<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


VOX SOLA


 まるで追いつめられた獣のよう。はるかな高楼から俯瞰するだけの、どこへも動けないでいる。

●<ライ、アレスティキファ>
 突然の廻風にあおられて、金色の火の粉が迷い蛾のように不安な上昇線をなぞりながら、すぐ目の前まで舞い上がってきた。なにかしてやるいとまもない。墨色の線を一閃のこし、そのまま燃え尽きて、あとにはきらびやかな夕闇があかあかと世界の果てまでひろがっているだけだ。
 しかし、声は消えない。
 誰かがどこかで力のかぎりに泣いている。それは怨嗟だ、なにひとつ望みをかなえられず生命を終えることへの。それは憤怒だ、なにひとつ知ることなく生命を終えることへの。それは悲歎だ、たったひとりに巡り会うことなく生命を終えることへの。終端の悲劇は最中から結末までいつもさかさの力にあふれており、分かりやすいくらいにあからさまで、どこからでも視界にまじり聴覚にまじる。
 なのに、この躰は、あんまりにも無力で、閉じることも開くことも己の自由にはならない。呪詛の声は、呪詛であるが故か、彼をただとおりすぎるような善良なふうはせず、裡にたまり、よどみ、ねばった澱となる。
 だけど、ライはひたすらに聞いている。意識のある部分は、それだけをしている。唯一、耳をふさぐ手段であるてのひらは、力を抜いて両側にたらしている。
「あわれんでいるのか?」
 と、うしろから、呼びかけられた。
 ライは振り返らなかった。理由はいくつかある。ここ、にたどりつく『もの』はそう多くないこと(それは生命も物質もふくんで『もの』とする)、自分に声をかける物好きはもっと多くないこと、自分には『うしろ』から声をかけることを熟知してること、なによりその水のように流ちょうな響きをめったに聞き違えることはない。
 アレスティキファだ、とことばのない意識でかんがえ、
「‥‥何故、そう思う?」
 返した。
 逆に問い返され、そのときはじめて、アレスティキファは自分の発した質問の無意味さに気がついた。どうしてそんなことを口にしてしまったのだろう。しくじった、とらしくなく動揺するほどに。
「べつに」
 いつもと変わらぬ表情で、短く応じるのが精一杯だった。
「訊いてみただけだ」
「俺も、ただ、こうしているだけだ」
 会話はとぎれ、ものいわぬ黄金が空間となってたたずむ。
 けれども、声はやまない。延々滔々と、静寂の底の底で、渦を巻く。――‥‥それだけなのだが。夏の潮騒のように同じところをくりかえしているだけで、他にはなにもできないのだが。
 ただこうしている、といっただけに、ライはいつまでもそうしていた。アレスティキファもそうする。
 複数の泣く声が、やがて糸のよりあうようにひとつとなるのを、アレスティキファは聞いた。

●<アレスティキファ>
 自分もあのとき、泣きたかったのかもしれない。だが、けっきょく、泣けなかった。慟哭の叫びが喉をついてほとばしるようなことはなかったし、血の涙が両の瞼をしとどに濡らすようなこともなかった。
 どれだけのあいだそうしていたかはおぼえていない。ただ、ひたすらに呆然としていた。片羽を落とされた痛みが全身へ影響をおよぼすのはさすがにごまかしようもなく、そこらにあった薬草もどきの葉をちぎりいちどは充ててみたが、我が事ながらしらけてしまいには捨ててしまった。
 そんなものでは助からない。
 今、自分のまわりにはないものが必要だ。もっとずっと濃厚なもの。太陽よりも耀き、月光よりもひそやかな。それを欲しがり、うずく、口腔。‥‥あさましい。生へ固執する生き物に和合するから、こんな事象をまねいたというのに。しかし、苦悶をかんじる肉体とはまったくの別次元で、アレスティキファのくちびるはだんだんとつりあがってゆく。見える世界が優しい曲線にゆがんでいって――自嘲でなく、ほほえみの表情。どうしてこんなに気持ちがやわらぐかは、自分でも理解できないでいる。嘔吐によく似た渇望をおさえようと、アレスティキファは口元をてのひらでおおい、と、体のバランスをくずす。
 それまではなんとか直立の意思をたもっていたアレスティキファだが、とうとう堪えきれなくなり、片膝を地についた。疵はいまだ痕へとならない、体液がやわらに流れでるのといっしょに命もこぼれ、それは不吉な泉のようで絶えることのない。
 自分はこのまま消えるだろう、と直感する。
 いいや、確信だ。蜉蝣のようにはかなく、蜉蝣よりも無意味に消失するのか。何もなさず、何ものこさず。
 しかたがない。それが運命だったのだろう、と納得する。‥‥――したつもりだった。
「何をしている?」
 少年の声色で、冷たく尋ねられるまでは。

●<ライ>
 そのときそこへたどりつくまでに、どんなきっかけがあったのか、そんなことはどうでもよい。巡り会いでも気まぐれでも運命でも偶然でも、宇宙の真理をつかさどる天秤は、それらにあまり重きをおいてはいないのだから。
 ライがかさりと草を踏む音をたてても、地に臥しかけた少女はなにも気づかないでいた。
「何をしている?」
 すこし大きめの音声にして、ようやく存在を悟ったらしい。
 ライは小さな苛立ちを、空気のふるえから感じとった。見て分からないのか、そんなとこだろう。少女が首をあげて、ようやく二人は目を合わせる。
 金の瞳だ。
 ライの瞳――あとからの創造物のほうでないもの――も他人にいわせれば金色らしいが、それとは微妙に異なる。夢物語の国の王冠のように、星の銀のあわさった金色。生き物らしいまばたきのあと、金銀の瞳をもつものが答える。
「死ぬのだ、私は」
 意外にしっかりした声音。死をおびえるものも、死を期待するものも、そんなふうには云わない。風が吹いたというように、雨が去ったというように、淡々となんの見返りもなく現状をあらわしている。だからライもただ、現実を見据えた。
「あぁ、そうだろう」
 ライは視線の行き場所を変える。そこ、ライと少女をむすんで少しばかり向こう側にのばした線分の先、てのひらそっくりのフォルムの物品が中央になにも支えをもたない状態で横たわっている。それは一般的には、翼、や、羽、とかいわれるのだろう。昏々と、醒めぬ眠りのような色をしている。冴え冴えと、醒めぬ眠りのように存在している。それと影響しあうもうひとつの波動を、ライは少女の背から感受する。
 それは堕天の共通する資質であることを、ライは熟知している。
「自力で切り落としたのか」
「違う」
「こうなることが望みだったのか」
「‥‥違う」
 二番目の問いにはどこか迷いがあったことを、ライは逃さない。無遠慮ともいってもいい大胆なストライドで、いったんは少女を棄て、堕ちた羽に寄った。抱きあげる。羽はいっしゅん身を震わせた、迎えの歓びに、もちろんそれはただの誤解でしかなかったのだが。羽もすぐに事実を悟り、震えは悲しみの表掲へと変貌する。そして、羽はあまりに自動ではためきすぎた。己という事象を自ら破壊する。
 散った。
 滅した。花が降るように、あとにはミクロの残滓がただよい、それもじきに霧消した。
「おまえの羽は大地に未練がなかったらしい」
 主人をおいて先に逝ってしまったとても薄情な、片割れ。少女はやはり淡泊に現実をとらえた。
「しかたがない。羽なのだから」
 地へ卑屈に打ち捨てられるなぞ、とても矜恃に耐えられるものではなかったのだろう。壊れることをのぞむは、道理だ。ライは手を叩きながら、少女へ向き直る。
「おまえはどうする」
「?」
「おなじふうにはならないのか」
 殺してやろうか、といっている。
 永遠にも等しい苦痛ではなく、刹那の激痛をやろうか、といっている。しかし、次の間までは長かった。小さな鳥の啼く声が聞こえた。鳥にしては、よくまとまった唄をさえずっていた。彼の唄の終わるまで、少女はためらう余裕をあたえられた。
「‥‥いや」
「そうか」
 問いは短く、応答も短い。会話の片側をになうものには、もうあまり体力が残っていない。だが、ライはおかまいなしだというように、続行する。
「名は?」
「アレスティキファ」
「俺はライ。――‥‥では、アレスティキファ」
 す、と、右の手刀をかまえるライ。瞬間、アレスティキファはそれが自分に向けられたかと思ったようだが、そうすると先のやりとりと矛盾する。実際、ライの行動はアレスティキファの予想を超えたものであった、彼は左の腕に手刀をはしらせたのだから。アレスティキファは問わずにはいられなかった、何をしている、と。ライは瞳をあわせたままで、答える。
「あぁ、これは」
 あふれでる。血。とまらない。
 アレスティキファにたむけて、
「腹いせだ」

●<アレスティキファ>
 これが望んでいたもの、と意識に先んじて、喉が鳴る。

●<ライ>
 はじめの申し出を断られた仕返し、咄嗟にそういうことにしておいた。が、それになんら説得性のないことは自分でも重々承知しているし、おそらくは、アレスティキファだってそうだ。
 気のうつろいか、祝福だってあたえられないくせに。そういうことにしておいてもいい。が、それで端から端まで説明し尽くせたとはとうてい思えない。分かったふりをして自己欺瞞におちいる趣味はない。
 自分の腕を斬りつけたとき。アレスティキファが負っていたダメージに比べればずいぶんとマシだが、しびれるように体をつらぬいた痛みに(怪我をしたのは部分なのに、全身が全部を感じた)、ライは自分の生を再確認した。ここにいる、と思った。ライが。そして、目の前には瀕死の堕天。
 だから、だ。たぶん。
 ああやって自分を傷つけたときでさえ、ライは死ぬつもりなぞこれっぽっちもなかった。まだ死は赦されないという自覚。つまり、ライはそのささいな瞬間でさえも生を選択していたことになる。しつづけていた、という進行形もまちがいではない。いっしゅんいっしゅんを生きなければならなかった。
 おなじことを誰かに強要したくなった、のかもしれない。そうすれば、その誰かは『同族』になるから。
 とすると『腹いせ』といったことばも案外遠いものではないのかもしれない、とライはしずかに決断をくだし、追憶を終了させる。

●<アレスティキファ>
 あの、赤い甘み。苦み。今も忘れられない。だが、それはけして心安らぐ記憶ではなかった。脳裡によぎるにつけ、アレスティキファは思い知らされるのだ。ライのてのひらに直接口をつけ、音をたてて血をすすったこと。他人の疵に癒されたこと。それで、生をつないだこと。――歓喜であったこと。
 何故、そうまで、嫌悪感をもつのか。堕天がいまさら潔癖をきどってもしかたがなかろうに。
 けれど、不思議なことに、後悔はまったくなかった。何者かがきれいさっぱりぬぐいさったというように、染みの一点もなかった。後悔しない理由も、アレスティキファには見当がつかない。
 己の内部ですら、アレスティキファにとっては闇黒だ。いや、ただの闇黒ならばまだ馴染みがある。が、自分の内にあるものは、色も彩度もよく見知ることはできない。取り出すことができないのだから。
 自分に近いものほど自分にはよく分からなくなる。アレスティキファはライの義眼を思い――仮面にはめこまれたルビーガラスのような――追憶を終了させる。

●<ライ、アレスティキファ>
 魔王の居城のような山岳の頂上から、ライとアレスティキファは鳥瞰する。街の燃える音はここまで聞こえる。焦がす音。爆ぜる音。崩れる音。そして、光と、ここからではよく分からないが、熱。
 ちょっと見方を変えれば、祝祭のようだ。しかし、あそこは今、実際には地獄である。そうしてきたのは自分たちだ。軍をなして、ほろぼした。堕天族軍総裁の地位をあたえられたライがたずからも鎌をふるうたび、月のこぼしたような物静かな白銀の弓なりの刃は着実に悲劇を量産した。
 魂の炎が、またひとつ、するりと散華する。
 善良な魂は、天へのぼる。しかし、あたたかなはちすの御座よりも、地上の泥の椅子がよいのです、と未練しぃしぃ、恋しがる。
 生きたいと、そればかりを、噎び泣く。どれもこれもおなじことをほとばしるものだから、いつしか合わさって、ひとつになった。
 アレスティキファは灰色のてのひらをのばしかけて、蝶をつまむように指先をひろげ、だけど声をつかむことはできない。夕闇の破片が、彼女をすこしばかり切る。真実の刃ではないから怪我はないが、斜光のあとがちょうど流血そっくりだった。
 ライは身じろぎもしない。が、左の耳、ようやく待った声がとどく。
 すこし年のいった女と、その二人の子ども。眼下の街の数少ない生き残り。一家の大黒柱を目の前で殺された彼らは、殺害を目撃したすぐあとは、なにも動こうとしなかった。まるで自分たちも殺されることを、希望しているようだった。が、ライが勝利を得たたわむれに(親子には、そう、見えたのだ)振り降ろした鎌が、大理石のしきつめられた道路を砕くと、その衝撃ではじめて目が覚めたというように、一目散に地をころがるようにして逃げ出した。
 薄金の髪と鈍金の仮面の悪魔から逃げろ、と。
 叫びながら、逃げていった。
 ライは擬態の瞳で、知っていた。彼らの家がまだ奇跡的に焼け残っていること、だがそれもあまり保たないこと。今すぐ必要な分だけならばなんとか持ち出せること。
 カラカラと轍の音がまわる。「おかあさん、どこへ行くの」と子どもが尋ねる。母は答えた、隣町へ。
「そこで、あたらしく生きるのよ」

「帰還する」
 ライの宣言は唐突すぎて、アレスティキファはうっかり聞き逃しそうになった。アレスティキファがライの所思を悟ったのは、どちらかといえばことばではなく、彼の羽織るマントのおかげだ。するどく二つに枝分かれした生地のどちらもが、彼らふたりの戻るべき場所と逆方向をむいていた。アレスティキファは臣下としての義務を、かたちばかりに口にだす。
「まだ掃討戦がのこっているが」
「そんなもの、俺の指示なぞないほうが、奴らも勝手にできるだろう。それとも、アレスティキファが指揮をとるか?」
「‥‥遠慮する」
 人の上に立つ、それこそ、趣味ではない。
 アレスティキファはライのあとをおった。長く伸びる少年の影は、濃いが、輪郭は意外にぼやけている。アレスティキファはまちがってそれを蹴らないよう、一歩一歩を注意深く踏み出しながら、歩いた。

 街を焼く炎はずいぶん小さくなってきている。
 けれども、生きたいと、ひとつの声は、いまだやまない。いつまでもいつまでも、やまない。


※ VOX SOLA
 ラテン語。直訳すると「一つの声」。


◎ライターより
 たいへん遅くなりまして申し訳ございません。
 しかも、どうも提示していただいた資料をうまく活用しておらず‥‥。なるべく織り込むように『努力した』程度になってしまいましたが。