<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


慟哭の獣


------<オープニング>--------------------------------------

 これから酒場が賑わい始めるという夕刻。
 薄暗がりの中に酒場に酷く不釣り合いな姿があった。
 エスメラルダは首を傾げつつ入口付近に立つ人物の元へと歩き出す。

「どうしたんだい?お嬢ちゃん」
「ぁっ………アタシ……」
「ん?何か困りごとかい?」
 エスメラルダの言葉にピンクの髪を揺らし少女は頷いた。

「アタシ……フィーリアと言います。大切な……ものをなくしてしまって。それがないと友達の側にも行けなくて……」
「無くしたものは?」
「……笛なんです。透明な笛。いつもその笛を吹いて友達に語りかけていたのに、それが今日起きてみたら無くなっていて。それがないと……あの子は暴れ出してしまって手に負えなくなるんです。だからその前に……」
 どうも要領を得ない。
「ちょっと待って。無くしたものは笛。それであんたの友達はその笛がないと暴れ出してしまうって一体どういうこと?」
 言いにくそうにしていたが、フィーリアは話し始める。
「アタシの友達のギミアは魔獣なんです。そしてその笛の音が本来気性の荒いギミアを鎮める働きをしていて。だからそれがないとギミアは暴れ出し、繋がれた鎖も引きちぎってエルザードの街を破壊してしまいます。そしてすでに鎖は切れてしまいました。ギミアがやってくるのも時間の問題……だから…お願いします。笛が見つからなかったら……荒れ狂うギミアを助けてやって下さい。あの子は苦しさに泣いているんです。だから……」
 助けてやる=死を…ということだろうか。
「おいおい、それってかなりの緊急事態じゃないか」
 エスメラルダはまだ人の集まっていない黒山羊亭にいる人々全員に声をかけた。


------<少女の依頼>--------------------------------------

「なんや、もうすぐ夕暮れ時っていうのに相変わらず暑いなぁ……」
 アーサー・エヴァンスは炎天下の日差しを避けて大きな木の下に座り込んでいた。
 その肩の上には相棒のドリーが立っている。ドリーはドライアドという木の精霊で、いつもアーサーと共に行動していた。
 夕暮れ時が近づいてきたからといって、すぐに涼しくなるものではない。
 今日は風もなく地面からの照り返しも酷く、外を歩いているだけで上からも下からも焼かれているような気分になる。
 はぁぁっ、と大きな溜息を吐いたアーサーはゆっくりと葉の間から降り注ぐ太陽の光を振り仰いだ。
「とりあえず、なんかおもろいことあらへんやろか。可愛い子が声かけてくるとか……」
 こうして空を見上げててもしゃあないし、とアーサーが言うとドリーからのツッコミが入る。小さな全身でアーサーの頭に容赦ないツッコミを入れるドリー。
 突然自分を襲った痛みにアーサーは頭を抱えた。
「っつぅ。相変わらず容赦あらへんな…」
 アーサーは、もう一度深い溜息を吐き立ち上がる。
「小腹も空いてきたし、なんぞ食べに行くとするか」
 ついでになんかおもろいこと探そう、とアーサーは近くにあった黒山羊亭へと足を運んだ。

 席に座って注文を終えたアーサーはテーブルの上に座ったドリーを眺める。
 言葉は話さないものの、ドリーの思いはアーサーには分かる。
 それは長年一緒に旅をしてきているからなのか。ただそれだけではないような気がするものの、不思議なことであることには変わりはない。
 言葉なんて交わさんと伝わるもんなんてなんぼでもあるやろからな、とそんな事を思いながらアーサーがグラスを傾けていると小さな少女が黒山羊亭へとやってきたのが見えた。
 似合わない場所に一人で現れた少女。
 今にも泣きそうや、とアーサーが思っていると、少女はとんでもないことを話し始めた。
 街を襲ってくる獣がいると。
 かなりの緊急事態といえるだろう。
 ちょうど入口付近のテーブルに座っていたアーサーは横から少女。フィーリアに尋ねる。

「なんや、お嬢ちゃん。友達が困っとるんか?」
 その言葉にフィーリアは小さく頷く。
 アーサーは、そうかそうか、と頷きながら更に続ける。
「話を聞いた限りやと、どこぞのアホがその笛盗んでお嬢ちゃんの友達に街を壊させようとしとるんかもしれやんな。まぁ、お嬢ちゃんの友達の事はこのかっこいいお兄ちゃんが何とかしたるで、お嬢ちゃんは安心して家で待っといてな」
 にかっと明るい笑顔を見せたアーサーは立ち上がりフィーリアの元へと歩いていく。
 そしてぽんぽん、とフィーリアの頭を軽く撫でてやる。
「そこのお姉ちゃん、ちょっと手伝って欲しいことがあるんやけど」
 フィーリアの向かいに立っていたエスメラルダに向かってアーサーは告げる。
「なんだい?あんたが手伝ってくれるのかい?」
「あんな可愛いお嬢ちゃん悲しませるボケはたっぷりと懲らしめたらなあかんからな」
 そのアーサーの答えに満足したのか、エスメラルダが笑みを浮かべる。
「なかなか良いこと言うじゃないか。…で、鎖を引きちぎり街を破壊するような輩を相手にあんたはどんなことをしようっていうんだい?何か策でも?」
「もちろん。まずはあんたに用意して貰いたいもんがあるんや。ちょっとやそっとじゃ引きちぎれないような布と紐。それとお嬢ちゃんの友達のギミアの全身を覆えるような布を用意して貰いたい」
「…?そんなものでいいのかい?」
 頷いて笑顔を浮かべるアーサー。
「引きちぎれにくい布ってのがポイントや。俺の身体をその布でぎちぎちに固定して動けへんようにしておく。その時、その身体のことはあんたに見ててもらいたいんや。入れ替わった時、どちらかの肉体が滅びると両者とも死んでまう。よろしゅうな」
「へぇ、そういうこと」
 分かったわ、と言ってエスメラルダは奥へと入っていき何やら色々な物を手に持ってくる。
「はい、これがご希望の品。丁度取り寄せたばかりだったから」
 タイミング良かったわね、とアーサーにそれを手渡す。
 フィーリアはそこまで聞いて声をあげた。
「お兄さんの中に…ギミアが入るの?」
「そないなことになるやろか」
「そしたらアタシはここにいる。ギミアも知ってる人が居た方が安心すると思うから」
「まあ、そうかもしれないね」
 エスメラルダの後押しもあり、フィーリアは黒山羊亭に残ることになった。
「ギミアがやってくるのも時間の問題。はよ、俺の身体をグルグルっと巻いて、そして街の外れにまで連れて行ってや。街に入る前に入れ替わらな。視線を合わせんと駄目やから……」
「えぇっと思いっきりやっちゃっていいのね?」
「動けないようにぎっちりとな」
「分かったわ」

 そうして両手両足を縛られ、更に蓑虫のようにぐるぐる巻きにされたアーサーは車に乗せられ、フィーリアとエスメラルダも一緒に街はずれまで移動することになった。


------<獣の咆哮>--------------------------------------

 移動しながらアーサーは考えていた。
 笛を盗んだ犯人のことを。
「なぁ、さっき言ってた笛はフィーリアしか吹けへん物なんやろうか」
 ぽつりと呟くとフィーリアは首を縦に振る。
「はい。アタシの血と共鳴して音を鳴らす物だから。一族の者しか扱えないの」
「ほんならそれを知らん奴がぱくったんかもしれへんな。それがあれば魔獣を手なずけられる思って」
 いつも何処で吹いてたんや?、とアーサーが聞くとフィーリアは一つの山を指さす。
「あそこの頂上付近で。アタシ、空を飛べるから……」
 そこまでいくのは簡単だと言いたいのだろう。
 もしそこでフィーリアが吹いているのを見ていた人物が盗ったのだとしたら、そこにまだ居る可能性はある。
 ギミアの身体に入ったらそこに一度行ってみようとアーサーは思う。
「お嬢ちゃん…ギミアは大切な友達なんか?」
「はいっ」
 ためらうことなく頷くフィーリア。
 そこにアーサーは自分とドリーの関係をなんとなく重ねてしまう。
 言葉が通じなくても友達にはなれる。
 相手を思いやる心があれば。
 ちゃんと救ったるからな、と心の中でフィーリアに誓う。

 アーサーはエスメラルダに言った。
「俺とギミアが入れ替わったらすぐに目隠しを…」
 元の姿に戻るのは、笛を取り戻してからだ。
 その前に視線が合ってしまったら元も子もない。
 それにアーサーが今からしようとしていることは、自分の身体にギミアを閉じ込めるということ。
 閉じ込めるにしても視覚が閉ざされていた方がいいだろう。
「はいはい。あと言い残したことはない?」
「後は気づいたらな」
 にへらっ、と笑ったアーサーはドリーに話しかける。
「そうだ。ドリーはどっちにつく?」
 ぎゅっ、とアーサーの服を掴むドリー。
「なんや、俺と一緒に行くんか」
 思わず笑い出しそうになる。
「ほんなら一緒に行こうか」
 こくこく、と頷いたドリーを撫でてやりたかったが、アーサーの手は雁字搦めにされ封じられている。
 自分で言ったこととはいえなんだかそれがもどかしい気がしてならなかった。

 そして一行は街はずれに着いた。
 遠くからギミアがあちこちを破壊しながらやってくるのが見える。
 苦しそうな咆哮が聞こえた。
 ギミアの身体は見上げるほどの大きさだった。
 遠くにいてもそのように見えるのだからかなり大きいのだろう。
「視線だけでも合えばなぁ…」
「派手に音でも鳴らしてみようか?」
 そう言ったエスメラルダが手にしているのはダイナマイトの様な爆発物だった。
 それを爆破させて大きな音を出すという。
「ま、荒っぽいような気もするがしゃあないやろ」
 アーサーはギミアと視線が合うように上半身だけ起こし遠くを眺めた。
 行くよー、とエスメラルダがその爆発物に火をつける。
 それを勢いよく前方へと投げ捨てた。
 遠くで大きな土煙が上がった。
 その土煙が薄れ始めた時、地響きが聞こえた。
 土煙が消えるのとギミアが近づくのがどちらが早いのだろう。
 土煙が早く消えたらアーサー達に分がある。
 今日は天が味方してくれたようだ。
 うっすらと視界が開けていき、ギミアがこちらをしっかりと見つめていた。
 アーサーはそのギミアと視線を合わせ、素早く身体を交換する。
 精神の入れ替えられた器。
 アーサーはギミアに、ギミアはアーサーの中に。
 エスメラルダはそれにいち早く気づき、すぐに言われたとおり目隠しをする。
 閉じ込められたと知ったギミアがそこから出ようと必死に暴れ出した。
 しかし、エスメラルダがぎっちりと巻いた紐は解けず布も動きを押さえつけている。
「ギミア…お願い。この人を傷つけないで。お願いだから……」
 フィーリアはギミアの側に寄り添い、言葉を投げかけている。

 ドリーはギミアの中に入り込んだアーサーの後を追う。
 アーサーは立ち止まりそれ以上街へは近づこうとしない。
 エスメラルダは今度はギミアの身体まで近づき、ギミアの身体に布を巻いていく。
 大きな体だったため、それはかなりの時間を要するが、巻き終わるとアーサーは先ほどフィーリアが指し示した山へとアーサーは足を向けたのだった。


 ギミアの大きな体ではその山まであっという間だった。
 野を駆け、山を登るのにも苦労しない。
 ダッシュで山の頂上まで駆け上がるとアーサーは近くに人の姿がないかどうかを確認する。
 ギミアを解き放とうとした人物。
 思いのままに操ろうと思っていた人物を。
 しかし探す必要は無かったようだ。

「お前なんで戻ってきたのかな。さっき街を壊す様言っただろう」
 上空から声がかかった。
 見上げると一人の青年が手に笛を持って宙に浮かんでいた。
「そんな布など巻いて……怪我でもしたか?」
 くつくつと笑い出す。
「お前はとっても頑丈でこの笛でしか言うことを聞かないと俺は知ってる」
 さぁ早く行ってこい、と青年は笛を吹く。
 しかしその場に音は鳴らない。
 それなのに恍惚とした表情で吹いているつもりになっている青年は、アーサーがじりじりと近づいていっているのに気がつかない。
 青年の真下にまで近づいたアーサーはそのまま伸び上がり青年に爪を立てた。
 青年の手から弾かれた笛はアーサーの口の中に落ちる。
 そのまま口の中に入れ、アーサーは地に落ちた青年の身体を大きな足で押さえつけた。
「な……何をするっ!お前っ!笛の音が聞こえなかったというのか!」
 ぐるるるぅ、とアーサーは獣の声で威嚇する。
「そんな……あの小娘はそれでお前を操っていたというのに」
 操ってなどいなかったはずだ。
 ただフィーリアはギミアの苦しみを鎮めるために、友達のために笛を吹いていただけだったのだから。
 一族の決まり事という枠に囚われず、温かな真心で。
 友達を苦しめる、枷を取り外せないのを知っているから。
 ただ少しでも安らかでいられるように、と。
 二人でただ静かに暮らしていただだけだったのに、その平穏を崩した者。
 フィーリアという幼い少女に、自分の友達を殺してくれと言わせた最悪の者。
 アーサーはそれが許せなかった。
 ギリギリ、と押さえつける足に次第に力を込めていく。
「ひぃぃっ……悪かった……笛は返す……返すから……助けてくれ…ただ、街の奴らが気にくわなかっただけなんだ」
 気にくわなかったという理由だけで、少女の心を傷つけ、そして街の人々も危険に晒した奴がまともとは思えなかった。
 しかしそんな時ドリーがアーサーの目の前で小さく首を振った。
 駄目だよ、そんな風に言われたような気がしてアーサーは押さえつける足を緩める。
「わぁぁぁっ。もうしない、しないよ。……俺の前から消えてくれーっ!」
 青年は飛べることも忘れたのか、必死の形相でその場から逃げ出していった。
 その青年に向けて後ろからアーサーは思いきり土をひっかけてやる。青年の上にあっという間に土が積み上げられひとつの小さな山が出来た。
 あの位の山からだったら自力で抜け出せるだろう。このくらいのお仕置きはしてもバチは当たらないはずだ。
 自分の力では何一つしようとしなかった青年を可哀想な奴だと笑いながら、ドリーと共にエスメラルダ達の元へと戻った。


------<安らぎの声>--------------------------------------

 アーサーは街はずれで待機していたエスメラルダ達の元へと戻ると、フィーリアに口に含んでいた笛を渡す。
「あぁぁっ!笛が……アリガトウございます。アリガトウございますっ!」
 その笛を手にしてフィーリアは泣き崩れる。
 フィーリアは友達という存在を自らの手で葬らなくてはならなかったかもしれないのだ。

 エスメラルダがその様子を見て、未だ暴れていたギミアの入ったアーサーの瞳を封じていた布を外す。
 そしてアーサーとギミアは視線を交わし、元の器へと戻った。
 グルグル巻きにしていた布をエスメラルダがゆっくりと外していく。

 その時に流れてくる涼やかな音。
 流れるようにまとわりつくような静かな音色がゆっくりとその場に響き渡った。
 すると暴れていたギミアが途端に大人しくなり、まるで小さな子犬のようにフィーリアの前に蹲って頬をすり寄せる。
「良かったなぁ〜」
 うんうん、と嬉しそうに頷いたアーサーと肩に乗るドリー。
 紐で縛られていた腕はギミアが暴れたせいであちこち擦り剥けていたが、その痛みもフィーリアの笑顔が泣き顔に変わるのを見て痛む心よりはマシだとアーサーは思う。
 笛の音はギミアを癒すように、そしてその場にいる者を癒すように静かに鳴り響く。
 そして大人しくなったギミアが嬉しそうに、くぅん、と小さな子犬のような声をあげ一晩中暴れ回った疲れを癒すかのようにそのまま静かに眠りについたのだった。





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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】


●2223/アーサー・エヴァンス/男性/23歳/自由騎士


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■□■ライター通信■□■
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初めまして。こんにちは。夕凪沙久夜です。
慟哭の獣をお届けします。
大変お待たせしてしまい申し訳ありません。

そしてまず初めに。
大阪弁が怪しいです。一応翻訳したり聞いてみたりして調べましたがあちこちおかしいところがあるかと思います。エセ関西弁になってると思いますが、ご了承下さい。(礼)
今回はこのような話になりましたが如何でしたでしょうか。
ドリーさんとの掛け合いがとても良いような感じがしたのですが、雰囲気は掴めておりますでしょうか。
これからどんどんアーサーさんの物語は広がっていくのだと思いますが、今回その一つとして関わらせて頂けてとても嬉しかったです。

またお会い出来ますことを祈りつつ。
ありがとうございました〜!