<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Mother Sea

 目的はその抵抗勢力の主力を奪い、隠れ家の兵器を破壊する事、の筈だった。だから私は、この軍が傭兵を募集したミッションに参加したのだ。…それなのに。
 そこで私が見たものは、泣き叫ぶ子供達と逃げ惑う非戦闘員の女達。武器を持たない者、戦えない者は狙わない筈だった、だが、軍と軍直属の傭兵達は、相手が武器を持っていようといまいとお構いなしで、抵抗勢力のものであれば全て…。

 私はあの場所で見た、私を悪魔か何かのように恐ろしげに、また憎々しげに睨みつけたまま息絶えた、幼い少年の見開いた眼差しが忘れられない……。


 ただの演劇や出し物ならば、どんなに優れた内容のものであっても、長期間公園を繰り返せばやはり飽きが出て客足は遠退いていくものだ。それ故に、一定期間で公演内容を見直し、入れ替えていかなければならないのだが、ティアラの歌声だけは、マンネリと言う言葉は持ち合わせていないかのよう、彼女が歌い始めてからずっと、彼女の歌声は休む事無く劇場に響き続けていたのであった。
 ティアラの歌声は、何回聞いても聞き飽きる事はない。物凄く特徴のある変わった声と言うわけでは無いが、耳馴染みがいいと言うのだろうか、誰の聴覚にもしっくりと来るような感触があり、自然と心が和む声なのだ。だから、例えティアラがいつもいつも同じ歌を歌っていたとしても、それは大好物なら毎日食べても飽きないのと同じように、彼女の歌も飽きられる事はなかった。その上ティアラは研究熱心でもあったから、常に新しい曲目を捜しては練習して披露しているし、結果『セフィアール』にティアラの歌を聴きに来る人が絶える事などあり得ないのだった。
 当然、この日もいつものように、『セフィアール』は大勢の観客で大賑わいだった。いつもの演目順でティアラが舞台に立つと、いつものように歓声がホール内を揺るがし、響き渡る。その、身体に感じる大気の振動に、何故か帰ってきたのだと言う気分にさせられ、ラティスは心地よくそれを受け止めるのであった。
 ラティスが劇場内に入ってきた時、既にティアラの公演は始まっていた。だから、ティアラはラティスの姿を舞台の上から遠目で見たに過ぎないのだが、それでもラティスの様子がおかしいのにはすぐに気付き、思わず息を飲む。プロ意識から、歌声が途切れるような事はなかったが、ほんの少し息を飲む様子が伝わり、それに気付いたラティスが苦笑と共に何でもないと首を緩く左右に振った。
 ギシ、と微かな音を軋ませて椅子を引き、腰掛ける。観客の一人が、その物音を咎めるように振り返ってラティスを見たが、その様相の異常さに思わず叫びを飲み込んだ。ティアラが良く悲鳴をあげなかったなと、ラティスは他人事のように思う。テーブルの上に突いた肘が、痛みで微かに痙攣している。ツ、とこめかみを冷たい汗のような埃に汚れた血が滴った。

 僅かにだが震える声で歌い続けるティアラの声を聞きながら、ラティスは傷付いた手でグラスを持ち上げ、強い酒が喉を焼く感覚に浸った。刺激がいつもよりも強く感じるのは、恐らく己が負った怪我の所為だろう。だが、感覚が鋭利になっている反面、痛みには鈍くなっているようで、さっきまで身体中が心臓になったかのような、脈打つ強い苦痛も今は然程感じない。
 その時、ティアラの声に何かの想いが籠められる。それに聞き入る人々はその声に癒され、身体の心からほっと暖まるような感覚を受けた。が、それを一番顕著に受け止めたのはラティスだった。傷ついた全身がぬるま湯に浸っているかのような心地良さ、染み渡る癒しの歌声が、己一人に向けられたものである事に気付いたラティスは、その声に導かれ、静かに意識を手放した。力を失った手からグラスが落ちて倒れ、残っていた酒が緩い速度でテーブルの上に広がっていった。


 何をしているんだ!と強い語調でラティスが男に問うと、その軍と密接な関係にあった傭兵の一人は黄ばんだ歯を剥き出して嫌らしげに笑った。これが本来の命令なのだと。抵抗勢はただの一人として生かしておいてはならないと言うのが軍の考えなのだと。そう言って奴の振るった剣は、目の前で怯えて何も出来ない少女の首を一刀両断にした。勿論、その直後にはその傭兵の首も、同じようにラティスの剣に一刀両断にされて吹っ飛んではいたが。
 気付いたら、ラティスの剣は先程までは味方であった兵士達に向けて振るわれていた。如何な手練れで戦い慣れたラティスと言えども、相手もそれなりに実線を切り抜けてきた兵隊達である。疲れ知らずの肉体にも、次第に多少の疲労は蓄積されていく。が、それ以上に彼女の怒りは収まりようも無かった。非戦闘員の虐殺は、条約で禁止されている筈だ。この仕事を請ける際にも、ラティスはその点をちゃんと確認した。文官上がりのような若い士官は、大丈夫だと自信を持って頷いたではないか。そう思うものの、結局は真意を見抜けなかった己の甘さに、ラティスは強く下唇を噛む。全てを叩き潰し、ただ風が流れる荒野と化した戦場で、ラティスは己の袖を引く弱い力を感じ、そちらを振り返った。
 「!?」
 そこに居たのはひとりの子供。ラティスの袖を握っているのと逆の腕は、ない。切り口から血が滴り落ちているのに、子供は全く気に掛けた様子もなく、無邪気な瞳で彼女を見上げていた。ラティスが膝を突き、そんな子供の顔を覗き込んだその時。子供の身体は、まるで想像を絶する熱を浴びせ掛けられたかのように、アッと言う間にどろどろに融け始めてしまう。ラティスが声にならない悲鳴をあげて子供の方へと手を伸ばし掛けたその時である。
 いまさら、おそいよ。ぜんぶ、なくなっちゃった。
 恨みを込めた誰かの声が脳に響き渡り、思わずラティスは声を上げた。


 「ラティスさん!ラティスさん、しっかりして!」
 は、とラティスが目を開くと、一番最初に飛び込んできたのは、海を思わせるティアラの大きな青い瞳だった。その瞳は涙を滲ませ、焦りと驚きで揺れている。ラティスが目を覚ました事に気付き、ほっと安堵の表情を浮かべ、ベッド脇に置いてあった椅子に脱力するようにすとんと身体を落とした。
 「……ぁ、…」
 「……良かったぁ…目を覚ましてくれて…」
 にこり、と微笑んで目尻に浮かんだ涙を指先で拭い取る。今更ながらティアラは、えへと照れ笑いを浮かべた。

 ここはティアラの家である。劇場で気を失ったラティスを養生させる為、ティアラが両親に頼んだのだ。こじんまりとしているが、センスのいい調度品と手間隙掛けて手入れされている様子に、この家の者が如何に裕福で、そして幸せであるかをラティスは感じた。だが、厭な感じはしない。それはきっと、そこに居るティアラを初め、決して押し付けがましくなく、優しく控えめだが強い信念を感じるからだろう。久し振りに心地良さを感じ、ラティスはベッドの上で軋む身体を怠惰に投げ出していた。
 傍らで椅子に座るティアラの目の下には、僅かにだが隈が浮いている。恐らく、昼夜を問わず必死で看病をした所為なのだろう。それに気付いたラティスが、視線を天井に向けたまま、ティアラに言った。
 「助けてくれた事に感謝はするが、そこまでしてくれとは頼んではいない。お前は自分に出来る事だけをすればいいじゃないか」
 それは、そんな言葉でしか気遣えない、ラティスの不器用な優しさであった。勿論、ティアラもそれを分かってはいたが、今回はだからと言って引き下がるつもりは毛頭無かったらしい。ガタン!と音を立てて椅子から立ち上がり、驚いてこっちを見たラティスの青い瞳を、真っ向から見据えた。
 「何を言ってるの、そんな怪我をして!誰だって、そんな様子を見たら心配になるのは当たり前じゃない!し、心配だから……」
 ぎょっとしてラティスは目を剥く。立ち上がり、スカートを握り締めていたティアラの両手の拳が細かく震えたかと思うと、大きな瞳からぽろぽろと涙を流し始めたからだ。
 「お、おい…ティアラ……」
 「ら、ラティスさんは無茶し過ぎです……だって、例え誰であっても、そんな怪我をしてる人を見たら心配になります…ましてやそれが、……し、知ってる人なら……」
 ティアラの涙声は、『知ってる人』の前でほんの少しだけ途切れた。その理由がラティスには分からず僅かに眉を潜めるが、ティアラ自身は涙で滲んだ視界の所為で、ラティスのその表情には気付かなかったようだ。
 「ラティスさん、ラティスさんだって分かるでしょ?あなたの目の前で、知った人が傷を負ったら…例えそれが命に係わらないものでもビックリするし心配になるでしょ?ましてやそれが、そんな大怪我で……」
 「…驚かせて悪かった、こんな怪我でお前の前に現われなければ……」
 「そう言う意味じゃないの!」
 激昂したティアラの大声は、普段の歌声で鍛えられているからか、びぃんとした張りがあり、さすがのラティスもびっくりして目を見開く。ティアラの涙は留まるところを知らず、雫は頬から顎を伝ってぽたぽたと床に小さな水溜りを作った。
 「違うわ、そりゃ確かに怪我だらけで目の前に急に現われたらビックリはするけど…でも、もしティアラの知らないところでそんな風にして倒れてたら、って思ったら…もっと心配で…すごく恐くて、……」
 「………」
 ぐすんと鼻を啜るティアラの顔を、ラティスはじっと見詰め続ける。その表情は、いろいろな感情が混ざり合って複雑なものになっている。ティアラはスカートを握り締めていた片手を離して、袖でごしごしと目元を擦った。
 「だから…せめて、今だけでも…ゆっくりここで休んで……?」
 ね。と念を押すティアラの表情に、渋々頷くラティスだったが、その表情は今までにないほどに穏やかであった。


 ラティスの怪我自体は、確かに酷いものであったが命に係わるほどのものではなかった。だが、今までの激務の積み重ねがここでどっと噴き出てきたか、体力の回復が思うように行かず、ラティスは思い通りに動かない己の身体を持て余し、ベッドの上で歯痒い思いをしていた。その反面ティアラは、そんなラティスを案ずると同時に、ラティスが傍に居る事に安堵を覚えているようだった。甲斐甲斐しくラティスに食事を運び(スプーンで掬ってラティスの口元に運ぼうとしたが、さすがにそれは拒否されたが…)薬を飲ませたり包帯を巻き直したりとずっと世話を焼いていたのだった。そんなティアラにラティスは、くすぐったいような気恥ずかしさを覚えつつも、そのモヤモヤは決して不快なものではなく、どこか暖かいものを感じ、落ち着いた日々を送っていた。
 その日は日差しが暖かく、開け放した窓から柔らかな風が吹き込む午後だった。ラティスはベッドの上で上体を起こし、ティアラに裸の背中を拭いてもらっていた。最初は頑なに拒否をしていたラティスだったが、これまた頑ななティアラに根負けした形で身体を預けているのだ。例え相手が可憐な少女とは言え、他人に背中を任せることなど未だ嘗て無かったラティスは、不思議な気持ちで背中に触れる濡れたタオルの暖かい感触を感じていた。一方ティアラはと言うと、ラティスの鍛えられ引き締まった筋肉の、滑らかな小麦色の肌に僅かに頬を染めながらも、その所々に残る古い傷跡には眉を寄せ、少しだけ不安げに睫毛を伏せた。
 「…ラティスさん、いつもこんな危険な所でお仕事してるの…?」
 「…いや、いつもと言う事ではない。今回はたまたま……」
 「でも、戦いである事には変わらないんでしょう?」
 そう言われればそうだと答えるしかない。戦いの中でしか生きてこなかったし、生きる事を許されなかった。そう言う事情は、ティアラも何となく感じてはいるが、それでもやはりラティスが傷付いてきた事、これからも傷付くかもしれない事は辛かった。
 「…私は、そう言う世界でしか生きられない。これまでも、これからも」
 「………」
 ティアラは何も答えず、拭き終えたラティスの背中に清潔な綿の部屋着を着せ掛けた。礼を言って袖を通しつつ、ラティスはふとティアラに問い掛けてみる。
 「ティアラは、どうして私にここまで良くしてくれるんだ?私とお前は、単なる劇場の歌姫と客ではないか。何故、私をここまで気遣ってくれるのだ」
 「……え?」
 たらいを手にしたまま、ティアラが振り返る。その頬は僅かにピンクに染まっていた。
 「ええと、あの……あのね、ティアラね…ラティスさんの事、お姉さんみたいに思ってるから」
 「…姉?」
 ラティスが尋ね返すと、ティアラははにかんだように笑ってこくりと頷く。たらいを傍らのテーブルに置き、スカートの裾を翻してラティスの方へと向き直る。
 「うん、ティアラは一人っ子だから…ずっと姉妹が欲しいって思ってたの。一番欲しかったのはお姉さん。ラティスさんみたいなお姉さんがいたらなー…って、初めて会った時からそう思ってたの」
 ティアラは、言ってしまってから急に恥ずかしくなったのか、照れ臭そうな笑みを向けて所在なさげにスカートの裾を両手で弄る。やがて、そんなスカートの皺を手で直すと、すっと深く息を吸い込み、静かな声で子守唄を歌い始めた。
 それは、この大陸全域で広く伝わる、古い古い子守唄であった。地域や種族によって多少の違いはあるが、概ねのメロディや旋律は殆ど共通している。つまり、ティアラにとってもラティスにとっても、それは懐かしい子守唄だと言うことだ。
 澄んで心地良く響き渡るティアラの歌声は、ラティスの奥深くへと染み渡っていく。歌そのものの懐かしさもさる事ながら、先程聞いたティアラの返答にもラティスの心は震えていた。それは戸惑いであり迷いであり動揺であり。だがそれらは全て、決して厭な気持ちではなく、ただ馴れていないだけなのだと、ラティスも分かっていた。
 そっと身をベッドに横たえ、窓から吹き込む優しい風とティアラの歌声に身を任せる。目を閉じると傷付いた身体は波に揺られているように、耳の奥から、海の漣が聞こえるような気がした。

 海は母だと、どこかで聞いたような気がする。暖かなこの部屋の空気が母の胎内なら、ティアラの歌声は胎音だろうか、とラティスは鈍くなって来る意識の中で、ぼんやりと思った。


おわり。