<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
波に消える
「……あの…」
のそりと、1人の男が白山羊亭に現れたのは、ある天気の良い昼下がりだった。数日前に起こった嵐も特に大きな被害も無く去り、せいぜいが散った枝葉を片付ける程度で済んだルディアがにこにこ笑いながらその『客』を迎え入れる。
――その笑みは、男の話を聞くにつれあっさりと消えてしまったけれど。
「お兄さんが、戻ってこないの?」
「そうなんだ。…いつもと違うルートを探ってくるって、それっきり。本当なら、あの、嵐の日には帰ってくる筈だったんだけど」
男の名はケニス・クレイドと言った。まだ十代だという、張り詰めたような筋肉に満ちた体は今は小さく萎んでしまっている。
「――日前って言ったら、あの急な嵐が来る3日前よね…」
兄のカークが漁に出た日をルディアが確認すると、こくん、と出された茶にも手を付けずケニスが頷く。
「探しに行きたいのはやまやまなんだけど…俺も、漁があるから」
実際、今日まで海の上を仲間たちと一緒に探し回っていたらしい。だが、街の食料としても占める割が多い漁をこれ以上休み続けるわけにも行かず、困っているのだと言う。
「海に出て欲しいとは言わない。…広いし、危険な場所もあるから。けど、もし何処かに打ち上げられてて、動けなかったらと思うといても立ってもいられないんだ」
ぎゅぅ、と無骨な手が音を立てて握り締められた。
「…ご家族は?」
「上の兄も、父も海に飲まれて帰ってこなかったよ。母さんは元気だけど…これ以上、悲しませたくないんだ」
「…分かったわ。じゃあ、一応人を探してみるから…集まったらまた来てくれる?」
「ああ」
話を聞けば断われるような内容でもなく、危険度そのものはそれほど高くは無い、そう判断したルディアがにこりと安心させるように微笑んだ。
*****
「――と言うわけなの。何とかならないかしら?」
おおまかな筋を書いてもらった紙は、壁に貼られ、ひらひらと風に揺れている。…誰かを、招くように。
*****
「海か…」
いいねえ、と何か思い出したか呟く青年。布で覆われた目に不自由は感じていないのか、そのままもう一度依頼内容を読み、そしてふぅむ、と首を傾げ。
「そうだね。僕なら少しは役に立てるかもしれない」
ゆるりと微笑を浮かべ、水留は詳しい話を聞きにルディアに声をかけた。
*****
ケニスが大きな図体を縮みこませて、集まった面々に真剣な表情を注いでいる。
「――その…お願いします」
ぺこりと頭を下げたケニスに、
「役に立てればいいと思いますからね、気にしないで下さい」
何故だか妙に機嫌が良く見えるアイラスが言葉をかけ、
「…それに、あなたのお母様のことを考えますとね…。出来る限りのことはします」
みずねが後を引き取って安心させるように軽い笑みを浮かべた。
「そうそう。それに…言霊って知ってるかい?『カークさんは無事でいる』――そう言うことでその言葉そのものが『力』になる。だから、大丈夫だよ」
かくんかくんと大きく3人の言葉に頷いたケニスが少し肩の力を抜き、そしてようやく固い顔にほんのすこしだけ笑みが戻った。そうやると、大人に見えていた青年が年相応の20前の若々しさを僅かだが取り戻したように見える。
「じゃあ早速だけど、聞いていいか?3日くらいで戻ってこれる距離ってどのくらいなんだ?それから、探し回った場所と、このあたりの海の地形とか。――来たばかりで詳しくないんでね」
「あ――ああ、そうだったな。俺たちが探し回った場所まで探してたら手間になるしな…」
「ルディアさん、この近辺の地図はありますか?」
「お店の隅に張ってあるので良ければあるわよ」
「じゃあ、ちょっと借りますね」
かたんと立ち上がったアイラスが、額に飾られた大きな地図を持って来てテーブルの上にそっと置く。街を中心に、全方向へと広がっている地図で国全体を網羅してはいないが付近へ移動する時にはなかなか役に立つのだ。
「兄貴が行くって言ったのはこっちの方向なんだ」
街からまっすぐ北へ。地図上にある海の半ば位まで移動したあたりで、くっと斜め左に折れる。
「あの辺は海流が不安定で、滅多に行くヤツはいない。そんなギャンブルしなくたって、もっと波の穏やかなところでいくらでも漁は出来るからね。でも、兄貴は違った」
彼が言うには、穏やかな所で取れる魚はどうしても小ぶりになるし、味も淡白になりやすい。海流が狂いやすい場所と言うのは、大きくて締りの良い魚が多く取れる筈だ、という主張だった。おまけにその向こうへは滅多に人が寄り付かないため、漁場としても最高の条件が揃っているらしい。
どうやら先に海に呑まれたと言う家族も、その道を模索して行方不明になったもののようだった。ケニスははっきり言わなかったけれど。
「俺は…今まで通りの場所でいいって言ったんだけど」
今の漁場が枯れたらどうするつもりだ、と言うのがカークの意見だったと言う。魚だって狩られないよう移動するものだ、今でも時々あるような不漁になってから新しいルートを開拓するつもりか、と。
「安全な道を見つけて来る、そう言って行ったから、多分この辺までは行ってる筈なんだ。そこから先は分からないけれど…」
だから、仲間たちと探しに行った時にはその海流ぎりぎりの部分まで近寄り探し回ったのだと、中央部からその周辺を重点的にぐるぐると指で円を描いていく。
「…この辺は行かなくていいよ。余程の腕がなければ戻って来れない場所だから」
その先が気にはなるのだろうが、ある位置まで指でついっと線を引き、そこから海辺までの辺りで探して貰いたいと言う。
「なるほど…」
「この辺までなら風の具合にもよるけど1日で戻ってこれる場所だから」
「分かった。…次にカークさんの特徴教えてくれる?」
身長、見た目、髪の色目の色、顔立ちや他に見分けが付き易い目印…と聞き出せるだけのことを聞き出し、何となく本人の姿を頭の中に思い浮かべられるまでに印象付ける。
「――じゃあ…」
他にも仕事があるのだろう、宜しく、と自分が言った線の先は危険だから行かないで欲しい、と伝え、何度も頭を下げて店を名残惜しそうに去っていった。
「ちょっといいかな。少し占いたいんだ」
その姿が見えなくなったのを確認し、葵が皆の顔を眺めた。ルディアに頼んでスープ皿と水差し、それに油を持って来てもらい、静かにその中に水を注ぐ。
「今日のは方向がわかればいいわけだから…」
言いながらも周りの音は全く気にならないよう、皿の中の水をじっと見つめながら皿の中央に手の平からゆっくりと油を滴らせた。
ぽつぽつ、と一旦は沈んだ油がいくつかは水面へ浮き上がり、そして広がり形作っていく。
それを真剣に見つめていた水留が、今度は油が付いたままの手をそっと差し入れて水面を波立たせた。その動きで油の形も複雑に変わり、そして手を抜いて静まるまで待つと最後に浮かんだ形を見て「なるほど」と呟き顔を上げた。
「何か分かったのか?」
「微妙だね。――揺れる場所と固い場所。それに――探し物は見つかり失うとも」
「見つかるが、失う?」
「曖昧だね。地図でも浮かんでくれればすぐわかるんだろうけど」
くすっと笑い、そして皿を脇へ除ける。
「まだ海にいる可能性もある。けれど、もうひとつ…陸の上の可能性もあるんだ。どう言う風に動く?」
「…海へ出て調べるのが一番ではないんですか?」
不思議そうに訊ねるみずね。ちょっと首を傾げたアイラスが、
「それは、どうでしょうか?いえ、行方不明になった辺りを調べるのも当たり前なんでしょうけれど…僕は陸側から調べてみようと思うんです」
「陸?」
ええ、とアイラスが頷き、
「万一ですよ。彼のお兄さんが何処かに流れ着いていた、もしくはとっくに街へ戻ってきていたら、という可能性も無いではないですからね。占いでは両方ありますけど、手がかりが掴めるかもしれませんし」
「家に戻らずにかい?」
水留が、どこか皮肉っぽい目で見。
「――本人の意思が介在しているとは限らないでしょう?」
穏やかに、アイラスが切り返した。にこりとその答えに満足したように水留が笑う。
「じゃあ手分けしようか。僕は海へ行くけど――」
「私も…海の方が調査し易いので」
水留とみずねが海へ、と言い。葵がちょっと考えて、「じゃあ僕も。海ならサポートも必要だろうしな」とあっさり決めるとアイラスへと向かい。
「と言うわけで陸は任せた。こっちは一度出たらなかなか戻って来れないから、そっち側の調査は頼んだよ」
「了解しました。…広いですから気をつけてくださいね」
「なに、海は庭みたいなものさ」
水留がにっ、と笑って立ち上がった。
「まずは船を貸してくれる人を探さないとな」
段取りを3人で決めながら。
*****
カークの事は他の漁師たちにも話題になっているらしく、交渉はそれほど難航せずにすすんだお蔭で一艘の小型の船を借りる事が出来た。日帰りで戻るつもりだったが念のために数日分の食料と水を積み込み、その状態で進んでいく。
途中、航海が順調に行っていることを確認したみずねが空から調べると言い、その背から白金色の翼を具現化させて飛び立った後も、特に何事も起こらず船は進んでいた。
「風の具合もいいようだね」
「ああ」
舵を取っている葵が前方へと注意を払いながら返事をし、水留は水に手を差し入れながら水温を確かめるように手の平で海水をすくってはこぼし、すくっては…と繰り返していた。
「穏やか過ぎてこの間の嵐のことは想像も付かないよ。分かるかい?この辺りが嵐になると何が起こるのか」
「荒れるって事は知ってても、体験したことはないからな」
「そうだね。体験して何も無く戻ってこれることもあまり無いしね」
葵の言葉にあっさりと同意した水留が、「そろそろ止めて」と張っていた帆を降ろしながら言った。「これ以上向こうは危険だよ。――大体この辺りだと思うからね」
さーて、と水留が伸びをして、片付けをしていた葵に顔を向け、
「少し潜ってくるよ。何か分かればいいんだけど」
言うなりそのまま水の中へと飛び込んでいった。ああ、と返した葵の声は聞こえたかどうか。
――上から日の光がさんさんと差し込んでくる。
見るからに豊かな海の光景だった。次第次第に色濃くなる下方にも遠方にも魚群が見え、それ以外でもゆったりと泳いでいる生き物たちの姿が見える。
『ねえ。この辺りで――』
言葉は届いている筈なのに、反応は無い。それどころか、声を聞くのも嫌なのか、それとも何か他の理由なのか――魚や他の生き物達は、怯えるように水留の周辺からさぁっと去って行った。不思議そうに首を傾げた後で、気を取り直して今度は水流を調べていく。
この辺りからの水の流れはまだ落ち着いてはいるが、もう少し先に進むだけで大分激しい変化を生みそうだった。中にいるだけでもそれは十分感じられる。
もう少し先…魚群の動きが乱れる辺りから流れる水の流れを遠方まで追いかけた。その辺りで船…もしくは、船に類するものが見つからないかと思いながら、何度も何度も別の流れを捕まえては追いかける。
――ん?
追いかけた水の流れが不自然に途切れている箇所があるのを見つける。近場を幸いその辺りへと泳ぎ寄ると、大岩のせいで緩くなっていただけだと分かった。…そこに、
『これは…』
ひらひらと、水中で輝く薄い何かが岩場に引っかかっており、水流に飲まれないよう気をつけながらそれを指で摘んで引っ張り出した。
――それは、真珠色に輝く、手の平程の大きさの…鱗だった。
暫くそうしていると、上からみずねが…エメラルド色の身体を輝かせながら素早く潜ってくるのが見え、にこりと笑うと近寄っていく。
『どうですか?』
『駄目だね。この辺の皆は口が堅いや』
水留が肩を竦め、
『――嵐と関係あるのかどうか…怯えてるみたいだ』
水と同じ青い瞳をみずねからその辺りに泳ぎ回っている魚たちへと向ける。
『怯えているんですか…』
『それと。船の残骸らしきものはカケラも無いよ』
見つかったのはこれだけ――と、手に持っていたものをみずねへと手渡した。
『――これ…鱗?』
『そう』
軽く頷き、
『この辺の魚はざっと見て回ったけれど、いないね。…今の時間はいないのかな』
『持ち主の事は聞いてみたんですか?』
水留が首を振る。
『全然応えてくれないから無理だった』
一旦戻ろうか、と上に戻ってくると、葵が船の上に2人を引き上げて、手に入った鱗をやはり不思議そうに見た。
「もう一度占ってみようか」
それが駄目だったら危険域に行ってみよう、そうあっさりと言った言葉にみずねも葵も別に反対はせず。
休憩を取って持ってきた保存食と水で落ち着いた後、小さな桶に海水を汲んで…何を思ったか真珠色に輝く鱗をそっと水の上に浮かべた。
そのままゆらゆらと揺れる船の上でじぃっと鱗の動きを見つめ続ける。
――と。
突如風が吹いた訳でもないのに、突如鱗がくるくると回転し始めた。その動きを止める事無く、黙って様子を見ている水留。
その動きがぴたりと止んだ後は、鱗はある一点を指したまま、揺れる船の上だというのに動きを止めてしまった。
「――やれやれ」
それで終わったのか、水留が桶から鱗を取り出して海水を海へと戻す。
「何が分かったんだ?」
「帰れと言っているよ。これ以上来るなと言う事らしい…街の方向を指したままだったからね」
何か釈然としない顔で、葵が後ろを振り返り。
「それに、戻った方がいいのもそうみたいだ。街で何かが見つかったらしい」
最後の水留の言葉で、帰還が決定した。
遠ざかっていく、危険域。カークが目指した海域へ入るのを、誰かが拒んでいることは確実で。
――ふと。
天気の良いはずのその海の向こうから、
もやのように何か巨大なものがたちこめるのが一瞬だけ見えた。そして。
「…おやおや」
水留の手の中にあった鱗は、初めから存在しなかったもののように、巨大な何かが消えたと同時にどろりと溶けて消えた。
*****
「こっちだそうです」
3人が戻ってきたのを待ち構えていたアイラスが、仕事を終えたケニスと合流した。
アイラスがぱたぱたと先に小走りに走っていくすぐ後ろを、深刻な顔をしながらケネスが付いていき、3人がその後に付く。
…陸に上がっていたのなら、何故すぐに家へ戻って来なかったのだろうか。見知らぬ男たちの世話になっている、という話はアイラスが説明したものの、その事だけは頭から消えないようで。
ぎゅぅっと結ばれた唇には、苦悩の色が濃かった。
アイラスが聞いて来た人物も、まだはっきり顔を見て確認したわけではないのだから。
暫く無言のまま、複数のリズムの合わない足音が路地裏に響いていく。
――ちら、と石畳の上に座っている誰かの姿が見えたのは、いくつ目か分からない曲がり角を曲がった先でのことだった。
見た目は、ぼろを纏った浮浪者か何かに見える。その横顔は良く見れば若々しかったけれど。
足を止めた皆が静かに近寄っていき、そしてケニスがたまりかねたか口を開いた。
「兄貴?」
「………」
ぼんやりとした顔で、声を掛けた青年を見上げてくる男。――細身ではあるが浅黒い健康そうな肌は、焦点の合わない虚ろな瞳のためか逆に頼りなさを感じさせていた。想像していたよりもげっそりした様子もその感想を深める原因だったかもしれない。
「お兄さんに間違いないですか?」
「あ…ああ、うん、間違いない。――兄貴?どうしたんだ?」
「――だれ…?」
かさついた唇から発せられたのは、そんな言葉だった。「っ」ケネスが息を呑み、そしてすぅっと大きく息を吸い込む。
「誰、って…俺だよ。何言ってんだ…そんな、他人みたいに」
「おと、うと…?」
海から上がってきた後、どこをどうして来たのか。ぼろぼろの服を身に付け、路地裏に座り込んだまま、かけられた言葉の意味を吟味するように口の中で転がす。
「そうだよ。ケネスだよ――どうしたんだ?何が、あったんだ?」
「な…何も、無い。何が、――なんてあるわけがないだろ!何もなかったんだ!!」
がばっ、と激昂したか立ち上がり…そして力なくへなへなと地面へ座り込んだ。頭を押さえたところを見ると立ちくらみでも起こしたのか。
――肌の色以外では、漁師らしさというか勇ましさ、猛々しさは見当たらないのだが…。
「海で何かあったらしいですね」
「そうみたいですね……」
アイラスの囁きに、みずねが頷き返す。
「と、とにかく家に帰ろう。母さんも心配してる」
手を貸して起こそうとする、その手がぱしりと叩かれた。そのまま膝を抱えてしまう。
「兄貴…」
「…見覚えが、無い」
「えっ?」
「――誰なんだ…おまえ。…俺は…」
ふるふる、と身体が小刻みに震えている。ぎゅぅと握り締めた身体が、外を拒絶しているように見えた。
「――俺は…」
ダレ、だ?
*****
憔悴しきった男を半ば無理やりに家へと連れ帰ると、飛び出してきた母親と共に彼の部屋へ運ぶ。着替えや食事、入浴などもあったが、まず第一に眠らせるべきだと判断したためだろう。
「ここが、俺の…部屋?」
「そうだよ。兄貴の部屋だよ。――今は何も考えなくていいから、寝ろよ。好きなだけさ」
「ありがとう、何から何まで」
他人を見る目付きに変化は無いが、室内を見渡して落ち着くことに気付いたのか、ようやく小さな笑みが浮かんだ。
「――気にすんな」
枕を整え、横にさせるとすぐ寝入ってしまった青年の、こけた頬をじっと見つめるケニス。
「おやすみ」
青年の傍から離れようとしない母親を置いて、静かに全員で外へ出る。
「後は漁師仲間に連絡して。…そう言えばさ。船はどうなった?」
「船?」
水留がその言葉に首を傾げる。他の面々を見ると目が合ったアイラスは首を振り、
「僕は水辺には近寄ってませんので、分かりませんよ」
そう答えた。
「…木の板は見つけましたけれど、それがその船の一部かどうかは分かりません」
海へと出ていたみずねも、ゆるりと首を振る。同行していた葵もそれに合わせてこくりと頷いた。
「そうか。…まあ…いいや。どうせ暫く海なんか出られないんだろうし」
戦士が自らの剣や鎧を大事にするように、漁師たちも自分の船を大事にし、誇りを持っている。兄が見つかって次に心配するものと言えば、乗っていた船になるのだろう。
「そう言えば、船の方も行方不明なんですね…難破した時に壊れてしまったのではないでしょうか?」
みずねはそう言いながら頬にそっと手をかけた。
「そうだよな」
自分でもそう思ってはいたのだろう。がっかりした顔をしながらも、小さな笑みを浮かべて見せると、
「ま、船はまた買えるさ。それより兄貴が戻ってきてくれたんだからそっちで喜ばないとな」
「そうそう。――生きていれば取り返せるものもあるんだから」
何か感慨深げに葵が言い。そうだね、と水留も穏やかに同意した。
「色々、ありがとう。俺、これから用事あるからもう行くね。――ああそうだ。明日また漁に出るから、戻ってきたら店の方に顔を出すよ。まだ謝礼の話もしてないしね。それじゃっ」
少しは安堵したのか、ケニスはそう言って他の人へと伝えるためか皆と別れて移動していった。
*****
――朝もや立ち込める桟橋に、何人もの体格の良い男たちが黙々と作業を行っている。手入れされた網と綱、それに移動中の食料と水を次々に積み込む中に、身軽に動き回る青年の姿があった。周りに比べて大分若い青年がふぅっと息を付いた時に、こちらに気付いたのか仲間へと耳打ちしてばたばたと駆け寄ってきた。
「おはよう。――あの時はどうも」
見つかった兄がともかくも無事だったというその安心感はあるのだが、見つかった当人は船を失くし、記憶を失った姿だったためその表情は複雑で。
だがともかく家に戻ってこれただけでも、と思い直したらしい。にこっと日に焼けた顔に笑みを浮かべてもう一度ありがとうといい直す。
「お兄さんは、元気?」
「うん。今は母さんが付き添ってる。…母さんは喜んでるかもね。兄貴が漁に出るのを口に出さなかったけどずっと反対してたし」
「クレイドさんは…これからどうするつもりなんですか?」
俺?と自分を指さしながら、ぶんぶんと大きく首を振り、
「俺は辞めないよ。他の家族の分も頑張らないといけないしさ」
この所の気疲れが出たのだろう、少しやつれたケニスが、それでも精一杯の笑顔を浮かべて数人乗りの船へ飛び乗っていく。同じような船が数艘あり、そこの漁師たちが興味深げにケニスと皆を見つめていた。
「ありがとなー。戻ってきたら礼に行くよー」
兄とは違い、がっしりとした体格の青年が大きく口を開けて笑うと、他の船乗りたちと手を振って遠ざかり、そして自分も船の調整を始める。てきぱきと手際よく帆を張るとたちまち風を含んで流れるように海の向こうへと走って行った。
「大丈夫そうだね。――きっと大漁だよ」
そう。大漁…水留がそうもう一度呟いて、ふっと笑みを浮かべる。
そんなことは、占うまでもなく…朝もやが晴れるにしたがって広がっていく青空を見れば分かる事だっただろう。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0636/水留 /男性/207/雨使占 】
【0925/みずね /女性/ 24/風来の巫女 】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/ 19/フィズィクル・アディプト】
【1720/葵 /男性/ 23/暗躍者(水使い) 】
NPC
ケニス・クレイド
カーク・クレイド
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。「波に消える」をお送りします。
季節柄海水浴の話でも…と思った時点から転々してどうしてこんな話になってしまったんでしょうか。
ケニス君は苦労人ですね。将来は網元が似合うかもしれません(笑)
今回も参加していただいた方、初めて参加していただいた方、ありがとうございました。
また、別のお話でお会いしましょう。
間垣久実
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