<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


消えた羊
「泥棒を捕まえて欲しいのだ」
 ある夏日の昼下がり。
 白山羊亭に現れた恰幅の良い男は、依頼書を叩きつけるようにしながら言った。その脇には、泣き腫らした目の少年を従えている。
「泥棒ね…羊泥棒?」
 依頼書の内容を読んでいたルディアが軽く首を傾げる。
「そうだ。毛刈り前の大事な羊を3頭も盗んでいきおった」
 いらいらと白山羊亭の床で足踏みをしながら男が告げる。
「こいつが居眠りしていなければ、盗まれる事もなかったのにな」
「…ご、ごめんなさい…」
 ここに来るまでずっと責められどおしだったのだろう。再び目に涙を浮かべ、ルディアにも謝ってくる。謝らなくてもと思いはしたのだが、男がふんぞり返っている面前で言えばまた後で責められるだろうと思い今は何も言わず。
「分かりました。人数が揃ったらお知らせしますので、お名前を…」
「マックス敷物店のマックスだ。この小さいのがルーク。詳しい話はこいつから聞いてくれ。それからな」
 ずい、とルディアに近寄って渋い顔をし、
「おかしな作り話をすると思うが騙されるなよ。羊とその毛が取り返せればわしはそれ以上何も言わん。もちろん、今後また似たような事が起こった場合はその限りではないがな…」
 それだけ言うと、少年をしかりつけるようにしながら店を出て行った。
 マックス敷物店と言えば、聖都の中でもかなり有名な店だった。元は絨毯屋だったのだが、今は毛織物をだいたい取り揃えていて、中でも評判を誇るのが魔力を帯びた布。入荷数はごく少数で入ればすぐ売り切れてしまうため非常に高価で、金持ちくらいしか買うことが出来ないのだが。
 ――それにしても、と依頼書をいつもの場所に貼り付けながら、ルディアが渋い顔をする。
 マックスの最後の言葉が気になって仕方ない。
 あれではまるで。
 ――羊を盗んだのが、その少年であるかのようだったからだ。

*****

「こんにちはっ。何か良い依頼ない?悪人退治とか、悪霊退治とか」
 様々な者が集まる聖都でも珍しい衣装を身に付けている少女、群雲蓮花が今日も元気の良い笑顔で白山羊亭へとやって来る。ルディアがその顔を見てつられてにっこりと笑いかけ、
「いらっしゃい。依頼探し?――あそこにいくつかあるから見てみたらどう?」
 注文の品をお盆に載せて運びながら蓮花にそう声をかけた。
 言われたように、店の一角にぺたぺたと張られている様々な依頼や募集の張り紙を読みに足を進め、一枚一枚じっくりと眺めて行った。――やがて、1つの依頼書の前でぴたりと顔が止まる。
「…羊泥棒…ね」
 きゅっと眉を寄せて嫌そうな顔をする蓮花の傍に、接客を終えたルディアが「何か良いのは見つかった?」ととことこ近寄って来る。
「この依頼、詳しく聞きたいんだけど…いい?」
「ああ、これね?いいわよ、分かる事で良ければお話するわ」
 ――マックスという男が少年を伴ってやって来た時のこと、そこで感じた2人の印象等を話し、
「あの子、何だか可哀想だったわ…見つかるといいんだけどね」
 ぽつりとそんな事を呟いた。
「そうね。――本当にその子がどうにかしたんだったら処断しても仕方ないけど、無闇に疑うのも良く無いし。調べてみるわ…他にこの依頼を受けた人は?」
「張り出したばかりだから、まだよ。少し待ってみる?」
「そうね。1人で飛び出す前に、誰かが来たら軽く打ち合わせてみるわ」
 心得たルディアが空いているテーブルへ案内し、待つ間に、と井戸で冷やしたお茶を運んで来た。
 それをありがたく受け取り、喉を潤しながら待つ…と、穏やかな表情の眼鏡をかけた青年が慣れた様子でやって来ると、案内も請わず真っ直ぐ依頼書が張られている壁へと近づいて行った。
 その様子を窺いながら、話している内容に耳を澄ます。どうやら同じ依頼を受けようとしている人物らしいと見当を付けると、テーブルを立ってその青年へと近づいて行った。

*****

 集まったのは、3人。それぞれ名乗りあってから、ルディアの心づくしのお茶を飲みつつ打ち合わせに入る。
「まず、どうする?」
 ヴィネシュアが2人へくりくりした目を楽しげに向ける。
「僕はその少年へ話を聞きに行こうと思っています。あまり収穫はないかもしれませんが…」
「そうね…私は街の中で情報収集してみるわ」
 アイラスと蓮花がそれぞれ言うのを聞いて、ヴィネシュアがうーん、とちょっと迷った声を出し。
「ボクもまずは話を聞きに行く。それから情報集めに回ろうかなぁ」
 とりあえずの行動は決まり、移動する事にする。何か動きがあれば白山羊亭に言付けることと、何も手がかりが無くても夜には一度顔を出すと言う事を取り決めて、2人と1人に分かれる。

*****

「どこから行こうかな」
 牧場へと移動していく2人と別れ、ふっと考え込む。盗まれた、と言う事なら、盗賊の事を良く知る人物に聞けば良いのだろうが、蓮花にはすぐ思いつくような知り合いもおらず。
 取りあえずは…と酒場や露店を中心に聞き歩く事にした。
「あら、お帰りなさい。何か見つかった?」
「まだお仕事中よ。聞き込みに来たの。――マックス敷物店の事とか、さっきの羊の噂じゃないけれど何かそう言ったこと、聞いてない?」
「依頼人が大騒ぎしていたら、盗まれたっていう話は入ってきたかもしれないけど、そう言うのは無いわね。きっとあんまり騒いでいないんでしょう。…警備団からもそう言う話や見回りが強化されたって言うのも聞かないし」
 ルディアの言葉にあれ?と蓮花が首を傾げた。
「泥棒が入ったのに、そう言う事を言い出してないってこと?」
「そう言うことになるわねぇ」
 ん〜?とルディアも不思議そうに首を傾げ、それから自分が知る限りのマックス敷物店の事を話し出した。
「あたしが行くようなお店じゃないことは確かよ。絨毯だって質は良くてとっても高いんですって。大きいものにもなると作り上げるのに数年かかるというから仕方ない事なんでしょうけどね。でもね、あんまり良く無い噂も聞くわ。時々そこで働いている人が来る事もあるけれど、賃金が安いのにこき使われてるって」
 その癖、手抜き仕事をちょっとでもしようものならたちまち怒鳴り声が飛んでくるのだそうだ。とは言え、生活出来ないような賃金でも無く、そこの店で何年も働いていたと言う実績があれば転職も容易いのだそうで、それで我慢している者も多くいるのだと言う。
「絨毯作りは年若い子にやらせているって言う話だしね」
「…そっちも、賃金安いんでしょうね」
「でしょうね。でも詳しい話は知らないわ」
 聞けば聞く程良い話は無い。外面が良いことは確かなようだが。
 白山羊亭で聞けるのはここまでと、ルディアに他の酒場――特に、あまり質の宜しくない場所をいくつか渋る彼女を説き伏せて教えてもらう。
「気を付けてね?」
「大丈夫、ありがとう」
 にっこりと笑いながら手を上げて、教えてもらった場所へと急いだ。

*****

「――うわぁ。これはまた…」
 白山羊亭でさえ、目の前に建っているこれに比べれば上流階級専用の店に見えてくるくらい、怪しさ抜群の雰囲気を漂わせる店。一歩近寄るごとに、何の臭いか分からないモノが鼻をくすぐる。
 まだ昼間だからこそ、行けたのかもしれない。
 ここが夜になった時の事など考えたくも無かった。
 ぎぃ、と立て付けの悪い扉を開く。それでも客はいたようで、何人かの目が場違いな蓮花に無遠慮に注がれる。
「ここはお嬢ちゃんが来るような場所じゃないぜ。早いうちに帰った方がいい」
 カウンターの奥から、目付きの悪い男がじろりと蓮花を眺め…腰に下げた刀の存在に気付いたか、やや言葉を緩めて言う。
「聞きたい事があるの。長居はしないわ」
 蓮花はそれらの視線に怯えた様子も無く、逆にふてぶてしいまでの気配を漂わせながらにっこりと笑いかけた。
「――で?」
 何かアクションを起こさなければ動きそうも無いと見てとったか、男が蓮花の言葉を促す。
「そうね。マックス敷物店って知ってる?あそこの噂を聞きたいの」
「――何だ?質の悪い品でも掴まされたか?」
 脇から酔っ払いの絡み声が聞こえ。
「あら、そういう話があるの?それは初耳だわ」
 少し驚いたような顔をして見せる。
「噂を集めてどうしようって言うんだ?それで強請れるような親父でもあるまいし」
「別に、悪いことをするわけじゃないわよ。あのお店のライバルとか、お客とのトラブルが無いか知りたいだけ」
 数枚の貨幣をカウンターに置くと、ふっ、と男が笑う。
「あんな店、トラブルが無い方が珍しいさ。客筋も品の質もまあ上等の部類だがな」
「…それでもトラブルがあるの?」
「若い頃からしみったれぶりは有名だったからな。そのお蔭であそこまで店を大きくしたと言えなくも無いが。トラブルは従業員と…それに、息子だな」
「息子?」
 そこで黙り込んだ男へ、黙ってもう一枚コインを追加する。途端、口が滑らかになる男。
 ――カラクリ人形みたいね。
 ふとそんなことを思いながら、続けて話を聞いた。
「親父の守銭奴ぶりに対して、息子は使う方だな。俺でも話を聞く位、奴は毎晩のようにカジノに入り浸ってるぜ」
「…働いてないの?」
「あんな奴でも息子は可愛いんだろう。たいした仕事はあてがって無いらしい。まー尤も、その分小遣いもほとんど渡してないようだが」
 それでカジノ?と不思議そうな顔をした蓮花に、くっくっ、と笑い声が聞こえる。
「貸す奴がいるんだよ。息子なんざ担保にもなりゃしない。狙ってるのは親父の金さ」
 しかも最初の頃はともかく、最近は負けが込んで随分借金をしているのだと言う話も聞く。
「最初に飴をしゃぶらせておいて、後でごっそり戴こうってこった…ちょっと考えりゃおかしいと思うんだろうがな。その辺中途半端に手を出したツケが回ったんだろうな。ま、いいカモさ」
 その借金をどうやって返させるつもりなのか、現在どうなっているのか、そこまでは知らないと言う。
「良い噂でも調べに来たんだったら残念だったな」
 あまり良い顔をしない蓮花に皮肉気な笑いを見せる男へちらと笑いを見せ、
「情報ありがとう。…最近の話題はそれだけ?」
「これ以上は知らねぇなぁ。夜になりゃもっと詳しい奴が来るかもしれねえが」
 そう、と呟いてそれ以上は聞かず店を出る。もしかしたら知っていたかもしれないが、その正否を見極めるのは難しそうだったので諦めたのだ。
 それから露店や他の店を回っていく。
 聞ける話はあまり変化が無く。ちらと聞いた噂では、この辺りにあるカジノのいくつかは盗賊ギルドの直営店らしい、という事だけで…それでも十分嫌な予感がしたのだが。
「見ーつけた」
「え?…あ」
 突然声をかけられて驚いたのだが、見るとそこにはアイラスと一緒に牧場へ行った筈の少女がいた。
「ボクも牧場からこっちに来たんだよ。何か面白い情報見つかった?」
「羊が盗まれたっていう話はほとんど耳にしなかったわ。その代わり…」
 息子がカジノで借金を負ったと言う話をすると、ヴィネシュアがふぅん、と目を輝かせ。
「ボクの方は…盗まれた羊に通じるかもしれない噂を聞いたよ」
 蓮花が驚いて目を丸くする。
「そんな凄い情報を?――私、下手なのかしら」
「ちちち、甘い甘い。ボクはこれでも情報集めのプロだもん」
 それでも実に嬉しそうににっこりと笑ってみせる。
「と言ってもたいした話じゃないよ。マックス敷物店の、例の目玉商品。あれの作り方のノウハウが流出した、ってね」
「目玉商品、って…魔力を帯びた布?普通に魔術師に付与されたんじゃないの?」
「それがちょっと違うんだよ。アレはね、布になる『前』に既に魔力が含まれているんだ」
 言うなれば、糸そのものに魔力が染みこんでいる状態。そうなると魔力を消し去る事も生半可には出来ず、そしてそこまでの魔力を付与させるとなると相当技術が必要になる。――当たり前だが、マックス敷物店専属の魔術師などおらず、時折入荷するその布の作り方は今まで中々分からなかった。
 それにね、とヴィネシュアが続ける。
「盗まれた3頭の羊なんだけど…餌が随分特殊だったよ」
「餌?」
「魔石が混じってたんだ。ぱっと見普通の人間には気づかないけど、ボクが見ればね、すーぐに分かるんだよ」
 あ、と蓮花が声を上げる。魔石を餌に混ぜて与えると言うことは…と、その先に気付いたものらしい。
「そのノウハウなんて、身内でしか分からないよね?――借金かぁ。面白いと思わない?」
 タイミングが合いすぎる、情報の流出と盗まれた羊。
「直接聞いてみた方が良いみたいね」
 ――その、息子に。
 意見が合致したところで、急ぎ足に牧場へと急ぐ。すると、
「あれ?ルーちゃんがいない」
「羊飼いの男の子?」
 柵にいたはずの少年も、そしてアイラスの姿も無く。その代わり、所在なげに柵にもたれかかっている青年がいた。
「あの2人は?」
「なんだよ。…お前らもあの男の仲間か。羊探しに山に行ったよ」
「そうなの…。それじゃ、キミがマックスさんの息子さんね」
「あ、ああ」
 居心地悪そうにしている様子の青年。
「――ボク、聞いちゃったんだけどさ」
「な、何を?」
「魔力付与の布の作り方――教えてもらった人がいたんだって?」
 さあっ、と青年の顔色が青くなる。
「すり潰した魔石を餌に混ぜてるんだよね」
「なっ、何でそこまで…お、俺そこまで言ってない―――じゃ、じゃなくてっっっ」
 わたわた、と手をあちこち振り回しながらぱくぱくと声の出ない口を動かして説明しようとする青年――その目が、大きく見開かれた。
 何かと思って振り返った2人の目に、3頭の羊を連れて戻ってきた2人の姿が見えた。
 あまりにあからさまな姿に、苦笑を浮かべつつ――見つかった『犯人』へと2人が睨みをきかせた。
「お帰り。見つかったのね」
 嬉しそうな蓮花と、
「あーあ、かわいそうに乱暴に刈られちゃって」
 呆れた顔でちらちらとウェイクを見ているヴィネシュア。
「今、特別な羊の作り方を聞いていた所だったの」
 蓮花がにこやかに言い、アイラスが興味深そうにウェイクの顔を見つめた。

*****

「魔石を…餌に混ぜる?」
「そうだよ。そうすると魔力を含んだ毛が出来るんだ」
 アイラスの言葉に、もう一度説明を繰り返すウェイク。
「魔石を細かく細かく砕くのが面倒でね、数多く作る事が出来ないのと、体調に合わないものもいるみたいで、食わなくなったり、病気になったりするんだよ。そういうヤツははじいて丈夫なヤツだけを育てるんだ。今年は3頭まで増えたし」
「そうね。3頭にまでなったものね。――高いんでしょう?そんな毛で作られた品は」
「そりゃな。目玉商品だし、稀少品を欲しがる貴族も結構…」
 そこまで言ってから、4人の目に見つめられてウェイクが慌てて手を振る。
「……お、おおおお俺じゃないよ」
 見るからに焦った仕草は、落ち着かなげに何度も何度もぱたぱた繰り返され。
「毛刈りなんてしてないし、刈った毛を売り飛ばしたりなんかしてないさ。ほ、ほら、どう見たって素人の手じゃないか。そりゃ親父はケチだよ?もうどうしようもない守銭奴で、ルークだってこき使うだけこき使ってる割りにしょぼい賃金だよ。おまけに奴が大人になるまで貯めとくって言って未だに一銭も払ってないってのも知ってる。けど、だからって俺が何で」
「借金があるんですってね」
 蓮花の突っ込みにぎくうっ、と竦み上がる男。
「それも、性質の良くない…ギャンブルだっけ?そこで相当巻き上げられてたって聞いたわよ?」
 それを聞いてくすくす笑うヴィネシュア。
「ボクもそれは聞いたよ。すぐ熱くなって賭けるもんだから、いいカモだってね」
「――羊の行く先も知っていたみたいですしね?さっきウェイクさんが見ていた方向にあの羊がいましたよ」
 3人に次々と言われ、青くなったり赤くなったり忙しい青年が、きつい視線で睨みつけている蓮花に気付きひっ、と小さな悲鳴を上げる。
「その上、あの少年が疑われているのを知って黙っているなんて…」
 じりっ。
「あ…あわわ…」
「悪・即・斬!」
 間合いを取るまでも無かった。何しろ、ばれたと気付いた途端慌てふためいているだけで、逃げる事すら考えられない状態だったからだ。
 バシッ!
 刃ではない…と言った所で武器の一撃には違いない。峰打ちで腹部へと打撃を受けた男は、ものも言えず悶絶した。

*****

「し、仕方なかったんだよ!親父が出してくれる訳無いし、払えなければ俺の首が飛んじまうんだ!」
 ようよう気が付いた男が、蓮花からなるべく離れるようにして比較的穏やかに見えるアイラスへと嘆き訴える。
「それにしても犯罪ですよね。例え父親から盗んだとしても。親の仕事の邪魔をした訳ですから」
 さらっとにこやかに告げると、何も言えず黙ったウェイクに軽く首を傾げ。
「どうやって、3頭もの羊を連れ出したんですか?柵を越えさせるのも大変でしょうに」
「…協力者がいたんだよ。その…借金取りが使ってるっていう魔法使いがさ。魔力を含んだ毛を見つけ出したのも奴だし、ルークを眠らせたのもそうだ。半端だったらしくてすぐ目覚めちまったようだけどな」
「羊を飛ばせたのも?」
「そうだよ」
 不貞腐れながら、発覚した以上は隠し立てしても意味がないと悟ったか問われるままに話していくウェイク。
「ただ、最初は鍵を開けてそこから羊を魔法で呼び寄せる筈だったんだ。柵を越えさせるなんて思わなかった」
 柵の中でぼーっと顔を上げて周囲を見ている羊は、何も考えているようには見えなかったが…。
「…たぶん、あの羊外に出たかったんじゃないかな?ずっと柵の中と小屋にしかいなかったんだよね」
「あ、ああ」
「それじゃそうだよきっと。溜まってた魔力を付与させて、一時的に空を飛んだんだ」
 ヴィネシュアが毛を刈られた羊の背をぽんぽんと叩く。
「まるで小型の金羊毛だね。羊にとっては楽しい冒険だったんじゃないかな」
 狙いはこの特別な羊の毛のみ。次に毛が生えるまで、マックスが拵えた特殊な餌を与えられる訳も無く、そのまま山に連れて行って放置したのだろう。
 紡いで織り上げた品はただでさえ品薄で、非常な価値を持つものなのだから。
 その後ウェイクが、山に放置された羊を盗まれたと気付かれないうちに引き連れて戻ってくる手筈になっていたのだが…ルークがすぐ目覚めてしまい、マックスを呼びに来てしまったので、アリバイ作りのために寝たフリをしていたウェイクは探す事も出来ず放置する事に決めたのだった。幸いな事に、『空を飛んだ』と言うルークの訴えを寝込んでいた言い訳か、もしくはルーク自身が盗んだのではないかと言う疑いをかけて白山羊亭に行くまでさんざん責めていたから、山へ探索の手が入らずほっとしたのだったが。
 後で街の人間を誘って誘導しながら捜索し、羊を連れ帰ろう…そう言う風に計画変更したらしい。それもまた、あっさりと見つけ出されてしまったのだったが。
「どうします?全部言っちゃいますか」
「そ、それは…親父に追い出されちまうよ」
 ぶるぶると首を振るウェイクに、冷たい目を注ぐ3人。
「いい年なんだから、外に出て働けば?お父さんのことケチって言ってるのにそのお父さんに甘えっ放しじゃないの」
「そうだよねぇ…3頭の羊に餌をあげるだけの生活してちゃあねぇ」
 じろぉり、と見る視線に縮こまっていく姿を見れば、威勢の良いのは形だけと分かる。
「と言うわけで、言っちゃいましょう。――どのみちいつかはばれますよ?だって、あの毛で作った布って独特なものなんでしょう?それが噂にせよ裏で出回ったと知れれば…分かりますよね。マックスさんがどういう態度を取るか」
 穏やかに微笑んでいるアイラスの言葉は顔と裏腹に容赦ない。
「あああ、もう、分かったよ!やりゃいいんだろやりゃ!」
 自棄になったか、ウェイクが顔色が青いながらもそう怒鳴りつけた。

*****

「羊は戻ってきたようだな。ルークから聞いたぞ。だが毛が…刈られていたそうだな」
「ええ」
「毛はどうした?アレを取り戻さねば依頼の意味が無いではないか」
「刈られてしまった毛ですからね…きちんと調べてみなければ分からないと思いますよ」
「なんだと…」
 かぁっ、と一気に顔を怒りで赤くしたマックスが立ち上がろうとするのをまあまあと押し留める。
「場所は分かりませんが、泥棒の正体は分かりました」
「本当か。――だ、誰だっ」
「それがねー。盗賊ギルドのトップなんだよ」
 困ったような顔と態度で――その癖、口調にはほんの少し笑みを含ませてヴィネシュアが言う。
「…盗賊、ギルド…?こそ泥じゃないのかっ!?」
「残念ながら。あの『品』の秘密を知った人がいたらしいんですよね」
「品?――まさか、気付いたのか!?あの羊の秘密に」
 アイラスがウェイクの背中をとん、と押す。
「あ…あの、父さん」
「何だ。わしは今忙しいんだぞ」
「だから…その。俺、――俺なんだ。カジノで借金拵えちまって、金の代わりに喋らされたんだよ!あの羊の事!」
 ――しん、となる。
 怒鳴りかけた口をぽかんと開け、振り上げた手の行き所に困った様子のマックスが、次第にじわじわと顔色を変えるとがば!と立ち上がり、拳を固めて息子を殴りつけた。
「こ――この、馬鹿息子がっっっっっ!!!!」

*****

「全く。泥棒が身内でした、では笑い話にもならんわ。――ほれ。持ってけ」
 無造作に金が入った袋をぽんと投げる。中を調べてみると、依頼書にあった金額に色を付けることもなく、きっちりとした金額が入っていた。ヴィネシュアがちょっとだけ唇を尖らせる。
「それとだ。今回のことは出来るだけ忘れてくれ。――店の信用にも関わるしな、警備隊に突き出す事も出来ん」
「いいよ。…これからはちゃぁんと羊や従業員の面倒を見るんだったらね。――他にも公にしたく無さそうな話、ボク聞いて来ちゃったんだよねぇ。とある貴族の予約をキャンセルさせちゃった『都合』とかさ」
 うぐ。
 言葉に詰まったマックスが、「わ、分かった」とようよう言葉を搾り出すのを、にこにこ笑いながらヴィネシュアが頷く。それを渋い顔で見ていたマックスが、悔しさを紛らすためか息子へ視線を向けた。
 全く、とか馬鹿もんが、と呟きながらも目まぐるしく頭の中身を回転させている様子のマックスと、未だ伸びているウェイクの2人へそれぞれ視線を注ぐと、とりあえずウェイクの目を覚まさせてから、用は済んだと息子へ小言を浴びせ掛けるマックスを尻目に外へ出た。
 外は夕刻に近づいている。そんな中を、最初に会った時と同じ場所に腰掛けている小さな姿を見付け。
「済んだよ、全部」
 ヴィネシュアがにこりと笑いながら近寄って行った。
「毎日大変よね。…辛くないの?この仕事」
「…ううん。慣れたから」
 ぼろ服を身に纏い、柵に腰掛けて羊たちを見ているルークが声をかけた蓮花へ視線を落す。
「それにね。僕、羊が好きなんだ。いつか、自分の羊を連れて山々を歩き回りたいな」
 そんな話をしていた直後、追い出される事は無かったようだが、怒鳴り声と共に外へ飛び出して来たウェイクが3人の姿を見てこそこそと小屋へ向かい――かけてルークの傍へと近寄っていった。顔を顰めながらぼそぼそと話すウェイクに、ルークがこくこくと頷いて…遠慮するように手をぱたぱたと振る。
「いいから。言ったからな!?」
 びし、とルークへ指を突き出してからずんずんと小屋へ向かうウェイクの後姿を見、
「何て言ったの?」
 ヴィネシュアがかくん、と首を傾げる。
「寝ずの番と放牧を、時々交代してくれるって」
「それは良かったじゃないですか。これで少しは身体も休められますよ」
 うん、と軽く頷いたルークがにこりと笑いかけ、
「ありがとう。僕も追い出されずに済んだみたい」
 疑いが晴れて安堵したか、穏やかな表情をしているルークがいつまでも見送る中、街へと戻って行った。

*****

 その後、ヴィネシュアが聞いたところによると、盗賊ギルドと散々交渉した後何の役に立つのか分からない動物の毛を高額で買って行った男がいたと言うことだった。尤もヴィネシュアが聞いたのは下っ端の男にだったから、その男には、毛を買う理由など分からなかっただろうが。
 他にも、マックス敷物店の目玉商品は今年高いらしいという噂や、従業員たちの不満が少し薄れて来たとか、マックスの息子が人が変わったように勤勉になったとか。…実際には勤勉と言うより無我夢中で働いているようで。
 どうやら、毛の買取代金が息子が負った借金よりも上回り、その代金分きっちり働いて返せとのことらしい。
「自業自得ですね」
「そうよねー」
 白山羊亭でその話を聞いたアイラスと蓮花が小さく苦笑いしながら言い、大きく頷いたヴィネシュアが、
「当然だよ。ボクだったら倍返ししてもらうね!」
 身の程知らずの金を借りてまでギャンブルに打ち込むと言うのが、どうしても気に食わなかったらしかった。アイラスたちが取り成して、白山羊亭のデザートをおごることでようやく機嫌を直してもらう。ほんの少しばかり釈然としないものを感じながら。
 ルディアがそんな様子をくすくす笑いながら見つめ、注文を取って楽しげに厨房へと下がって行った。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス  /男性/19/フィズィクル・アディプト】
【2154/ヴィネシュア・ソルラウル/女性/15/情報屋         】
【2256/群雲 蓮花       /女性/16/祓い屋         】

NPC
ルディア
マックス
ルーク
ウェイク

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
お待たせしました。「消えた羊」をお送りします。
親も親なら…と言う言い方は宜しく無いのですが、強欲も道楽も度を超すと碌な事が無いようで。
ニュースソースに付いては語られていませんが、キャンセルさせた『都合』に付いて見聞き出来たのは誰か、と言う事を考えれば、これもまた身内、現場にいた従業員以外にはいない訳ですし。

今後改善が見られれば、少なくともルーク少年の仕事は楽になっていくでしょう。

今回、参加していただきありがとうございました。
また別の機会にお会い出来ることを楽しみにしています。
間垣久実