<東京怪談ノベル(シングル)>


朱の如き

 この身に宿るは、燃え上がるが如き力。この身に背負うは、焼かれんが如き罪。

 オーマ・シュヴァルツは小高い丘の上に立ち、じっと赤き目で空を見つめていた。
「もうすぐ、日も暮れる」
 ぽつりと呟き、それから「へっ」と小さく自嘲するように呟き、溜息をつく。
(あれは、いつの事だったか)
 ふとした瞬間に、思い出してしまうことがあった。それは思い出す事が無い時もあったし、逆に思い出して堪らない時もあった。
 今、オーマが実感しているのは後者の方であった。目の前に沈もうとする太陽が、この異国の地であるソーンという世界に於いて沈もうとしている太陽が、思い出を呼び起こして仕方が無いのだ。
「俺は、俺だ」
 再びぽつりと呟き、そっと顔を上げる。言葉にせずに入られないかのように、オーマは呟く。言葉にする事によって、それが本当の言葉であると思えてくるから。
「俺は、俺以外の何者でもなく」
 更に呟き、ぐっと手を握り締める。
――くすくす。
 声が聞こえた。今、声がしているのではない。自らの心のうちから響いてくる、不愉快な笑い声である。
(ああ、また笑ってやがるんだな)
 自分の心の中では、いつも笑っているのだ。オーマはそれを思い出す事が不愉快であると知っているのに、思い出さずにはいられなかった。
――くすくす……。
(笑うなよ)
 胸のうちの笑い声に言い放ち、それから溜息をつく。ぐっと握られていた手は、脱力感が混じって自然に開いていた。あの、耳の奥に残る笑い声のせいである。
「あれは……まだ、あっちにいた頃だ」
 ぽつりとオーマは呟いた。何度も繰り返そうとする思い出に、拍車をかけるかのように。そうする事によって、無意識に思い出している自分に歯止めを利かすように。
「そう……まだ、俺はあっちにいたな」
 オーマはそう呟き、じっと沈む準備を始めていた太陽を見つめた。オーマの目に映るのは、現在の太陽の姿ではもはや無かった。
 彼の目に映るのは、いつしか見た太陽の光であった。


 オーマは、目の前に立っている少年をじっと見つめた。日は幾分か沈みかけており、オーマと逆光になっている少年を赤く照らし出していた。少年はただくすくすと笑うだけで、何も言葉は発さぬ。
「……お前、分かっててそういう事をしてるだろ?」
 オーマは半ば呆れつつ、そう言って溜息をつく。がしがしと黒髪を掻きながら。だが、少年は相変わらずくすくすと笑っているだけだ。
「全く、どうしてこうして俺にこーゆーのが回ってくるかな?なぁ?」
 愚痴のように言い、少年に向かって問い掛ける。少年は相変わらず笑っているだけだ。
「お前、ずっと笑ってるが……言葉を知らない訳じゃねぇよな?何といっても、人型にまで姿を変えてるんだもんなぁ?」
 すう、と少年の笑いが収まる。目がそっと開かれ、紫苑の目でオーマを見つめる。オーマは小さく口元だけで皮肉を含んだ笑みを浮かべる。
「人の姿を取れるってことは、そうとう高位の奴だな。で?何でこんな事をしでかしてるんだ?」
「……見に来ただけだ」
 初めて、ぽつりと少年は呟くように言った。脳内に直接響くかのような、響く声だ。
「何を?俺をかい?」
 悪戯っぽくオーマが言うと、少年が笑みすら浮かべずに再び口を開く。
「我が本能の赴くままに破壊すべき場所を、盾となりて守りし輩を」
 少年には似つかわぬ物言いで彼は言い、地を蹴ってオーマに近付く。
(速い!)
 オーマは慌てて構えを取りつつ、少年が放ってくるだろう攻撃に備える。だが、少年がオーマの懐に入り込むと、攻撃するのではなくただ笑った。にやり、と。
「我と幾分も違わぬ存在が」
「はぁ?」
 少年の言葉に惑わされる事も無く、オーマは眉間に皺を寄せながら警戒を強める。
「何故このように行動せしかと」
(……紫苑の、目)
 少年の口から紡がれる言葉と共に、静かに目が光る。オーマは眉間に皺を寄せたまま、警戒を強めたまま、それでも少年の目に引き込まれるかのように見入る。
「破壊の何処が許されぬ?どうしてそのように守ろうとする?」
「……破壊が許されないのは当然の事だし、守るのもまた然り、だな」
 オーマはそう言い、少年の目から逸らそうとした。だが、妙な引力が働いているかのように、オーマはただじっと、少年の目を見てしまっていた。
「当然?そのような言葉が出てくること自体、おかしいとは思わぬか?」
 少年はそう言い、口元だけで笑う。オーマの見入る紫苑の目は、全く笑ってはいない。ただ冷たくオーマに向けられている。……否、向けられているのはオーマだけではない。この世に存在する全てのものに、少年は冷たい目線を送っているのである。
「本当に守らねばならぬ存在かも怪しいというのに」
「……さすがはウォズ様ってとこかねぇ?」
 呆れたようにオーマはいい、嘲笑を浮かべる。だが、少年はそんな事は全く構わずに言葉を続ける。
「何を言う?我らを狩る事の出来る力をその身に宿しつつも、そう言うか」
「あーじゃあ、言い方変えようか?凶獣様?」
 少年はその言葉を聞き、一瞬きょとんとした後ににやりと笑う。相変わらず、何も映していないかのような目で。
「我を封印しようとしているのは分かっている。十二分ほど」
「ま、それがヴァンサーの仕事なんでね」
 オーマはそう言い、にやりと笑ってそっと手を握り締める。少年はこっくりと何度も頷きながらくすくすと笑う。
「結構結構。それこそが我らの関係の全てであり、それこそが我らの生き抜く道でもある」
「生き抜くだぁ?はん、ご大層なこった!俺に封印されるのがお前の運命だと言うのに」
 オーマは皮肉を含みつつそう言うと、淡い光を放ちながら己の背丈ほどもある大きな銃器を形成する。それを見た途端、少年は目を大きく見開きながら大笑いする。声を上げ、一心不乱にただただ笑う。
「あはははは!それだ、それなのだ!それこそが我らが罪咎、汝らが罪垢!」
 少年はオーマの具現能力によって作り上げられた銃器を見つめ、笑い声を留める事を知らないかのように続ける。
「その力こそ、我らが異端よ。その能力こそ、汝らが畏怖を抱かれし業よ!」
 少年はそう言い放ち、ただただ笑う。オーマは大きく息を吐き出し、銃器を構える。
「……で、言いたいことはそれだけかい?」
 オーマの言葉に、少年は笑い声を上げるのを止め、にやりと笑う。オーマはその笑みに答えるかのように小さく笑い、銃器のトリガーを引いた。
 大きな衝撃がオーマに訪れ、銃器からは銃弾が発射された。一直線に、少年へと向かって。そして暫くし、静寂が訪れた。もうもうと上がる白煙と、ざあ、という空気が引いていく音がその場を支配する。
「……へらず口ばっかり言いやがって」
 オーマは小さく呟き、銃器を消し去る。だんだんとよくなる視界の中、封印を施す為に少年を探しながら。だが、白煙がおさまったにも関わらず、少年の姿は何処にも無かった。ただあるのは、抉られた地面だけだ。
「何……?」
 小さくオーマが呟くと、あの「くすくす」という少年の笑い声が聞こえてきた。オーマは身構えながら、声の聞こえた方を向く。そこには、あの少年が立っていた。そして、一言だけ言い放つ。
「……また会おうぞ」
「待ちやがれ!」
 消えようとする少年に、オーマは慌てて再び銃器を形成して放とうとしたが、少年が消える方が早かった。暫くは少年が再び姿を現すのでは、と油断無く見ていたが、いつまで経っても出てこない。オーマは一つ溜息をつきながら諦め、銃器を消す。
「あんにゃろう」
 オーマは小さく呟き、それから空を見上げる。いつの間にか染まっていた、朱の空を。


 ソーンという場所に来てからは、あの少年の姿をしたウォズには会ってはいない。だが、こういう空を見ていると不意に思い出してしまうのだ。「また会おう」と言った少年を、ただひたすらに笑い続ける少年を。
「俺は、俺だ……!絶対的に、違うんだからな!」
 オーマはそう言い放ち、沈んでゆく太陽を見つめた。いつしか見た、あの空の色と同じような赤い空の中に存在する、大きく燃えるように赤い太陽を。

<逢魔が時の朱の如き空の下で・了>