<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


幸せへの、花束

<オープニング>

 白山羊亭。
 そこには様々な依頼が張り出されているが、中には
 招待状…もとい、案内チラシのようなものも掲示されていたりする。

 今回はブライダルシーズンに合わせてブーケを作るべく花園へと赴く、と言うもの。
 だが少しばかり違うとすれば。

「……誰かへの想いを書いた手紙を持参の事?」
「そう、それとそのことに対して自分が10年後どうなってるかと言う想いも一緒にね?」
「……この手紙って何処かに置いて来るの?」
「勿論! 想いを忘れないためにするものだから花園の近くに置く場所があるのだけど
その場所にしまって来るのよ」
「へえ……10年後に対してと大事な誰か、への手紙か……」

 良ければ、どう?
 問い掛けた唇が楽しそうに微笑の形へと変わった。


<貴方へと>

「ふーん……大事な人へねえ……」

 呟いて、神名は、どうしようか考え込んだ。
 もしかしたら、柄ではないかもしれない。
 いいや、言ってはいけない思いなのかもしれない。

 だが――……。

 吐き出せる思いがある場所が在ってもいいのかもしれない。

 何故か素直に、そう思え……ルディアへと神名は「俺も行っても大丈夫かな」と問いかけた。
 ルディアは、その問いに笑い……
「駄目な人、なんて居る訳無いと思いますよ。そうですね、強いて言うのであれば――」
「うん?」
 神名が身を乗り出し、訊いてくるのを、こつんと突付き、
「大事な人が居ないのに行きたがる人じゃないでしょうか?」
 と、言葉を締めた。

 思わず知らず、堪えても出てしまう笑いが口の中から出、神名は笑わないように自分で自分の身体を抱くように問い掛ける。

「じゃ、じゃあ…行かせて貰おうかな…日時は、6月なら何時でも良い訳?」
 そう言いながら、再び用紙を、じっと見つめた。
「ええ、多分大丈夫だと思いますよ。綺麗なブーケ、造れると良いですね♪」
「ん、そうだなあ…けど、とりあえずは……」

 手紙だな。
 ぼそっと呟く言葉は、誰の耳にも届くこともなく――床に、落ちた。


<言葉、紡ぐ>


 ――もう、6年になるんだな。

 心向ける相手との付き合いは、あっという間に年数が過ぎた。
 あっという間に、というと可笑しいのかもしれない。
 けれど神名にはこれ以外に言う言葉も無く、相手へと思いを馳せる。

 外からは……夏を告げる虫の聲(こえ)。
 涼やかに涼やかに鳴り渡り歌う声に、昼には消して聞くことの出来ぬ何かを思う。

 日陰者。

 言葉は悪いが、こう言う言葉が在る。
 光の世界では生きられず、寧ろ日陰の中でのみ、息をすることを許された存在。
 いや。
 そうではなく、そうやって生きることを強いられた存在も含めて。
 全てを内包し、押し黙り、尚、陽のある場所へ出られぬ事の者を、そう言うのだ。

 貴族の隠し子として生を受けた、青年は、そのまま日陰の暮らしを否応なく強制された。
 無論、家の事情もあるだろう。
 体裁も悪い。

 とは言え――何故、と。
 そう。
 いつも疑問と共に浮かぶのは、この一言だ。


 何故、彼は生まれ生きてこなくてはならなかったのか。


 国を追放されてまで、何故、彼を生かすのだろう。


 そして、その様な境遇の中でさえ。
 彼は、微笑う。
 生きている限りは、と言いながら、神名の前を歩き続ける。
 時には、神名の事を心配するような言葉さえ呟きながらも。

『…それは…違うだろう?』

 心配されるのは俺じゃない。
 本来なら、俺が前を歩く筈なのだ。
 護るのが仕事なのだから、何時でも前を歩いていなければならないのは――気遣いの言葉を紡ぐのは。

(俺の筈なんだ……)

 なあ――そうじゃないか?

 言いたいのに、言えずに、この言葉を背へと投げて。

(口にすれば、この想いは壊れてしまうだろうか――……)

 壊れないように。
 ただ、密やかに咲く花を見つめ続けるように、神名は走り書きのように一言のみを。
 便箋へと書き綴った。

 …この言葉しか、彼に言える言葉は、見つからなかった。



<曇り空>

 生憎の曇り空に、神名は忌々しげに舌を打つ。
 湿った空気が、一瞬口の中にも入るようで、やたらと憂鬱になる……もしかしたら。

(…雨が降るのかもしれない……)

 この様な曇り空なら、いっそ雨が降ったほうがどれだけマシか。
 ぬかるんだ道の中、歩いて少しでも迷いが晴れたなら。

 …だが、空は曇り空のまま神名が望む雨を降らせてくれる気配は無く……もう一度だけ、神名は強く舌を打つと部屋を後にする。
 風が、神名の後ろ姿を追い立てるように、強く、吹いた。


<花園>


 花園までの道はそれ程、遠くはない。
 けれど近いという距離でもない。

 微妙な、距離。

 疲れそうでないのに疲れ、また疲れているのに行けそうな…そう言う、距離。
 夏だからだろうか。
 不思議と、曇っている筈なのに夏草の青さが、瞳に染みた。

 踏みしめると、土に混じって優しい匂いが鼻腔をくすぐり……、それと同時に、花の香りが届く。

 ――どうやら、着いたようだ。

 神名は一人呟き、花園の門をくぐると、夏、特有の鮮やかな色彩が瞳に飛び込む。
 更に、其処から一人の青年の姿も浮かび上がる。
 花で見えていなかったのだろうか、いきなり湧いて出たような青年に神名は戸惑いを覚えつつも、彼へと会釈を返した。
 穏やかな微笑が、青年の表情に浮かぶ。

「いらっしゃいませ。今日は何の御用でしょうか?」
「いや、白山羊亭でチラシを見たんだが……」

 皆まで言わず神名は、用件を伝えると、ああ、と青年は呟き、
「では、まずブーケを作りましょうか。手紙はそれからお預かり致しましょう」
 踵を返し「こちらですよ」と神名を手招きした。
 何が何だか解らぬままに付いていくと、彼は更に驚愕することを神名へと、さらりと言う。
「どの花を使われても結構です。どう言うものを作りたいかも。ですが、一応造れるものとして。通常のタイプが一番無難ではありますが…リースタイプの物でもいいですし花籠タイプで在ってもブーケ、と呼ばれます…何方に贈るか、考えつつごゆっくりと選んでくださいね?」

 にっこり。
 そんな音が聞こえるような笑顔を向け「選べたらら声をかけてくださいね」と言わんばかりに芝生へと座り込み本を読み始めた。
 …成る程、湧いて出たような気がする筈だ。
 神名は溜息をつきながらも、一つ、二つと花を選び始めた。

 贈る事を考えて、ではなく。
 神名が、彼に対して選べる花々として。



<幸せへの、花束>

 そして。
 神名が選んだ花は。
 ミニバラとカラー。
 どちらも色は白で、所々に配置するのを考えたように幾らかのグリーン。

 それらを見せると、本を閉じ青年は漸く室内へと案内してくれ……先程まで曇り空だった空も不思議と晴れてきていた。

(まるで、もやもやしていた気持ちが晴れていくようだ……)

 別に空はその様なことなど、微塵も考えていないのだろう。
 空は空で変わりなく、ただ回り続けるだけで……その時の神名にはそう思えた、と言うだけの。

 日当たりの良い室内。
 テーブルの上にはブーケを作る道具がきちんと整頓されて置いてあり、先程言葉に出ていた「リース」や「花籠」の材料も其処に、あった。

 テーブルに花を乗せ、ブーケを作っていく。
 とは言え用意されたチュール付きのブーケホルダーへと選んだ花を配置良く差し込むと言うものだったけれど意外と配置やアウトラインを決めるのは難しく、差し込んでは抜きを繰り返した。

 選んだ花の数が余り多くなかった、と言う事もありミニ・ブーケになりそうだったが、ブーケホルダーの中心へと綺麗に花を刺していき、見栄えを整える。
 綺麗に、綺麗にまとまるように。
 所々、スポンジが見えないように選んだグリーンを配置しながら。

「…なぁ」
「はい?」
「どうしてこう言うことやろうって思ったんだ?」

 不思議に思い、神名は問い掛ける。
 さて…と、考え込む青年の顔を見ることもなく静かに。

「幸せは、その月の花嫁のものだけではありませんから。何、趣味のようなものですよ」
 此処には花も沢山ありますしね…人が来るのも楽しいでしょう?
 その言葉に頷きながら、どうにか仕上がったブーケを見る…結構、見栄え良く造った筈だが…どのような物なのか。
「趣味、ね……面白い趣味だ。…一応全部刺し終わったぞ」
「ええ。…では後はリボンをかけて……これはどうぞ、手紙と引き換えにお持ち帰り下さい」
「ああ…とは言え作ったからと言って意味なく貰う人ではないんだがな」

 ぽそりと呟き、神名は丁寧にリボンをかけられるブーケへ彼を見た。
 何一つ、自分に与えられるだろう幸福を望まない彼だけに、花に何を見るかさえ解らない。
 ただ、口に出せない思いを。
 10年後、どうなるかは解らぬ願いを。

(…変わらずに居れたら良い……)

 成就してはいけない思いかも知れず、伝えれば壊れてしまうかもしれない。
 だからこそ。
 一番近くに居て、彼の一番の人でありたいと願う。


『――いつまでも』


 それこそが、手紙とブーケへと思いを託した神名の。
 唯一の、願い。





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■   登場人物                  ■
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【1261 / 神名・恵志  / 男 / 28 / 冒険者】

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■        ライター通信           ■
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初めまして、こんにちは。ライターの秋月 奏です。
今回はこちらの依頼にご参加くださり本当にありがとうございました(^^)

さて、今回は個別と言う事で神名さんのは、こう言う風に
なりましたが……如何でしたでしょうか?

こちらのブーケは、作りやすい、と言われるラウンドブーケと
なっていますが、花嫁さんが、これらのブーケを持っていると
とても華やいで綺麗に見えますよね。
神名さんのはそれより若干小さいミニブーケを想定させて頂きました。

少しでも楽しんでいただける部分があれば幸いです。
そして、神名さんと彼にとってこれからの旅が良い物でありますように。

では、また何処かにて逢えますことを祈りつつ……。