<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
「氷姫」
------<オープニング>--------------------------------------
「エスメラルダ、仕事の話があるんだけどいいか?」
「仕事?ええ、もちろん」
ステージを終えたエスメラルダがカウンター席に腰を降ろすと、今ではもう顔馴染の青年、ロッドが彼女の姿をみつけて声をかけた。
「それで、どんな仕事なのかしら?凄腕情報屋のロッドさん」
艶やかな笑みをうかべるエスメラルダに、ロッドはにこりと笑顔をうかべると、じゃあと話をきりだした。
「話をする前にまず、レキ山脈を知ってるかな?」
「レキ山脈?ソーンの北にある連山のことね」
それぐらい知ってるわ、とエスメラルダは少々不機嫌そうな表情で答える。
「夏でも寒いぐらい涼しくて、魔物がいなければ避暑地にはもってこいで評判の三連山でしょ?」
「その通り。流石だね」
エスメラルダの解説めいた返事に、彼はにっこり笑って続けた。
「そのレキ山脈の一番右の山の中腹に、自然にできた洞窟ってのがあるらしいんだ。俺は見たことないけど、確かな情報だ。で、その洞窟は一年中厚い氷に覆われているところなんだとか」
「ふーん……」
今の季節なら避暑地にぴったりの場所ね、と思いつつエスメラルダは次の情報に耳を傾ける。
「で、ここからが本題。情報によるとこの洞窟の最深部に、美しい女性が氷に包まれて眠っているらしいんだ」
「え!?それって……」
「生きてるかどーか、さっぱりわかんないうえに、ちゃんと確認した人がいない」
エスメラルダの反応を見ながら、ロッドはにやりと笑みをうかべた。
「という訳で。その女性、別名『氷姫』の調査をしてくれる人を探してるんだけど。誰か良い人知らないかな?」
【1】
アイラス:「そのお話詳しく聞かせていただけませんか?興味があります」
ロッド:「お、ホントか?お兄さん耳がはやいね」
アイラス:「そんなことないですよ。偶然隣にいて話が聞こえただけですから」
ロッドの隣で一人グラスを傾けていた少し大きめの眼鏡に薄い青色の髪を一括りにした人物、アイラスは彼の言葉ににっこり笑みをうかべた。
アイラス:「それに話が聞こえていたのは僕だけではないようですし」
笑みをうかべたまま、アイラスはくるりとイスを回転させると後ろの人物たちに、そうですよね?と同意を求めるように視線を向けた。
オーマ:「そいつは俺も興味があるねぇ。きれーな嬢ちゃんが一人氷付けとあっちゃあ見捨てておけないってね。お?琉雨お前さんもか?」
琉雨:「はい……!いつの時代の方なのか興味があります」
アイラスの視線の先にいたのは、体格の良い、天上に頭がつきそうなほど背の大きい男性、オーマと、桜色の長い髪と漆黒の瞳が印象的なかわいらしい女の子、琉雨であった。
琉雨:「どんな服装をしているのでしょうか……あ、なぜそこにいるのかも不思議です」
オーマ:「確かに。言われてみりゃあ不思議だねぇ」
琉雨の言葉を聞いたオーマは、にっと笑みをうかべて、興味津々という表情をしている彼女の頭に優しくポンポンと手を置いた。
鬼灯:「興味深いお話をされていますね。よろしかったらわたくしも参加させていただけないでしょうか?」
そんな二人の後ろから丁寧な言葉遣いで会話に参加しながら静かに現われたのは、黒く艶やかな髪をさらりとなびかせた少女、鬼灯であった。
ある程度の人数が集まったのを確認したエスメラルダは、探す手間が省けたようねとロッドを見た。
エスメラルダ:「このメンバーで良いかしら?ロッドさん」
ロッド:「ああ、問題無いな。じゃあ説明を始め……お、もう一人いるようだな」
エスメラルダ:「あら、見ない顔ね」
ロッドが視線を向けた先を見ながら言ったエスメラルダは、見慣れない青年の姿を見て艶やかな笑みをうかべた。
紅瑠斗:「ああ、こっちに来たばっかだからネェ。あちこち見てまわってんだけど」
エスメラルダの視線を受け、その青年はタバコを加えたまま、にっと笑みをうかべた。
紅瑠斗:「ここでいろんな情報が聞けるってんで来てみたら、おもしろそーな話が聞こえたんで情報収集すっぽかしてこっちに来てみた。氷付けの姫さんってのが気になるしな」
さらさらの銀髪に紅の瞳を持った青年、紅瑠斗は近くのイスをすいっと引っ張り腰を降ろした。
ロッド:「これで全員だな。じゃあ氷姫の話を始めるとするか……と、その前に自己紹介しておくな。俺の名前はロッド・ウェリン。年は二十一で、ちょっと名の知れた情報屋だ。よろしくな」
自己紹介をしたロッドは、にっと笑みをうかべると手を差し出した。
五人はロッドと握手をしつつ、簡単な自己紹介と挨拶を済ませると、じゃあ始めるか、と氷姫の詳細について語りだした彼の話に耳を傾けた。
ロッド:「氷姫のいる場所はレキ山脈の一番右の山の中腹、天然にできた洞窟の最深部だ。生きてるのかどーかもわかんないうえに、本当にいるのかどうかは謎だ。誰も見たことがないし、確認もしてないからな」
琉雨:「え……ではなぜ、氷姫がいるという情報が出てきたのでしょうか?誰も見ていないのならわたしたちがこの話を……聞くことも無かった、と思います……」
ふと気付いた点に首を傾げながらそう言った琉雨であったが、途中から四人の視線を受けたためか徐々に声が小さくなっていき……最後には顔を赤くして俯いてしまった。
アイラス:「そう言われてみればそうですね……見た人も確認した人もいないのにどうしてでしょう?」
言われてみれば確かに、という視線の集中砲火を受け、俯いてしまった琉雨をオーマがなだめているのを見ながら、アイラスはロッドへと問いかけた。
ロッド:「良いところを突いてきたね。そう、問題はそこなんだ。誰も見たことが無いのになぜこの話題が上がったのか。それは、ある文献がきっかけなんだ」
オーマ:「文献?」
ロッド:「文献というか記録だけどね。ある研究者の話によると、場所はそこで間違いないそうだ。記録に描かれていた文様と同じものが床にも描かれていたらしいからね」
これが記録の写しだ、とロッドはオーマへと数枚の紙を渡した。それを立ち直った琉雨も含めた四人が興味津々と言った様子で覗き込む。
紅瑠斗:「見たことねー文様だな」
琉雨:「わたしもです……」
アイラス:「なんだかナルトのようですね」
オーマ:「俺には蛇がとぐろ巻いてるように見えるがねぇ」
鬼灯:「何か意味があるのでしょうか?」
しかし、五人ともさっぱり見たことが無いものらしい。不思議そうに文様を眺めて首を捻っている。
紙に描かれている文様は、渦巻きのような蛇のような……ぐねぐねと描かれた線の模様をぐるりと円で囲んでいるものであった。例えるならばそれは……子供の落書き、だろうか。
アイラス:「でも不思議ですね。その研究者は場所を特定したのになぜ洞窟に入って調査をしなかったのでしょうか?」
ロッド:「ああ、それはな。その研究者が洞窟の奥に行こうとしたら運悪く魔物に見つかって、追っかけられて逃げてきたからだとさ。恥ずかしいから言わないでくれって言ってたが」
アイラスの言葉に、ロッドはその話を聞いたときのことを思い出しながら笑って答えた。
ロッド:「ちなみに依頼してきたのはその運悪い研究者さ」
琉雨:「それで確かな情報なのに、氷姫を見た人も確認した人もいない訳なんですね?」
ロッド:「そういうこと」
オーマから記録の写しを貸してもらい興味深そうに眺めていた琉雨は、ロッドの返答ににこりと笑みをうかべると、
琉雨:「誰も調査したことが無いものを調査できるなんて、とても楽しみです」
と言って、好奇心で輝いている目をもう一度記録へと移した。
【2】
オーマ:「氷姫がいるってぇのはここだな?」
アイラス:「はい。ロッドさんからもらった地図の通りに来たのでここで間違いないはずです」
紅瑠斗:「見るからに涼しそうな所だネェ。ここなら太陽の光も届かねーし」
鬼灯:「透き通っていて綺麗な氷ですね」
琉雨:「わぁ……壁だけではなく床にも氷が張っているんですね……」
ロッドから説明を聞き、準備を整えた翌日。五人は氷姫がいるという洞窟の前に立っていた。
レキ山脈は夏でも寒いぐらいの、魔物が生息しなければ避暑地にぴったりの場所である。しかし、それは実際に来てみるとわかるのだが、中腹までの話である。中腹より上に行くにしたがって気温が下がっていくレキ山脈は夏でも雪が降り積もっている。よって、夏場の雪の少ない時期にレキ山脈に登ろうとしても、かなりの危険を要する。このことはこの山に登ったもでなければ知らない事実である。
調査を依頼された洞窟は中のかなりの寒さのせいか、入り口付近に立っただけでもかなり涼しい。長袖の服を着ていても肌寒いくらいだ。洞窟内の天上や床、左右の壁を見てみると、薄い氷が少しも溶けた様子も無く、しっかりと覆っている。
アイラス:「スパイクの付いた靴を準備しておいて正解でしたね」
琉雨:「そうですね。アイラスさんすごいです」
そんな洞窟の様子を見て、アイラスはにっこりと笑みをうかべた。
ロッドの話を聞いた限りでは必要が無さそうだったスパイク靴であったが、念のために持っていたほうが良いと思います、というアイラスの提案で持っていくことにした物であった。
紐をきゅっと縛って靴を固定し、しっかり安全を確認すると、各自で用意した防寒着を着た五人は洞窟の内部へと進み始めた。
琉雨:「これが研究者さんのみつけた文様ですね」
アイラス:「そのようですね」
鬼灯:「呪力や妖力の類は感じられませんね」
入り口から入る光でまだ辺りがうっすらと見える、そんな少し進んだところに浮かび上がるものを見つけた三人は文様の手前にしゃがみこむと、紙に描かれたものと床に描かれた赤く浮かび上がる文様とが同じことを確かめて頷いた。
紅瑠斗:「……あのさ、ここにいても埒あかねーし。先行こうぜ」
興味深そうに文様を眺め、声をかけなかったらずっとそこに居そうな勢いの三人に、紅瑠斗はやれやれと溜息混じりに言うと洞窟の奥へと顔を向けた。
紅瑠斗:「それにしても、この先は明かりがねーと見えそうにないネェ」
鬼灯:「そうですね。では……? どうかしましたか?オーマ様。何かお気づきの点がおありでしょうか?」
紅瑠斗に賛同した鬼灯は、ではわたくしが先頭を歩きましょうと言いかけてふと、横で黙って壁の氷を見つめているオーマに気付いて声をかけた。
アイラス:「時間をとらせてしまったようですみません。では行き……?どうかしたんですか?オーマさん」
文様の側からようやく立ち上って紅瑠斗と鬼灯の元へ歩いてきたアイラスであったが、彼もまたじーっと氷を凝視しているオーマを見て首を捻った。そういえば先ほどから静かでしたね、と。アイラスの後ろから歩いてきた琉雨も同様に彼を見て首を傾げる。
鬼灯とアイラスの声にオーマはうーむと唸りながら、目の前の氷から視線を外して四人のほうを向いた。
オーマ:「いやな、この氷って透明度が高けぇだろ?」
琉雨:「ええ……そうですね」
確かに。オーマの見ている氷だけではなく、この洞窟内の氷はまるで磨き抜かれたガラスのように、一点の曇りも無く、綺麗である。
オーマ:「だからよ。帰りにここの氷を持って帰ってカキ氷にしたら美味そうだねぇ……ん?どうしたよ?」
四人:『……』
真面目な表情で何を考えているかと思えば……というのが三人の共通の思いだろう。呆れたのと脱力感を覚えたのとで三人はオーマを見て一斉に溜息をついた。
アイラス:「オーマさんらしいといえば……」
琉雨:「オーマさんらしいですね……」
しかし、そんな溜息をついている一同の横で成程、と氷を見つめて頷いたものが一名……。
紅瑠斗:「なるほどネェ。じゃあ俺も帰りにケイとハイネの土産に持って帰ろ」
オーマと同じように氷を凝視すると、タバコを加えたまま、にっと笑顔をうかべた。
鬼灯:「……もうお一方いらっしゃったようですね」
アイラス:「……その気持ちもわからなくはないのですが……」
琉雨:「なんだか楽しそうですね……」
オーマと紅瑠斗が和気藹々と話しているのを眺めながら、三人は苦笑をうかべた。
アイラス:「いつまでもここにいるわけにはいきませんし。先に進むことにしましょう。オーマさん、紅瑠斗さん行きますよ」
オーマ:「おう!」
紅瑠斗:「今行く」
アイラスに声をかけられた二人は返事をしながら三人のところへ合流するべく歩き出した。ここよりももっと綺麗な氷が奥にはいっぱいあるだろう、と考えつつ。だが、そのときである。
オーマ:「わざわざ迎えに来てくれたってか?こりゃご丁寧なこった」
アイラス:「まったくですね」
前方の暗闇から複数の魔物の気配を素早く察知したオーマは、紅瑠斗と一緒に素早く三人に合流すると手に銃を具現化してぱっと構えた。
アイラスも皮肉たっぷりのオーマの言葉に賛同しながら両手に釵を構える。
紅瑠斗:「そういえば言ってたっけネェ。魔物に追っかけられて調査できなかったって」
魔物の気配の多さに少々うんざりした表情をうかべながら呟くと、紅瑠斗はどこからか赤みがかったような結晶を取り出した。そしてそれを手に握った途端、その結晶は赤い光に包まれ……次の瞬間には炎をまとった剣、「紅刃」へと姿を変えていた。
紅瑠斗:「琉雨と鬼灯は下がってな。ここは俺たちだけで十分」
琉雨:「え、でも……」
にっと笑みをうかべる紅瑠斗に、琉雨は困った表情をうかべたが、
オーマ:「数が多いっつーことはだ。全体攻撃が有効ってな。嬢ちゃんたちを巻き込むかもしれねぇから下がっててくれねぇか?アイラスもだ」
アイラス:「わかりました。では僕は後方に逃げてきたやつを仕留めることにします」
オーマの説得にこくんと黙って頷くと、アイラスと鬼灯と共に被害の及ばない後方へと下がった。
紅瑠斗:「随分と豪勢なお出迎えだネェ」
オーマ:「こりゃあ腕がなるねぇ」
アイラスたちが下がったのとほぼ同時であったか。目の前の暗闇から無音で踊り出てきたのは、ざっと見ても数百はいるんじゃないかと思われるほどの蝙蝠の大群であった。
紅瑠斗:「これじゃあ研究者も逃げるわけだ」
紅刃の刀身を長めに変えつつ、紅瑠斗はとんっと地を蹴って跳躍し、蝙蝠の大群目掛けて勢い良く剣を揮った。そして……軽い身のこなしで地面に着地する。
紅瑠斗:「月の元に集まってくるやつはかわいがってやるけど。こうやって襲ってくる聞き分けネー奴は知らネェ」
バタバタバタッと火達磨になって地面に落ちた蝙蝠の一群を見やり悪態をつくと、上空から懲りずに襲ってくる蝙蝠を蹴散らしつつオーマの居る場所へと下がった。
オーマ:「ちっ。キリがねぇ」
不殺主義を守って蝙蝠の群れを撃ち落していたオーマであったが、落としても落としても湧いて出てくる様子に苛立ちを覚えて舌打ちをする。
そんな二人の様子を下がって見ていた琉雨であったが……ふと何かに気付いて、隣にいたアイラスと鬼灯に声をかけた。
琉雨:「アイラスさん、鬼灯さん。あの落ちた蝙蝠たち……変ではないですか?」
アイラス:「変、ですか?」
琉雨にそう言われ、アイラスと鬼灯はオーマたちが落としている蝙蝠に視線を向ける。変とは一体……?
鬼灯:「炭にならないで消えていますね」
アイラス:「! 本当ですね……」
紅瑠斗の薙いだ剣によって落とされた蝙蝠を見た二人は、その光景に目を丸くした。なぜなら……火達磨になった蝙蝠は炭に変わることなく、ふっとその姿を消したからである。その現象は紅瑠斗の落とした蝙蝠だけではなく、オーマが銃で撃ち落した蝙蝠も同様で、地面に落ちた途端、ぱっと消えてしまったのである。
琉雨:「多分……この先に蝙蝠を呼び出している何かがあると思います。それを止めれば……」
二人と同じように蝙蝠が消えていくのを見ていた琉雨は、暗くて先が見えない奥を見ながら言った。
琉雨:「あの蝙蝠たちは消えるはずです」
鬼灯:「わかりました。ではわたくしたちがそれを止める役を引き受ければ良いのですね?」
琉雨:「はい……お願いできるでしょうか?」
アイラス:「任せてください」
遠慮がちに問い掛けてくる琉雨に、アイラスはにこりと笑みをうかべると鬼灯と共に頷いた。
琉雨:「ありがとうございます。では私が魔法で一時的に蝙蝠を消します」
アイラス:「その隙にというわけですね?」
はい、と琉雨はアイラスの問いかけにこくりと頷く。
琉雨:「お願いします。あ、あの!それからなんですが……」
鬼灯:「お二方のことですね?」
言いにくそうに口を開いた琉雨に、鬼灯は微笑をうかべた。
鬼灯:「わたくしがお二人にお知らせしますので、ご安心なさってください」
鬼灯:「オーマ様!紅瑠斗様!お下がりになってください!」
オーマ:「? おうよ!」
紅瑠斗:「あぁ」
蝙蝠と格闘するのにうんざりしてきていた二人は、鬼灯の言葉を聞くと、武器を一振りしてからすっと後方へ下がった。
二人が下がったのを確認した琉雨は前進を止め、蝙蝠の大群のちょうど中心辺りの虚空にすっと視線を向けた。すると……瞬時に蝙蝠の大群の中に光の魔方陣が浮かびあがり、そして次の瞬間。ドーンッという物凄い音と爆発と共に、広範囲に散った炎が蝙蝠の大群を次々へに火達磨へと変えていった。
バタバタと蝙蝠が地面に落ちていくのを見たアイラスと鬼灯は、互いの顔を見合わせ頷くと、洞窟の奥へ向って駆けていった。
琉雨:「大丈夫ですか?オーマさん、紅瑠斗さん?」
流石の二人もあれだけの数を相手にしていたために少々呼吸を荒くしていたが、少し経つと、にっと笑って言った。
オーマ:「おうよ。これぐらい朝飯前ってね」
紅瑠斗:「あぁ心配いらねーよ。それよりあの二人は?」
自分たちと入れ違いに奥へと走って行った二人の行動がわからず、紅瑠斗は首を捻った。
琉雨:「アイラスさんと鬼灯さんにはこの蝙蝠を消してもらうために奥へ向っていただきました。多分……予想通りのはずです」
そんな紅瑠斗の様子に琉雨は、先ほどアイラスたちに話した自分の予想を二人に説明した。
琉雨:「……なので、おそらく魔法……幻影を生み出す魔法が発動していると思ったんです」
オーマ:「なるほどねぇ……そりゃあキリもねぇわけだ」
琉雨の話を聞いた二人は、思わず溜息をついてしまった。ということは……くたびれ損ってことだよな……と。
琉雨:「え……と……お疲れ様です」
落ち込んでしまったように見えた二人の姿に、琉雨は困った表情をうかべると、ぼそりと呟いた。
オーマ:「二人とも無事のようだな」
アイラスと鬼灯の二人が仕掛けを解除してから数分後。オーマを先頭に、琉雨と紅瑠斗が先ほどのフロアから合流した。
二人の姿を見て安堵の笑みをうかべた琉雨は、二人の元へ駆け寄ろうとしたが……
琉雨:「予想が当っていてよかっ!?」
紅瑠斗:「おっと!大丈夫か琉雨?」
琉雨:「は、はい……!大丈夫です……」
スパイクを履いているのになぜか氷はつるんと滑り。後頭部を思いっきり氷に打ち付けそうになったところを、後ろにいた紅瑠斗が慌てて抱き留めた。
あまり面識の無い青年に抱き留められ瞬時に表情を真っ赤に染めた琉雨は、慌てて紅瑠斗から離れ、ぺこんと頭を下げてなんとかお礼を言うと、懲りずにパタパタとアイラスたちの元へ走り去っていった。今まで身近に居る男性と言えば義父ぐらいしかいなかった琉雨にとって、こういう出来事は皆無に等しく……すぐに頭の中で大混乱になってしまったようだ。
そんな琉雨の姿を見ていた紅瑠斗は、ふーっとタバコの煙を吐き出すと、
紅瑠斗:「やっぱ女の子ってのはかわいくていいネェ」
とにやりと笑みをうかべた。
【3】
オーマ:「そろそろ最深部についてもいい頃だな……」
途中に袋小路があって引き返すことはあったものの、入り口の仕掛け以外は何が起こることもなく。人に無害である、と下調べした本にあった、時々現われるねずみのような魔物を適当にあしらいつつ。五人は銃から火を出して灯りにしているオーマを先頭に、鬼灯、魔法で灯りを出している琉雨、アイラス、最後尾に紅刃を持った紅瑠斗という順番で進んできた。
鬼灯:「そうですね。ここまで地図を作りながら進んでまいりましたが……距離を考えましても、この辺りが最深部になるはずです」
琉雨に魔法で補助をしてもらいつつ、記録の紙も参考にしながらここまで地図を作成してきた鬼灯はきょろきょろと辺りを見回した。氷姫と思わしきものは……見当らない。あるのは目の前にぽっかりと口を開けている闇への道のみ。
琉雨:「もう少し進んだところにいるのでしょうか?それとも……!?」
アイラス:「どうかしましたか?琉雨さん」
作成されてきた地図を鬼灯と共に見ながら考え込んでいた琉雨は、何かを呟きかけたが……はっと顔をあげて闇の向こうを見つめた。
そんな琉雨の行動に気付いたアイラスも、首を捻りつつ彼女と同じ方向を見てみる。だが、何か起こった様子も何かが起こる様子も感じられない。
琉雨:「あの……今、声が聞こえませんでしたか?」
オーマ:「声?いいや、俺には何も聞こえなかったぜ?」
辺りを見回しながら返答するオーマ、そしてその横で紅瑠斗も不思議そうな表情をしている。空耳か、風の吹き抜ける音がそう聞こえたのではないか?と。
聞こえなかったと述べる四人の意見に、琉雨は聞き間違いだったかと思い直しかけた。……だが、その時である。
???『……けて……だ……か……』
ひょうっと冷たい風が吹き抜けると共に確かに、女性の声が聞こえたのは。
紅瑠斗:「琉雨、この声か?」
琉雨:「はい!間違いありません」
さっき聞こえた声と同じです、と琉雨は大きく頷いた。
オーマ:「じゃあ行ってみようかねぇ。氷付けの嬢ちゃんに会いにな。胸キュン王子様を待ってやがんのか、はたまたイロモノ悲劇宜しく何かにそうされちまってるのかは知らねぇがよ」
アイラス:「ようやく氷姫に会えるようですね。凍死は死体が綺麗に残ると言いますから、生死にかかわらず美しいのでしょうね」
紅瑠斗:「ま、氷姫じゃなくても美人のねーちゃんが居ればいいや」
そんなオーマを始めとした三人三様の興味の在り様を聞いた琉雨と鬼灯は、タイミングを合わせたように顔を見合わせて首を傾げた。
鬼灯:「共通事項は男の浪漫、というものでしょうか?以前に誰かからお聞きしたことがあるのですが」
琉雨:「そうなんでしょうか?わたしにもよくわかりません」
それぞれの思惑を持ちつつ、五人は女性の声がしたと思われる奥へと進んで行った。
奥へ歩みを進めていくと、暗闇の向こうに微かに光が見えてきた。光といっても彩度はそれほど無く、薄明るい程度のものであるが。
五人はその光を見つけると自然と足早になり、先ほどよりもずっと速いスピードで歩いていく。それと共に光の先に見えるものへの期待が大きく膨らんでいき……そして。
オーマ:「こりゃすげぇな……」
アイラス:「見事ですね……」
琉雨:「わぁ……」
紅瑠斗:「すっげー……」
鬼灯:「綺麗ですね……」
光の中に足を踏み入れた五人は思わず言葉を失って、目の前の光景に見惚れた。なぜならそこには……綺麗、美しいという言葉では言い表せないほど美麗な、幻想的な光景が広がっていたからである。
正面の大きな氷の中で静かに目を閉じ、胸の前で手を組んで祈るようにしている氷姫。それを囲むようにして立ち並ぶ、ほのかに光を放っている巨大な氷の柱の数々……。
鬼灯:「氷姫様はわたくしと同じ黒髪なんですね……」
琉雨:「そうですね……着ているものも似ていますね」
二人は興味深そうに氷姫をみつめた。年の頃は二十歳前後ぐらいだろうか?雪のように白い肌に、整った顔。そしてそれを縁どるのは、膝まであるのではないかと思われるほどの長い黒髪。身にまとっているのは鬼灯の着ているものに似た、純白の着物。
アイラス:「この氷はなぜ光っているんでしょうか?不思議ですね」
紅瑠斗:「ただ光ってるわけじゃなさそーだけどな」
アイラスと紅瑠斗は氷姫の側にそびえ立っている氷柱に近づき、そっと手を触れようとした。が、そのときである。
???:『お願いします……助けてください……』
先ほどの女性の声がすぐ近くで聞こえたのは。
オーマ:「今の声ってぇのは……やっぱりこの嬢ちゃんの声か?」
アイラス:「まず琉雨さん、鬼灯さんの声ではないことは確かですね」
今の声を聞いた五人は、改めて氷姫を凝視した。
鬼灯:「仮に今のお声が氷姫様のものだとしましたら……自らの意思で氷の中にいるのでは無いということになりませんでしょうか?」
紅瑠斗:「そうだネェ。助けてくださいって言ってるしな」
琉雨:「この氷は……人工的に作られたもののようですね」
アイラス:「人工的にですか?ということは誰かの手によってこの氷の中にいるのですね」
オーマ:「ここは一発ガツーンと氷を溶かして嬢ちゃん出してみたらどうかねぇ?なんで氷の中に閉じ込められたかってぇのも聞けるだろうしな」
それぞれの意見を聞いた五人は誰からという訳でもなく顔を見合わせた。誰の意見が一番有効か、ということ。それから近隣の村からは何一つ情報は得られなかったことを前提に。そしてその結果……
琉雨:「では、いきます」
意見は氷姫を氷から出そうということになり、氷を溶かす役は琉雨が引き受けた。
琉雨は氷姫の氷の前に炎の精霊を召喚すると、氷姫が火傷をしないように注意しながら慎重に氷を溶かし始めた。相当気を集中させているのだろう、この寒さの中でも額にはじんわりと汗がにじんでいる。
紅瑠斗:「琉雨、無理すんな。俺が代わる」
琉雨:「す、すみません……」
紅瑠斗:「で、仕上げはおっさんな?」
オーマ:「おうよ!このイロモノスーパーグレイト親父に任せとけ」
さっきから無茶ばかりする琉雨を見て、はぁ……と溜息をついた紅瑠斗は、琉雨に休むように言い、次にオーマを見てにやりと笑みをうかべた。
そんな紅瑠斗の様子にオーマもにやりと笑みをうかべると、いつでも準備オッケーだと銃を構えた。
紅瑠斗:「さて始めるかネェ」
まだ大分厚さのある氷を見て、紅瑠斗は紅刃の炎の威力を強くすると、氷姫の氷に向って切りつけ始めた。紅瑠斗が紅刃を振るう度に溶かされて水になった氷と炎の軌跡が宙を舞う。
紅瑠斗:「これで仕上げってな」
しばらく無言で紅刃を振るい続けていた紅瑠斗であったが、最後の一振りになったのを見て、にっと笑みをうかべると横に大きくシュンッと紅刃を振り抜いた。
紅瑠斗の最後の一撃を受けた氷姫の入った氷はぐらっと手前に傾くと、ドンッ!と重い音を立てて床に倒れた。
氷が狙い通りに上手く切れたことを見て満足した紅瑠斗は、やれやれと一息つくと新しいタバコをくわえて火をつけた。
紅瑠斗:「んじゃ、後頼んだ」
氷姫からすっと離れた紅瑠斗は入れ替わりでオーマと場所を交代すると、ひらひらと手を振って琉雨と鬼灯の元へ歩いていった。
氷姫を目の前にしたオーマは、にっと笑みをうかべると、
オーマ:「親父の熱き魂と繊細な技術をとくとご覧あれってな」
持っていた銃をガシャリと音を立てて構えた。準備万端、後は上手く氷を溶かすだけ、と。だが……ここで、オーマにとっては問題発生である。
アイラス:「あ……」
何が起こったのかというと……なんと、オーマが氷を溶かそうと銃を構えた途端。氷姫を包んでいた氷がすぅっと音も無く消えてしまったのである。何もしていないのに、だ。
鬼灯:「不思議ですね。紅瑠斗様が大半の氷を削っていたとはいえ……あれだけの氷が一瞬にして消えてしまうというのは」
その光景を目の当たりにした鬼灯は、自分なりの冷静な感想を述べて少々首を傾けた。
氷姫を包んでいた氷が無事に溶け、四人が目の前で起こった現象を不思議そうに見ているその時。自分の出番が無くなってしまったオーマはというと……
オーマ:「っかー!折角華麗なるバーニング親父魂で嬢ちゃんを助け出そうと思ってたのによ。出番無しってか?」
額に手をあてて、少々大げさ過ぎやしないかというぐらいのリアクション付きで溜息をついた。そして、目の前で静かに横たわっている氷姫を見て、
オーマ:「可憐な少女に銃を向ける親父の図ってーのは悪役になったみたいでやだねぇ」
苦笑しながら氷姫に向けた銃をしまった。
紅瑠斗:「近くで見るともっと美人だネェ」
氷から出てその姿を現した氷姫を抱き起こした紅瑠斗は、嬉しそうににやりと笑った。心の中でケイには劣るけどなと思いつつ。
アイラス:「確かに遠目に見ても綺麗な方でしたが、近くで見るとより一層お綺麗な方ですね」
その隣でアイラスも氷姫を見て、にこりと微笑む。
琉雨:「そうですね。綺麗な黒髪ですし……あ、気付かれたようですね」
そんな会話をしていたそのとき。氷姫が小さく身じろぎしたのを見て、琉雨がにこりと笑みをうかべた。
五人がにこやかに見守る中、氷姫は静かに眼を開けると周りにいる人を眺めてから小さく呟いた。
氷姫:「ここ……は……?あなたたちは……?」
綺麗な蒼い瞳にみつめられ問い掛けられた鬼灯は、微笑をうかべた。
鬼灯:「ここは氷に包まれた洞窟の中です。わたくしたちは貴女の助けを求める声を聞いてここまで来た者です」
氷姫:「氷……洞窟……助け……?わたし……!?」
鬼灯の言葉を聞いてぽつりぽつりと言葉を繰り返していた氷姫であったが……突然、何かに気付いてはっと眼を見開いた。
氷姫:「わたしは助けなんて……!一体どうして……わたし、こんな……封印が解けてしまう……!」
オーマ:「封印が解ける?そいつぁどういう意味」
氷姫:「お願いです!わたしを殺してください……っ!今、すぐに……っ!!」
五人:『!?』
思わぬ言葉が氷姫の口から飛び出し……五人はすぐには理解できずに氷姫を凝視した。今すぐ殺してくださいとは……?
アイラス:「一体それは……どういう意味ですか?」
氷姫:「わたしの……わたしの中には誰の手にも負えなかった邪悪な……うっ……」
アイラスの問いにぽろぽろと泣きながら答えていた氷姫であったが……突然、顔をしかめてぎゅっと胸を抑えた。
琉雨:「だ、大丈夫ですか……!?」
苦しみだした氷姫の姿に琉雨は慌てて問いかけ、自分にできることはと考えを巡らせ始める。
だがその問いかけに対し、氷姫は顔をしかめたまま、力無く首を振った。
氷姫:「わ、たしに……構、わず……はや、く逃げ……!」
琉雨:「え……?」
全部言い終わらないうちに氷姫の瞳はぱあぁっと赤みを帯び……かっと眼を見開いたと思った瞬間。
琉雨:「きゃあっ!」
紅瑠斗:「くっ……」
五人の身体は氷の壁へと叩き付けられていた。氷姫から起こった衝撃波によって。
そして、そのとき琉雨が最後に見たのは……にやりと嫌な笑みをうかべた氷姫の姿であった。
オーマ:「後は炎魔法の使えるやつだが……」
琉雨:「……?」
ぼんやりと、オーマの声が琉雨の意識の中に流れ込んできた。そう、これはオーマの声。そしてこの状況は……そう思いながら琉雨はゆっくりと目を開けた。どうやら自分は今まで気絶してしまっていたらしい、と把握するのにさして時間はかからなかった。
少しでも状況を把握しようと琉雨はきょろきょろと辺りを見回し……そして。目に映った巨大な黒蛇の姿に驚いて目を見開いた。
そんな琉雨に最初に気がついたのはアイラスであった。
アイラス:「あ、琉雨さん。お身体のほうは大丈夫ですか?」
琉雨:「あ、はい……ご心配おかけしてすみませんでした……」
オーマ:「後一人も問題ねぇな。炎魔法なら琉雨が使えるしよ」
役者は全員そろったぜ?とオーマは、にっと笑みをうかべて氷姫を見た。
氷姫:「……まさか揃うなんて思ってませんでした……」
本当に全ての条件が揃うとは思ってなかったのだろう。氷姫はアイラスの言葉の意味を理解し、驚きながら五人を見回した。
アイラス:「こういうときは意外になんとかなるものですよ」
琉雨:「え……何のお話をされているんですか……?」
そんなオーマと氷姫の会話に、琉雨は隣にいた鬼灯に声を小さくして問いかけた。自分が気絶している間に一体何が起こったのか、と。
すると鬼灯は微笑をうかべて、氷姫の封印が解け、封印されていた黒蛇が出てきたこと。それから再度蛇を封印し直さなければ、という話になり、今はその作戦会議中で、氷姫から必要なものを聞いていたところだと教えてくれた。そして、琉雨の魔法が必要なことも。
琉雨:「お話は鬼灯さんから伺いました。頑張らせていただきますね」
紅瑠斗:「で、どういう作戦でいくわけ?」
氷姫:「ありがとうございます……!では、説明します」
黒蛇に気付かれないうちに、と氷姫は要点を抑えつつ、簡単に流れの説明をしだした。こういうことをするのでこういう行動をして欲しい、と。そして、最後はお願いしますと話を括った。
黒蛇:「そろそろ今生の別れは済んだかしら?私、お腹空いちゃったから済んでなくてもこれ以上は待ってあげないけど」
目を細めつつ、ゆっくりと首をもたげた黒蛇は、六人の方を見て意地悪く言う。
黒蛇:「どれが一番おいしいかしらねぇ?やっぱり若い子が美味しそうよねぇ」
そんな黒蛇の言葉に、アイラス、紅瑠斗、オーマが前に出ながらやれやれと首を振った。
アイラス:「どうやら僕たちを食べたいようですね」
紅瑠斗:「うわ、マジかよ……。悪趣味だネェ」
オーマ:「若くなくて悪いねぇ。これでも昔はクールでシャープでモテモテな美青年だったんだがねぇ」
冗談半分、本気半分といった感じに口を開いた三人は、それぞれの武器を構えるとくわっと口を開けた黒蛇に向っていった。
琉雨:「……では、氷姫さんの詠唱に合わせて魔法を発動します。私は詠唱する必要が無いですから」
氷姫:「はい、お願いします」
オーマ達三人が黒蛇の目がこちらを向かないように奮闘してくれているうちに、女性三人組は黒蛇を封印する水晶球の準備にとりかかった。
なぜ水晶球に準備が必要かというと、それは。今のままの水晶球では中に込められている炎と氷の魔法力が小さすぎて、とても黒蛇を封印できるような魔力は持っていない。そう、先ほどの蝙蝠の大群の幻影を出すぐらいしか。そこで必要なのが魔力の充填である。その方法は、水晶球に炎と氷の魔法をぶつけることである。後は水晶球が勝手に魔法を吸い込んで糧としてくれるので。ただここで問題が一つある。それは……炎と氷の魔法を同時にぶつけなければいけないということである。もし、どちらかの魔法の発動が寸分違えば炎の魔法は氷の魔法を飲み込むし、氷の魔法は炎の魔法を飲み込む。そして、水晶球はどちらかの属性しか持たなくなってしまい、失敗に終わってしまうのである。
床に動かないように固定した水晶球に向って、氷姫が魔法の詠唱を始める。一句でも間違えないように慎重に、だが時間がかかり過ぎないように口早に唱えていく。威力の大きい魔法は当然ながらそれだけ詠唱も長いし、時間もかかる。
氷姫の周りを吹雪のような冷たい風が取り巻きだした。全てを氷に変えてしまいそうな……そんな強風が。
強風が吹きだして間も無く。詠唱をしていた氷姫が、すっと手をかざした。
琉雨は氷姫の詠唱終了の合図を確認すると、すぐに自分の目の前に魔法陣を出現させた。すると、瞬時に巨大な炎の魔方陣の中から、契約した炎の召喚獣がすっと現われた。
魔法の準備が整った二人は互いに顔を見合わせ、一つだけ頷いて見せた。そして……
氷姫:『氷雪花!』
琉雨:『サラマンダー!』
氷姫は魔法の発動のために、琉雨は氷姫と魔法のタイミングを合わせるために普段は必要ないが召喚獣の名を口にした。
水晶球に向けて放たれた二つの魔法はぶつかることなく、ひゅんっと真っ直ぐに進んで行った。炎の魔法は赤い軌跡を、氷の魔法は青い軌跡を描きながら。
二つの魔法が水晶球へと接触した、と思った瞬間。ぶわっと風が舞い起こると共に、青白い光が辺りを照らし出した。その眩しさに琉雨は思わず目を瞑ってしまい……そして。光と風がおさまるとそこには、淡い紫色の光を湛えた水晶球が転がっていた。
琉雨:「成功しましたね氷姫さ……!?」
水晶球の反応を見て歓声をあげ、それから隣にいた氷姫を見た琉雨であったが……そこに氷姫の姿は、無かった。
琉雨:「まさか……」
鬼灯:「……氷の魔法を放ったのと同時に微笑んで消えてしまわれました……」
琉雨:「そんな……そんなことって……ないです……」
鬼灯の言葉に、琉雨は何が起こったのかを悟った。氷姫は……自分の命を魔力に変え、あのとき放っていたのだということを……。
二人の邪魔になっては、と離れて見ていた鬼灯は水晶球を拾うと、ショックを受けて立ち尽くしてしまった琉雨へそっと近寄った。
鬼灯:「氷姫様は始めからこうするおつもりだったようです……」
琉雨の頬を伝って落ちてくる雫が、鬼灯の足元へ落ちて消えていく……。
鬼灯:「ですからわたくしたちは氷姫様の想いを叶えなければなりません。お辛いことはよくわかります……ですが行きましょう琉雨様。今やらなくてはいけないことがありますから」
琉雨:「……はい……!」
優しく微笑をうかべて自分を見上げてくる鬼灯に、琉雨はぐいっと涙を拭って微笑み返すと、すっと前を向いた。今、やらなければいけないことをするために。
琉雨:「お待たせしました!」
オーマ:「おう!準備はできたか?」
黒蛇の断末魔に耳を抑えつつ、黒蛇の側から退却してきたオーマたちが二人を迎えた。
鬼灯:「はい。後はわたくしに任せてください」
オーマの問いに微笑をうかべて頷いた鬼灯は、痛さでのた打ち回っている黒蛇の攻撃を受けない程度の距離に進んで行った。そして、
鬼灯:「この中で安らかにお眠りください」
妖を封じる術を応用した術を発動させると、大事そうに持っていた淡い紫色の光を放つ水晶球を両手で持って前に出した。
鬼灯が術を唱え水晶球を前に出すと、それに呼応するかのように水晶球から瞬時に、紫色の光がフロアいっぱいに満ち溢れた。
黒蛇:「!? そ、そんな……馬鹿な……!」
その紫色の光に黒蛇は激痛を忘れ、後ずさりながら悲鳴をあげた。自分を縛るものは何も無い、自分を戒めることができる人物はもういない、そのはずだったのに、と。
しかし、黒蛇がその紫色の光に気付いたときには当然ながら遅かった。その身を後ずさらせても、鬼灯の術は既に発動した後である。黒蛇は気味の悪い悲鳴のような叫び声をあげながらその身を光に飲まれていき……鬼灯の目の前の空間にはただ広い、先ほどと同じ空間が広がっていた。
あまりの光の眩しさだったために四人は思わず目を瞑ってしまったが……しばらくして、光が静まるのを待ってからゆっくりと目を開けた。
オーマ:「無事封印できたようだな」
鬼灯:「はい」
四人が目を開けるとそこには、水晶球を抱え微笑をうかべている鬼灯の姿があった。水晶球の中にはとぐろを巻いて眠っている黒蛇の姿が小さく映っている。
鬼灯:「無事に封印できましたし、皆様帰りましょう」
アイラス:「そうですね。ロッドさんにこのことを報告しなくてはなりませんし」
紅瑠斗:「そーいえば今回の依頼って調査じゃなかったっけか?」
五人:『……』
オーマ:「ん?まぁ全員無事だったことだしな。大丈夫だろ」
紅瑠斗の指摘に一瞬沈黙してしまった四人であったが……豪快に笑い飛ばすオーマの意見に、うんうんと頷くと元来た道を戻り始めた。
だがそんな中。琉雨は誰かに呼ばれた気がして静かに振り向いた。オーマさんたちは前を歩いているし、後ろには誰もいないはず……と。
しかし、振り向いた琉雨の目に映ったものは……なんと。先ほど消えてしまった氷姫であった。
琉雨:「!?」
あまりに驚きすぎたために、琉雨は声も出せず……ただ、その氷姫の姿を見つめた。
氷姫:『わたしの代わりにあいつを封印してくれてありがとうございました』
そんな琉雨を見て、氷姫はにこりと微笑をうかべた。
氷姫:『そのお礼としてはしたりないですが……良かったら契約を、と思って声をかけました。どうやら……氷の精霊として生きることになりましたので』
氷姫はふわりと琉雨の前に降り立つと、まるで鈴の音が鳴ったような凛とした声で告げた。
氷姫:『必要なときはお呼びください。「トキ」というわたしの名前を』
それだけ言うと氷姫は、着物の裾をふわっと翻しながら空気に溶け込むようにして消えてしまった。
紅瑠斗:「? 琉雨行くぜ?」
琉雨:「は、はい……っ!」
今目の前で起こったことに呆然とし、しばし氷姫の消えた空間をぼーっと見つめていた琉雨であったが……しかし。紅瑠斗の呼ぶ声で、琉雨ははっと我に返って、ぱっと振り向いた。そして今の光景が紅瑠斗にはどうやら見えていなかったようだと言う事に気付くと、今行きますと言いながらぱたぱたと駆け寄った。そして、
琉雨:「お待たせしました紅瑠斗さん。行きましょう」
と面倒見の良い、兄のような紅瑠斗に微笑をうかべた。
【4】
アイラス:「すっかり呆れられてしまいましたね」
紅瑠斗:「ま、しょーがねぇよな。多少話をぼかしたにしても」
琉雨:「流石に氷姫さんを氷から出した、とは言えませんよね……」
鬼灯:「それを言いましたら呆れられるだけでは済まなかったと思います……」
洞窟から帰った翌日。五人は昨日のことを報告するために黒山羊亭へ集まり……今はその帰りである。
ロッドに調査結果をまとめた紙、そして報告をしてきたのだが……氷姫がすでにいないことを報告すると、やれやれと大きな溜息をつかれ。苦笑いをうかべながら無言で報酬を渡され、今、適当に見送られてきたところである。
オーマ:「ま、過ぎたことを言っても仕方ねぇしよ。これから家でカキ氷でも食わねぇか?洞窟の氷を一部持ってきたからよ」
やれやれ……と思っている四人とは裏腹に、オーマは相変わらずの調子でにっと笑いながら言った。
紅瑠斗:「お!いいじゃん。ケイとハイネのお土産には持って帰ってきたけど、食べる分までは持ってこなかったからネェ」
いつもと変わらぬ調子で言ったオーマに、三人は溜息をついたが……その提案にすぐ乗った人が一名。サングラスをかけていてもわかる程の笑顔をうかべた。
あの後、途中で氷の欠片を結晶に入れて溶けないようにして、ウキウキしながら持ち帰った紅瑠斗を四人は目撃している。嬉しそうな笑み付きで言っているということは、二人に喜んでもらえたのだろう。
紅瑠斗:「俺はメロンミルクがいい」
オーマ:「お!そうきたか。琉雨はどうだ?」
琉雨:「え、わたしですか……えーと……」
いきなり話を振られてきょとんとしていた琉雨であったが……すぐににこりと微笑んだ。
琉雨:「わたしはメロンがいいです」
オーマ:「琉雨もメロンか。アイラスと鬼灯は?」
アイラス:「僕は……抹茶がいいですね」
鬼灯:「わたくしですか?……わたくしも抹茶味が良いです」
オーマ:「なるほどねぇ……」
四人の希望を聞いた途端、オーマは、ふむと腕を組んで考え込んでしまった。
琉雨:「どうかされたんですか?」
そんなオーマの様子を見て、琉雨は少しだけ首を傾げて問いかける。何か問題でもあったのだろうか?
だが、オーマにとっては問題。四人にとってはさして問題の無いことだったことがすぐに判明する。
アイラス:「そういえばオーマさんは何味がいいんですか?」
オーマ:「俺?俺はやっぱりあれだねぇ」
鬼灯:「あれ、ですか?」
オーマ:「おうよ!カキ氷って言ったら王道のイチゴを忘れちゃいけねぇよ」
どーんと構えて堂々と答えるオーマに、四人は成程と納得した。実にオーマらしい意見だ、と。
こうして五人は。オーマの家に向って、打ち上げカキ氷パーティーをするべく歩き出したのであった。
…Fin…
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649 /アイラス・サーリアス/男/ 19歳 / フィズィクル・アディプト】
【2238 / 月杜・紅瑠斗 / 男 / 24歳 / 月詠】
【1953 / オーマ・シュヴァルツ / 男 / 39歳 / 医者兼ガンナー(ヴァンサー)副業有り】
【2067 / 琉雨 / 女 / 18歳 / 召還士兼学者見習い】
【1091 / 鬼灯 / 女 / 6歳 / 護鬼】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして。月波龍(つきなみ・りゅう)といいます。
「氷姫」にご参加、ありがとうございました!
楽しんでいただけたなら嬉しく思います。
今回はキャラごとに視点違いの部分が多くありますので、他の方の物と読み比べていただくと
琉雨さんではわからなかったシーンも知ることができます。
また機会がありましたらよろしくお願いします。
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