<東京怪談ノベル(シングル)>
小さな巷の小さな少年による小さな冒険物語
「ふとーい眉毛に、しろーいおアゴヒゲの、大柄なこぉわいお顔のおじーさん。おじーさんはねえ、手にノコギリを持って……」
少女は語る。
十分に聴衆の間に沈黙が行き渡ったのを確認し、
「その磔にした男の子をね……そのままノコギリで、ぎーこーぎーこーぎーこー……って……」
今にも含み笑いを洩らしそうな表情で、必要以上にゆっくりと。ゆっくりと、ゆっくりと……。
――長かった雨のようやく上がった、久々に太陽の顔を出した真昼であった。
エルザードの街にある、旧教教会の大聖堂。近日の演奏会の練習のために集まった聖歌隊の団員でもある少年少女達は、休み時間を利用し、季節のネタに花を咲かせていた。
しかし、
夏といえば、こぉわいはなしだよおねえ。
一番初めにそう提案したのが誰であったのかは、今となっては、
「……い、生きてるのに?」
沈黙の中、恐る恐るそう問うた少年の――人数の関係でまたまたこの聖歌隊を手伝う事となっていたファン・ゾーモンセンの記憶にも、鮮明には残っていない事であった。
聖歌隊服に身を包み、茶の髪に少しばかり大きな帽子を乗せた愛らしい少年は、口元で手を結びながら、こっそりと息を飲み込むと、
……そ、それって、ほんっとうの話なの?
「そうだよー。悲鳴が聞えてたってさ。ぎゃあああああ、ってね。痛い、痛いよおかーさん、助けてぇっ!……って」
ファンの問いかけに、何人かが泣き出しそうになっている事も気にせずに、至って明るい口調で少女が続ける。
少女はそのまま、ファンの緑色の瞳をじっと見つめ返しながら、
「で、最後にはハンバーグにされちゃったんだって! こねこねされて、タマネギとか、卵とかと一緒に混ぜ混ぜされて、それで――、」
「も、もうやめましょうよっ!」
そこでいよいよ、少女の話しに堪えきれなくなった別の少年が、悲鳴のような声音をもって物語を静止する。
少女は一瞬不満そうに口を噤めたものの、周囲の様子に少年の提案が妥当である事を悟ったのか、
「ついでに、ノコギリおじさんはね、お腹の肉が、一番の好物なんだって」
ぱっと微笑み、話を終らせた。
「……ね、どう? 怖かった?」
「おおおおおお……俺は怖くないぞっ!」
「あたしは怖くないー。そういうのヘーキだしっ。それどころか、あたしの方がもっとコワイハナシできるよー!」
「もういいですから、やめてくださいっ! 僕はそういうのは嫌いなんですからっ!」
「ファン君はどうー?」
「ぼっ、ボクっ?!」
唐突に話を振られ、想像に絶句していたファンは、慌てて顔を上げていた。
興味津々に答えを待っている少女へと、何と無しにうーん、と一つ唸ってから、
「ボクは別に……怖くなんか、ないよっ!」
ちょっと怖いかも、だけどっ!
言葉の後半は心の奥底で付け加え、平静を装った大声をあげる。
「へぇ、ファン君、ほんっとうは怖かったんだ。そーだ、良い事おしえげあーげーるー!」
少女はあからさまに大股で、怖くなんてなかったもん――! と否定するファンへと近づくと、その耳元に唇を添え、こしょりこしょりと一言二言付け加えた。
その言葉に、ファンが大きく息を吸い込む。
「……そっ、そんな……コトって!」
だが、二度目のファンの問いかけは、聖堂の扉の開かれる音によって見事に遮られていた。
「あっ、神父様っ!」
声をあげたのは、誰が一番初めであったのか。
扉を開けて聖堂に入って来たのは、確かにこの教会の主任司祭――つまりは、聖歌隊の楽長であった。
しかし、神父は入ってきて早々、困った様子で聖歌隊の面々を見回すと、
「あの……その、私、指揮棒、折っちゃいましてね……」
途端、ファンの周囲で、またぁっ?! という呆れ声が、盛大に調和する。
何が、またなの?
――沸き起こった疑問に小首を傾げるファンに、近くにいた別の少女がひっそりと耳打ちしてくる。
「あの人、いつもああだから。転んで指揮棒折るの。馬鹿だよね」
聞かされ、へぇっ、と頷き、考える。
そういえばこの神父さん、いっつも転ぶんだったよねっ!
でも、だったら、
「ね、だったらもぉっと、丈夫な指揮棒はないの?」
はいはいはーい、とにっこり微笑み、ファンは率直に提案を口にした。
神父はそんなファンを、やわらかな苦笑で見返すと、
「転んだ時に刺さってしまっては痛いですからね。安全なんですよ、木製の指揮棒って」
僧衣のポケットから小さな財布を取り出しながら、付け加える。
神父はそのままお財布を掲げると、
「そういうわけで、何方か買いに行って来てほしいんですけれど……」
申し訳無さそうに、子ども達へと問いかける。
――これが、今回の事の発端であった。
みーんなで冒険、だねっ!
そう意気込んで、大勢で教会を出て来たまでは良かった。聖歌隊服を脱ぎ、神父の描いた地図を手に、とりあえず天使の広場まで辿り着き。
しかし、
一緒にいたはずであったのだ。
つい先ほどまで、聖歌隊の友人達と共にこの広場を――エルザード市民の交流場ともなっているこの場所を、歩いていたはずであると言うのにも関わらず、
「……皆……どこ、行っちゃったんだろ……」
あれから、暫く。
呟いて、ファンは流れる人ごみに、疲れた……、と言わんばかりに溜息を吐いていた。
出店が立ち並び、活気に溢れるその中で、いつの間にかファンは、
ボク……もしかして、
「えっと……、」
迷子に、なっちゃったの?
不意に思い、懸命に広場の中に友人の影を探す。しかし、周囲を見回せば見回すほど、寂しい心地は強くなるばかりであった。
どこにも、いなかったのだから。
「んっと……――」
いるはずの友人の姿が、どこにも見当たらない。それも、少なくとも、五人以上で来ていたはずであるというのにも関わらず、誰一人としてファンの近くには姿を見せてくれなかった。
……どう、しよう。
通路の真ん中に立ち止まって考えるその内に、ファンは不意に、どんっと押されてよろめいてしまう。
だが、倒れ掛かった瞬間に、反射的に石畳の上に付いた小さな両の手で、辛うじて転ぶ事だけは堪えきった。
「いったあ……」
擦りむいた手を払いながら、ファンはおろおろと通路の外に出る。
とりあえず人の流れていない位置まで来ると、石造りの建物の壁に寄りかかり、再び大きく息を吐いていた。
――ずきずきする……。
胸元できゅっと、少しだけ血の滲んできた手の平を握り締める。だがここには、いつものように大丈夫――? と、声をかけてくれる仲間達もいなかった。
ほんのりと赤が滲むのにつれて、ファンの目尻も熱くなる。
……ボク、
「ボク……、」
一人に、なっちゃった……。
聖歌隊のあの子、この子、終いには一番頼りなさそうな神父の名前までもを心の中で呼びながら、それでも泣くまいとして、ハンカチを取り出そうと服のポケットに手を入れる。
――入れて、初めて気がついた。
……そうだ……っ!
「これ、地図だ……!」
ハンカチにしては硬い手触りに、慌ててそれを引っ張り出す。太陽の目前に広げて見上げ、滲んでいた涙を拭って笑顔を浮かべた。
太陽の光に照らされて輝くのは、神父から手渡されていたお使い場所の地図。横には、買い物内容の手控えも添えられていたもの。
不意に、沈みかけていたファンの心が、すっくと浮かび上がる。
「そうだよねっ、冒険者は、こんなコトで諦めたりしないよねっ!」
絵本の勇者様だって、こんなトコロじゃあ、絶対に諦めたり、しないよ!
思えば、手元の地図は宝の地図に、ポケットに入ったお財布はさながら勇者を導く魔法の道具であるかのようにも思えてくる。
大丈夫、だよねっ! ボク一人でだって、買い物くらいきちんとできるんだから――!
よしっ、と一つ力強く頷くと、ファンは下ろした地図をじっくりと見遣った。
地図には、天使像を方角の基準として、必要最低限の情報ばかりが描かれている。
どうやらこの場所は、地図によればお使い先へとかなり近い場所であるらしかった。
すぐそこに見える菓子屋から、奥に見える花屋の方へと真っ直ぐ進み、暫く。ファンが、描かれたとおりに早足で道を行けば、それと思しき建物は、すぐに見つかり――、
「……え、」
でも、暗いよ? お店の中。
お店の名前を何度も確認しながら、ファンは戸の窓から見える店内を覗き込む。
日陰の小さな道に立つ、ひっそりとした雰囲気の店。
神父さんが言うには、ここ、楽器屋さんらしいんだけど……。
考えながら、しかし、到底営業しているとは思われない雰囲気を感じつつも、それでも、いつまでもこーしてられないもんね……! と、ファンは決意を決めていた。
戸に、手をかける。
「あの、えーっと、」
ごめん……くださいっ、
戸が開く音にあわせて、小さな鐘がからんころん、と揺れ鳴り響く。
古びた建物の香りに不安を覚えつつも、ファンはゆっくりと店の中へと入って行った。
戸を背にして閉めれば、その音に、知らずぴくり、と肩が跳ね上がる。
落ち着け、落ち着け――と自分に言い聞かせながら、とりあえず、周囲をざっと見回して、
……ここ……、
「あの……っ……!」
何でこんなに、暗い、のかなあ……。
あれほどまでに強かった外の日差しは、一筋二筋を除いては、一切ここには届いていない。
明るさに慣れていた目を凝らしながら、ファンは一歩、また一歩と軋む床の上を進んで行く。
「あ、あの……誰か、いるっ?」
辛うじて見えるのは、部屋の中に幾つも幾つも置かれた机ばかりであった。その淵に手を触れさせながら、手繰り寄せるかのようにして更に足を進め――。
だが。
ふ、と、視線の先に、きらりと光る物が姿を現していた。その存在に、ファンは知らず、身を硬くしてしまう。
の、ノコギリ……?
よくよく見れば、確かにそこには、薄い光に、銀の刃をきらりと輝かせた物が乗せられている。
……どうして、お店にノコギリなんて?
考えた、その刹那、
「あ……!」
ファンの小さな足が、机の脚に捕われていた。
捕われて、そのまま地面へと体が投げつけられる。
また転んじゃうっ……!
覚悟して、ファンはしっかりと瞳を閉ざした。次に自分を襲うであろう痛みに何とか耐えようと、唇をしっかりと食い縛り――しかし、
「危ないな……!」
それだけであった。
予想していた衝撃は、いつまで経ってもファンを襲いはしなかった。代わりにやわらかな感触が、ファンの体をしっかりと抱きとめている。
それでも、
「……!」
助かった――と、ファンが瞳を開いたその先にあったのは、言葉を失わざるを得ないような事実であった。
「おい……」
「あ……っ……!」
ぼ、ボク、
はっ……ハンバーグに……!
「坊主、どうしたんだ?」
ハンバーグにされちゃうよ……っ……!
声をかけてきたその存在が――白髪に白い顎鬚をもった太い眉毛の顔が、ファンの瞳に、ゆっくりと近づいてくる。
その顔が近づくにつれて、ファンの心にはふと、先ほど聞いたばかりの言葉が思い出され始めていた。聖歌隊のあの少女が、最後にひっそりと付け加えた、あの一言が。
ねぇファン君、
このエルザードのどっかに、ね、
「おい、坊主!」
ノコギリおじさんは、今でも隠れて住んでいるらしいよ……?
「ぼ……ボクは――……!」
じんわりと時間をかけて、ファンの視界が滲んでゆく。
ただでさえ暗い闇の中、老人の表情は、ほんの少ない真昼の光に、明暗鮮やかに照らし出されていた。
――そんな、無表情な様子の老人に、
「たべっ……食べた……食べたってっ!」
ファンは今、真正面から見据えられ、しっかりと抱き上げられている。
「坊主、」
怖い顔のおじさんの低い呼び声が、直接体に響き渡る。
「大丈夫か?」
混乱の只中に突き落とされたファンには、だが、老人のそんな言葉も届いてはいなかった。
ただ、不意に頬に触れてきたしわくちゃな手に、純粋な恐怖感ばかりが誇張されてしまう。
そうしてそこが、
「うっ……、わあああああん……っ――!」
ファンの強がりの、限界線であった。
「おっ、おいっ、坊主っ?!」
「これからは良い子にするから……!」
反射的な言葉と共に、ファンはさながら、駄々をこねるかのように暴れだす。
「たっ、食べても美味しくないもんっ……!」
「たっ、食べるっ?!」
「ボク、お腹のお肉なんて美味しくないもんっ!」
「……おいちょっと待て坊主! 一体何の話をしてるんだってーんだ!」
「ノコギリ怖いーっ!」
「の、ノコギリだぁっ?!」
「ボクはまだいっぱい、いっぱい絵本だって読みたいし、いーっぱい美味しいモノだって食べたいんだよーっ!」
「はぁっ?!」
言えば言うほど話を思い出し、ファンの暴れる力は強くなる。
一方で、状況を全く理解できない老人は、ただただ何度も聞き返す事しかできずにいた。
――この分であれば、暫くは答えが返って来ないであろうと、そう理解しているのにも関わらず。
貰った飲み物を、一口。口に含みかけたところで表情を顰め、テーブルにグラスを置き直す。
それから、一息。
「……さっきはごめんなさい」
ファンは上目遣いのまま、ぽつり、と一言呟いていた。
若葉色の視線の先には、汚れたエプロンを誇らし気に身につけた、先ほどのノコギリおじさん――もとい、楽器職人が大きな態度で腰掛けていた。
楽器職人は白い顎鬚を撫でながら、あの怪談話からは想像もつかないような笑顔をにっかりと浮かべると、
「いやいや、良いってコトよ。それにしても、ノコギリおじさん、かあ!」
こりゃあ愉快だ! と、声を立てて笑う。
「べっ、別に怖かったわけじゃあ……!」
ないんだよっ!
言葉の後半は返事にできなかったファンが、決まり悪気にきゅっと膝元で、職人が手当てをしてくれたばかりの手を結ぶ。
老人はそんなファンの強がりに、おうおう、そーかいそーかい、ファンはどんなに可愛くてもいちおー男の子だもんなぁ――! と、人の悪い笑顔を深くすると、
「……ところでお前さんには、その飲み物は駄目か!」
その一言に、ファンは少しだけ唇を尖らせると、
「だって、苦いんだもん」
率直な意見を呟き加え、もう一度先ほど手にしていた緑色の液体の入ったグラスを持ち上げていた。
――応接室、だと、老人は言っていた。
先ほどの暗い売り場とは一転、太陽の光がきららに差し込む、静かに心地良い所。
「まだまだ子どもだなぁ、ファンは」
……ちょっとオトナな空間、だよねっ。
ファンはグラスをキラキラと、何度も光に透かしながら、
「おじさん、こんな飲み物が好きなの?」
「珍しいんだぞ? 東方文化圏の飲み物で、リョクチャ、とか呼ぶらしい」
「へぇ……でもボク、リョクチャ、よりもオレンジジュースの方が良いなっ!」
「ファンは正直者なんだなぁ」
もう一度、盛大に笑われる。
職人はそのまま、自分の手元にある緑茶を飲み干すと、ファンから受取ったばかりの紙を流し読みしながら、ふっと呟きを零していた。
「それにしてもあのヘタレ、また折りやがったか。ったく、俺はこれからチェロ作りで忙しくなるって言ってあるだろうによ……」
苦笑する姿に、ファンが思わず、きょとん、と問いかける。
「おじさんは、楽器を作るのがお仕事なの?」
「俺は楽器職人だって言ったろう。指揮棒とかは、あくまでもついでだしな。さっきも丁度、フルートを一つ作っていたんだよ」
フルート?
それって、
「フルートっ?! あのぎんぎらぎんのヤツっ?!」
「おっ、良く知ってるな? でもな、ファン。フルートっていうのは、何もあのぎんぎらぎんのばっかりじゃあない。木製のフルートもあってな。俺は主にそっちを作ってるんだ。まぁ、ぎんぎらぎんのも作れない事はないけどなあ」
立ち上がり、職人は、ファンのちょこんと座るソファの後ろへと回り込む。
そうしてそこから、ファンの肩を軽く叩くと、
「工房、見るか? 折角来たんだ。嫌いじゃなければ、どうだ?」
「……見るっ!」
すっくとソファから立ち上がり、ファンは職人の方へと駆け寄った。
「いろーんな、いろーんな楽器があるのっ?」
「おうよ。んー、じゃあファンは、どんな楽器を知ってるんだ?」
「うんっとね、ヴァイオリンでしょー、チェロでしょー、トランペットでしょー、それからね、オカリナとか、あっ、ハープとか、リュートとかもそうだよねっ! それに、ピアノとか、オルガンとかっ!」
「ほおう、オルガンか。よーし、面白い事も教えてやるよ。あのヘタレ神父の弾いてる楽器、あれに使われているパイプはな、それこそ何千本単位なんだぞ?」
「……何、千?!」
そんなに沢山あるのっ?!
「そ、何千」
好奇心に目を丸くするファンの肩を抱きながら、ゆっくりと楽器職人が歩き出す。
「よし、じゃあ今から、中身がどうなってるのか、そういう図もあるしな。見せてやるよ」
「うんっ!」
二人で何気無く顔を見合わせ、笑い合う。
思わずファンも、いつも友人に対してそうしているかのように職人の横から精一杯に手を回し、ぱしん、と一つその大きな背を叩いていた。
帰り道、ファンを探して楽器屋へとやって来た聖歌隊の数人と鉢合わせし、他愛のない話をしながら再び教会へ。
――そうして、今。
教会についた途端、ファンが子ども達のお帰りとごめんねの怒涛に飲み込まれて、落ち着いてから暫く。
「あ、神父さんっ! これ、お財布と、指揮棒、だよっ!」
きちんとお使い、できたでしょっ?! と言わんばかりに満面の笑顔を浮かべたファンは、預かっていた財布と箱に入った指揮棒とを、神父へと手渡した。
「色々あったけど、楽しかった! ね、それに、楽器職人のおじさん、すっごい人なんだねっ!」
色々――地図を見ながら、行った事のない場所を探し。見た事のない人に会い、見た事のない物も沢山見てきた。
それは確かに、身近な場所ではあったものの、
きっと冒険者さんとか、勇者様って、こーいうコトしてる人達なんだよねっ!
心の中で、元気良く付け加える。絵本を読む度、話を聞く度、吟遊詩人の歌を聞く度に憧れて来た世界に、ほんの少しだけでも、
……ボク、近づけたのかなっ?
「ええ、お店はあんなに小さいですけれどもね。あの人は、クレモナーラ出身の腕利きの職人なんですよ」
まずは財布を受取り、ポケットへ。次に指揮棒を受取り、近くの長椅子に腰掛けると、神父も満足そうな笑顔で、ファンを見つめ返していた。
そのまま何気無く箱に手をかけると、軽い力で蓋を開く。
――だが、
『あっ――……、』
相変わらず笑顔のままのファンを除いた子ども達のそんな呟きが、聖堂の中で見事に調和していた。
その響きの中、神父は箱を開けたままの体制で、瞬きも出来ないほどに固まってしまっている。
その瞬間、ぴょんっ、と箱から飛び出る、小さな茶色の物体があった。
さながらそれは、神父の大の苦手な、生きる化石とも呼ばれる虫を思わせる形の――。
「……ね、ビックリした?」
静寂の中、一番初めに口を開いたのは、この中で唯一全てを知っていたファンであった。
ファンは箱から飛び出した小さな虫を――小さな昆虫の模型を床から拾い上げると、神父の目の前へと持って行き、
「どうどう? おじさんって、すっごく器用だよね! 本当に虫みたい!」
別れ際、職人と二人で仕組んだ、神父へ対する悪戯を思い返す。
……な、叫ぶか固まるかのどっちかだ。あのヘタレには、少し根性というものをつけてやらなきゃあならんからなあ?
ね、おじさん、やっぱり神父さん、全然ダメみたいだよ!
相変わらず悲鳴すら出せずにいる神父の前で虫の模型を揺らしながら、ファンはもう片方の手で、こっそりと胸の前へと手をあてていた。
――あの職人が帰り際にファンに贈ってくれた、小さな、けれどもしっかりとした作りのオカリナがぶら下げられている、胸の前へと。
Finis
14 luglio 2004
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
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