<東京怪談ノベル(シングル)>


【姉妹の聖域】
「おい、ワイン持ってきてくれ!」
「はーい!」
 注文の声に引き寄せられては店の奥に引っ込む。娘盛りのウェイトレスが黒山羊亭を所狭しと動き続ける。それをふたりの美女――レピア・浮桜とエスメラルダが微笑みながら見守っている。
「あのコもすっかりお店に馴染んで、娘らしい振る舞いを出来るようになったわ。ありがとう」
「私にお礼を言ってもしょうがないわ。彼女の頑張りのおかげ」
 ウェイトレスの娘はレピアの教え子であり、義理の妹であり、恋人であるという人が聞いたら少々混乱する間柄である。
 週3回程の踊りの稽古の時は厳しい声を飛ばされるが、それ以外の場所では仲睦まじく寄り添いあっている。食事も風呂も、時には寝る時も。
「で、何もない?」
 エスメラルダは声を小さくして尋ねた。
「何も」
 レピアは妹を見て息をつく。
 妹はかつて忍と呼ばれる戦闘集団の一員だった。忍の掟のひとつに『裏切りは死』がある。それでも妹は忍を裏切り、心惹かれたレピアの元へ行くことを望んだ。忍たちは今頃血眼になって妹を探しているはずである。
 仮に探し当てられたとして、全力で守り抜く。レピアはそう誓っている。
「1ヶ月経ったし、追うのは諦めたかなって。期待は半々だけど」
「襲われても遅れを取るあなたじゃないとは思うけど。まあ、油断だけはしないでね」

 レピアはエスメラルダと共に朝方近くまで妹に踊りを教え、帰途につこうとしていた。
 夜通し騒がしいベルファ通りも、今はさすがに静寂の中である。
 ――だから状況の変化と迫り来る殺気を、すぐに察知することが出来た。
「あたしから離れないで」
 レピアが妹の手を握ったところで、音もなく何かが周囲の建物から舞い降りた。
「不安が辛くも的中ってところね」
「お姉様……!」
 レピアと妹はすでに4つの黒い人影に囲まれている。黒は服と頭巾の色だ。
「やっと見つけたと思ったら、すっかり町娘とはね!」
 女の声。黒装束たちは間違いなく、かつての妹のくノ一仲間である。
「抜け忍は決して許さない。わかってるね?」
「わかってるわ。だからここでひとり残らず返り討ちにしてあげる」
 言い放ったのはレピアだ。
「何だと」
「さあ、かかってらっしゃい。言っておくけどね、あたしを無視してこのコに少しでも手を出そうとしたら、間違いなく全員殺すわよ?」
 その宣言に襲撃者たちは沈黙した。それが本気であることも理解した。
「……いいだろう、まずは貴様をなぶり殺しにして、裏切り者はその後だ」
 くノ一たちはクナイを握り、一斉に肉薄してくる。
 彼女たちはただただ速くクナイを振り回すのみ。それで充分。何しろ4対1なのだから他の作戦など余計である。
 だからこそ、彼女にそんな単純な攻撃は通用しなかった。
「はっ、その程度?」
 くノ一たちは一様に驚愕した。レピアは事も無げにすべてをやり過ごしていた。跳躍やミラーイメージで攻撃をかわした直後に、的確に膝やみぞおちなど急所へのキックを見舞っている。スピードを誇る忍がスピードで負けているという事実、到底信じられるものではない。
「バカな、なぜ捕まえられない?」
「あたしを倒したいんだったら、魔法使いを連れてひたすら遠距離攻撃をさせなさい」
「……おのれ!」
 ひとりはすでに右膝の皿に蹴りを受け、うめき声を上げながら地に伏せっている。何故踊り子ひとり殺せない。くノ一たちは焦燥しきっていた。
 ――だが、その時は来てしまった。
 くノ一たちは思わず攻撃の手を止めた。目を見張った。
 レピアの体が、足から灰色に変わっていく。
「お姉様!」
 妹が叫ぶも、レピアは首を動かせない。
「あ、ゴメン、ね。急いで、たんだ、けど、間に合わなか――」
 運の悪すぎる夜明けだった。悔しさのあまり涙がこみ上げてきた。
 そして、レピアは石像と化した。涙の粒も流れず石となって。
「何でしょう、これは」
「……ふむ」
 リーダーらしいくノ一が、レピアの像に近づく。本来のターゲットには目もくれず、ゆったりとした動作で。
「お姉様をどうする気? 私を殺すんじゃなかったの?」
 リーダーは黙ってレピアの像を背負った。
「この踊り子、あんたの大切な女みたいだね。ちょっと利用させてもらうよ」
 黒装束たちは瞬く間にベルファ通りから走り去っていた。

 石化している間の記憶はない。目が覚めたから再び夜になったのだろうとレピアは考える。しかし体が何かむずがゆい。
 全身を見下ろし辺りを見渡し、自分の置かれている状況を把握した。
 ひとつ、場所はどこかの建物の内部。ふたつ、何ひとつ身に着けていない裸。みっつ、腕も脚も丸柱に結ばれて動きが取れない。痒いのは縛っているのが麻縄だからと知った。
 石化した自分をさらい、衣服を剥ぎ取り、拘束したのは拷問か何かする気だろうか。水部屋にでも沈めておけば殺せたものを――そこまで考えていると、向こうの扉が開いた。
「話には聞いたことがあったんだ。日中は石化する咎人って奴の存在をね」
「あんた、どんな罪を犯したのかしら?」
「男を騙し続けたってところかな」
「どうでもいいわ。膝を壊された恨み、たっぷりと返してやる」
 口々に言いながら素顔のくノ一たち(アジトだから顔を隠す必要はないのだろう)は、人質を取り囲む。
「あのコはどうしたの」
「まだ無事さ。これからどうかするために、アンタをさらったんだがね」
 そう言いながらリーダーはレピアの豊かな乳房を揉む。
「何をする気?」
「せっかくだから、楽しませてもらう。さあ、好きにしようかみんな」
 ――そうしてレピアは全身を余すことなく弄ばれ、蹂躙された。
 1日2日3日と経った。くノ一たちはレピアが石化から解けるたびに、指先や器具でありとあらゆる責めを与えた。彼女たちの手と錯綜した情欲は休むことがなかった。
 相手が男でないだけ救いだった。レピアは女に触るのも触られるのも慣れている。それでも肉体的、精神的に限界が近づいてきた。
 4日目。息も絶え絶えになったレピアを見てリーダーはほくそ笑む。
「そろそろ頃合かな」
 リーダーが指先をレピアの額に当てて、
「ハッ――!」
 短く気を発した。何かの術だとすぐに理解した。
「なにを……した?」
「今までわけもなく体をいじっていると思ったか? 我々の術は存分に染み込んだ。今のは鍵を開く念さ」
「な、に?」
「もうアンタは我々の意のままに動く操り人形だ」
 脳裏にパチンと電撃が走る。レピアの意識はまた途絶えた。

 まさかまたここに足を踏み入れることになるなんてと呟く。妹はエルザード郊外にあるそう大きくない木造建築物の目の前に立った。永遠に封印したはずの黒装束をまとって。
 この数日間何もかも手につかない妹の下へ矢文が届いたのは、つい先ほど夕方のこと。内容は非常に単純で、レピアを取り戻したくばひとりで来いというものだった。その通りに、ひとりで来た。どこぞの戦士を助っ人に雇ったとしてもすぐに見破られるだろう。今この状態で、すでに監視されているはずなのだ。
 元いた場所だ、くノ一グループのアジトは知り尽くしている。
 妹は中に入ってすぐ脇に見える地下室への階段を下りていった。
 下り終えた先の木製の扉を勢いよく開け放つと。
「やっと始末が出来るわね」
 4人の元仲間が殺気を放っていた。その後ろには石像のレピアがひっそりを瞳を閉じ、美しい裸のままで佇んでいた。
 リーダーが1歩前へ出る。彼女が直々に裏切り者を殺そうというのだろう。ちょうどリーダー以外のくノ一が石像を取り囲む形になった。
「人質ってわけ? そうまでしないと私を殺す自信がないのね」
 怒りのあまり、そんな挑発をした。
「言うじゃない!」
 すぐに殺し合いが始まった。リーダーの超速のクナイが妹を襲う。鉛色の軌跡はそれこそ流星群のように降り注ぐ。
 だが、何かおかしい。
 クナイの流星はことごとく標的を外してゆく。裏切り者が見せている揺らめくような体術には覚えがある。
「この動き、まさかアンタ!」
「いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。私、闘いは辞めたけれど、降りかかる火の粉を払う力まで捨ててはいないわ」
 捨てるどころか、むしろ磨き上げていた! 妹はレピアの防御を不完全ながらもコピーしている。
 激しい攻防の末、妹はリーダーの後ろを取った。全身に切り傷を負いながらも、腕をねじ上げ、クナイをピッタリと喉笛に突きつける。
「アンタ、あの踊り子が殺されてもいいの? 早く離れないと石像を壊すように命令するわよ」
 リーダーは笑いながら言った。こういう事態を想定しての人質だ。だが。
「もしそうしたら、あんたの喉をその瞬間に掻き切る。勘違いしないで。あの人が殺されるのは悲しいけれど、それならそれで仕方がないわ。別の人を見つければいいんだから」
 息を切らしながらも冷徹な口調で妹は返した。予想外の展開だった。
「……お前たち、石像から離れろ!」
「この建物から出るように言いなさい」
「……そうしろ、早く」
 くノ一3人は冷や汗を流しながら地下室を出て行った。
 妹はリーダーから離れ、もう誰にも近寄らせないように石像の隣まで移動した。
「バカね、私にとってお姉様は何より大事。あんな脅迫に騙されるなんて……ほら、ちょうど日没のようね。石化が解けていくわ。これであなたたちに勝ち目はない」
 見る間にレピアの体が色を取り戻してゆく。
 ――そこで、リーダーがありえない命令を下した。
「そいつを殺しなさい、レピア」
「え……ガッ?」
 予想など出来るはずがない。石化から戻ったレピアは、無言で妹の首を絞めた。
 レピアのいつも美しく揺らぐ青い瞳は、意思のない灰色の目に変わっていた。
「まさか、操ら、れて?」
 声を絞り出すのもやっとだ。術で力が強まっている。
「そのまさかよ。切り札は取っておくものと以前教えたでしょう?」
 意識が朦朧としてゆく。もう何秒も持たない。
「お姉様、目を、覚まして」
「――」
「無駄よ無駄。せいぜいあがきなさい」
 死の寸前だからか、走馬灯が頭をよぎる。
 エルザード城へのスパイとして忍び込み、返り討ちにされたあの日。
 無理矢理押し迫って妹にしてくれた1ヶ月前。
 厳しい踊りの稽古と優しい触れ合いの日常。
 いつでもレピアは孤高の人だった。自分に心を開いてはくれたけれど、その内にどうしようもない悲しみを秘めた踊り子。決して何者の支配も受けない強い人。だからこそ憧れた。
 そう、誰かに操られるレピアなど、あってはならない!
「お、ね、え、さま」
 最後の機会。全身全霊を込めて、想いを叫びにした。
「愛して、ます。だから、目を、覚ましてぇ!」

 ……静寂に戻る。

 妹はピクリとも動かない。レピアの動きも止まった。
「死んだかしら? さあレピア、念のためにあと10秒絞め上げなさい」
「――ええ、あんたの首なら喜んで絞めるわ。1分くらいね」
 リーダーを振り向いたレピアの瞳には、青が戻っていた。
「そんなっ? 私の洗脳術は」
 言いながらリーダーは後ずさっている。
「い、今まで誰にも破られたことはなかった!」
 信じがたいと心が拒否する。だが、忍はいつも現実主義なもの。すぐに諦めが全身を支配した。
「く、くそ!」
 逃げるようにリーダーは地下室を出た。階段を駆け上がる音がだんだんと小さくなってゆき、完全に消えたところで、妹はレピアに抱きついた。
「よかった、ああ、よかった!」
「ゴメン、苦しかったでしょ」
「大丈夫、大丈夫です。本当によかった」
「これでもう、あいつらは手を出さないわ。……愛の力が勝ったのね」
 ふたりは目を閉じ、強く抱き合って口付けをかわした。それは、聖域にも似た愛の確かめ合い。

【了】