<東京怪談ノベル(シングル)>


宿命のお客様方には最高のもてなしを。


 夜の路地裏。
 友人と芳しい生命の水をしこたま飲み干したその後、いつでも離れぬ相棒のちびドラゴンと共に、修理――と言うよりついでにヴァージョンアップの最中でもある我が家こと海賊船「スリーピング・ドラゴン」への帰路へ着こうとしていた男がひとり。
 ユリアン・D・バニラスカイ。
 ………………否、キャプテン・ユーリと言った方が通りが良いか。
 この彼は「スリーピング・ドラゴン」と名付けられた船を擁する海賊、ユリアン一家のキャプテンであるのだから。
 聖都エルザードでもそろそろこの名は知れている。
 …隠れるつもりもないが、それ程目立つつもりもないのだが。


 キャプテン・ユーリは御機嫌に鼻歌混じりで歩いている。
 と、その前に。
 遮るように影があるのに気付いた。夜の路地裏、その暗がり、更に濃い影が居る。――何処か、異形の姿。
「ん?」
 ユーリは足を止める。
 その異形の姿は、嗅ぎ慣れた魔導の気配がする造り。普通の人型…それにしては多少の違和感がある形。そう、例えば――天羽衆の者。心当たりを即決見付けるなり、ユーリの青色の瞳が少々険を帯びた。…けれど表情は特に変わらない。いつもの如く。ただ、ちょっとだけ意外そうな――曇ったような色が見えただけ。
 立ちはだかる異形の魔人は動かない。何も言わない。そもそも見ているのかどうかさえわからない――が、ただ、ユーリだけに意識を向けている事は確実で。最早言葉すら失われる程に『作り変えられた』者なのか。
 何処か心配そうな金色の瞳がユーリの顔を見上げている。金色の瞳、その持ち主は麗しい美女――ではなくいつでも離れぬ我が相棒でもある赤色のちびドラゴン。こいつも目の前の異形に不穏なものを感じたか。
 と。
『すりーぴんぐ・どらごんノくるー…今コノ時ノきゃぷてん、ゆりあん・D・ばにらすかい…ダナ?』
 異形から声が発される。多少不自由ながらも、言葉はあるようだ。
「いかにも。僕がユリアン・D・バニラスカイ――スリーピング・ドラゴンのキャプテン、キャプテン・ユーリ。さて、そう仰るキミには名乗るべき名はないのかな?」
『…我、天羽衆ガヒトリニ数エラレシ…モノ。ゆりあん・D・ばにらすかい…ソノ命、貰イ受ケル』
 そう告げると異形の魔人はぞろりと両手の指を開き揃えた。異様に伸びた指先――爪とでも呼んだ方が相応しそうな鋭く煌くそれ。殆ど人型であるその背や腕からも同様の鋭い突起が生えていた。
 ユーリはそんな魔人の姿を見、小さく肩を竦めると仕方無さそうに息を吐く。
「ふむ。ソーンに来てからは久しくまみえていなかったが…どうやらそのまま僕たちを忘れていてくれた訳ではなかったようだな。…確り掴まっていろよ? 我が相棒よ」
 科白の後半でユーリは肩口に留まった赤色の『相棒』にそう告げ、腰に佩いた長大なロング・レピアを抜き放つ。元々長身であるユーリのその身長の更に九割にも達する代物で、この彼以外では滅多に使いこなせる物では無い。
 そのレピアを抜いたと見るなり、異形の魔人はユーリに向け突進していた。いざ尋常に、そんな口上も特に無い。知能も低めとすぐに読めた。ソノ命貰イ受ケル、そう言った直後にはもう魔人に爆発する攻撃の意志が見えていた。僅か低い位置に沈む異形の身体。次の刹那、抜かれたレピアと魔人の爪が交錯するのはほぼ同時。
 火花を散らせ刃と爪を数度打ち合う。正面から一撃、横から二撃。払うような形に、飛び込んでくるように上方から。迎撃するユーリのレピアは一本、対する魔人の爪はそれより多い。更には両手に武器があり、両手以外にも即座に攻撃可能な武器がある。膂力ではユーリが勝るが、今この場の手数では少々負ける。確かに知能はそれ程高そうでは無い――それでもかの天羽衆に数えられる魔人だ。戦う為の知能はまた別である可能性も否定は出来ない。彼我のスピード差はどうか? …まだ読み切れない。
 ユーリが今付けている左手の義手はロックアップ――鉤付きのもの。引っ掛けて相手の攻撃を払うくらいなら役に立つ。生身の左手でない事が良かったか。それ程戦闘能力に期待は出来ないとはいえ即、補助的に使える武器でもある。白兵戦に於いて圧倒的な力の差は問題ではない。情報と戦略、そして速さのみが勝敗を決する。…今の場合はロックアップで好都合か。
 ユーリはレピアと義手の鉤で魔人の両腕――爪を一旦止める。力では勝る。…押さえれば止まる。
「…もう少し礼儀を勉強してはくれまいか?」
 決闘と言うには少々、逸り過ぎだぞ。
 一旦膠着させてから異形の魔人にそう告げ、ユーリは押さえたその両腕を突き放す。今度はユーリが先に出た。突き放したその相手へと飛び上がり、レピアを振り翳す。やや横薙ぎに斬撃。避ける異形の魔人。先刻承知。避ける方向は読んでいる。スピードも読みも取り敢えずこちらが上。だがその分、飛び退り避ける魔人の動きは人間離れしているところもある。有り得ない形で曲がる関節。襲い来る爪。それでもこちらも素人では無い。海賊、その名は伊達では無い。…無論度胸も。
 長く鋭い魔人の爪。それがユーリに達するかと言う時。
 ユーリは避けようともしなかった。
 ただ。
「はッ!!」
 裂帛の気合いと共に、ユーリはレピアの切っ先を力強く突き出していた。


 決闘の形と言った。
 ならば殺さねば終わらない。
 …望んだ者かどうかなど知らない。
 本来は望まぬまま異形の魔人とされた者であるなら殺すのは躊躇うが――定かではないそんな事を考えていてもどうしようもない。彼らが僕たちスリーピング・ドラゴンのクルーの命を狙っている事は間違いないのだから。
 ………………我が相棒にならともかく、彼らに大人しく殺されてやる義理はない。


 刃の残像が見えたか、そんな刹那にユーリのレピアが魔人の胸に突き刺さっている。斬撃よりも刺突の方が殺傷力は強い。更にはこのユーリのロング・レピアともなればその威力は更に強かろう。魔人の爪はユーリに達したか。それとも達していないか。僅か舞う鮮血と繊維、ユーリのもの。…頬と襟が掠められていた。
 ぐ、が、と苦鳴が聞こえる。なるべくならば聞きたくはない声。命を奪うのは嫌いだ。だがやらなければならない場合もある。僕はクルーの皆の命を預るキャプテンでもあるのだから。


 とうとう見付かったか。我らが海賊ユリアン一家も。
 我が宿敵、あの男の手になる天羽衆の魔人たちに。
 …否。まだ僕だけで済んでいるのかな?
 それならそれで有難いのだが。


 まぁ、どちらにしろ。
「…これも人生の彩りのひとつか」
 内心ともあれ特に深刻そうな顔も見せずにあっさりと呟き、ユーリはたった今レピアで刺し貫いた魔人をあっさりと放り投げる。優男然とした端整な顔立ち、その上に細身に見えても巨人とのクォーター、その膂力を以ってするならばこの程度の大きさ、重さの者は片手で簡単に扱える。どさりと地に落ちた相手を暫しじっと見てから、ユーリは意識を周囲に巡らせた。
 一応、倒したが、まだレピアを鞘に納めるつもりはない。
 ――この『ゲーム』は一対一の決闘、それが我が宿敵の決めたルールと言う話。
 …とは言え。
 それは単に、『同時にふたり以上で襲って来る事はない』、そして『不意打ちをしてくる可能性はない』だけ、とも言い換えられる。
 つまり逆手に取るならば、ひとりが戦闘不能にさえなったなら、すぐに次が来る可能性は否定し切れない。そして今は――今まで見付からなかった鬱憤を晴らすつもりか、ユーリを襲撃に来た天羽衆の魔人の数は、今倒したひとりでは終わらないようだ。
「まぁ、仕方あるまいか」
 ぽつりと呟いてから、キャプテン・ユーリは改めてレピアの先端を暗がりへ、そこに居るだろう次の相手たる魔人へと宣戦布告するよう、突き出した。
 こうなれば最早、背中を見せるつもりは毛頭無い。
 何人でもお相手しよう。
「折角のわざわざの御来訪、ただで帰すのは余りに忍びない――宿命のお客様方には、最高のもてなしをして差し上げよう」


【了】