<東京怪談ノベル(シングル)>


世界の裏側で


   1

 世界の裏側で。
 盲目の少女が歌う。
 幸せの歌を。
 声高らかに。



 世界の裏側で。
 盲目の少女が花を摘む。
 道端の小さき花を。
 受け取る人なきその花を。



   2

 キィインン! と高い金属音が空間に響き渡る。
 光を反射し、風を切り、剣が舞っていた。
 ブンっと重い音を立てて、ノコギリのような細かい歯のついた巨大な剣が回転する。
 相手はひらりとそれをかわして、後方に飛び退いた。
「こら! ちゃんと勝負しろよ!!」
 ギルルイ・ヴュイーユ(ぎるるい・う゛ゅいーゆ)は苛々と声を張り上げた。
 赤い髪は、汗で頬に張り付いていたが、黒い瞳は闘志に滾っている。
 最低限でしか相手をしない敵に、怒りよりも拗ねを感じてしまうギルルイはまだまだ性格的に幼い。
「俺は別に正々堂々とした勝負に興味はない。」
 相手は心底うんざりしたように、吐き捨てた。
 彼の名は通称「疾風」。逃げ足がやたらと速いことで有名な賞金首だった。よく見ると、まだ年は若い。穏やかそうな青年にしか見えなかった。それでも、彼は元々は賞金稼ぎだったが、多くの賞金首を手ひどく扱い、逆に賞金首になってしまったという経緯を持っていた。
 ギルルイが彼を見つけたのは、本当に偶然だった。ふらりと立ち寄った街の一角で、ちらりと姿を見かけたのだ。すぐその時には気付かなかったが、相手がさりげなく逃げる所作を見せたので、思わず追いかけてしまった。まんまと逃げられた後、彼が疾風であることを知ったのだった。
「お前、そんなことでいいと思ってるのかよ!」
「何を言いたいのか分からないな。」
 再び火花を散らしあった、剣が離れた。
 足場が悪く、ギルルイがふらつく。疾風はそれを見逃さなかった。
 すっと身を屈め、背景に紛れ込む。
 ギルルイの視線が一瞬逸れた時には、姿を消していた。
 その見事さに、ギルルイは咄嗟に対応できない。状況を理解するにも少々の時間が必要だった。
「ちきしょうっ! また逃げられた!!」
 咄嗟に逃げられたことを否定しかけた思考を引き戻し、ようやく自分のミスを知ったギルルイは、地団太踏んで悔しがった。



   3

「これでも俺は凄腕の賞金稼ぎなんだぜ!!」
 街の酒場で、がんがんとテーブルを叩きながら、ギルルイは叫んだ。
「はいはい、そろそろ飲みすぎなんじゃないかい?」
「飲まずにいられるかっ!!」
 同じ遣り取りを数回ほど繰り返していたことも気付かず、ギルルイはぐいっとジョッキを傾けた。マスターがやれやれと溜め息をつく。
「賞金稼ぎって、一体誰を追いかけているんだい?」
「疾風だよ。逃げ足だけやたら早い奴!」
「逃げられたのかい?」
「悪かったなっ!」
 がんっとジョッキをテーブルに叩きつけると、マスターが耳を塞ぎきれずに肩を竦めた。
「随分とお怒りのようですねえ。」
 近くのテーブルで休憩がてら酒を飲んでいた吟遊詩人がギルルイに声を掛けてきた。一部始終を眺めていたらしい。苦笑の中に、興味深さが浮かんでいた。
「笑いに来たのかよ。」
「いえいえ、とんでもありません。どうです? 誤解させたお詫びに、1つ話を聞いていきませんか?」
「話? 吟遊詩人お得意の話か?」
「はい。」
 吟遊詩人は朗々と語りだした。



 昔々、あるところに、仲の良い兄妹がいました。
 兄は、頭脳明晰で穏やかで、妹は、静かで心優しい子でした。
 2人は早くに両親を亡くしましたが、幸せに生活していました。
 ある日、兄が家に帰ると、いつも夕食の支度をしている妹の姿がありません。
 不思議に思いながら、待っていても、妹はいつまで経っても帰ってきませんでした。
 心配になって探し回った兄が見つけた妹は、暴行され、傷つき倒れていました。
 すぐに手当てしましたが、外傷と精神的ショックで、妹は目が見えなくなってしまいました。
 兄は復讐を誓い、犯人を見つけ出して、惨殺したということです。
 そして、妹の目を治療するため、お金を求めて旅立ちました。
 1人残された妹の元へ、定期的に手紙が届き、それが兄の無事を知るただ1つの手掛かりになりました。
 妹は今でも兄の帰りを、待っているそうです。



「……お兄さんは結局妹の元へ帰ってきたのか?」
「さあ。これはただの話なので、詳細は分かりません。」
「哀しい話だな……。」
 ギルルイは一通り聞いて、しょぼんと肩を落とした。怒りはすっかり吹っ飛び、しんみりとした気分になった。
 復讐に燃えた兄の姿を思い浮かべる。
 妹を助けたいと、放浪する兄の姿が脳裏に浮かんだ。
 彼は何をするだろうか。
 手っ取り早くお金を手に入れるためには、賞金稼ぎが妥当なところだ。
 ふいにぎくっとする。
 疾風の経歴を思い出した。
 確か、彼が半殺しにしてきた賞金首は、いずれも少女にひどいことをしてきた奴らではなかったか。
「……まさか、ね。」
 ギルルイは首を振って、馬鹿な考えを振り払った。
「話をしてくれてありがとう……。」
 お礼を言いかけた語尾が掠れる。ギルルイの前に座っていたはずの吟遊詩人がいつの間にか姿を消していた。



   4

 違う違うと思っても、つい考えてしまう。
 彼が賞金首になった経緯を。
 それは決して正しいとは言えない道だが、そうするしか術がなかったことも理解できる。
 通りすがりの吟遊詩人の話など、嘘だと思う反面、そう信じてしまっている自分もいることに、ギルルイは気付いていた。
 疾風はちょうど、街を出ようとしているところだった。
 ここで逃がせば、もう2度と捕まらないかもしれない。
 彼の妹のために、ここで逃がしてやるという選択肢もある。
 ギルルイはそれでも、悩んだ末に出した答えがあった。
「待て、疾風! 逃がさないぞ!!」
「……またお前か。」
 疾風はうんざりしたように、細身の剣を抜いた。少しの衝撃でしなやかにしなる、その弱そうな剣から、とんでもない技量が飛び出してくる。ギルルイは、固く身構えた。
 何合か打ち合う。
 相手もかなりの力量であることは分かっている。
 隙を見て逃げ出そうとしていることを感じ取りながら、ギルルイは幾度目かの接近で思い切って叫んだ。
「こんなことをしていても、妹さんは喜ばないぞ!」
「何を言っている?」
 疾風は怪訝そうに眉を顰めた。ギルルイは構わずに続ける。
「お金より何より、傍にいてあげることが大切じゃないのか?!」
「なんだと?」
 何を言われたのか理解した疾風の顔色がさっと変わる。
 怒りが膨れ上がると、周囲の雰囲気が変わった。
 ものすごい怒りだった。まさしく逆鱗に触れたとはこのことを言うのだろう。
 穏やかな青年から、復讐鬼に変わる瞬間を目の当たりにした。
 恐怖心を必死に押し殺し、ギルルイは剣を持ち直した。
「帰ると約束しろ。そうしたら見逃してやる。」
「何?!」
 ギルルイの話展開についていけず、疾風は戸惑っている。
「田舎に帰って静かに暮らせ。」
「素直に頷くとでも?」
「次、お前の名を聞いたら容赦はしない。」
 どこまでも本気なことを知り、更に疑惑が高まったようだった。
「何故そんなことを言い出す……?」
「だって、嫌なんだよ、俺は。そういうわけありの奴を狩るのは。妹さんをもうこれ以上哀しませたくない。」
 2人の間に沈黙が流れた。
 ギルルイは疾風がどうするつもりなのかと神経を集中させていた。
 ふっと、空気が和らいだ。
「……お前、いい奴だな。」
 疾風が力なく笑った。
 剣を収め、くるりと背を向けた。
 所謂「良い子ちゃん」だと言われたことにも気付かず、ギルルイは疾風を見送ったのだった。



   5

 世界の裏側で。
 盲目の少女が笑う。
 満面の笑みで。
 彼女の待ち侘びた相手に微笑みかける。
 


 * END *