<東京怪談ノベル(シングル)>
『蒼い空の見える窓』
同じ空の下に今も暮らしているだろうか
自分と同じくこの世界へとやってきただろうか
蒼い蒼い空を窓から見上げながら
ただ一人の人物の事を思い浮かべる
空へと投げかける想いは
やがて風に乗りその人の元へと届くだろうか
一人の人物へ投げかける想いは
ゆっくりと形を変え空へと昇っていく
静かに佇む二階建ての宿屋が一軒ある。
庭先には無愛想にも見える男が一人で黙々と薪を割る姿があった。
人通りの少ない閑散とした場所に建ってはいるが、此処はれっきとした宿屋である。
一階には食堂兼酒場の広いホールがあり、奥にはしっかりと浴槽が完備されている。
客室は二階にあり、個人でも大人数でも寝泊まり可能。
そして一泊二食付きで、小型であればペットも同伴可能という、旅人には至れり尽くせりのとても嬉しい宿屋だった。
しかしいかんせん場所が悪い。
酒場といえば皆ベルファ通りに行ってしまう。
そしてそちらで泊まる場所が見つからなければ少し離れたこの宿へとやってくると行った具合だ。
それでもこの宿屋が困ることなく経営できているのは、リピーターが多い事にある。
初めてやってきた者はこの宿屋の主人であるオルト・ジャスティンの容貌を見て一度は付き合いづらそうに思うが、実は話をしてみるととても情にもろく、そしてなんといっても真心の籠もったもてなしをしてくれる所が気に入って何度も足を運ぶ事になる。
そして泊まる度にだんだんとオルトの物腰も柔らかくなっていく事も、客には嬉しい出来事の一つだった。
今日もリピータである客が帰っていき、一仕事終えたオルトは一階のホールでお茶を飲みながら一服していた。
客を送り出した昼過ぎのこの時刻は、今日止まる予定の客もまだ訪れる事はない唯一ゆったりと出来る時間だった。
相棒である小さな火蜥蜴のフレイはオルトの足下にぺたりと座り込んでいる。長年一緒に暮らしてきた事もあり、いつもオルトの側にはフレイが居た。
「さぁて、あいつは今頃何処に居るのやら……」
思わずオルトの口から漏れる言葉。
今まで何度呟いた言葉だろう。
オルトが思う『アイツ』とは、自分と同じくソーンにやってきているはずの義理の息子の事だった。
義理の息子とはいえども、オルトにとってそれは本当の家族であり、心の底より大切な存在であった。
血が繋がっていない事などたいした問題ではない。血の繋がりよりも大切なモノはこの世の中にいくらでもある。
成り行きで引き取る事にはなったが、その出来事はオルトを変えるきっかけにもなった。
それにオルトは感謝せねばなるまい。
息子を引き取る事がなかったら、妻子を亡くし人との交わりを避けひっそりと暮らしていたオルトが、今こうして宿屋を開く事などあり得なかったのだから。
しかし未だ息子の消息は不明で、安否が気遣われる。
無事なのか、それとも怪我をしているのか。
それすら分からず、オルトの眉間には深い皺が寄せられた。
元から心配性ではあったが、息子の事になると特にそれが酷くなる。
息子がこの広い世界の何処にいるのやら、オルトには見当もつかない。
宿屋を経営しつつ、息子の消息を探す日々。
人の出入りのある宿屋では必然的に情報交換も盛んになる。
しかし、オルトが自分から息子の事について尋ねる事は一度もなかった。
他人には迷惑をかけず、そして自分の手で息子を捜し出す事が現在のオルトの目標だった。
「無事でいるといいんだがな」
ジー、とフレイが賛同するように小さな鳴き声を上げる。
「喧嘩っ早いからまた何処かで騒動を起こしてなけりゃいいが……」
ふぅ、と溜息を吐きオルトは小さく笑う。
本当にぼうっとすると脳裏に浮かぶのは息子の事ばかりだった。
ここに来る前は息子中心の生活にもなっていて、オルトの生活は波瀾に飛んだ日々だった。
だからかもしれない。
ゆっくりとした時間が訪れるたびに、オルトは息子の事を想い、そして早く見つけ出してまた一緒に住み、賑やかな日々を送りたいと願っていた。
「やはり俺とお前だけじゃ少しバランスが悪いしな」
ジー?、と首を傾げてみせる長年の良き相棒だったが、こくりと頷きながらもう一度鳴く。
そしてまた客の訪れる時間になり、オルトは息子との想い出にひたるのを止め仕事に専念し始める。
オルトと相棒は仲良く今夜迎える客人達の用意に明け暮れるのであった。
その夜。
夜も更けゆく中、客の一人とオルトはカウンター席で話し込んでいた。
その客とは顔なじみでオルトが店を出した頃からのつきあいだった。
「いやー、しかしアンタと一番初めに会った時は、こんなに気さくな奴だなんて思いもしなかったなぁ」
グラス片手にそんなことを述べる男にオルトは言う。
「人の事言えた立場じゃねぇだろうが。俺だってあんたがみかけによらず頑固で言ったら最後、やり通すまで諦めない奴だなんて思いもしなかった」
「お互い様か」
あっはっは、と楽しそうに笑った男は尋ねた。
「なぁ、前から聞こうと思ってたんだがあんた子供はいないのかい」
「いたけどな、今は居ない」
そうオルトが告げると申し訳なさそうに男は謝辞する。
「あぁ、それは悪かった……」
しかし男の言葉を全部聞く前にオルトは告げる。
「いや、息子が一人いる。今はちょっと別行動中だがな」
どちらも大切な自分の子供だ。それは離れていても変わる事はない。
「なんだ、居るのか。そうかー、アンタとは似てるのかい?」
「似てないな」
「それじゃ見つけてもわからねぇなぁ、残念だ」
かまわねぇ、とオルトは言う。
「せっかく人が探してやろうって言ってるのに…」
「いや、いいんだ。気持ちだけはありがたく受け取っておく」
訳ありなんだな、と男は笑いそれ以上詮索することなく、ごちそーさん、と言うと部屋に戻っていった。
「悪いな。俺は自分自身の手であいつを見つけてやりてぇんだ」
男の去っていく背中にオルトは小さな声でそう告げた。
太陽がゆっくりと世界に光をもたらす。
溢れ出る光は、地上に満ちていきそして空を蒼く染めていった。
いつものように早朝に起き出したオルトは、窓から見える空の蒼さに目を細める。
「今日もまた一日が始まるのか……あいつももうそろそろ起き出す頃か」
「ジー」
相棒が、こくり、と頷きながら声を上げた。
今日もまた新しい一日が始まる。
そしてオルトの息子の新しい一日も始まるのだろう。
きっと、同じようにこの蒼い空の下で。
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