<東京怪談ノベル(シングル)>
深い森
奇妙な形をした樹木はどれも巨大で、互いの幹をうねうねと絡ませあっている。深い緑、淡い緑、ときには赤い様々な葉は種類こそ違えど変わることなく空を覆いつくさんばかりに生い茂っていた。
実際、地面に届く光はわずかで、あたりは薄暗かったが、環境に適応した草は少ない光の中でも立派に育ち、優に人の背丈の三倍はあると思われた。
ここは聖都エルザードから少し離れた場所にあるデュブルの森。魔物や危険な植物が多く、ここに出入りするのは自分の力を試そうとする物好きな冒険家くらいのものだった。
ガサガサと大きく伸びた細長い雑草が揺れた。
草の間から現れたのは巨大な草木に劣らない程の巨大な人間だった。
黒く短い髪、鋭く力のある赤い瞳、鍛え上げられた小麦色にやけた肌の男。オーマ・シュヴァルツである。
「ったく、なかなかみつかんねぇな」
自慢の渋い親父ボイスでそう呟くと、オーマはキョロキョロと足元を見下ろした。
目的は研究のための薬草積みであった。この森にはオーマの研究意欲を増進させる不思議な(グロテスクな)草が多く、街の噂など意に介さず何度も訪れていた。
「お。こいつは………」
ショッキングピンクと紫がマーブル模様になったウネウネと不気味に蠢く草を見つけたオーマはニヤリと笑みを浮かべた。ただでさえ怖い顔がさらに悪人面に変わる。
摘み取ろうと手を伸ばしたときだった。
―タスケテ………―
一種の思念のようなものを感じ、オーマは動きを止めた。一瞬ではあったが必死さの伝わる『声』であった。
「俺が戻るまでここでおとなしく待ってんだぞ」
摘み取ろうとしていた草にそう声をかけるが早いか、オーマは『声』の聞こえた方へ向かって走り出していた。
少し行くと、鬱蒼とした木々が途切れ、太陽の光が見えた。よく見ると丁度境目のところに一人の男が倒れている。
「大丈夫かっ!」
オーマは急いで男を助け起こした。ひどい傷を負っている。全身切り傷だらけで、特に足の損傷が激しい。
「助けてくれぇ………! あれが、あれが突然襲ってきて………!!」
そう言って男は明るい方を震える手で指差した。
とにかく傷の手当てをしようとしていたオーマだったが、顔をあげ言われるままそちらを見た。
「! おまえ、あれになにかしたのか!!」
男が指差した先にいたものは巨大な魔植物の一種、オルガントであった。壷状の本体に長い触手を持つ身の丈二十メートルはある大きな生き物だ。
「してねぇ! 俺はなんにもしてねぇよ!!」
男は必死で頭を振ったが、本来オルガントはおとなしい生物で、人に危害を加えるようなことはしない。
「チッ。タイミングの悪ぃ………」
あることに気がついたオーマは舌を打ち鳴らした。
オルガントはもともと薄い緑色をしている。しかし、今目の前にいるそいつは膨らんだ幹の部分が桃色に変化していた。子供がいる証拠だ。
オルガントはその特殊な形態を利用して、子供がある程度の大きさになるまで自らの腹の中で子を成長させる性質がある。普段おとなしいオルガントも、その間だけはテリトリーに近づくものを攻撃する。攻撃するといっても威嚇するだけなのだが、男は一線を越え、本気で怒らせてしまったようだ。
「おまえのやったことは後でたっぷりと俺が後悔させてやる。今はとりあえず逃げるぞ!」
そう言ってオーマは男を背負おうと手を離した。その一瞬の隙をつき、オルガントは触手を伸ばし、男の身体を自らの方へ引きずった。
ここであせってはいけない。オーマはオルガントをなだめようと口を開きかけた。
その時だった。オルガントに捕らえられた男が運悪く近くに落ちていた剣を身体に巻きついた触手に思い切り突き立てたのだ。
「ばかやろうっ!!!」
オーマが叫んだ。しかし、恐怖のあまり混乱に陥った男はあろうことかオルガントの膨らんだ幹めがけて剣を投げつけた。
―キィォォォォォ!!!!―
オーマだけに聞こえる声でオルガントが悲鳴を上げた。直接頭に響き、割れてしまいそうな悲痛な声だ。
男の剣をまともに受けてしまったオルガントは狂ったように長い触手を振り回し始めた。男の姿などとうに無くなっている。押しつぶされたか飛ばされたかしたのだろう。しかし、それどころではなかった。
―イタイ・コワイ・チカヨルナ―
「やめろっ!!!」
オーマはオルガントのしようとしていることを察した。
究極の危険にさらされたとき、母親は子を守るため自ら子の命を絶ってしまうことがある。矛盾しているかもしれないが、それが本能だ。
オーマの叫びも空しく、ギュルギュルとオルガントは己の幹を締め付けてゆく。
「………仕方ねぇのか………」
オーマは唇を固くかみ締めた。その時だった。
―タスケテ―
確かに先ほど聞いた声だ。オーマの瞳から迷いが消えた。
「わかった。今助けてやるぜ」
そう言ったオーマの身体からは銀色の湯気のようなものが立ち上がり、彼は姿を変えていった。黒い髪は色が抜けるように銀に変わり、その容姿は二十代にしか見えない。これが彼本来の姿なのだ。しかし、変化はそこで止まらず、背中からしなやかな銀色の翼が生えたと思った瞬間、彼の身体は巨大な獅子の姿へと変わっていた。
―ザシュッッ!
一瞬にしてオルガントの幹をその鋭い爪で引き裂いた。
「本能だがなんだが知らねぇが、大切なモンを自分で傷つけちまうのは俺の道に外れんだよ。俺に出会っちまったことを憎むなら憎め。だがよ、おまえ立派な母親だったぜ」
そう語ったオーマの姿はいつもの親父スタイルに戻っていた。しかし、そこには皮肉な笑みはなく、赤い瞳は深い悲しみの色に染まっていた。
ドォンと大きな音を立てて崩れ落ちたオルガントの身体から小さな生き物が這い出していた。助けを求めた声の主。オルガントの子供だった。
「元気に生きろよ」
そう呟いてニヤリと笑うとオーマは暗い森の中へ戻っていった。
<完>
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