<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


夜明けの救助隊

■オープニング

『助けて……』
 そんな声が届いたその時、宮廷魔導師のメルカは遠慮無しの大欠伸と共に、夜明けの王宮を後にしようとするところだった。雑務を処理するうちに気付けば徹夜――王宮内にある魔導師団の営舎でも寝泊りは出来るのだが、久し振りに家に帰りたくなったのだ。
「半年帰ってないしね」
 たまには帰るべきだろう。そう思って家路につきかけたところに、その声は聞こえてきたのである。
『助けて』
 耳ではなく、頭の中に直接響いてくる細い声。すると、一羽のセキレイが彼女の前へと舞い降りてきた。近付いても逃げる事無く、じっとこちらを見上げてくる。
「まさかお前さんじゃないだろうね…?」
 見回せど、他にそれと思しき姿は無い。
『私を、探して…助けて』
 もう一度、声が届く。それと同時にセキレイはパタパタと羽ばたくと、メルカの肩に移動してきた。どうやら間違い無いようだ。
「探せも何も、お前さんここに居るじゃないのさね?」
『この体は借り物…他に誰も通らなかったから。…出られないの。お願い…助けて』
 要領を得ない言葉だが、その懇願は必死なものだ。
『ここは狭いし、それに暗いの…』
 メルカの目が小鳥の飛んできた方角へと動く。まだ夜明け直後。闇の中では飛べぬ鳥なら、そう遠くから来たわけではないだろう。あの方角には確か…
(森があったかな…。距離的にはあの辺りだろうね)
 さて、どうするか。
『助けて…』
 とりあえず、帰宅は断念するしか無いらしい。
「魔導師団は人手不足なんだよなぁ…」
 小鳥を肩に乗せたままひときわ大きな溜息を漏らすと、手伝ってくれる者を探すべく、メルカは黒山羊亭へと足を向けた。


■朝の黒山羊亭

「ふぅ…」
 満足げな一息と共にアイラス・サーリアスが読み終えた本から目を上げると、黒山羊亭の中の様子は一変していた。
 確かさっきまでは大勢の客がひしめき合い、夜の酒場ならではの活気と喧騒が店内を満たしていた筈なのだが、いつの間にか客の姿はまばらに数えるほどとなり、賑やかな空気は消えうせている。
「えーと…まさかとは思いますが…」
 読書に集中するうちに、どうやら自分で思っている以上の時間が経過していたようだ。
「……まぁ、たまにはこんな事もありますよね」
 それだけ面白い本だったのだから仕方ない。
 ここは苦笑で済ませておくべきだろう。
(とは云っても、ワイン一杯で長居では、エスメラルダさんも迷惑だったでしょうか…?)
 口の端に苦笑を残したまま、眼鏡越しにエスメラルダの姿を探すと、彼女はステージ上で踊っていた。軽やかなステップに合わせて揺れる黒いドレスの隣には、もうひとり見覚えのある踊り子の姿が――
(ああ、レピアさんも来ていたんですね)
 レピア・浮桜の方は踊る事に集中して、カウンターに居るアイラスの存在に気付いていないらしい。曲に合わせての動きはしなやかで、そしてその表情は幸せそうだ。
 よほど、踊る事が好きなのだろう。
 ところが――
(……?)
 突然、レピアのその表情が凍りついた。表情だけでなく、動きまでがピタリと止まる。
(どうしたんでしょうか…?)
 突然の事に戸惑うアイラスの目の前で、何とレピアの身体は瞬く間に石へと転じていった。
「もう朝だったなんて!」
 愕然と動揺したエスメラルダの声。
 そう云えば、この店でレピアの姿を見かけた事は幾度もあるが、それは夜だけだったような――朝は動けぬ身体だったのか。
「大丈夫ですか!?」
 慌ててステージへ駆け寄るがもう遅い。呼びかけてみようとも、石化したレピアからは返事は無かった。
「夜になればまた元に戻るけど…困ったわね」
 言葉通りの困り果てた溜息と共に、エスメラルダの視線がこちらへと向けられる。
「そうですね」
 いくら本人が動けなくなったとは云っても、夜までステージの上に立たせたままにしておくわけには行かないだろう。
「このままではまるで見世物ですからね」
「ひとまずあたしの部屋に運ぼうと思うんだけど…手伝ってもらえる?」
「あ、はい。了解ですよ」
 ミリオーネ=ガルファを連行したメルカが黒山羊亭の扉を開けたのは、丁度この瞬間の事だった。


■四人と一羽ともうひとり

 メルカの話を聞いた直後、黒山羊亭のテーブルに集った面々の顔に浮かんだのは微妙な当惑だった。
 たまたまここに居合わせて今回の話を聞く事になったアイラスも、不幸にも路上でメルカに遭遇し、問答無用で強制連行されるハメになったミリオーネも、それから光合成友達を探して最後に店のドアをくぐった葵も、今の話をどう解釈すればいいか判じかねているようである。
「事情は大体わかりましたが…それで、『何』を探せば宜しいのですか?」
 彼らが戸惑っている理由はこれだ。
 最も基本的かつ重要な項目である筈の「捜索対象の特定」が、今の説明の中では全く為されなかったのだから無理もあるまい。
「それが…私にもわからんのさね」
 女らしからぬぞんざいな口調と共に、メルカは大きな溜息を吐き出した。
「そのあたりの質問は、人手が確保出来てからすればいいかと思って端折ったしね」
「じゃあ、『本人』に訊かないとわからないね」
 葵の視線がメルカの肩へと動く。そこには今回の依頼のきっかけとなったセキレイが、長い尾羽を時折り上下に揺らしながら止まっていた。
「まず名前から教えてもらえないかな。誰なんだい?」
「誰と云うより、何と質問するべきかもしれませんよ」
 どうやらアイラスは、依頼人の正体が人ではない可能性も視野に入れているらしい。云われてみればありえる話だ。
「この世界じゃ、何が乗り移ってたとしても驚く事じゃないみたいだしな」
 ミリオーネも彼の示した仮説に頷く。
 直後、小さくそしてか細い声が聞こえた。
『名前は…無いわ』
 とは云っても、耳にではない。
 直接頭の中へと響いてきたのである。
(僕達とも、意志の疎通は可能だったんですね)
 或いはメルカ以外には依頼人の声は聞こえないのではないか――それが懸念されただけに、このいらえにはまず一安心だ。
 だが、答えの内容は安心出来るものではない。名前が無いとはどういう事か。
 相手が人ではないという可能性が、一気に色濃いものとなる。
『姿も、あなた達とは違うわ』
 やはりそういう事か。
『凄く小さいの…そうね、このぐらい』
 黒い背と腹部に黄色い羽毛を持つ小鳥は、メルカの肩を離れると、卓上に置かれたスパイス入れの上へと飛び移る。
「確かに…かなり、小さいな」
 男の手なら掌ひとつで包み込んでしまえそうな程だ。
「大きさはわかったけど、具体的な姿がわからないと探しにくいよ」
「あなたが一体何なのか、もっとはっきり教えて頂けませんか?」
 広い森の中で探すにはかなり厄介な大きさである事が判明した以上、外見や特徴を正確に把握しておきたい。
 だが、その点について依頼人が彼らの質問に答える事は無かった。
『それは……』
 ただでさえ小さな声を更に小さくして、そこから先は云い澱んでしまうばかりである。
「どうやら云いたくないみたいだね」
 何か事情があっての事かも知れぬが、これは厄介極まりない。
 探すとなれば苦戦は覚悟せざるを得ないようだ。
 やれやれと溜息混じりに肩をすくめると、ミリオーネは卓上のセキレイへと目を向けた。
「やれる限りはやってみるが、お前の話だけじゃ情報が漠然としてるからな…だから期待に沿えない可能性もある。それでも構わないか?」
『ええ…。その時は、私の生まれた場所が悪かったと思って諦めるわ…』
「生まれた場所…?」
 悲しげな依頼人の言葉に、アイラスの眉がわずかに持ち上がる。
「それはつまり、生まれた時からあなたはそこに居るという事ですか?」
『ええ…』
「そこはどんな所なのかな。他にも誰か、一緒に出られなくなってたりするのかい?」
 新たに判明した事実を受け、葵にも幾つかの疑問が浮かんだらしい。わずかに身を乗り出して、セキレイの顔をじっと見詰めながら問いを投げる。
『暗くてよくわからないけど…私の側には誰も居ないみたい。この子が通りかかったのも、隙間からやっと見えた程なの』
「じゃあ、そこが森のどの辺りかは?」
『……』
 無言のまま、セキレイの頭がゆるゆると左右に振られた。何しろ外の世界を見たのは生まれて初めてなのだから、それを説明するのはやはり難しいらしい。
『あ、でもひとつだけ――低い場所、だったわ』
「低い場所、ですか」
 幾つか情報は追加されたが、やはり位置の特定は難しそうである。
『わかりにくい事ばっかりでごめんなさい…』
 曖昧な説明しか出来ぬ心苦しさを感じているのだろう。消え入りそうな声の謝罪と共にセキレイはうなだれた。
「とにかく、行ってみるしか無いな」
 ミリオーネが席を立つ。
「言葉で説明が出来なくても、実際に行ってみれば思い当たる事もあるかも知れない――ここで頭を抱えてるよりは建設的だろ」
 その言葉に促され次々と席を立ちかけた彼らを、不意に別方向から呼び止めた者があった。
「もし良かったら、彼女も連れてってもらえないかしら?」
 呼び止めたのは、ステージの縁に腰を下ろし彼らのやり取りをずっと聞いていたエスメラルダである。「彼女」とは一体誰の事なのか――訝る一同がそちらへ目を向ければ、エスメラルダの視線はステージの中央に向けられていた。
 そこには、長い髪と豊かな曲線を持つ女の石像がひとつ……まさか、この像の事だろうか。
「レピアさんですよ」
 エスメラルダの云わんとするところをいち早く察知したアイラスが、彼女に代わって説明を始める。
「さっきまでここで踊っていらしたんですが、朝になって石化してしまったんです」
「そういう呪いがかけられててね…おかげで今はこんな姿だけど、日が沈めば人間に戻るから。今の話を聞いてると手間取りそうな感じだし、もし日暮れまでかかるとしたら、人手は多い方がいいでしょ?」
 なるほど。
 云いたい事はよくわかった。
「僕は別に構わないと思うよ。それにしても…昼間は石になっちゃうのか。光合成できないなんて、可哀相だな…」
 万事が光合成基準な葵の発言にはツッコミのひとつも入れたくなるが、レピアに同行してもらう事そのものには、アイラスやミリオーネも反対は無い。
 ひとつ問題があるとすれば……
「どーやって、森まで一緒に来てもらうかだよなぁ…」
 日没までは動けぬレピアを呆然と見上げ、メルカは低い唸り声を上げた。
 
 
■陽射しの下で

 日はかなり高くまで上ってきたが、それでも朝の森の空気はひんやりと澄んでいた。
「どうです? このあたりの景色に見覚えはありませんか?」
 依頼人のセキレイを伴ったアイラスは、足元に茂る草を踏み分けながら、木立ちの間を奥へと進んでゆく。
『ええと…もっとひらけた場所だったような…』
「もっと見通しが良い所ですか?」
『ええ。外に出た時、凄く広いって思ったから…』
 森と云えば木々と草ばかりが定番だ。しかもこの森の木は、殆どがブナばかりのようである。生まれて初めて外の世界を見た目には何処も同じ景色に見えるらしく、答える声には自信が無い。
 それでも、精一杯思い出そうとはしているのだろう。アイラスの肩の上でせわしなく周囲を見渡す様子は必死そのものだ。
「この先は更に木が多くなってるみたいですし、少し引き返してみましょうか――ねえ、葵さん?」
 肩越しに振り返りながらアイラスは葵の意見を問うが、ついさっきまでそこに居た筈の蓬頭の青年の姿は、いつの間にか忽然と消えてしまっていた。遠くにミリオーネとメルカの姿はあるが、さて葵は一体何処へ……
「葵さん?」
「ここだよ」
 もう一度呼びかけてみると、あらぬ場所から声が上がる。何と足元だ。
「……何をしてるんですか?」
 木漏れ日をぽかぽかと背に受けながら、何故か草の上に腹ばいになった状態で、葵は木々の間を凝視している。
「探してるんだよ」
 本人はそう云うが、アイラス的には戦線離脱で光合成モード突入としか見えない。
「低い場所って云ってたから、視点を低くしてみたら何かわかるんじゃないかと思って――僕が思うに、木の根や岩の隙間なんじゃないかな」
 確かにそうした場所は立ったままでは見えにくいが、意図があっての事ならば、まずそれを先に云ってほしいものだ。
「……実は、ちょっとだけ光合成も兼ねてたけど」
 黙っていればいいものを、照れ笑いと共に正直申告してしまうあたりは憎めない。
「まぁ実際、いい天気ですしね」
 ついアイラスの口元も綻んだ。
「日のあるうちに見付かったら、皆さんで光合成しましょうか」
「そうだね」
 そもそも皆を光合成に誘うつもりで黒山羊亭にやって来た葵に、勿論否やは無い。それどころかアイラスの提案で、俄然やる気が倍増されたようだ。
「頑張るよ」
 そして捜索が再開される。
「広くて木の根や岩に隙間がありそうな場所となると…あちらの方でしょうか」
「あ、ここに隙間が…って、何も無いな」
「なるほど。寝転んでみると、確かに見え方がかなり変わりますね」
「あ、そうだ――実は僕、記憶喪失なんだ。どっかに僕の記憶が落ちてないか、良かったらついでで探しといてもらえないかな」
 ぽかぽかと穏やかな日差しが降り注ぐ下、つられて会話も何となくのどかになりながらも、ふたりは地道な「足元ローラー作戦」を続けていった。


■五人と一羽に

 気が付けば陽は西へと傾き、夜の気配が迫り始めている。
 しかし、四人と一羽の姿は未だ森の中にあった。
『どうしよう…見えなくなってきたわ』
 徐々に暗くなってきた空を見上げ、セキレイの身体を借りた依頼人が泣きそうな声を上げる。
 身体を借りている以上、依頼人の視力はセキレイのそれだ。鳥の目では、闇の迫り始めた森の景色は既に相当見づらくなっている事だろう。
「普通の鳥なら、そろそろねぐらに帰る時間ですしね」
「時間切れかな」
 アイラスや葵の声も重くなる。
「灯りを用意して探すのを続けるか、それとも明日に持ち越すか…どっちかだろうな」
「いや…もしかしたら、何とかなるかも」
 ミリオーネとメルカの言葉は、殆ど同時だった。
「え?」
 皆が目を丸くする中で、「出来るかどうかは自信無いけどね」と呟きながら、メルカは持参の杖をかざして一羽の白い鳥を召喚する。隼に似た姿形の鳥――アイラスと葵とミリオーネには見覚えのある、メルカの使い魔だ。
 ただし、以前に見た時とは違って、今は普通の鳥と同じ大きさにされているが。
「魔法で出来た鳥だから昼も夜も関係無いし。もし出来るなら、今度はこいつの身体を借りるって事で…」
 さて、どうだろうか。
 皆の視線がセキレイへと集中する。
『やってみるわ』
 依頼人が応じた直後――
 
 チィッ!
 
 高く鋭い声がセキレイの口から発せられた。
 驚きとも悲鳴とも取れるさえずりを放ったセキレイは、そのままバタバタとせわしなく翼をはためかせながら四人の側を離れ、逃げるように木々の間を飛び去って行ってしまう。
「行っちゃったよ…」
『気が付いたら人間が近くに居て驚いたんでしょうけど…身体を貸してもらったお礼、云いそびれちゃった』
 残念そうな声。
 セキレイが居なくなったのにまだ依頼人の声がするという事は――
「成功したみたいですね」
 これで夜目の問題はクリアされた。
 更にもうひとつ……
「そろそろ最後の助っ人が来てくれるみたいだよ」
 小型化の魔法をかけたまま、ずっとポケットに入れて連れ歩いていたレピアの像を、メルカはそっと地面に置いた。元の大きさに戻すのとほぼ同時に、石像だったレピアの体が生身のそれへと変化する。
「――あら? あたし確か黒山羊亭に居た筈なのに…エスメラルダは何処?」
 どうやら石化している間の記憶は無いらしい。青く大きな瞳に驚きと戸惑いを浮かべながら周囲を見回すレピアに、アイラスが事情をかいつまんで説明した。
「……つまり、一緒に探せばいいのね? 構わないわよ」
 本当に手短な説明だったのだがレピアの理解は早く、そして突然の依頼を快く引き受けてくれる。頷いた後に、「でも」と言葉が続いた。
「その様子じゃかなり探し回った後みたいね…疲れてるでしょ。少し休んだら?」
 確かに彼女の読みの通りだ。全員が既に疲労困憊で、体力だけでなく集中力の方も切れがちになってきている。
 一同はその場に座り込むと、もう一度情報を整理し直す意味も兼ねた休憩を取る事にした。
「ちょっとでも、気分転換になればいいんだけどね」
 軽く肩をすくめ、艶めいた美貌にわずかな苦笑を浮かべると、まだ疲れていないレピアが踊りだす。疲労や見付からないのではという不安に捉われ始めた皆を、元気付けるつもりなのだろう。
 ふわりと重力を感じさせぬほどに軽いステップで草を踏みしめながら舞うその姿に、誰からとも無く簡単の吐息が洩れて出た。
「見事なもんだな…」
「そうですね。軽やかで、まるで鳥のようです」
 アイラスの口をついた感想に、「そう云えば」と何かを思い出したような声を上げる者があった。葵である。
「あのセキレイ、何処に行ったんだろ?」
「それはやっぱり、自分のねぐらじゃないでしょうかね」
「ねぐらがあるのか…セキレイって、どんな所に住んでるんだろう」
「確か、川とか水辺だったと思いますよ」
 アイラスがそう答えた直後――
「それだ!」
 突如、大きな声が上がった。今度の声の主はミリオーネである。
「それ、って…何が?」
 いきなりの大声に、誰もが意図を掴めず目を丸くするばかりだったが、当のミリオーネは常に無い程の興奮を見せたままだった。そのまま彼は依頼人の方を向き、ひとつの質問を投げかける。
「お前があの鳥に会ったのは明け方だったんだよな?」
『ええ。まだ夜が明け切らない頃だったと…』
「ならばあのセキレイは、起きて間も無い頃だった筈だ。巣からもまだそんなに離れちゃいなかっただろう。つまり――」
 彼は何を云わんとしているのか。
 それを察知したレピアが、続く言葉を引き取った。
「つまり、あのセキレイの巣の近くに依頼人の本体がある――そう云いたいわけね?」
「そうだ」
 きっぱりと、ミリオーネは頷いてみせる。
 実は彼は捜索を始めたその時から、ずっと何かを見落としているような気がしていたのだ。
 何故、依頼人の許を通りかかったのがセキレイだったのか…見落としとはつまりその部分である。この疑問を時間の流れと照らし合わせて考えてみれば、こうとしか結論の出しようが無い。
「なるほど…そうなると、川の近くを探してみるのが一番早いかもしれませんね」
「行ってみよう」
 葵に促され、一行は立ち上がった。
 
 
■月明かりの下で

 川沿いのひらけた場所の隙間のような所――当初を思えば、かなり範囲が限定されてきた。
 メルカの杖が放つ光を頼りに、再び地道な捜索が開始される。
 そして、小一時間ばかりが経過した頃……
『ここ…見覚えがあるような…』
 中流域のある箇所で、依頼人の動きが止まった。自身の記憶と照らし合わせるように、何度も周囲を見回してみる。
「本当ですか?」
『ええ…』
 勿論、昼と夜では同じ場所でも雰囲気が変わるため確実とは云えないだろうが、今はこの言葉を信じるしか無い。
 角度や見え方などをその都度本人に確認してもらいながら、五人は周囲の隙間をしらみつぶしに調べ始めた。
 そして――
「ここ、何かあるわね」
 レピアが目を止めたのは、一本の古いブナの木の根元だった。もはや老木の域に達しているその木の根元には、小さなうろのような穴があいている。その奥に、ちらりと何かが見えたのだ。
 杖の灯りをかざしながら、他の四人もその穴を覗き込む。
 まるでガラス細工のように可憐で儚げな、青い二枚の葉と細い茎……
「――リエスナ草だ」
 驚きを通り越し、半ば呆然としたような声音の呟きがメルカの口をついて出た。
「リエスナ草の芽だよこいつは」
「…? 何だそれは?」
 異世界から来た者達には、ソーン固有の植物は馴染みの無い物が多い。初めて聞くその名前に、誰もが戸惑い顔でメルカと青い双葉を見比べるばかりだった。
「聖獣の加護を受けた花さ。動く事は出来ないけど、人間と同じように意志や感情持ち、不思議な力を使う事もある。数が減っててね…私も見たのは150年振りだよ」
 ――150年?
 今何か気になる言葉を聞いたような気がするが、女性に年齢と体重の話をするのは禁句だ。ここは聞き流しておく事にしよう。
「…そんな花があったとはな」
「どんな花が咲くんでしょうね」
 微妙にメルカから視線を逸らすような格好で、ミリオーネとアイラスはリエスナ草を見詰める。その隣で、葵が依頼人の方を振り返った。
「これが、そうなんだね?」
 まるで彼の言葉に頷くかのように、白隼の頭が上下に揺れる。それから「ごめんなさい」と、小さな謝罪の言葉が五人に向けられた。
『一日かけて探した相手が草だったなんて…怒ってるでしょう?』
「確かに驚きましたけど、でも、怒ってなんていませんよ」
 穏やかに云いながら、アイラスはその目元に笑みを浮かべる。
「こんな所で咲いてたんじゃ、助けを求めたくなるのも当然でしょうしね。謝る事なんて無いから」
 レピアもさばけた笑顔で頷き、
「光合成の出来ない場所なんて嫌だよね――うん、僕だって、こんな所には居たくないよ」
 普段はピントがずれて聞こえる葵の光合成基準な発言も、相手が相手だけに、今回は云い得て妙だった。
「もっと広くて日当たりのいい場所に植え替えてやるとするか」
「そうですね」
 ミリオーネが周囲の土を掘ってうろの入り口を広げ、アイラスが二本のサイを器用に使って、根を傷つけぬよう慎重に青い双葉を掘り起こす。
 こうして、本来の姿へと戻った依頼人の身体は、広々とした景色の中へ植え替えられた。
『…ありがとう』
 最初は弱々しく消え入りそうにすら見えた二枚の葉が、月明かりの下では澄んだ輝きを放って見える。
「ここなら光合成もし放題だね」
「どんな花が咲くか興味がありますし、時々会いに来てもいいですか?」
『ええ。そうしてもらえると、私も嬉しいわ』
 答える声にも、先ほどまでのか細さは無い。
 ――つと、風が吹き、青い双葉がゆらりと揺れた。
 再会の約束に頷くような動きだった。
 
 
■エンディング

 そして今夜も、黒山羊亭はいつもの賑わいに包まれている。
「憑依の術が使えるから、てっきり魔法使いかと思ったんだけど――まさか花の芽だったなんてね」
「この世界には、まだまだ俺達の知らない不思議が多いみたいだな」
 片隅のテーブルについた五人は、今日の顛末をエスメラルダに報告しながら、ささやかな慰労会を催していた。
 テーブルの上には山盛りの料理と数本の酒……一日歩き回ってようやくありつけた食事を前に、誰もが満足げな笑顔だったが、何故かメルカだけが微妙に遠い目をして卓上の料理を眺めていた。
 隣席のレピアがその表情に気付き、くすりと笑いながら彼女の肩に手を置く。
「相手が花じゃ報酬なんて払えないし…仕方ないでしょ?」
 そのため、報酬代わりにメルカが今夜の勘定を支払う事になったのだ。遠い目をするその脳裏では、並んだ料理の合計金額が算出されているのだろう。
「そんなに高いものは注文しませんから。安心して大丈夫ですよ」
 苦笑しつつのアイラスの言葉も、果たして耳に届いているのかどうか。
「もし注文したとしても、残さず全部食べれば無駄にはならないし」
 葵の一言はやはり何かが微妙にズレている。
 深々と、それこそ魂まで抜け出しそうな程に大きな溜息が、テーブルの上へと吐き出された。
「さっさと帰って寝るつもりだったのに…」
 朝の一発目から予定が狂いまくった事を、改めてしみじみと嘆く声。
 しかし、話はこれだけでは終わらなかった。
「あーっ、先輩! こんな所に居たんですか!? 探しましたよぉ!」
 店中に響かんばかりの大声が、メルカの背中へと投げられたのである。
 皆が一斉に声のした方へと目を向ければ、入り口の扉のすぐ前に、ひょろりとした体格の青年が立っていた。身なりや手にした杖を見るところ、メルカと同じ魔導師だろうか。
 彼はつかつかとこちらに歩み寄ってきたかと思うと、世にも残酷な報告をメルカに対して行った。
「団長がお呼びです。こんな所で油売ってないで、急いで城に戻って下さい」
「……え?」
 つまり、夢の帰宅はまたも次回持ち越しという事だ。
「たまにはこういう日もある――強く生きろよ」
 ただでさえ遠かった目を更に数千キロ単位で遠くさせた友人の肩を、ミリオーネがぽんと叩く。
 しみじみと言い聞かせるようなその声に、アイラスや葵、それにレピアとエスメラルダの苦笑が重なった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649 / アイラス・サーリアス / 黒 / 19 / フィズィクル・アディプト】
【1720 / 葵 / 男 / 23 / 暗躍者(水使い)】
【1926 / レピア・浮桜 / 女 / 23 / 傾国の踊り子】
【1980 / ミリオーネ=ガルファ / 男 / 23 / 居酒屋『お気楽亭』コック】

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■         ライター通信          ■
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「夜明けの救助隊」へのご参加ありがとうございました。
時々こうして物凄く難解(意味不明とも云う)な依頼を出す事もあるらしい、ひねくれ者ライターの朝倉経也です。

今回は本当にわかり難い依頼だったかと思います。
「誰が来るんだこんな話に」と、自分で自分にツッコミを入れるほどだったのですが、こうして皆様にご参加頂けて、ありがたいやら申し訳ないやら…
次はもっとわかりやすい依頼を出します!(宣言)
……願望ですので三割ぐらい差し引いて聞いて下さい。

読み難い箇所や皆さんのキャラクターとプレイングを活かしきれなかった部分があるかもしれませんが、少しでもお楽しみ頂けたなら幸いです。

アイラス・サーリアス様
再びのご参加本当にありがとうございました(礼)。
以前にお会いした時と職業欄の説明が変わっていて、興味深く拝見しました。
今回の依頼ではそのあたりを反映出来なかったのが残念ですが、銃器を使うアイラスさんはどんな風なんだろうと、少し心惹かれました。

またお会いできる機会がある事を、心より願っております。