<東京怪談ノベル(シングル)>
夜空の花に願いを込めて
温かな優しい眼差しに護られて
私は幸せな時を過ごす
変わりゆく時の中で
変わらぬ想を信じて
琉雨はテーブルの上に二つの懐中時計を並べてじっとそれを見つめる。
それは先日、ある塔を元に戻す時に知り合った少女からお礼だと言って手渡されたものだった。
自分の養父であり師匠の誕生日プレゼントとして欲しいと告げたのに、少女は琉雨に二つの懐中時計を手渡した。
『あのね、二人でおそろいのものを持っていて。ずっと離れることがないように。それはね、対になってる懐中時計なんだ。だから』と言って。
それは琉雨の心を見透かしているかのようなプレゼントだった。
養父は師匠として、そして家族として琉雨に幸せをくれる大切な人で。
何時か離れる日が来ること、そんな日が訪れることなどを考えることは出来なかった。
だから余計にその対になっている懐中時計を貰った時には嬉しくて仕方がなかったのだ。
小さな願いを繋ぎ止める楔に思えて。
懐中時計を前に琉雨は小さく微笑む。
しかしどうやってこれを養父に渡そうかと考えて、琉雨は養父の誕生日を知らないことを思い出した。
日頃の感謝もかねて養父にお礼をしたいと考え、プレゼントを用意したまでは良かったがその先が続かない。
困ったように琉雨は瞳を伏せる。
琉雨が養父の誕生日にそれを渡したいと考えたのには訳があった。
それは初めて養父が自分の誕生日を祝ってくれた日はとても嬉しくて仕方がなかったからだった。
こうして自分が此処にいることを認められている気がして。
自分という存在が養父にとって必要であると言われている気がして。
血という繋がりよりも強く繋ぎ止める何かを感じて。
琉雨は自分の誕生日を知らなかった。
もちろん人買いに売られていた琉雨を拾ってくれた養父が知るわけがない。
それでも祝ってくれたそのことが嬉しくて仕方がなかったのだから。
どんな高価なプレゼントよりも何よりも嬉しい出来事だった。
そんな想いをくれた養父に、琉雨も同じ想いを一緒にプレゼントしたかった。
ありがとう、という想いを込めて。
よし、と琉雨は小さく頷いて養父の元へと向かう。
分からないのなら聞いてみればいい、と思ったのだ。
琉雨は養父の書斎に軽くノックをし、返事を確認してから中に入る。
日はもう沈みかけて部屋には夕日が差し込んできている。
しかし本を読むのには暗い光量だった。
「目を悪くされます…」
そう言って、部屋の灯りを付けると養父は、ありがとう、と告げる。
「師匠……」
琉雨の呼びかけに養父は本からゆっくりを顔を上げ、琉雨を見た。
忙しい時でも琉雨の呼びかけに必ず応えてくれる養父。
琉雨はどう切り出せばいいのかと思いながらも養父に誕生日が何時なのかを聞いてみる。
「あの……師匠のお生まれになった日はいつ頃なんですか?」
「さぁ……いつだったかな……もう忘れたな……」
やんわりとはぐらかされ、琉雨は次の言葉を告げられない。
必死になんとか聞き出そうと琉雨はいつになく頑張って言葉を紡ぐ。
「それは花の美しい季節でしたか?」
「どうだったかな……」
「それでは……雪など降ってましたか?」
「さぁ……」
全く埒が明かない。
琉雨の頑張りは認められず、養父から誕生日を聞き出すことは出来なかった。
失礼しました、と琉雨は養父の書斎から出ると、はぁ、と小さな溜息を吐く。
結局教えて貰えなかったと。
養父は自分の誕生日などもう気にしていないのだと琉雨は思う。
ただ、琉雨の気持ちを考えて分かりもしない琉雨の誕生日を祝ってくれているのだろうと。
でもやはりその気持ちが嬉しい。
琉雨はその時思いついた。
誕生日の分からない琉雨の為に養父が考えてくれた誕生日。
誕生日の分からない養父の為に琉雨が決めて祝う誕生日。
それでも良いのではないかと。
自分の一番好きな大切な日を養父の誕生日ということに決めようと。
部屋に戻り琉雨は再び二つの懐中時計を前に特別な日を考える。
雪の降り始めた日。
春の訪れを感じた日。
綺麗な虹を見た日。
全部素敵な日だと思う。
他にもたくさんある。
養父が笑った日。
夜空に咲いた花火を見た日。
花火……、と琉雨は動きを止めた。
夏の時期に一度だけ花火が上がる日があった。
一度も外で見たことが無く、室内だけで眺めていた花火。
その美しさに魅せられてずっと飽きもせずに眺めていた。
それこそ養父に苦笑されるまでずっと。
琉雨にとってそれは特別な日だった。
だから琉雨はその日を養父の誕生日にしようと決める。
そうなるともう急いで準備をしなくてはならない。
夏に一度だけの花火。
それは明日に迫っていた。
養父の寝ている昼過ぎまでにほとんどの準備を整えなくてはならない。
琉雨は早起きをして部屋の中を忙しく動き回る。
美味しい紅茶を用意しよう。
師匠の好きな料理を用意しなくては。
この料理は喜んで貰えるだろうか。
たくさんの思いがグルグルと回る。
そして不安も。
子供みたいだと呆れられてしまわないだろうかと。
どんな思いも一緒に分かち合いたいと思ってしまうのは子供じみているだろうか。
しかしその思いを振り払い、琉雨は今日の花火の事を思う。
昨夜、養父に「明日の夜は空いていますか?」と尋ねてみたところ、家にいるとの答えが返ってきた。
だから今日は琉雨の一番楽しくて大切な日になるのだ。
大好きな花火を一緒に見て、そして養父の誕生を祝う。
大切な、大切な日。
琉雨は柔らかい笑顔を浮かべ、作業を再開した。
養父が起きてきて、キッチンのフル稼働ぶりを見て驚いていたようだが琉雨には何も言わなかった。
そしていつものように琉雨の用意した珈琲を飲み、遅い朝食を取る。
それから普段と変わらず書斎に籠もって本を読む。
そんな養父の姿を見送り、琉雨は再び作業を開始したのだった。
夕方には全ての準備が終わり、琉雨は小さな溜息を吐く。
料理の準備も完璧だった。
昼間にはテーブルに飾る花も買ってきて花瓶に生けた。香りのきつくない優しい色合いの花。養父は気に入ってくれるだろうか。
テーブルの上には琉雨が現在作ることの出来る料理の数々が並べられ、デザートの準備も出来ている。
後はここに養父がやってきて、花火が上がれば準備完了だった。
その時、料理よりも何よりも大切なものが無いことに気づき、琉雨は部屋へと戻る。
二人がずっと一緒にいられますようにと、琉雨が毎日眺めながら祈っていた金の懐中時計。
その内の一つを大事に包みこんで、そっと養父に渡す時を待つ。
小さなバックに入れて、琉雨はそれをテーブルの下に隠した。
そしてもうすっかり暗くなった廊下を歩き、養父の書斎へと向かう。
「師匠、あの……」
「……今日は花火だったな……」
そんな言葉が返ってきて琉雨は嬉しそうに頷く。
「はい。それとお食事が出来たので……」
「…そうか」
いつもの怠そうな返事が返ってきたが、養父はドアの前に立つ琉雨に近づいて優しく淡い桜色の髪を撫でた。
「…食べるんだろう?」
「はいっ」
思わず頬が緩む。
「もうすぐ花火も上がるだろう……昔から好きだったな……」
「好きです」
花火もそして養父のことも。
琉雨は養父と共に用意した部屋に入る。
その窓からは上がる花火が一望出来る。
その時、丁度一発目の花火が上がった。
空に美しい大きな花が咲く。
広がった花はキラキラと光り消えていく。
「花火もだが……料理も随分と…豪勢だな」
「はい。今日は……師匠の誕生日ですから」
「…………?」
不思議そうな顔を浮かべた養父に琉雨は告げる。
「師匠は誕生日の分からない私のために祝ってくれました。だから……日頃の感謝も込めて私からも師匠の誕生日を祝わせてください」
その必死の琉雨の言葉に養父は小さく微笑む。
「……それが今日なのか?」
「はい」
駄目だったろうか、と不安そうな表情の琉雨を養父はゆっくりと抱きしめた。
「ありがとう」
温もりと、そして言葉が琉雨の中に染みこんでくる。
「私からも……ありがとうございます」
琉雨は微笑む。
耳には花火の上がる音が聞こえている。
きっと今空は綺麗な花に埋め尽くされているのだろう。
しかし琉雨の心にも温かな花が咲いている。
琉雨は養父からそっと離れ、用意していたプレゼントを差し出す。
「あの……誕生日ですから」
プレゼントです、と琉雨は養父に大事に包み込んだ懐中時計を手渡した。
養父はそっとその包みを開け、中からそれを取りだし琉雨に尋ねる。
「これは……」
「私の分もあるんです。……お揃いです」
にこり、と琉雨が微笑むと養父は、そうか、とそれを自分の腰に釣り下げた。
「どうだ?」
「あ、……えっと…お似合いです」
「そうか」
養父は嬉しそうに琉雨の頭を撫でる。
そして養父は琉雨に尋ねた。
「料理は冷めたら駄目か?」
「………?いいえ」
「それならば……たまには近くで花火を見てみるのも良いだろう」
そう言って琉雨の手を取る。
「……えっ?」
「…どうした?」
いつも家の中から見ていた花火。
初めて外で見るのだ、養父と共に。
思わず嬉しさで頬が緩んでしまう。
「いえ……近くで見てみたいです」
琉雨はそれだけ告げて小さく微笑んだ。
大事な日に、大事な人と一緒に大事なものを眺めに行く。
それは何よりも素敵なことなのではないか。
琉雨はしっかりと養父の手を握り、連れだって花火の咲く夜空を眺めながら歩いていった。
養父の腰に下がる懐中時計と、琉雨のポケットの中にある懐中時計。
それらが二人を繋ぎ止めますように。
そう琉雨は夜空の花に願いを込めた。
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