<東京怪談ノベル(シングル)>


月夜の夢



『月夜の晩に……会いに行く』

 僕はそう別れ際にオーマと名乗った人物に約束した。
 あの約束は本気だったのだろうか。
 僕はオーマの元に行っても良いのだろうか。
 不安なまま時が過ぎていく。
 会いに行く内容は余りにもおかしなもので、普通の人が聞いたら正気だとは思わないだろう。
 僕は僕の相棒と一緒にオーマの夢を食べに行くのだから。
 僕の相棒は夢を食べなければ生きてはいけない。
 だけどこの世界で夢を食べられたものはすぐにではないが皆死んでいく。
 それなのにオーマだけは別だった。
 僕の相棒に夢を食べさせてくれるって言った。自分は特異体質だから夢を食べられたくらいじゃ死なないからいくらでも食べろと言ってくれた。
 僕たちのことを怖がるなら分かるのに、笑顔で俺のところに来いって言うんだ。
 本当に僕はオーマの所に行っても良いのかな。
 明日は……きっと月夜になる。


 僕はすとん、と木の枝の上で風を受けていた。
 真っ暗な空に浮かんだ白い月。
 それは淡い光を投げ、僕の白い顔を照らす。
 オーマと出会った海の傍にある木の上に僕は居た。
 上空に吹き上げるような風が僕の周りを踊る。
 以前出会った時はオーマの中にある彼の娘の姿を映して彼の前に姿を現した。
 だけど今はボク自身の姿。
 プラチナの肩までの髪を靡かせ、暗闇に光るのは真紅の瞳。
 黒のシンプルなドレスに身を包んだ僕の姿をオーマは見つけるだろうか。
 そして僕の相棒は僕の影の中にいる。

 月の光に目を細めながら僕が空を仰いだ時、後ろから声が聞こえた。
「よぉ。待たせたな。夢喰い魔のお嬢ちゃん。なんだ俺が来るのが遅いからって拗ねてそんなトコに立ってやがんのか?俺としたことがレディを待たせるなんて全く野暮なことしちまったな。これだから歳は食いたくねぇなぁ」
 悪ぃ悪ぃ、とオーマは僕にそう告げてニヤリと笑った。
「別に……そんなんじゃない」
 そう告げて僕は木から飛び降りてオーマの隣に立つ。
 まさか本当にやってくるとは思わなかった。
 それに時間だって決めていないのに。もし僕が来ていなかったらずっとここで待っていたのだろうか。
 でもオーマは待っていただろうと僕は確信する。
 それがわざわざ夢を食べさせに来ることでも。
 僕が来ないかもしれなくてもオーマはきっとここで待ち続けるだろう。
 僕が相棒を見捨てることは出来ないことを知ってるから。
 僕が他人を殺すことを嫌がっているのを知っているから。
 オーマは他人の痛みをまるで自分のことのように考えてるような人物だった。

 隣に立ったオーマはやはりとても背が高くて僕は見上げてしまう。
「俺の娘の姿も良かったがこっちの姿の方が色っぽいじゃねぇか。こりゃ、大きくなったらうちのカミさんと同じぐらいナイスバディで色気ムンムンで大変なコトになるんじゃねぇか?もう人真似なんざやめてずっとこっちの姿で居た方がいいと思うぜ。ま、他の奴に姿を変えたところで、俺にはちゃーんとお前さんの姿見分けられる自信はあるがな」
 かっかっか、と豪快に笑うとオーマは僕の頭を撫でる。
 前も思ったけどなんだかとてもくすぐったい。
 頭がじゃなくて心が。
 この感覚はなんだろう。
「ところで、お前さんの相棒はどうした?まだ影の中でおねんねか?こんなに綺麗な月夜なのに腹空かせて寝てんのは余りにも淋しいんじゃねぇか?ほらほらさっさと飯食ってのんびりしようや」
 それとお前さんはこれ食えるだろ、とオーマは僕にバスケットを差し出した。
 大きな体でオーマが差し出したこのバスケットは普通のものと変わりないはずなのにとても小さく見える。
「これは……?」
「んぁ?いらねぇとか言うなよ?俺様の愛情がぎっしり詰め込まれたイロモノ親父特製ラブラブドリームサンドイッチを食わねぇとは言わせねぇぞ」
「ラブラブドリーム……?」
「愛も夢もたっぷり詰め込まれた食いモンってことだな」
 くすり、と思わず笑みが漏れる。
 なんだか胸焼けしそうなサンドイッチだ。
 こういう周りを巻き込んでしまうような物言いがオーマの凄さの一つでもあるような気がする。
 話していると思わず笑みが漏れる。こんな感覚長い間忘れていた。
 僕が笑ったことで満足そうな笑みを浮かべたオーマは僕の頭を撫でながら言う。
「とにかく、これを食えばお前さんもバッチリ俺の愛情たっぷり受け取った俺の娘になれるって訳だ。親父道師範の俺は娘志願者いつでも熱烈大歓迎。ついでに腹黒同盟への加入もオススメしとくかな」
 オーマはひょいっと僕のことを抱き上げて、近くのベンチへと運ぶ。
 そこに座らせられた僕の膝の上にはさっきのバスケット。
 どかっ、と隣に腰掛けたオーマは、さっさと食っちまいな、と告げた。
 本当はお腹が空いていた僕は、頷いて素直にバスケットを開ける。
 イロモノ親父の作った愛情たっぷりのサンドイッチといっていたからどんな代物が入っているのだろうとそれなりに心配したのだが、その中には本当に美味しそうなサンドイッチが詰まっていた。
「食べて……良いの?」
「お前さんの為に作ったって言ってんだろうが。食わないでどうする。それともなにか?包容力たっぷりの俺様に『はい、あーん』って食べさせて貰いたいってか?おぅおぅ、なんだかそれも良い考えだな。よし、それでいくか」
 本当にサンドイッチを持って食べさせてくれそうなオーマに僕は首を振って辞退を申し出る。それはちょっと恥ずかしすぎる。
 すると残念そうにオーマは、親父の愛情は届かねぇってか、と呟いた。
 でも僕が、美味しい、と呟いたら一気に元気が回復したようだ。
「そうだろそうだろ。これにはちょっとしたこつがあってな……あ、でもそれは企業秘密ってやつにしとくかな。そうしねぇと俺様の有り難みってやつが失われるかもしんねぇしな」
 そんなことないと思うんだけど。
 オーマと居るとなんだか心が軽くなる。
 僕が不安に駆られていたことが嘘みたいにその不安は消えて無くなる。
 オーマは約束を破らない。
 そして僕の心に温かいものをくれる。

「凄いね……オーマは。僕にないものをたくさん持ってて……」
 そう呟いた僕にオーマは首を振る。
「いいや、そう思ってるだけでお前さんの中にだって同じものがあるはずだ。俺だけが特別なんてものは一つもないと思うぜ。ただこーんなコトが出来てほんの少し特殊ってだけでな」
 これは具現化能力ってやつだ、と言いながらオーマは小さなゼンマイ仕掛けのオルゴールを取りだしボクの手に乗せた。
 それは小さいけれど綺麗な音を立てて流れる。
 まるでオーマの優しい心を奏でているようにも思えて僕は小さく微笑んだ。
「この力を使うにはほんのちょっとの代償があるけどな。でも面白いだろ」
 代償……それはどれほどの大きさなのだろう。
 僕には想像もつかないけれど。
 他人の為に自分の何かを犠牲にして、それでも目の前の男は笑っている。
「代償って……他人の為に自分の何かを削るの?なんでそんなこと……」
 そんな僕の問いにオーマはそれが至極当たり前で何でもないことのように笑う。
「コレだ、コレ」
 そしてオーマはいきなり僕の頬を引っ張った。
 突然のことに僕は固まる。
 ぐいぐいと頬を軽く引っ張り、そしてニヤリと笑うオーマ。
「笑顔だ笑顔。これが最高の等価交換だろう。俺が何かをして相手の顔に笑顔がある。至福だな」
 笑顔?
 そんな消えてしまうようなものに自分の何かを与えられるものなのか僕には分からない。
 でもオーマの目は嘘を言ってるようには決して見えなかったし、そんな嘘は付かないと思う。
 笑顔。
 確かに他人の笑顔は幸せな気持ちを自分にも与えてくれると思う。
 だけど、僕には他人を笑顔にするだけの力はないと思う。
「でもオーマと同じものを持ってたとしても分け与えることができなければ同じ……僕には出来ないな」
 持っててもそれを使いこなせなければないのと変わらない。
 僕にはオーマみたいに他人を幸せにすることが出来るものは何もない。
 自虐的に笑ってそう告げた僕にオーマが少し怒ったように言う。
「ちゃんとあるだろうが。そんなことにもお前さんは気づかねぇのか?この目玉は節穴か。よぉっく耳の穴かっぽじって聞けよ。誰にでも他人を幸せにそして笑顔に出来るもんが一つだけある。さっきも言ったが『笑顔』だ、笑顔」
 さっきだってお前の笑顔で俺の心ん中は暖かくなったぜ、とオーマは笑う。
 くしゃくしゃと僕の髪をかき混ぜながら。

 言葉が温かい。
 そして大きな掌が温かい。
 僕は優しさに包まれている。
 僕と僕の相棒はこの世界に突然飛ばされて二人きりだったけれど、オーマの存在がそんな僕らに暖かさをくれる。
 少しずつ淋しさが消えていく。

「とにかくお前さんも他人を幸せに出来るようなもんを持ってるハズだ。笑顔だけじゃなくてな。それを使うか使わないかは自分次第ってやつだろうけどなぁ」
 いっぺんに見つけなくてもいいだろう、とオーマが楽しそうに言う。
 人生楽しんでます、って感じのオーマのこの余裕が僕には羨ましくて仕方ない。
 でも僕もそんな生き方が出来たらいいなぁと思う。
「そう…だね。僕には僕の……生き方がある」
「なんだ、段々俺様の心意気が分かってきたようじゃねぇか。俺の娘として覚醒してきやがったな。俺もうかうかしてられねぇな。親父たるところをもっとバシッと見せつけてやらねぇと」
 僕は思わず吹き出してしまう。
 これ以上何をどう見せつけるって言うのだろう。
 もう十分僕はオーマのことを父親みたいに思ってるのに。
 だってこんなに温かくて、見ず知らずの僕らを優しく包み込んでくれる人は父親以外に居ないじゃないか。
 僕らはオーマの夢を食べ、オーマの優しさに触れて眠りにつく。
 それはとても幸せな夢。今までの何よりも幸せな夢。

「うん、ありがとう」
 僕は心からの笑顔を浮かべてオーマにお礼を言う。
 そんな僕に、よしっ、と言いながらオーマはもう一度僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。



 月夜になったら会いに来る
 僕と相棒の淋しさを温かな優しさで包み込んで
 僕もきっと最高の笑顔を見せるから
 オーマの心に触れるから

 月夜の晩に見る夢は
 温かく優しくて幸せな笑顔を僕の心に運ぶだろう