(はは、秘伝ってわけか? 燃えるねぇ)
オーマがカーテンで仕切られている場所をにやにやと見ていると、老人がカーテンを払いのけて中から出てきた。ゆっくりと重い足取りでオーマに近づく。
両手には、清潔感溢れる白いハンカチで隠されたお椀を抱えていた。老人の瞳は自信に満ち溢れていた。
「ほお、完了したようじゃな」
「当然だ。この俺にかかれば三分間なんつー制限時間なんか目じゃねぇよ。それに俺には」
オーマは拳をかたく握り締め、力こぶを老人に見せつけた。
「長年培われてきた幸せっつーか、笑顔っつーか、壮絶で命がけだが、それでも充実していた日々で磨き上げられた料理の腕っつーもんがあるから」
小さく笑った。
「絶対負けねぇぜ?」
「ふむ。幸せ、か」
老人は小さく頷くと、真摯な眼差しをオーマに向けた。
「ならば先に、貴様の食事を食させて頂こうかの」
老人はお椀をテーブルの隅に置くと、自分は傍にある椅子にかけた。しばらくして、机の上に料理が一品置かれた。
小さめのお椀に盛られた量は、それほど多くはない。だが、湯気はふんわりと料理を包み、優しく飾り立てる。
肉じゃがだった。
「ふむ。三分間で、か」
老人は箸を手にして、一口、口に含んだ。
老人は目を閉じた。頬が僅かに揺れ動き、味を噛み締めているのが見て取れる。
「どーだ?」
オーマが尋ねれば、老人は静かに頷き、ゆっくりと目を開けた。
「……うまい」
「そうだろう、そうだろう! さて、じいさんの料理はっと?」
老人は箸を置いて、じっとオーマを睨み据えている。先ほどまでの人をからかうような表情はどこにもない。凍えるような視線を向けてくる。
「……おぬし、ヴァンサーじゃな」
オーマは僅かに眉をひそめて慌てて答えた。
「ま、待ってくれよ、いきなりシリアスな展開に持ち込まれても困るというか、確かに、そうだが、てか、それがどうしたって……じいさん、まさか」
「ああ、わしはウォズじゃ」
「ちょ、ちょっとま」
「まぁ、待てヴァンサーよ。わしは人をどうこうしようとは思ってはおらん」
老人はゆっくりと首を振った。言葉を続ける。
「いやの、ここに来てわしは、その目覚めたんじゃ」
「何に」
「料理に」
「ぶっちゃけたな、おいおいおい」
オーマが苦笑すると、老人も少し表情を緩ませた。
「料理はええのう。自分で作って相手にも与えて、美味しければ人は笑顔を見せて」
ふ、と満面の笑顔を浮かべた。
「わしは料理が好きじゃ」
「俺も料理が好きだ」
二人して微笑み合う。
「……そうじゃなくて、じいさん」
オーマが真顔に戻すと、老人は微笑んだまま言った。
「三分間でわしを超える料理に出会った。もう思い残す事はない」
ゆっくりと言葉を続ける。
「封印してくれんかのう」
事を終えて、静まり返った空間をオーマはちらと見つめた。
あれだけいた使用人が一人もいない。使用人と老人で一つのウォズだったのだろうか。今となっては知る術もないが。
と。
白いハンカチが被ったままのお椀を見つけた。
オーマはさっとハンカチを取り除いた。
そこにあるものを見て、オーマは肩を落として頭を抱えた。
「おいおいおい、まじかよ」
そこにはお湯を注げば三分間でできあがる、カップラーメンがあった。
「いやでも、あのじいさん最後まで最高だったなー」
爽やかな笑顔をしたまま、オーマはカップラーメンを手に取ると。
「今日は楽しませてもらったぜ、じいさん。機会があればまた遊ぼうな」
手を振り立ち去りながら、そんな嘘を口にした。
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