<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


初夏の妖精



■ ささやかな伝説 ■■

其れは、南の森の地域に伝わる、小さな小さな妖精の話。

初夏の妖精、と呼ばれる妖精が、毎年南の森に遣って来るのだと言う。
冠された名前の通り、妖精は其の年最後の梅雨雲に乗って遣って来て、其の年最初の入道雲に乗って帰ってしまう。
ほんの少しの短い初夏の間、妖精は南の森に遊びに来る。
そして気紛れに、遣って来た人間の「願い」を叶えるのだと言う。

欲張りな人間には、小さく頭を振って妖精は逃げ去ってしまう。
「僕たちが出来るのは、君たちを幸せにすることだけ。君たちの欲望を満たすことは出来ないんだ」
だから僕たち初夏の妖精が叶えられる願い事は、小さくてささやかなものだけなんだ。妖精はそう呟いた。

初夏の妖精。
彼の種族はオレンジ色の羽根を震わせ、南の森で人間を待つ。



■ 妖精 ■■

南の森の中、覚束無い足取りでレピア・浮桜は歩いていた。何しろ月のある夜と言っても夜は夜、視界は悪いし獣道だ。だけどもこんな人気のない森だからこそ、妖精が居るのだろう。そう自分を励まし、レピアは只管歩を進めた。

夜、呪縛の解けた後、エルファリアの別荘から抜け出して辿り着いた白山羊亭。其処で友人であるルディアから聞いたのは、初夏の間だけこの南の森に遣って来ると言う妖精の話だった。
ささやかな願い事を、叶えてくれるの──ルディアの夢見るような甘い言葉に背を押され、レピアは白山羊亭を後にした。

暗い夜道は、其れでも歩けないことはない。レピアは転んでしまわないように、自分の踊り子の衣装の裾を捌きながら歩いていく。月は森の上空から降り注いでいて、道灯りとなるほどの強さではないものの、いっそ神秘的な何かが増して心地良ささえ感じられた。
初夏の妖精。一体どんな姿をしているのだろう。どきどきと胸が高鳴る──まるで、プレゼントを目の前に出された子供のような。
もう少し森の奥へと踏み込むと、視界が開けた場所に出た。ぽっかりと自然に形成されたホールのような場所になっている其処は、邪魔をするものが上空に無い所為か、澄んだ月光がきらきらと降り注いでいた。

「おや、お客様かい?」

此処に妖精が居るのだろうか。レピアがそう思い、つと辺りを見回す。其の仕草に呼応するかのように、高い子供のような小さな声が鼓膜を打った。
レピアは慌てて声のした方向──開けた場所の中央付近を見る。其処には、ふわりふわりとオレンジ色の光が浮遊していた。

「……もしかして、初夏の妖精?」
「そうとも。僕は初夏の妖精。梅雨雲の途切れ、夏の使者さ」

ゆっくりと地面を踏み締め、レピアは妖精へと近付いた。
近付いて見れば、妖精は橙色の光を僅かに発しながら中空に浮いている、ということが判った。其の輪郭は、光の所為でぼやけて良く判らない。
妖精には、其の身体から発光されるものと同じ色の、四枚の昆虫のような羽根を持っていた。まるでそう、御伽噺に出てくるような妖精が持つものとそっくりの、羽根。これは本物の初夏の妖精なのね──と、レピアはやっと理解した。

「で、こんな辺鄙な時間に辺鄙な場所にようこそ。願いは何だい、其れが目的だろう?」

レピアが妖精をまじまじと観察している間、妖精は事も無げにそう言った。
慌ててレピアは顔を上げて首を左右に振るも、妖精は気付かない。きっと其れだけ、願い事しか頭に無い冒険者しか此処を訪れなかったのだろう──そう思うと、レピアの胸は小さく痛んだ。

「ふぅむ、見たところ呪いを掛けられているようだし、其れを解けば良いのかな?」

妖精はレピアをじろじろと無遠慮に観察し、首を傾げてそう言った。この呪いを解くことが出来るのだろうか──レピアの胸はどきりと高鳴ったが、きゅ、と唇を結んで首を左右に振った。否定を意を表す為に。

「あたしは、願い事を叶えてもらいに来たんじゃないの」

レピアが慌ててそう言うと、やっと妖精は驚いた風に仰け反って見せた。オレンジ色の光がちらちらと揺れる。

「……確かにあたしは、呪いを掛けられているわ。だけど其のお陰でソーンに来ることが出来て、大切な友人も出来た。……憎らしい呪いだけど、感謝もしているの」

そっと目元を和らげて、レピアはそう呟いた。妖精は相変わらずふわふわと漂ったまま、其の話を興味深げに聞いていた。余程願い事をしない人間が珍しかったのであろうか、レピアを繁々(しげしげ)と眺める。

「珍しいなぁ。じゃあ一体こんな辺鄙な地まで、何をしに?」

妖精は尋ねる。レピアは嫣然と微笑んだ。

「貴方に、ソーンでの思い出を差し上げたかったの」
「僕に、思い出?」
「ええ」

力強く頷いて、レピアは月光が照らし出す、開けた場所の真ん中へと歩む。柔らかな物腰で、レピアはふわりと腕を広げた。身体の随所に付けられた飾りが、しゃらん、と軽やかに鳴った。



音楽なぞ無い。ただ夜の気紛れな風が、森を揺るがす僅かな音だけだ。決して豪奢な音ではない其の静かなBGMに合わせ、レピアは軽やかに舞う。
薄められた瞼、月光に照らされる頬、幻惑的な動きをするすらりと伸びた手足。それら全てが、踊っていた。レピアは全身そのもので踊っていた。
傾国の踊り子──呼ぶなら其れが一番だ。そう形容するのが当たり前であるような、そんな踊り。



「妖精さんも、いらっしゃいな」

踊りながらレピアは言った。微笑んで、妖精を促すようにひらりと腕を伸ばす。其の見事な踊り様に見蕩れていた妖精は、はっとしたように顔を上げる。朗らかに顔を崩し、喜んで、と妖精は言った。

夜明け色の光が加わる。踊りの輪は鮮やかに彩り薫る。



■ 宴の後 ■■

妖精は、ふと気付いた。レピアの身体が石と化していることに。
そうか、もう夜明けか──妖精は森の天蓋を見つめ、密やかに溜息を吐いた。朝の訪れと共に、この踊り手は石と化してしまったのだ。其の身に秘める、呪いによって。

「素敵な時間を有難う、マドモアゼル」

妖精は小さく呟くと、冷たいレピアの頬に柔らかな口付けを送った。
唇を離し、ぱちん、と僅かに指を鳴らす。瞬間、レピアの石像は其の場から泡が弾けるように消え去った。

「君を、君が元居る場所まで送っておいたよ。……きっと君の美しい姿に、人々は夢中さ」

妖精は悪戯っぽく呟くと、ふ、と空を見上げた。



ああ、今日も暑くなりそうだ。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1926 / レピア・浮桜 / 女性 / 23歳 / 傾国の踊り子】

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■         ライター通信          ■
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今日和、ライターの硝子屋歪で御座います。(礼
レピアさん、二回目の御参加、有難う御座いますっ。

初夏の妖精。自分ではメルヘン的な要素が強くなるよう試みたつもりなのですが、如何でしたでしょうか?
レピアさんの踊りを、きっと妖精も喜んでくれたことでしょう。私自身、書くのがとても楽しかったです。(笑
其の儚さと夏の匂いを感じ取って頂けたならば、とても嬉しいです。

又機会がありましたら、どうぞ宜しくお願い致します。(礼
其れでは。