<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
『封を閉じたミステリー』
<オープニング>
銀髪をきっちり結いあげた老婆が、黒山羊亭のカウンターに座っていた。縁無しの老眼鏡、衿の高いブラウス。どう見ても酒場に似合う人物では無いのだが、空になった水割りのグラスを高く上げてお代りを要求するしぐさも、堂に入ったものだった。
「アーリー先生、まだ飲むんですか?」
エスメラルダの言葉に、老婦人はむくれた。
「まだって。それこそまだ2杯目だよ」
彼女は、聖都エルザードに暮らす小説家だ。高齢なので今は寡作だが、かつては本屋のAの段にはアーリーの本がたくさん並んでいた。
「何か心配ごとでもあるんですか?」
「そうねえ。心配ごとってほどじゃないけど。
頼みたいことがあるんだ。冒険にはほど遠いので、ここでは少し頼みづらいのだけど、いいかい?」
アーリーの屋敷の書斎には、大きな本棚が何列も並んでいる。アーリーは、手紙を栞代わりに本に挟んだまま、うっかり本棚に片付けてしまった。今となっては、どの本に挟んだか全く覚えていない。
「手紙を探し出してくれる人はいないものかねえ?」
アーリーはため息をつくと、届いたばかりの水割りに口をつけた。
* * * * * * * * * *
「で、結局まだ飲(や)るんですか?」
いつの間にか隣の席にいたアイラス・サーリアスが、次を頼もうとマスターに手を挙げようとしたアーリーの手首を掴んだ。
「おや。久しぶりだね、アイラス。随分気安く女性の手を握るようになったじゃないかい」
「先生、そういう言い方はやめてくださいよっ」
長い髪を後ろで結んだアイラスは、あらわになった耳まで真っ赤になっていた。
「アイラスさん。先生は、無茶に飲むタイプのかたには見えません。事情がおありなのでは?」
もう片方の隣では、スティラ・クゥ・レイシズがカシスソーダをすすっていた。兄に似たまばゆい金髪の、爽やかな少女だ。普段は黒山羊亭のような呑み屋に顔を出すことは少ないが、保護者の兄が不在なので、羽を伸ばしに来たのだそうだ。そう、誰にでも、飲みたい時はある。
「ほほう、話のわかるおねえちゃんだ。初めまして、じゃよな?」
「はい。エスメラルダさんからお話は伺いました。私にもお手伝いさせてください」
「あ、僕も行くことになっています。でもその前に」
アイラスは、アーリーの空のグラスを伏せてカウンターに置いた。
「ウィスキーはここまでです。それから、依頼を受ける代わりに、今夜僕にお屋敷まで送らせてください」
「おやおや。相変わらずいい人だねえ。でも、送り狼は勘弁じゃよ?」
「せんせいっ!」
からかわれて、いちいち赤面するアイラスだった。
< 1 >
翌日、スティラがアイラスと一緒にアーリー邸を訪れると、先客がいた。デューイ・リブリースという15、6歳の少年だ。だが、「アーリー先生よりだいぶ年上だよ」と笑った。その外見は仮の姿なのだろう。『異空間図書館の司書・管理人』という不思議な職業の人だった。
「アーリー先生、本に挟んでしまったのは、どんな手紙なのですか?いえ、内容まではお伺いしません。封筒の形状を教えていただけますか。もちろん、首尾よく見つけられても、僕らは絶対中を見ないとお約束します」
アイラスがまず口火を切った。
アーリーが紅茶を入れながら、くくっと笑いを漏らす。
「あいかわらず堅い男よのう。ブランデーは入れるかね?」
「そうですね。お願いします」
「お嬢ちゃんは?」
スティラは、「え、あ、あのう」と口ごもった。せっかくアーリー先生が勧めてくださるのに、自分だけ断るなんてできなかった。
「お、お願いします」
「そう来なくちゃね」
アーリーは嬉しそうに、ティーカップにブランデーをぼこぼこと注いだ。飴色の水面が波立った。
『え?こんなに入れるものなのかしら?』
「うわっ、そ、そんなに!」と、アイラスの慌てた声。
やはり、これは多すぎるのだ。紅茶の色が随分薄くなってしまった。アーリー先生は、サービスのつもりなのだろうか?
見上げると、先生はにやにや笑っている。
『きっと、単なるいたずらね』
だんだん、先生いうヒトが、スティラにもわかってきた。
「教えてくれと言われたとしても、内容は知らんのだよ。まだ封を開けていなかったんだ」
視線をカップから動かさずに、アーリーが言った。
「未開封?」
デューイが不思議そうに訊ねる。彼は、右が緑、左が青という神秘的な瞳の持ち主だ。その瞳が細められ、眉間に皺が寄った。
「もっと言えば、封筒の形状もよく覚えていない。小ぶりの薄い白い封筒だったと思うのだが。だがもう白くは無いとは思う」
「黄ばんで色が変わっているってことですか」とアイラス。
「どういうこと?」とデューイは、アーリーを凝視した。
「50年前の手紙なのさ、探してもらいたいのは」
捜索の期限は日没。それまでに見つからなかったら、諦めると言う。三人は手分けをして、本棚を探すことにした。
< 2 >
アーリー先生の書斎は、大きな窓の前に置かれた机以外の家具は、全部本棚だった。スティラはその本の多さに圧倒された。横に長く高さも高い本棚が、図書館のように十列も並んでいる。机まわりの壁際にも背の低い本棚があり、さらに机の側にもキャリーにブックスタンドを立てて本を積んでいた。
書庫の後半部分が、スティラの割り当てだった。後ろから探して行って、真ん中から始めたアイラスとぶつかれば、終了。唯一の脚立はデューイが使っている。高いところの本は、脚立が返って来たらアイラスが昇って取ってくれることになっていた。ということで、一番下の列から始める。
床にぺたんとしゃがみ、端から本を取り出す。古い本で、背表紙の文字は擦れて消えて読めなかった。薄い封筒だというので、一応ページをパラパラと繰ってみる。本を振っただけや、閉じたままで見ただけでは、紛れてしまう可能性があった。
『どなたからのお手紙なのかしら?恋人?・・・なんて、俗っぽいことを考えていたら、叱られてしまうかしら。でも、“先生”と言っても、あまり偉ぶらない、気さくなかたの感じだし』
変わった老婆だと思うが、スティラは決して嫌いではなかった。だが、だからこそ、不安もある。
スティラは、まだ未熟ながら遠視師である。未来のある場面を見ることができる。自分の力をうまくコントロールできるほど熟練していないので、時として、見たくない未来の出来事を見てしまうこともある。人の死、である。
アーリーのような老人と付き合うのは、正直言って怖い。だが、深く関わらなければその人の未来を見ることもないし、本を探すくらいなら、特に問題は無いと思っていた。
2列目まではしゃがんで取ったが、3列目からの探索は中腰だったので、少しきつかった。時々、腰を叩き、伸びをした。18歳の乙女なのに、アーリー先生より老人くさいかもと、おかしくて一人微笑んだりした。
本棚は、どういう分類になっているのかスティラには見当つかなかった。哲学者や宗教書が多かったが、百年も前の恋愛小説や、歴史書、児童小説、科学系の雑誌のような本もあった。
宗教の本と思ってページを繰っていたら、挿絵で春本であることに気づいた。スティラは思わず「きゃっ」と本を閉じてしまった。
『でも、これに挟まっているかもしれないし・・・』
律儀に、開き直して、めくり始める。
「あははは、それに挟んだら、いくら何でもあたしだって覚えてるよ」
アーリーの笑い声に、ふり返る。
あまり親しくなってはいけない。スティラは、視線をそらした。
アーリーは春本を代わりに受け取り、パラパラとめくる。
「・・・遠視師だってね。手紙が見つかるシーンを遠視して、本を特定はできないのかい?」
「まだ駈け出しなんです。見たいものを見られるわけではなくて、つらいものを見てしまうことも多いです・・・」
「あたしに同情してる余裕なんてあるのかい?あたしはばあさんだけど、あんたより長く生きるかもしれないよ?」
アーリーは、スティラの脅えを見透かすように言い放つと、ウィンクしてみせた。スティラが古代竜族だから早死にするかもしれない、という意味では決して無かった。明日のことは、誰もわからない、年老いているから先に死ぬとは限らないということだ。
「それに、もうこの歳だとね、死ぬことも怖くないし、いつ死ぬかわかるってのも、そう怖くないね。たぶん、死に時っていうのは、直前になれば自分でなんとなくわかる気がするし。もしかしたら、お嬢ちゃんより正確に予知できるかもしれんよ」
はははは、とまたアーリーは笑った。
「それに、あんただけでなく、アイラスだってエスメラルダだって。みんな知ってるさ、あたしがそう遠くない未来に死ぬだろうってこと。だから、そう気にしなさんな。それより、仲良くしてくれた方がうれしいよ。何なら、マブダチになった証に、この春画の元の詳しい話を教えてやろうか?それとも、青年愛ものの禁書でも貸そうか」
「もう、先生ったら!」
スティラも、笑いながら目尻をぬぐった。知らずに、涙ぐんでいたらしい。
スティラの反応に、アーリーも微笑み、そして足元に視線を落とした。
「昨日、友人の訃報が届いた。探してもらっているのは、50年前のそいつの置き手紙さ。その時は、見ても仕方ないと思い、封も開けずに、適当な本に挟んで本棚に戻した。だが、ヤツが死んだ今となっては、ヤツがあたしに最後に残したメッセージだ。読んでやるのが礼儀かと思ってね」
「そうだったんですか・・・」
昨夜は、その友人の為に杯を重ねていたのだろう。
「あの世も、知り合いが多くなって賑やかそうだが。まだまだこちらも捨てがたい。もっともっと面白いネタを仕込んで、あっちの奴らに会った時、笑い転げさせてやろうと思ってるよ」
「・・・。」
「おっと、そうだ、お茶の用意ができたと言いに来たんだった。長々と喋り込んでしまったな。すまなかった」
「いいえ、そんな。いいお話でした」
「ははは、あんたはいい子じゃな。ご両親の良さが目に見えるようだ」
「あ・・・はい。ありがとうございます」
スティラは一瞬喉が詰まった。アーリーはスティラの両親が亡いことは知らないが、こんな風に言われることが、胸が苦しいほど嬉しいことだなんて思ってもみなかった。
「適当に切り上げて、居間においで。なあに、あんたはそんなに熱心にやらなくていいよ。仕事は野郎二人に任せておけばいい」
「はい!」
その時、書庫の奥から、「あったー!」という少年の声がした。デューイの声だった。
< 3 >
「お茶でなく、祝杯かのう」と、アーリーはまた酒棚に手を伸ばしたので、アイラスが「まだ3時ですよ」と窘めた。
「いいじゃないですか、アイラスさん。私は付き合いますよ」
スティラが笑顔で言った。
「じゃあ、アーリー、ボクに一番についでよ。今日のMVPはボクだもん」
「了解した。・・・では、アイラスだけ紅茶でいいのかな」
アイラスはむっとした表情で「僕も飲みます」と返事した。
ティーカップにバーボンをストレートでつがれ、「乾杯」の運びとなる。
テーブルのアーリーの前には、四隅が黄ばんだ封筒が置かれていた。本のページの間で静かに眠っていたせいか、封筒の表面は白さを失ってはいなかった。表書きも何も書かれていない。白いままだ。
「先生、別室で読まれますか?それとも、お一人になってお読みになりたいのならば、私達はこれでお暇しますが」
スティラが提案すると、アーリーはにやりと笑った。
「そんな大層な文面でもあるまい。なにせこの薄さだ」
アーリーは、棚の引出しからナイフを取り出した。ペーパーナイフでなく、チーズカッターのようだった。封を切るのに手紙を裏返した。深緑の封蝋の他は、差出人のサインも無い。皺だらけの手が、ためらいながら、ナイフの刃を二枚の紙の間に差し入れる。もう糊の魔法は溶けている。白い粉がパラパラと散るが、アーリーは構わずナイフを封筒にこすり付け、背の部分を一気に斬り開いた。
アーリーは、一枚の白い便箋を取り出す。スティラは、もし先生が許してくれれば、後で何と書いてあったか訊ねたいと思っていた。だが、紙を広げた途端、それは不要になった。
文面は、テーブルのこちら側にいるスティラ達にも透けて瞬間で読み取れた。鏡文字でも、何と書いてあるか十分わかった。あったのは、たった一文字。
『?』
アーリーは、笑いをかみ殺し肩を震わせた。便箋が震えていた。口許の皺が優雅に深さを増した。笑顔だった。
「見つけてもらって、本当によかったよ。そうそう、こういうヤツだった。みんな、ありがとう」
大きなクエッションマークが、一文字。
自分が去ることへの疑問なのか、アーリーへの非難がこもっているのか、『自分がいなくても大丈夫だよね?』という願いにも似た問いかけなのか。
アーリーには、これで通じたのだろうか?それとも、本人にも曖昧なままなのだろうか。
だが、その時に開いていたら、アーリーはこんな笑顔で便箋を握ることはなかっただろう。
時間という魔法が、確かにこの手紙に降り注いだのだ。
アーリーは花柄のカップに唇をつけ、バーボンを口に含む。
「そうだ、あんたら三人に、手紙を残してやろうか。どこかの本の中に隠して。あたしが死んだら、探し出しておくれよ」
「アーリーせんせいっ」
アイラスが眉根を寄せ、怒った顔をした。だが、スティラは頷いた。きっと、『あちら』のみんなに、楽しそうに話すのだろう。スティラ達が必死で本の山を探す様を想像しながら。
「日没までの予定だったのに、早く終わっちゃいましたね」
スティラは、カップの縁を撫でながら言った。なんだか、このまま帰ってしまうのはもったいない。もっとここに居たかった。
「時間まで、ちょっと本を見せてもらっていいですか?」
アイラスは立ち上がるや否や、もう書斎に向かって行った。
「あ、いいなあ。私も、もう少し見たいのですが」
「お嬢ちゃんは、さっきの本の続き?」
アーリーは、面白そうにスティラをからかう。
「先生ったら!」
「ボクは必死に探してたのに、スティラは本を読んでたのっ」
デューイは憮然として言った。
「ご、誤解です。先生、何とか言ってください」
「やはり、青年愛もの禁書の方か?少年愛もあるぞ?」
「許せないっ、そんな本読んでたんだ?」
デューイは酒も回っているのか、テーブルに身を乗り出して絡んできた。
「ち、違いますってば〜」
こんな噂が兄の耳に入ったら。赤面した頬を、冷や汗が流れる。
『アーリー先生。やっぱり、関わっちゃいけないヒトだったかも〜』
当の先生は、背中を向けて、クスクスと笑っている。
< END >
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト
1616/デューイ・リブリース/男性/999/異空間図書館の司書兼管理人
1341/スティラ・クゥ・レイシズ/女性/18/遠視師
NPC
アーリー/老婦人。作家。
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■ ライター通信 ■
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発注、ありがとうございました。ライターの福娘紅子です。
あのかたの妹さん、ですね?
とても素直で、優しい女性という感じでしたので、
書いていてこちらも癒される気持ちになりました。
いい妹さんをお持ちですねと、お兄様にお伝えくださいませ。
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