<東京怪談ノベル(シングル)>


籠の鳥 - 始まりの唄 -



 鳥篭の中で夢見る夢
 永遠に紡がれる夢
 空に憧れ自由に憧れ
 羽をもがれて飼われる鳥の
 哀しい哀しい夢物語
 そしてそれは淡く消えていく


 はっ、と目が覚めルーセルミィは起きあがり肩で息を吐く。
 そして額にかいた汗を拭った。
 嫌な夢だった。
 寝ている時に見る夢はどうして見たくもない想い出を蘇らせるのだろうか。
 夢には二通りあると思う。
 早く起きたいと思う位に酷く辛い夢。
 それと逆に幸せすぎて起きてがっかりするような夢。
 どちらも起きた瞬間に気分が悪くて吐きそうになる。
 ルーセルミィは寝ている間に見る夢が嫌いだった。
 どちらも良い事なんて何一つ無い。

 はぁ、と溜息を吐きつつルーセルミィは時計を見て、もうそろそろ仕事の時間だということに気がつく。
 今日は昼間の繁忙期だけ出て、その後部屋でゴロゴロとしていたのだがそのまま寝てしまったらしい。
 よいしょ、とベッドから飛び降りてルーセルミィは大きく伸びをした。
 ルーセルミィは首をコキコキと鳴らし、階下にある酒場へと降りていく。
 バイト先の二階にルーセルミィは住み込みで働いていた。
 働く切っ掛けは自分を鳥篭から出してくれた人物がくれた。


 どんなに空に憧れていても鳥籠で飼われ続けた鳥は飛ぶことを忘れてしまう
 結局最後に戻るのは鳥篭の中


 しかしその青年は一人では飛べないルーセルミィの手を引いてくれたのだ。
 一人で歩いていくことが出来るようにと、切っ掛けを与えて。
 もう二度とあの辛く苦しい鳥篭の中へ戻らぬようにと。
 青い空の下で、自由に暮らすことが出来るようにと。

 そしてルーセルミィはその時からこの酒場で給仕を行っている。
 明るい笑顔を振りまいて、過去のことなど無かったかのように。
 この酒場にルーセルミィを預けていったのは青年だったが、ここで働くことを決めたのはルーセルミィだった。
 きちんと自分の足で歩いていることを今は何処か他の土地を流離っているその人に知って貰うために。
 再び出会えた時に胸を張って、今此処で暮らしていることを見せるために。
 きっとここに戻ってくるはずなのだから。

「よーし、今日も頑張らなくっちゃね☆」

 気合いを入れてルーセルミィは店長に挨拶をしてホールに入る。
 パタパタと慌ただしく走り、ルーセルミィは注文を取る。
 暫くするとルーセルミィのお気に入りの吟遊詩人がやってきた。
 よく黒山羊亭で歌っているのを観に行くのだが、その吟遊詩人がわざわざ此処にやってくるのは珍しい。
 ルーセルミィは、来てくれたんだしなんでもいっか、とばかりに吟遊詩人に抱きつきに行く。
「やっほー!来てくれたんだ?」
 勢いよく飛びついたルーセルミィを抱きとめて、吟遊詩人は笑った。
「はい、ルーセくんの顔を見に。それと…遅くなってしまいましたけど約束を果たしに」
「約束?」
 ルーセルミィは首を傾げて吟遊詩人に問う。
「忘れてしまいましたか?確か誓約書も書いたと思うんですけど」
 そう言われてルーセルミィは思いだした。
 以前、この吟遊詩人の記憶がなくなった事件の時に解決した時の報酬で自分の働く店で唄って貰うと約束していたことに。
「覚えてる覚えてる!本当に唄ってくれるの?」
「もちろんです。ボクの記憶があのまま戻らなかったら、今のボクは居ませんから」
 大切な命の恩人でボクの友達です、と吟遊詩人が言うとルーセルミィは珍しく恥ずかしそうに笑う。

 命の恩人という言葉が自分を救った青年を思い出す時に自分がよく使う言葉だということに気づいたからだった。
 ルーセルミィは青年に助けられ、初めはどうして良いか分からず戸惑っていた.
 だが、今は他の人を助けるまでになったのだ。
 自分の足でしっかりと立っている、と思うのに実績ほど心強いものはない。

 そんな気持ちをごまかすように、ルーセルミィはにっこりといつもの笑みを浮かべた。
「アリガトvとびっきりの唄を唄ってよね?ボクいつもより頑張って働いちゃうから」
 店長に言ってくる〜☆、とルーセルミィはその場を後にする。
 その話を店長にするとそれはもう喜んで、吟遊詩人に自ら挨拶をし夕食を振る舞う好待遇をみせた。
 それはその吟遊詩人が噂に上るほどの有名人だったからに他ならない。
 そんな人物が自分の店で唄ってくれたら、それだけで店の株も上がるというものだった。

「店長も喜んじゃってねー、たーいへん。来てくれてアリガトv」
 ルーセルミィは給仕もそこそこに今から唄うという吟遊詩人にベッタリだ。
 その吟遊詩人はルーセルミィのお気に入りで、追っかけもしているのだ。
 自分の働く店で唄ってくれると言うのに、興奮しないわけがない。
「いえ、こちらこそご馳走になってしまって。美味しかったです」
「店長自慢の料理だからねー☆」

 にこやかに微笑んで吟遊詩人が唄い始める。
 すると賑やかだった店内が一気に静まりかえった。
 人の意識を集めるのに、呼びかけの言葉は要らない。
 ただ一声発するだけで良い。
 耳に心地よいテノールの歌声が店内に広がり、それが身体に染み渡る。
 まるで甘い酒でも飲んでいるような気分になり、うっとりとその唄に聞き惚れた。
 ルーセルミィも吟遊詩人をしっかりと見つめ、その歌声を聞いている。

 緩く胸の中に漣が遅寄せてくる。

 思い出される昔のこと。
 苦しいけれどとても嬉しい想い出。
 あの人に出会えた喜び。
 それは紛れもないもので。
 ルーセルミィが待ち望んでいたもの。

 籠の中から外に出る勇気。

 自棄になって掴んだ手があの人のもので良かったと。
 あの時逃げ出すのを頑張ってみて良かったと。
 掴んだ手を離さなくて良かったと。
 今も強く思う。



『ルーセくん………?』


 ふっ、と呼ばれた気がしてルーセルミィは我に返る。
 すると目の前に心配そうにルーセルミィの顔を覗き込んだ吟遊詩人がいた。
「あぁ、もうビックリしました」
「え?何が……アレ?」
 唄はもう終わっていた。
 そしてここはどうやらルーセルミィの部屋のようだった。
 ようだった、というのは何時の間に此処に運ばれたか記憶にないからなのだが。
「ボク……」
「倒れたんです。唄が終わった瞬間」
 だからボクが抱えて店長さんに案内して貰って運んだんです、と吟遊詩人は言う。

 うっすらと思い出される記憶。
 唄に同調してそして引きずられてしまったのだ。
 記憶が、そして想いが。

「えへっ☆心配かけてゴメンね。もう大丈夫だから」
 ふっかーつ、と言って起きようとするのを吟遊詩人に優しくベッドに押し戻される。
「えっと…お仕事あるし」
 そう呟いたルーセルミィに吟遊詩人は言う。
「今日はお休みしていいとのことでしたよ?ボクも休んだ方が良いと思います」
 優しい微笑みでそのようなことを言われ、普段仮面を被ったままのルーセルミィはその仮面を被るのを忘れてしまう。
 吟遊詩人の外見も穏やかそうな温かい雰囲気も、耳に心地よい声もルーセルミィに強がらなくても良いのではないかという気持ちを起こさせる。
 だからルーセルミィは本当に子供のように、ぽつり、と呟いて。
「だって……寝たらまた嫌な夢を見るから…動いてたいんだもん。さっきも嫌な夢を見て……それで……」
 伏し目がちに告げられた言葉。
 吟遊詩人は、それならば、とベッドの脇に腰掛けて自分の膝をポンポン、と叩く。
「眠るまで…唄を唄っていてあげますから。悪い夢は見ません、きっと」
「……本当に?」
「えぇ。大丈夫です。ボクが保証します」
 今はゆっくりと休んでまた明日から元気な姿を見せてくださいね、と吟遊詩人は笑う。
 その笑顔がとても安心出来るものだったから。
 ルーセルミィは小さく頷いて、おずおずと吟遊詩人の膝の上に頭を乗せる。
 温もりが伝わって、その心地よさにルーセルミィはそっと瞳を閉じる。
 サラサラと髪を優しく撫でられる感触。
 それすらも心地よい。
 眠りを誘う柔らかな誘惑。
「おやすみなさい……」
 そう呟いて、吟遊詩人は唄を紡ぐ。
 
 ルーセルミィは吟遊詩人が子守歌を歌ってくれるのなら先ほどの夢の続きを見たいと思う。
 自分がこうして此処にいる訳を。
 こうして一人ではなく、支えられて生きている現実を。
 この店でまだあの人を待っているから。
 先ほどの夢の続きは、鳥篭を抜け出た鳥の話。
 始まりの物語。
 そう吟遊詩人の唄うのは始まりの唄。

 ゆっくりと声の波に攫われ、ルーセルミィは幸せな現実の夢を見る。