<東京怪談ノベル(シングル)>


マッスル☆キング



「ごめんね」
 その言葉を聞いたとき、少年は目の前が真っ暗になった。
 くるりとまかれたまつげ、黒い伏目がちの大きな瞳がおずおずと少年を見上げる。
 少女は美しかった。ぬけるように白い肌。さくらんぼのようなふっくらとした唇。その口から、無情にもつぶやかれた言葉。
 
――ごめんね。

 少年は、歯を食いしばり拳を震わす。
 ざあと、一陣の風が二人のあいだを駆け抜ける。少女の長い黒髪が、そよそよと揺れた。
 少年はくるりときびすをかえし、駆ける。
 駆けている最中、頭の中で何度も何度もある言葉が繰り返される。
(マッチョ……マッチョ……)
 マッチョ。自分の肉体を極限にまで鍛え上げた逞しい漢達。腕を曲げると盛り上がる筋肉。白い歯をみせ輝くばかりの笑顔。それはある意味、究極の肉体を手に入れた人間のステイタスでもあった。
 だが、少年は違った。
 やせほそった体、青白い肌。眼鏡をかけ、長いローブを着込んでいる。どちらかといえばインテリで、魔法使いのようだった。とてもではないが、マッチョには程遠い。
 少女の言葉が蘇る。

――あたし……マッチョが好きなの……。

(マッチョ、マッチョなんて……!)
 少年の涙がきらきらと輝いた。


 

 ある晴れた、午後の昼下がり。
「ふあぁぁぁ……」
 大きなあくびをし、ぼーとしている男が一人。
 オーマ・シュヴァルツ。派手な着流しを粋に着こなし、銀縁の眼鏡をかけた親父である。医者兼ガンナーと状況、場所に応じて様々な顔を持つオーマだが、今日は薬草専門店店員としてここにいた。
 木でできたカウンターに横柄に足を乗せ、後ろの薬草棚にもたれかかる。ぱりぱりと棚に押し込まれた薬草が乾いた音をたてる。ふんふんと鼻歌を歌いながら、オーマはぐるりと周囲を見回す。
 薬草棚にはラベルを貼った壷や瓶が整然と並び、床には多くの木箱が置かれている。その中には、色とりどりの薬草が入っており、中には怪しい声を上げるものや、うねうねと奇妙に動くものまであった。
 天井からも、束になった薬草がいくつもぶらさげられており、芳しい匂いを放っていた。窓から柔らかな日差しが差し込む。オーマはふと窓の外を見た。
 様々な人々が行き交う様と、露天が見える。
「外にいきてぇな……」
 オーマは、両手を組み頭の後ろにまわした。
 と。
「おーまぁぁぁぁぁぁ!!!」
「!!?」
 突然扉が開き、声が響きわたった。
 入り口付近に取り付けられた金属片の呼び鈴が、けたたましい音をたてる。
「おーまぁぁぁぁぁぁ!!!」
 それは少年だった。 
 ひょろりとした体、青白い肌。眼鏡をかけ長いローブをまとっている。少年はつかつかとカウンターに歩み寄ると、突然オーマに飛びついた。
「うわっとぉぉぉっ!?」
 ずっしゃぁぁぁん!!
 そのままオーマはバランスを崩し、後ろに倒れこんだ。ぱらぱらと薬草の粉が舞い落ちる。
「えぐっえぐっ……おーまぁぁ……」
 少年はしゃくりあげ、その場に座り込む。
 オーマはぱんぱんと体のほこりを払うと、カウンター越しから少年に呼びかけた。
「おうおう、お前さんいきなりどうしたってんだよ? いくらこの俺がナイス親父☆オーラを放っているからって、店に入って数秒、飛びつく奴ぁ、そうはいないぜ? あぁん?」
「う……えぐ……ごめ……オーマ……」
 少年は、ぐいっと涙をぬぐうとオーマを見つめた。
「オーマ……オーマ……」
「ん? なんだ?」
 少年は立ち上がり、拳を固めると、どんっとカウンターを叩いた。
「マッチョになれる薬をくださいっ!!!」
「ぶほっ!?」
 そのあまりにも突飛な申し出に、オーマは吹き出した。しかし、少年の目は真剣だった。
「ここ、薬草専門店ですよね!!? それだったら、マッチョになれる薬もあるでしょう!?」
「ま、まぁ、あるっつったら、あるけどな……」
 オーマはぽりぽりと頭をかいた。
 少年の目が輝く。
「ホントですか!! お願いです!! それをボクに下さい!!」
 少年は必死でオーマに懇願した。
「まあ、探してみるけどよ」
 そういってオーマは、後ろの薬草棚に向き直る。
「……だけどお前さんよぉ、なんだってまたマッチョになりたいんだ?」
 分類されたラベルをつう、と指でたどりながらオーマは尋ねる。
「好きな人が……」
「おう」
 少年の声が震える。
「好きな人が、マッチョが好きだっていうんですっ!!」
 そういうと、わっと少年は泣き出した。
「…………」
 オーマは、ふうとため息をつく。
「でも僕はこんな体……」
 少年は、ぐすんとしゃくりあげた。
「だからっ! だから僕はマッチョになりたいんですっ!!」
 その言葉を聞き、ひくり、とオーマの頬がひきつる。こころなしか、指が震えている。だが、程なくして目的のものが見つかった。
 オーマは何種類か拾い上げると、カウンターに並べた。
「ほら、これだ」
 そこには、『マッスル☆キング』とかかれた薬草と、『みんなのアニキV』とかかれた薬草があった。
「あああっ!」
 少年は歓喜の声を上げる。そのまま薬草に飛びつこうとした、その時。
 ばっこぅっっ!!
「へぶるぐぅわっ!?」
 突如繰り出されたオーマの熱い鉄拳が、少年のあごに決まった。少年はそのままきれいな孤を描くと、入り口付近まで吹き飛ばされた。
「な……なんで……」
 少年はだばだばと涙を流しながら、あごを押さえた。
 オーマの拳がかすかに震えている。
「おうおう、おまえさんよぉ? 黙って聞いてりゃ情けねぇことばっかりいいやがって。好きな女がマッチョが好きだぁ?」
 オーマは、ずずいと少年に詰め寄る。
「は……はい……」
 少年はおびえたように、後ずさる。
「だからって、お前は薬に頼るのか? あぁん? おまえ自身は何も努力しないで、一時の肉体を手に入れようってのか?」
 その言葉に、少年は、はっとした。
 うんうんとオーマがうなずく。
「……薬に頼ったからってな、それは一時のかりそめの姿にしかすぎねぇ」
「じゃ、じゃじゃじゃあ、ボクはどうすれば……??」
 その時、にっとオーマが笑う。
「もしお前が本気なら。俺はとことんまで付き合うぜ」
 そしてオーマは、ぴんと少年のおでこを指でつまはじいた。
「はい……はい……!! ボク、やります!!」
 少年は、ぐっと拳を握りしめた。その表情は決意にみちていた。
「よし、じゃあ明日から早速トレーニングだ。いいな? にげんじゃねえぞ。これは男と男の約束だから…な」
 オーマは、ぐっと親指を立てた。


 翌日から、オーマと少年のあいだで厳しいトレーニングが始まった。
 足に重石をつけて、山を駆け上ったり、裸になってふんどしのみの格好で、冷たい滝に打たれたり。何度も根を上げて弱音を吐く少年に、オーマは激しい叱咤を飛ばした。そのたびに、少年は立ち上がり再びつらい修行を始めた。そして、何ヶ月かすぎ……。少年は修行に耐えた。


「お前も逞しくなったもんだな……」
 オーマは目の前の人物に、しみじみと声を掛ける。
「ええ……」
 男は、にっこりと微笑んだ。
 そこには見るも暑苦しいマッチョが佇んでいた。
 きらきらと照る肉体、凄まじいまでに隆起した筋肉。肌は浅黒く焼け、きらりと白い歯が輝く。
 それは少年であった。しかし、もう一昔前の少年ではない。
 完璧なマッチョであった。
「オーマ……本当にありがとう……」
 マッチョは、つぶやいた。
「なにいってやがるんだ、これしきビバ☆マッドムキムキDr.ことオーマ大先生がついてりゃ、マッチョのひとつやふたつ、どうってことねぇよ」
 マッチョは無言でオーマの手をとる。そして、がしっと固い握手を交わした。 
 オーマは、にやりと微笑むと同じく手を握り返した。
 二人のあいだには、形容しがたい友情が芽生えていた。
 少年が帰った後、オーマはふと薬草を目にした。
 それは『マッスル☆キング』と、『みんなのアニキV』だった。
「こいつは、もう必要ねぇな……」
 オーマは首を振ると、薬草を棚に戻した。


 後日。少年が振られたという噂を耳にした。
 理由は、気持ち悪いから。
 オーマはあえて、教えなかった。
 女の気持ちは、大変変わりやすいということに……。


<了>