<東京怪談ノベル(シングル)>


『緋に染まる海』

 肌を撫でる風は潮の香りを濃密に孕んでいた。
 オーマ・シュヴァルツは風になびく前髪をぞんざいに掻きあげながら甲板からゆっくりと遠くに離れていく港を眺めている。
 カモメが数羽飛ぶ空は快晴だ。
 風も穏やか。
「はん。これは楽しい航海を満喫できそうだね」
 2mを越す長身の大男であるオーマの隣にいるのはこれまた対照的なほどに背の低い小太りの男だった。
「何を仰いますか、オーマ殿。この航海の敵は自然ではありません」
 そう言う彼にオーマは苦笑を浮かべながらウインクする。
「わーってるよ。この航海の敵は海賊だってんだろ? だけどね………」
 しかし海賊などと言ってもたかが知れている。それは少しは腕が立つのがいるのであろうがそれでもオーマは過信でも勘違いでもなく海賊どもを充分に蹴散らす自信があった。彼は【ウォズ】と呼ばれる凶獣たちを封印する【ヴァンサー】。その【ヴァンサー】である彼にとってみれば海賊など物の数ではないのだ。だが自然は違う。一度風や波が荒れれば、天候が最悪なモノに変わればその時はこの大きな帆船と言えども木の葉のように海の藻屑と消えるだろう。
 さすがのオーマも荒れ狂う自然を相手に勝てる自信は無い。
 結局は人は大いなる力を持つ自然の前では無力なモノなのだ。
 それでもまあ、最近この海を荒らしまわっている海賊の方がこの商人にとってみれば一番の恐怖なのであろう。
 苦笑いを浮かべつつオーマは商人の背を大きな手でばんばんと叩いた。
「あはははは。まあ、あんまり心配しなさんな。この船にはこのオーマ・シュヴァルツさまがいるんだからよ。海賊相手にだったらどーんと大きな船に乗った気分でいてくれや」
 激しく咳き込みながら商人はそう言いながら笑うオーマを見て、呆れたように大きくため息を吐いた。


 +

 オーマがこの船に乗る経緯はこうであった。
 昨晩、港町の食堂でオーマが気のいい船乗りの男達と仲良くなって一緒に酒を酌み交わしながら料理を食べている所に、船乗りの男達五人と傭兵風の男達三人とのいさかいが起こったのだ。
 数で見れば船乗り達の方が有利。しかしそんな簡単な数の方程式は数学の世界でのみ確かなのであって、現実の世界では他の色んな不確定要素が絡んでくるのだから、そのいさかいの勝敗は数では量れない。
 他の客たちは迷惑そうな顔をしながらとばっちりがくる前に店を後にする者もいれば、そのいさかいを煽る者もいる。
 そしてその煽りの声を聞いて調子に乗るように船乗り達と傭兵達は拳をぶつけ合った。
 殴られた船乗りがテーブルをひっくり返し、温かな湯気をあげていた料理をかぶる。その船乗りの見っとも無い姿に腹を抱えて笑っていた傭兵はしかし後ろから他の船乗りに羽交い絞めにされて、更にその羽交い絞めにされた傭兵に料理をかぶった船乗りがショルダータックルを叩き込む。
 しかしもう一方船乗り三人に対し傭兵二人のところでは…いや、岩のようにでかい傭兵ひとりが船乗り三人を容易に手玉にとって遊んでいた。
「手を貸そうか? こっちは暇なんでよ」
「お生憎様。こっちも手が足りてるよ」
 ショルダータックルを腹に喰らった傭兵はしかしにやりと笑って見せた。
「ほぉー」オーマはにやりと笑う。しかしこの時に彼が笑ったのはその傭兵の文句が気に入ったからではない。もう既に彼がそう言った時には事が終わっていたからだ。
「なるほどね」
 オーマは顔を横に振って、酒を口に運んだ。とん、と空になったグラスをテーブルの上に置く。まるでその振動が伝わったせいだと言わんばかりにその傭兵にショルダータックルをした船乗りと、羽交い絞めにしていた船乗りが同時にくず折れた。顔面蒼白な二人は口から泡を吹いていた。
 傭兵二人はにやにやと笑いながら自分達の足下に転がった船乗り達に唾を吐きかけた。
「はん。弱いくせに粋がりやがって。貴様ら程度が傭兵ギルドSSランクの俺らに敵うもんかよ」
「そういう事だ。これからはもっと相手を確かめてから喧嘩をふっかけるのだな」
 何もしていない最後の一人は大きく肩をすくめて、
「興ざめだな。せっかくの気持ち良いほろ酔い気分が台無しになってしまった」
 三人はにたにたと笑いながら、そして同時にこの店の娘へと下卑た視線を向けた。
 この傭兵三人と船乗りたち五人とのいさかいの原因もこの娘だ。傭兵たちがこの娘に手を出そうとしていたのを船乗りたちが止めたのだ。
 そしていさかいになった。
 どうやら叩きのめされた船乗りのひとりはその娘の恋人であったようだ。
 気絶している男にすがりついて泣いている娘の傍らに立った傭兵は毒蛇が哀れな野ネズミに喰らいつくが如くに娘の白く細い手首を掴んでひっぱりあげた。
 娘の体を太い丸太のような腕で引っ張りあげた男の腕力は凄まじいものだと認めざるはおえないだろう。しかしならばその男の手首を掴み、めきぃっと骨を軋ませたオーマの握力はいかほどのものであろうか?
 傭兵はたまらずに娘を手放した。
「きゃぁ」
 短い浮遊にしかし娘は悲鳴をあげるが、その落下する娘の細い腰にオーマはさっと手を伸ばして自分の方に抱き寄せた。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん?」
 男臭い笑みを浮かべたオーマに娘は目を瞬かせ、そして幼い少女のようにこくりと頷いた。
「よぉーし。いい娘だ」
 そしてオーマは彼女の腰から手を離すと、
 怯えと怒りとがない混ぜになった目で自分を睨む傭兵に視線を向けてにやりと笑う。
 手首を掴まれている傭兵はそのオーマの笑みにぶちんとぶち切れたようだ。片眉の端を跳ね上げると彼は頭突きをその笑みが浮かんだオーマの顔面に叩き込んだ。
 ぐきぃっと嫌な音がした。
「あぎゃぁ」
 上がった不細工なうめきに他の二人の傭兵たちはにやにやと笑っていたが、
 しかしオーマに頭突きをした傭兵の方が両膝をその場につき、そのまま前のめりに倒れるとぐぅっと歯軋りをしてその場に突っ立つオーマを睨みつけた。
 その怒りの視線をまるで涼風の如くに受け止めながらオーマは両方の鼻の穴から滴る血を取り出したハンカチで鼻をかんで拭き取ると、変わらぬ笑みを浮かべた顔でしかし唇の片端だけを吊り上げた。
「えーっと、そうだ。喧嘩は相手を確かめてからふっかけるんだったけ?」
「貴ィ様ぁーーーーーー」
 傭兵のひとりがオーマに殴りかかる。
 右のストレートパンチだ。
 迫り来る拳を細めた目で眺めながらしかしオーマはそれを紙一重で上半身を後ろに逸らしてかわす。
 そしてブレイクダンスを踊るようにひゅんとその場に沈み込むと、鋭い蹴りをその男のストレートパンチを放つ際の軸足となった右足に叩き込み、
 冗談みたいにその蹴りの威力でひっくり返るその傭兵の腹部に、
 その傭兵の体の一部が床に接するその前に、
 とん、と高く飛んだオーマは片膝を叩き込み、
 その衝撃に体をくの字に曲げて床に沈んだ傭兵は気を失った。
 そしてゆっくりとオーマは立ち上がりながら、残り最後のひとりにニヒルに微笑む。
「俺様如きが傭兵ギルドSSランクに勝ってしまったな」
 それに最後の傭兵はしかし怒らずにくっくっくっくと声を立てて笑った。
「SSランク? そいつらがか? 笑える冗談だな。居酒屋に居合わせた素人に負けるようなのがSSランクなわけないだろう。いや、そもそもがそいつらは傭兵ギルドの者でもないわ」
「ああ、なるほどね。そういう掟かい? で、あんたはどうする? そいつらと同じただの馬鹿になるか、それとも傭兵ギルドSSランクの称号にすがりついてこの場から逃げるか?」
「あぁ、逃げる? この俺がか??? ふざけるな。なぜに俺が貴様程度に逃げねばならん。それに先ほどの船乗り達の不甲斐なさにすっかりと興ざめしていたところだ。それを貴様で帳消しにするのもいい。少しは楽しめそうだからな」
 そう言ってその傭兵は腰の鞘から剣を抜いた。
 剣の切っ先をオーマに向ける。きらりと輝く白刃。
 しかしオーマは軽く肩をすくめるだけで怯えた仕草は一切見せない。
「貴様も剣を抜け。そこにいる奴らの剣を使ってもいいし、なんなら他の奴にでも…この俺の剣を使ってもかまわん。俺はこいつらの剣で戦う」
「なるほどね。それがおまえさんの美学かい。でも悪いが俺様は剣は使わねー主義なんだわ」
 剣は使わない、なぜかそう言った時のオーマの顔には陰りがあった。果たして彼に剣に対するなんらかの想いがあるのかもしれない。
 しかし今はどうやらそれを推察する暇は無いようだ。
「ならば無手で死ぬかーーーー」
 傭兵は剣を高く振り上げて、オーマに肉薄する。
 周りはもはやその傭兵が放つ剣気にあてられて声も出せない。
 しかしオーマだけは違った。相も変わらずに彼はひょうひょうとした笑みを浮かべながらその迫り来る白刃を見据えている。
 その切っ先がオーマの髪に触れた瞬間に彼はにやりと唇の片端を吊り上げて、そしてその刃を真剣白刃取りした。
「なにぃぃぃーーーー」傭兵は驚愕の声をあげ、
 そして・・・・
「悪いな。この程度の剣など白刃取りするのに何の苦労もせんのだよ」
 そう言いつつオーマは剣を挟んだ手で剣を固定しつつそのままするすると白刃を挟んだままの手を滑らせて傭兵の懐に入り込むと同時に頭突きを・・・
「うわぁーーーーやめろぉーーーーーーー」
 そう叫ぶ傭兵の顔に叩き込んだ。
 がしぃっという鈍い音がしたその転瞬後に傭兵はその場に崩れ倒れた。
 その場は一瞬しーんと静まり返り、そしてその後にわぁーっと歓声があがった。
 ほんの少し赤くなった額を手で撫でつつオーマはまだ気絶をしている船乗りの傍らに片膝をつき、右手の指をその男の頚動脈に伸ばそうとして・・・
 しかしその手は娘によって払われた。
「触らないで」
 悲鳴をあげるように娘は言った。
 店内はしーんと静まり返った。
「どうして…どうして、そんなに強いなら彼らが喧嘩をしているのを止めてくれなかったの??? あたしを守るために傷ついていく彼を助けてくれなかったのよぉ」
 その言葉にしかしオーマは怒らなかった。そして彼は真っ直ぐに娘の涙が浮かんだ瞳を見据えながら優しく諭すように言葉を紡ぐ。
「もしもそこで俺様がこいつを助けていたら、こいつのプライドが死んでいた。お嬢ちゃんの彼氏さんは大切な恋人とそして己のプライドのために傭兵たちに戦いを挑んだんだ。女のお嬢ちゃんからすればおそらくはそういうのは理解不能なんだろうがしかし男にはそういうのが何よりも大切だったりするのさ」
「わかんないわよ、そんなの」
「そうか。わからないか。しかしまあ、これだけはわかるだろう? 男ってのは馬鹿な生き物なのさ」
 オーマはその後船乗り達と傭兵たちの傷の手当てをしてやった。
 そしてそれが一通り済んだところで、また新たな悲鳴があがった。
「な、なんて事だ、これは……。こ、こんな事が………あってたまるか???」
 オーマはまたぞろ面倒臭い問題が起こったのか? と頭を掻きながらそちらに視線を向けた。そこにいたのは背の小さい小太りの男だ。
 彼は気絶している傭兵達の下に駆け寄り、その内のひとりの胸元を両手で鷲掴むと乱暴に揺り動かした。
 オーマは苦笑を浮かべる。
「おいおい、おっさん。こいつらは怪我人なんだ。そんなに乱暴にしてやんなよ。怪我人は労わってやるもん・・・だ・・・・?」
 目を瞬かせるオーマ。その男は泣いていた。
 そして話を聞いてやればその男は有名な商人で、今度商いのための交渉をするために海を船で渡ることになったのだが、しかしここ最近その商人が船で渡る近辺に海賊が出るらしいのだ。それでその商人が自身の身の安全を守るために傭兵ギルドに莫大な契約金を払って雇ったのがこの三人であったらしい。 
 しかし・・・
「あぁー、出発は明日なんだよな?」
「そうだ。明日だ。それなのに・・・こんな事になって・・・私はどうすれば???」
 オーマは頭を掻いた。事の成り行きはどうであれ、この商人が自身の身を守るために雇った傭兵たちを倒してしまったのはオーマだ。これでこの商人の身に何かがあったら目覚めが悪い。
「やれやれ」
 大きなため息を吐きつつ、オーマは商人に無償でのボディーガードを申し出たのだった。


 +

「嫌な色の月だね、どうもさ」
 マストの先端にある見張り台で酒を飲みながら夜空を見上げていたオーマはいつの間にか血のように赤い色に変わっていた満月に鼻を鳴らした。
 どうもうなじの毛がちりつく。ひょっとしたら今夜辺りにどうも嫌な事が起こるかもしれない。
 せっかくの楽しい船旅に水を差される予感にオーマがげんなりとため息を吐いた時、その赤い月をバックにした大きな影を夜の海にオーマは見た。
「予感的中。ったく、どうしてこうも悪い運勢しか書かれていない占いとか悪い予感っての律儀に当たるかね」
 その癖当たって欲しい事が書かれている占いはちっとも当たらない。
 頭を掻きながらオーマはとんと見張り台を蹴って、空中に舞った。
 そしてそのまま彼は重力の法則に従って落下していく。
「へっ。まあ、いい男ってのは人知れず陰で苦労をするもんだよな。これ、我の男の美学なりってな」
 その瞬間、波が大きく荒れて、船が激しく揺れた。
 そしてその揺れる船の上にはしかしオーマの姿は見えなかった。


 +

 夜の海は荒れていた。
 その荒れる海面上を音速のスピードで飛行する影が一つ。それは背にある翼を雄雄しく羽ばたかせて海を裂き飛行する銀色の銀色の獅子であった。
 それが向う先にあるのは巷を恐怖させる海賊船だ。
 その銀の獅子は遥かに海賊船よりも大きい。もはやその勝負は見えているだろう。しかしどうやら事の経緯はまったくもって観察者の予想する方向とは違う方へと向った。
 それは海賊船の上にくるとまるで白昼夢であったように姿を掻き消し、そしてその海賊船の上にはオーマがいた。
 だがオーマの顔に浮かぶのは疑心に満ちた表情であった。それもそのはずだ。なぜならそこに海賊は誰一人としていないのだから。
 人の気配はまったくしなかった。
 オーマは体の全ての感覚を鋭くさせて辺りを伺いつつ船の中へと入っていった。しかしやはりそこにも誰もいなかった。
 無人の船はただ海の上を漂う葉の如くに波にその身を任せて漂っていたのだ。
「参ったね、これは………」
 まだ温もりのあるコーヒーがぽつんと残されたその部屋はおそらくは船長の部屋なのだろう。机の上にはそのコーヒーが入ったカップと一緒に書きかけの航海日誌が置かれていた。ひょっとしたらそれに何かヒントがあるかもしれない。オーマはそれを手にとって素早く目を走らせるも、しかしそれには何も書かれてはいなかった。
「つまりが突然だったということか?」
 そう、何かの原因をこの船に積んだという訳ではなく、突然の災厄に見舞われてこうなったということだ。それもまだほんの十数分前の間に。
 この海賊船の乗組員は生活臭を残したまま霧のように蒸発してしまったのだ。
「かぁー。もう訳がわからねーぜ」
 頭を乱暴に掻きながら吐き捨てると、オーマはくるりと半回転して、その部屋を後にした。とにかくこの海賊船の事は秘密裏に自分独りで処理をするつもりであったが、こうなったら致し方無い。船に戻り、皆にこの事を話して、事後策を相談せねばならぬだろう。これ以上犠牲者を増やす前に・・・。
 しかしこの時オーマは知らなかったのだ。
 もはやこの海域に生きる人間が自分独りである事を。


 +

「嘘だろう……なぁ、おい。こんな事って………」
 船に戻ると、しかしその船にはもう誰もいなかった。
 この航海ですっかりと仲良くなった船員達も、
 酒の飲み比べをした船長も、
 船酔いの介抱をしてやった幼い男の子どもも、
 こちらが恐縮するぐらいに頭を下げてくれたその母親も、
 そしてあの商人も……
 誰も、
 誰も、
 誰も、
 誰もいなかった。
 オーマがこの船から離れていたのはわずか30分程度。そのわずかな時間にこの船から人が消えていた。
「そんな馬鹿な事って……あるかよぉ? あぁーーーーー、くそぉ」
 オーマは部屋の壁に握り締めた拳を叩き込んだ。
 一体何が? 一体何がこの海域で起こっているというのであろうか?
 オーマは再び甲板上に出た。
 ただ波の音だけがする静かな夜の海。このままでは冗談抜きで気が狂いそうであった。


 心を苛むのは、
 罪悪感と、
 孤独。
 恐怖。
 不安。
 ・・・etc


 様々な負の感情に心が溺れて、オーマは我知らずに暗い夜の海を見つめていた。そしてそのままその夜の海に飛び込んでしまおうという誘惑に駆られる自分に気がついた。
「へぇ。そうだよな。俺が守るとかってぬかしておいて、この様だ。生きてるのが申し訳ねーよ」
 そんな事を口走りながら体の力を抜き、海へとその身を投げて・・・
 ・・・その時にオーマの視界にほんの一瞬映ったのは夜空であった。星々が輝く空。しかしそこにあの赤い満月は無かった。そう、空には月は無く、暗い夜の帳が降りた海を照らすのは星の明かりだけ。星月夜。月の無い星だけが輝く夜の空の名称。
 落ちていくオーマはにやりと口だけで笑い、そして下唇を噛み切った。
 口の中にじわりと広がった生暖かい血の感触。しかしそのおかげでオーマの心を満たしていた死への誘惑は完全に消え去っていた。
 そして真っ直ぐに迫り来る海面を睨み吸えて、彼はへっと不敵な笑みを浮かべる。
「はん、そういう事かい」
 彼が見つめる先…海の中にいるのは巨大な海蛇であった。そしてそれから今までは気付かなかったのだが微弱な催眠音波が発せられている。そう、そういう事だ。大勢の人々がわずかな時間の間に消失していたトリックとはそういう事。
「つまりてめえがこうやって、催眠音波で人々を海に飛び込ませていたってわけだ、なあ、おい」
 叫ぶオーマ。
 しかし海蛇はまだ自分の音波攻撃が見破られている事には気がついてはいない。大きく口を開き・・・
 そしてそれを見たオーマはわずかに目を見開き、口だけで笑うと、体を丸めて自分からその海蛇の体内へと入っていった。


 +

「かぁー、すげー、臭いだな、こりゃあよ」
 オーマは鼻を摘まんでぶーたれた。海蛇の腹の中は凄まじい悪臭に満ちていて、ほんの少し息をするだけでも地獄であった。
 その体内を獅子へと変化したオーマは進んでいた。
 そして目的地へと着くと、自身の推測が当たっていた事に会心の笑みを浮かべていた。オーマが乗っていた船の人間たち、そして海賊たちも、皆がカエルの卵に似たゼリー状の物質に包まれてその場に残されていたのだ。つまりこの海蛇は母親なのであろう。そして捕らえた餌を腐らせぬようにこうやってゼリー状のモノで包んで胃の中で保存しているのだ。
 喜びの笑みを浮かべる銀色の獅子に、しかし凄まじい怒気が向けられた。
 そしてその海蛇の胃の内側の細胞壁が膨れ上がったかと想うと、それらは奇怪な人型を成してオーマに襲い掛かって来た。その手に持つのは粘膜が硬質化した槍だ。
 放たれた槍の雨。
 しかしオーマは咆哮をあげた。
 その咆哮の前に槍はすべて微塵に砕け散った。
 そして囚われた人間たちの方を向いたオーマはそちらに向っても咆哮を放った。だがその咆哮には先ほどの槍を砕いたのとは違う力が込められていたようだ。人間たちを包んでいたゼリー状のモノは消え去り、代わりに彼らは透明な正方形のエネルギー体に包まれて宙を飛んでいる。
 ざわざわと奇怪な人型たちがざわめきだし、餌である人々に襲い掛かるが、しかしそのエネルギーに触れた瞬間にその人型たちは蒸発した。
 とどのつまり・・・
「残念だったな、海蛇…いや、動物型の【ウォズ】凶獣よ。てめえには大人しく封印されてもらうぜ」
 銀色の獅子はそう不敵に呟くと同時に来た道を逆送し出した。もちろんそれを阻む手は出されるが、そんなモノでオーマの行く手を拒む事はできない。そう、オーマは【ウォズ】と呼ばれる凶獣を倒す事が出来る力を持つ【ヴァンサー】であるのだから。
 閉じられた口。しかしその口を咆哮によってこじ開けたオーマは外へと飛び出し、そしてそれに引き続いて人々も皆無事に脱出した。
 怒り狂う凶獣【ウォズ】は巨大な口を開けてオーマに向うが、しかしオーマは強靭なる四肢で空間を蹴ると同時に自らも光りの矢となって凶獣【ウォズ】に突っ込み、そしてその巨大な海蛇を見事に貫いて、封印したのだった。


【ラスト】

 目を覚ました商人は瞼を瞬かせた。視界に映るのは白み始めた空だ。と、言う事はどうやら自分は甲板にいるらしい。しかし確かに自分は船室のベッドの上で寝ていたはずなのに…。あれ、おかしいな?
 しかも不思議な事に甲板で寝ているのは自分だけではなく、船員や他の乗船客たちもだった。
 ますます訳がわからない。
 起き上がった彼が見たのはオーマの後ろ姿だ。
 商人はオーマに声をかけた。
「オーマさん、そこで何を・・・」
 ・・・しているのですか?
 と、言おうとして、しかしそれはオーマの手で制された。
 もごもごと大きなたくましい手で口を押さえられながら商人が見たのは昇り始めた朝日によって緋に染まる美しい海の姿であった。
 そして商人が見たそれを眺めるオーマの横顔は実に満足げだった。
 どうやら今日の航海も穏やかな海の天候に恵まれて楽しいモノになるようだった。


 ― fin ―


 **ライターより**
 こんにちは、オーマ・シュヴァルツさま。いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回もお任せでやらせていただけるという事でしたのでこのような展開にさせていただきました。
 どうですか? 前半部分では今回の敵は海賊なのか、と想っていただけていたでしょうか?
 そう想っていただけていたところであのような展開になって、もしもいい意味で期待を裏切れていましたら幸いでございます。
 ちなみにオーマさんが助けた海賊どもはそのままソーンの海軍本部の前に宅配された模様です。
 そしてウォズ【凶獣】ですが、前回は人型で何やらすごい事になっていたのですが、今回のは動物型でやらせていただきました。どうやらまだ子どもがいるようですから、オーマさんにはもう一仕事あるようですね。がんばってくださいとエールを贈ります。^^

 そして実はもしもまたシチュをやらせていただけて、お任せにしてもらえたら、この続き…もう少しオーマさんには船の旅(船の旅で起こる厄介事)を楽しんでもらおうと想っておりますので、宜しければまた窓を見かけて、書かせてやっても良いなと想っていただけましたらお願いします。^^


 それでは今回もどうもありがとうございました。
 失礼します。