＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
『一匙はポットのために、そして』
＜オープニング＞
黒山羊亭に目の醒めるように美女が訪れた。歳は二十歳くらいだろうか、真紅のミニドレスを纏い、ラメを多用した派手な化粧をしていた。
エスメラルダのいるカウンターに向かい、まっすぐ歩いて来る。
既知のような笑顔でこちらを見ているので知り合いかと思うのだが、エスメラルダにはこの美女にとんと記憶がなかった。
美女はカウンターの高いスツールに座ると、綺麗な足を組み直し、肘をついて気取って注文を告げた。
「アイスココアをちょうだい。ガムシロはダブルでね」
この声を聞いてエスメラルダは叫んだ、「アーシュラ？！」
確かに顔だちには面影がある。だが、アーシュラは、まだ11歳の少女のはずである。魔法使いの祖母の下で修行中の身だ。
「これ、ちょっと預かってほしいんだ。あたしが踊りに行っている間でいいの。深夜０時迄には戻って来るから」
アーシュラは、脇に抱えていた黒別珍の包みをテーブルに置いた。中からは、美しい濃紺のティーポットが現れた。
「シンデレラ・ティーポットって、聞いたことある？」
わかった、アーシュラ。皆まで言うな。なんてわかりやすい・・・。
「うっかり割ったりさえしなければ、このポットでみんなでお茶飲んでていいよ〜。年齢しか変えられない魔法だし、願いは一人一回で、０時になったら魔法は溶けちゃうけどね」
「・・・飲んでみる？」
エスメラルダは客達に向かって訊ねた。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「面白そうですね。12時に元に戻れるのなら、冒険してみてもいいかな」
好奇心旺盛な青い瞳を輝かせ、アイラス・サーリアスがティーポットの把手に触れた。
「60歳くらいの老人になってみたいな」
そう言いながら、蓋を開けてポットの中を覗き込む。
「うーん。形状は普通のポットと変わりないようですね」
「老人になりたいなんて、信じられないわ。嫌でも歳を取れば60になるのに」
エスメラルダは呆れたように肩をすくめた。
「60まで生きていられるかどうかなんて、わからないでしょう。それに、若返っても以前の見慣れた顔が現れるだけで、つまらないですよ。
ええと、取説のメモがついていますね。・・・歳を重ねたい時は、熱湯を注ぐ。若くなりたい時は、水出しで煎れる。僕の場合は40歳加齢だから、熱湯で40分蒸らせばいいんですね」
「ねえ、3分だけ置いたお茶を、飲ませてもらっていいかな？」
アイラスとエスメラルダのやり取りに、声をかけて来たのは15歳くらいの少女だった。活発そうなくりくりした瞳で二人を見上げていた。
「システィナ・ブロイセン！あなたはまだ、黒山羊亭に出入りするには早すぎるわ！」
「ほうら、エスメラルダだって、つまんない大人みたいなことを言うでしょ。だから18歳の外見になりたいのっ。大人の行く場所にも出入りしてみたいもん」
「『つまならい大人』だなどと。それが、人にものをお願いしている態度でしょうか。それでは、子供扱いされても仕方ありませんよ？」
背後の声に皆が振り向くと、そこにはシスティナよりももっと幼い、６歳ほどの和服の童女が佇んでいた。長い黒髪と艶やかな着物の美しい女児だが、背には大きなゼンマイを天使の翼のように携えていた。
「わたくしは13歳になりたいのですが。人形にも、そのお茶は効果があるのでしょうか？」
「鬼灯（ほおずき）さんも、ダメもとでやってみればいいんじゃない？」
エスメラルダは、軽く請け負って作り笑みを返す。
「お茶の葉は何でもいいみたいね。ダージリンでいいかしら。酒場でお茶会っていうのも珍しいわ。三人分だから、茶葉は４杯ね。
さあ、お湯が沸いたわ」
＜ ★ ＞
18歳のシスティナ、と言っても、本人が思うほど変わってはいなかった。背が数センチ伸びたことと、頬の肉が落ちて輪郭の丸みが減ったくらい。だが、システィナは、これで、『私はオトナ！夜の街に大手を振って遊びに行ける』と信じて疑っていなかった。
エスメラルダはため息をつく。
「システィナ。お古で申し訳ないけれど、あたしのドレスを貸してあげる。ハイヒールもね。それから、お化粧をしてあげるわ」
「え、ほんとですか？わーい！エスメラルダさん、ありがとう！」
システィナは無邪気に抱きついてくる。たとえ28歳の外見になったとしても、ジーンズのオーバーオール姿でお洒落な飲み屋には入れるものではない。そういうことを、彼女は気づかないのか知らないのか。
背中の大きくあいたドレスに、エスメラルダは後ろから黒レースのショールを羽織らせた。大人っぽく見せたいようなので、丸く愛らしい瞳は、アイラインで切れ長に描いた。ドレスの色に合わせ、アイシャドウは妖艶なパープル。
控室の鏡を見て、化粧したドレス姿の自分にぽーっと舞い上がるシスティナだった。
「綺麗！すごい！エスメラルダさんって魔法使いみたい！」
「いいこと、システィナ？あなたは夜の街の怖さを知らない。ドレスショップやアクセサリー店に入るくらいならいいけれど、一人で酒場になんて入ってはダメよ。酒場は、外から覗くくらいにしなさい。ダンスホールは、アーシュラが向かった店なら若いコ向けだから大丈夫と思うけど」
システィナは、鏡に向かってポーズを付けたり投げキスをしてみたり。エスメラルダの話をきちんと聞いているのやら。ドレスアップが嬉しくて仕方ないのだろう。
隣では、13歳になった鬼灯が、おはしょりの長さを調整する為に着物を着直していた。エスメラルダは和服の着付けはさすがに出来ない。手伝いを頼まれたらどうしようと思っていたが、鬼灯は器用に一人で錦の帯も締めた。外見が変わっても人形であることには変わりがなく、背には相変わらずゼンマイを背負っていた。
「お二人は、どなたか絵師をご存じないですか？わたくし、13歳のこの姿を、絵に描いて貰いたいのですが」
「あ、それならあたし知ってるよ！昼はアルマ通りで似顔絵を描いてるんだ。でも本職は油絵の画家で。白山羊亭の近くにアトリエがあるの。
あれ？日本画の人がいいのかな？」
「いいえ、特にこだわりませんわ。絵師さんが、和服のモデルを嫌がらないでくださればいいのですが。
ではお先に失礼します」
「あ、あたしも行く！エスメラルダ、あとでドレスとか返しに寄るね！」
システィナは元気に街へ飛び出して行った。元気・・・。そう。パープルのカクテルドレスで、『元気』に。
昼間は何度かアルマ通りを探検したことがあった。だが、ベルファ通りの夜は、独特の雰囲気がある。暗い路上に何するでも無く佇む人たち。むこうもシスティナの存在を無視するが、こちらも怖いので視線を合わせないように歩いた。
もう夜も深かったので、ショップも殆ど閉まっていた。エスメラルダがよく着ているような(つまり今自分が着ているような)肩を出したり背を出したりするドレスを売る店も覗いた。だが、いまいち盛り上がらない。システィナは、もう少しヒラヒラとレースやフリルがついた可愛らしい感じの方が好みだった。ピンクや水色のパステルカラーが好きだ。ここは、深い色のドレスしか置いていない。
一軒だけ開いていたアクセサリーショップも。システィナは、ハートや花のモチーフが好きなのだが。大きな球を繋いだだけのネックレスは、いくら高い宝石でも魅力は感じなかった。
『なんか、思ったより面白くないなあ。酒場でも覗いてみようかな』
だが、ベルファ通りの酒場は、地下に潜ったり、扉も窓も中が見えなかったりという作りが殆どだった。アルマ通りの店は、ガラスの大きな窓越しに、ジョッキを掲げる人々が覗けたのだが。
『あっちの通りに行ってみようかな。でも、アルマ通りなら、15の姿の時でもウロウロできる』
大人の男である『あの人』は、健全なアルマ通りの店より、この暗い街並みを好むだろう。この通りにも行きつけが何軒かあるはずだった。もちろん店の名前さえもシスティナは知らないのだが。
この姿で。ドレスアップした姿で、『あの人』に会えないだろうか？
偶然、店で会ったような振りをして。細いグラスを交わせないだろうか。
いや、たとえ帰れと怒鳴られてもいい。綺麗に変身した自分の姿を、一目見てもらえないだろうか。
『酒場に入っちゃダメ』という、エスメラルダの言葉がちらりと脳裏をよぎる。
『で、でも。一人でなければ平気よね？誰か、いかにもいい人そうな相手と一緒ならば・・・』
そして、システィナは、その『いかにもいい人そう』に見える初老の紳士を見つけた。白髪の長髪を後ろに結んだ学者風の紳士だ。彼が地下の飲み屋へ入ろうとしているところを声かけた。
「すみません！一緒にお店に入ってもらえますか？」
紳士は、ゆっくりと振り返った。システィナの姿を見て、戸惑ったようだ。
「このドレスを貸してくれた人から注意されているんです。一人で初めての酒場に入っちゃ危ないって。連れの振りをして、一緒に入ってもらえますか？」
男は、笑って眉をしかめた。眼鏡の奥の瞳が困惑している。いつも穏やかに微笑んでいるような、目尻の皺が優雅で知的な紳士だった。システィナくらい、いやもう少し大きな娘がいてもおかしくない年代だろうか。
誰か知っている人に似ているのかもしれない。ほっとさせるような、安心感を与える人だった。
「お嬢さんは18歳くらいですか？この店は、あなたが入るには少し大人向けすぎる気がするのですが」
「人を探しているのです。ちょっと覗いて、いなかったらすぐ帰ります」
「僕が一緒に席を立たなかったら、あなたが危ないのは同じでしょう。
一杯くらい付き合ってください。そうしたらお礼にお送りしますよ」
男が鏡のドアを押す。金具が軋み、重い扉が開いた。
「ジン・トニックを」
狭い店だった。十人もカウンターに並べば満杯になる。照明を抑えた店内。木のぬくもりを生かした棚とカウンターテーブル。ワックスの香る板張りの床は店の年輪を感じさせた。
「あ、あたしも同じものを」
きょろきょろと素早く店内を見回したが、探している人物の姿は無かった。
「いや、カルア・ミルクあたりにした方がいいですよ」
「はい、そうします」とシスティナは素直に頷く。酒の名前なんて、ビールくらいしか知らないのだから。
「じゃあ、マスター。彼女にはカルア・ミルクを『カルア抜き』で」
システィナには、暗号みたいにしか聞こえなかった。
マスターは苦笑する。
「娘さんですか？」
飲んでわかったが、『アルコール抜きで』ってことだったのだ。
「いや。ドアの前で会ったんですよ」
「あたしは、これを飲んだら行くから」
そう言うと、システィナは、テーブルに置かれたただのアイスミルクを一気飲みした。早く次の店を探したかった。
「僕が一杯飲み終わるまで待ってくださいよ」
「時間が無いんです。12時までに会いたい男がいます。この姿を見せたいんです」
「若いあなたが『時間が無い』と焦る。・・・そういうものかもしれませんね」
マスターは、味わうことなく飲み干されたミルクのグラスに手を伸ばした。
紳士も急いでジン・トニックを飲み干し、コインを置いた。
システィナは、その後も幾軒もの飲み屋のドアを開けた。開けて覗いて、また閉めるだけ。柄の悪そうな店では、「なんだよ、冷やかしかよ」という怒声もかけられた。その紳士は、システィナを案じたらしく、一緒に付いて来てくれた。確かに、一人で、中の見えない店のドアを開けるのは勇気が必要だ。この人がいてくれたのはありがたかった。
だが、『あの人』は見つからない。今夜は、この通りでは飲んでいないのかもしれない。
「おじさん、次はあっちの通り！」
天使の広場を横切って、アルマ通りに向かおうとするシスティナは、ヒールを段差に引っかけ、つんのめった。
「危ない！・・・足、大丈夫ですか？」
紳士の腕がウエストに掛かり、システィナを支えた。危うくカエルみたいに転ぶところだった。
今気づいた。爪先も踵も、ヒリヒリと痛んでいた。ハイヒールで歩きまわり、膝もガクガク笑っている。
「無理せず、少し休みなさい」
忠告でなく、命令に近かった。紳士はシスティナの転倒を支えた姿勢のまま、「よいしょ」と横抱きにして広場の噴水の縁に座らせた。脱げたハイヒールが石畳の上に転がっていた。まるでシンデレラが階段に置き忘れていったみたいに。
システィナは、涙を堪えることができなかった。
『やっぱりダメだ、あたしなんて・・・』
アイシャドウもマスカラも、溶けて流れ落ちていく。紳士が差し出したハンカチーフで目を抑えると、化粧品で黒く染まってしまった。
「背伸びなんてしなければよかった。そうすれば、今夜会えなくても、こんな悲しい想いをしないですんだのに」
時計台の針たちも、寄り添おうとする時刻だった。なのに自分は一人でここに居る。紅まで差したのに・・・。
噴水の水は涼しげな音でシスティナの耳をくすぐった。泣いたせいか、体がだるい。それとも走り回ったせいだろうか。冷えた夜風が頬を撫でた。
「無駄なことは一つもありませんよ。今夜感じたことや体験したこと。この経験値をお嬢さんがきちんと生かそうとすれば」
男の声が遠くなっていく。夢の中で、鐘の音がしていた。シンデレラは階段を駆け降りる。ガラスの靴を置いたまま。
鐘が鳴り終わると、ドレスはもとのボロ作業着。鼠の御者を従え、カボチャを胸に抱いて。トボトボと裸足で土を蹴って帰路につく・・・。
「システィナさん。起きてください。風邪ひきますよ」
「・・・え？あれ？アイラスさん」
「0時過ぎてますよ。ドレスと靴、エスメラルダさんに返しに行くのでしょう？」
「え・・・。あーっ！あたし、寝ちゃったのぉぉぉ？」
システィナは頭を抱えた。せっかく大人だったのにィーーーっ！貴重な時間だったのにぃぃぃ！
「黒山羊亭で、洗顔もさせてもらうといいですよ」
たぶん、目の周りがタヌキになっているのだろう。だがアイラスは特に笑ったりせず、暖かい目でこっちを見ている。
「さっきまで、渋いおじさまがここに居たのだけど、あれ？」
「僕が通った時はシスティナさんだけでした」
「・・・。」
お礼も言っていなかった。親切な紳士だった。怒りもせず理由を問いただすことなく、黙ってシスティナに付き合ってくれた。親切というより、システィナが危なっかしくて放っておけなかったのかもしれないが。
若い頃は、きっとすてきな青年だったろう。システィナの想いびととはタイプが違うだろうが、優しくてみんなに親切で、いつも穏やかな笑みを浮かべているような。そう、ちょうど今目の前にいるアイラスのような。
システィナはヒールを手に持って裸足で歩き出した。
『あたしには、まだこの靴は早すぎるね・・・』
途中、ベルファ通りをカタカタと進むからくり人形に出会った。鬼灯も元の姿に戻り、黒山羊亭に向かっているところだった。
「鬼灯さん、どうだった？絵師さんとは会えた？」
システィナが大きく手を振ると、鬼灯も気づいて立ち止まってくれた。
「システィナ様、先程は情報をありがとうございます。ええ、西洋画の絵師さんでしたが、受けてくださいました。時間が無いので下絵だけでしたが、モデル無しでも着色はできるそうで、ひと月後に完成だそうです」
「へえ、絵を描いてもらったのですか。素敵なアイデアですね。僕もやってみればよかったな」
「アイラスさんは何をしてたの？」
アイラスは「内緒です」と一言。システィナは「けちー！」とむくれた。
その頃、黒山羊亭では、ダンスホールから戻ってきたアーシュラが、祖母に見つかって散々お説教をくらっているところだった。11歳に戻ったアーシュラは、ミニドレスだった服がロングになり、袖も肩もぶかぶかでピエロの衣裳を纏ったようだった。夜間外出よりも、魔法の道具を勝手に持ち出して使ったことをきつく叱られていた。
「明日は、床掃除と壺磨きの罰だよ！このポットはもう、銀の柩に収めて錠をかけて封印だね」
『あらまあ、封印』
エスメラルダはため息をつく。水出しで５分ほどのお茶をいただいておけばよかった。惜しいことをした。
だが、翌日。前夜のアーシュラによく似た女性が、またも黒山羊亭に訪れる。昨夜と同じ赤いミニドレス、赤い口紅の二十歳くらいの美女だ。
「アーシュラ！またやったの？おばあさまに叱られる・・・わ・・・よ？」
エスメラルダの語尾が弱くなる。
美女はウィンクしてみせた。
「もしかして、水出し紅茶一時間？」
「一時間とは何じゃ、失礼な。50分！50分じゃよ！封印前に一回くらい使わんともったいない。・・・さあて、踊りに行ってくるか」
あっけにとられるエスメラルダを残し、アーシュラの祖母は夜の街に消えて行った。
＜ ＥＮＤ ＞
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
１６４９／アイラス・サーリアス／男性／１９／フィズィクル・アディプト
２１８２／システィナ・ブロイセン／女性／１５／不明
１０９１／鬼灯(ほおずき)／女性／６／護鬼
ＮＰＣ
アーシュラ
アーシュラの祖母
バーのマスター
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
発注ありがとうございました。ライターの福娘紅子です。
無邪気で愛らしいシスティナさんに、シンデレラ役をやってもらいました。
王子様には残念ながら会えませんでしたが。
あの紳士は誰だったのでしょう・・・ということで、
他のＰＣさんのノベルも読んでいただけると楽しいかと思います。
|
|
