<東京怪談ノベル(シングル)>


優しい風が吹くとき

 それは優しい眼差し。何かを、いや、誰かを見守る暖かい視線。
『何を‥見ておいでですか?』
『‥いや、何でもないよ』

 明るい笛の音、優しい竪琴の音色、鮮やかな鈴の音色。
 いつもと違う、熱に浮かされたような街。人々のざわめき、そして歓声
 それは祭り。誰もが心浮かれる楽しい時。
 だが‥

「だあ〜〜っ! もう! つまんなああい!」
 通りの外れ、小さな孤児院の小さな窓から、小さくない声が響き渡る。
「あたしもお祭り、行きた〜い!」
 その声を聞きつけた通りすがりの誰かさんが笑う。
「行けばいいじゃないか? 別に留守番しなきゃいけないわけじゃないだろ? シノン」
「じゃあ、あたしと一緒にお祭り行かない?」
 彼女シノン・ルースティーンは窓から身を乗り出して彼に声をかける。だが‥
「わりぃ、これから約束があるんだ。んじゃな!」
 手を振り楽しそうに去っていく後姿。‥デートだ。彼女は思う。
「みんな、いいよねえ。一緒にお祭りに行く相手がいてさ‥」
 こういうとき、いつもだったら優しい姉さんを誘ってみる。一緒にお揃いの浴衣で歩くのは悪くない。
 兄貴に声をかけてみることもある。なんだかんだ言っても面倒見がいいからよく奢ってくれたりする。
 だが、その二人がくっついた場合。流石のシノンも声をかけることはできない。優しい二人は断らないだろうが、絶対、確実に間違いなく‥お邪魔虫だ。
 他の友達も殆どがもう誰かと一緒にお祭りに出かけている。
 それは家族だったり、友人だったり、恋人同士だったりするけれど‥。孤児院の子供達ですら誘い合って遊びに行ってたりするけれど‥。
 誰にも声をかけてもらえなかったことに拘っているとかは、絶対に、絶対に違うけど‥。
「折角用意したこの異国の着物。着方まで勉強したのに、着ないで終わるのは絶対にイヤ!」
 お気に入りのすんなりした葉っぱ柄の浴衣は、早く着て、と呼んでいる。だんだん、だんだん、腹が立ってきた。何に、と言われると困るけど。
「よお〜〜し! こうなったら一人でもお祭り行くもん! 屋台で思いっきり遊び倒してやるもんねっ!!」
 パサッ、サラッ。大胆に神官服を脱ぎ捨てて、彼女は浴衣を羽織る。そして10分後‥
「で〜きた! さあ、お祭りにれっつごー!」
 浴衣を涼やかに着流して、街に繰り出す少女の脇を、一陣の風がすり抜けていった。

『‥あら? どちらに行かれたのですか?』

 夏祭りの間は道が少し狭くなる。
 道の両脇に屋台が軒を連ねるからだ。いつもは無い場所に、いつもと違う屋台が出る。
 それが祭りの楽しみでもある。
「あ、おじさん。その串焼き一つ頂戴♪
「あいよ!」
「どう、景気は?」
「ま、ぼちぼちってところだな。はい、どうぞ!」
「ありがと」
 まったく知らないもの同士でも軽く、楽しい話ができる。誰が、どんな格好をしていても、気にしない。シノンはこういう雰囲気が大好きだった。
「さあ〜て、どこに行こうかなあ‥ん?」
 何故そこに目が留まったのかは解らない。偶然、だったと思う。
 ただ、キョロキョロと周囲を不安そうに見る、『彼』が妙に気になったのだ。
 だから‥シノンは近寄って‥声をかけてみた。
「ねえ、どうしたの? 迷子?」
 突然かけられた声に彼は慌てて振り返った後‥ぶんぶんと首を横に振った。
「違うんです。僕、この街に来たの始めてで、それでお祭りだったから、ちょっと気をとられてて‥どこがどこだか、何が何だか解らなくなってしまって‥、知り合いともはぐれて‥」
「あのさあ、それを普通迷子、って言うんだと思うよ」
「えっ? そう??」
 シノンは小さく息をつく。声をかけてしまった以上放っておくなんてできない。
 だけど、この人ごみの中彼の連れを探すのは難しい。と、なれば‥。
「ねえ! あたしと一緒にお祭り見ない?」
「えっ?」
 突然のしかも、女の子からのナンパに彼は目を丸くする。
「お祭り終われば、少しは人も減ると思うし、目的地も解りやすいし、どうせ旅人なら夜には宿屋に行くし、それに‥」
「それに?」
「折角のお祭りだもん。楽しまなきゃソンよ。あたしも一人だから、どうせなら一緒に回ろ!」
 差し出された優しい手を、シノンの蒼い瞳を、彼は嬉しそうに見つめる。
「な、何?」
 マジマジと見つめられて照れるシノンの手を、彼はしっかりと握った。
「ありがとうございます! 一緒に行きましょう!」
 異性の手の感触に、差し出しておきながらシノンの手は熱くなる。でも‥何故か安心する。
「うん! 行こう!」
 二人はお祭りの中に駆け出していった。

「これは、なんていう食べ物ですか?」
「リンゴ飴。甘いよ〜、あとあそこの腸詰も美味しいの!」
「ホントですね。始めて食べました。美味しいです」
「えっ?リンゴ飴はともかく、腸詰も?」

「金魚すくいやりたいなあ〜」
「金魚‥ああ、この赤い魚ですか?」
「そ、これで‥掬って遊ぶの。でも‥う〜ん、また逃げられた」
「逃げられて良かったですよ。金魚に恨まれたらイヤでしょう?」
「恨む? なんで??」
「逃がしてくれ〜、出してくれ〜って」
「あのさ‥冗談‥だよね」
「はい。もちろん♪」

「あ、このアクセサリーキレイ」
「よう、お目が高いね。それは願い事が叶う魔法の石でね〜」
「嘘言わないで下さい。これに魔力なんてありませんよ。ただの石です」
「だ、ダメだよ。お祭りのアクセサリーは安物って決まってるんだから、見栄えを楽しむの」
「‥あんたら、俺にケンカ売ってんのか‥」
「「‥ごめんなさ〜〜い」」(脱兎)

「このお面可愛いよね」
「‥これは、動物ですか?」
「キツネだよ〜、多分」
「‥すみません、私の知っているキツネとは違うようですね。まだまだ修行が足りません」
「あのさ、何、そんなにマジになってるの?」

「喉渇いたねえ。ジュース、飲もうか」
「僕、あれがいいです。あの緑の‥」
「あれっ‥って『ミックス青汁ハイパーすぺしゃる』?」
「はい!」
「‥止めておいたほうがいいと‥」
「いただきま〜す。・・・・バタッ(倒れる音)」
「うわ〜!言わんこっちゃない。生きてる〜」
「な、なんとか〜〜」

「これは、射的。こうやって弓で景品を取るんだよ。あっ‥外れちゃった。でね、倒すと貰えるの。あの羽うさぎのぬいぐるみ、可愛いよねえ。知り合いが羽兎と仲良しでさあ。欲しいなあ。おじさん! もう一回!」
「お嬢ちゃん。4回目だぜ。まあ、俺はいいけどよ」
「じゃあ、僕にやらせてくれませんか?」
「‥うん。いいよ。頑張って」
「はい、一回ね!」
 ヒュン!
「は〜い残念、頭のところは掠めたみたいだけど‥あれ? 倒れてる?」
「あ、ホントだ。いつの間に‥」
「風が味方してくれたのかもしれませんね。頂けますか?」
「ま、仕方ねえな。ほらよ! 彼女へのプレゼントにすんのかい?」
「はい!」
(か、彼女?)
「はい、シノンさん。どうぞ。」
「えっ? あたしにくれんの。ありがとう」

 そんなこんなで、どのくらいの時間を、遊び倒したのだろうか?
 気が付いた時には周囲はもう、すっかり暗くなっていた。でも、ランプの明かりでまだ、昼間を思わせるほど明るい。
 だが、確実に夜を告げるものが‥空に舞い上がった。
 ヒュ〜〜〜。ド〜ン!!
「あ、花火が始まったみたいだね」
 シノンの言葉に彼は、首をかしげた。花火も、どうやら知らないらしい。
「花火、ですか? なんです?」
「見てれば解るよ。ほら! 空を見て!」
 ヒュルルル〜〜  ド〜ン!!
「火の‥花。なるほど‥キレイですね‥でも‥」
 照れたように笑うシノンの頭の上を三発目の花火が舞う。が、彼の目は花火ではなく、シノンを見つめていた。
「花火よりも、シノンさんの方が、キレイですよ」
 シノンの頬が赤く染まる。花火の照り返しだけではない、柔らかい赤み。
「えっ‥何、褒めても何も‥え!」
「どうしたんです? シノンさん」
 着物の袖をまくり、胸元を叩きシノンは青ざめた。
「お財布が無い‥! さっきまでここにあったのに‥あ、あいつら‥!」
 人々はみんな花火に夢中になっている。だが‥今、四人だけ花火を見ていないものがいた。シノン達と‥スリだ。
「このお祭りで! 絶対に許さないんだから〜〜!」
 風の魔法をぶつけてやる〜。シノンは思うが‥呪文詠唱は躊躇わずにはいられなかった。
(「人が多すぎる。どうしよう‥」)
 だが、彼女が逡巡している、ほんの僅かの間
「ウゴッ!」
 二人の男はシノンの視線の先で、突然地面に倒れ付したのだ。
「えっ? な、何?」
 近づいてみると、身動きできず唸っていたスリがいる。まるで縄で縛られたように‥。彼らを縛るのは‥風の縄。
 難易度最高レベルの、風の術‥
「ま、まさか?」
 隣に立つ彼を、シノンは見つめる。彼は‥何も言わずに微笑んでいた。

 花火が終わると、街はとたんに静かになる。祭りの終わりだ‥。
「あ〜、遊んだ遊んだ、楽しかったあ」
 伸びをして、心底嬉しそうに呟く彼女を、彼もまた嬉しそうに見つめる。
「そうですか。僕も‥楽しかったですよ」
「良かった。多分さ。一人だったらこんなに楽しくなかったと思う。今日は付き合ってくれてありがとう。今度は連れ探し手伝うよ」
 ちょっと照れたシノンの礼と申し出に、彼は、いいんですよ。と手を振った。
「連れとはぐれたっていうの、あれ、嘘ですから」
「えっ?」
 シノンは顔を上げる。さっきまで普通に見ていた彼が、まるで、違うもののように感じずにはいられなかったからだ。
「私も‥あなたといっしょにお祭りを楽しみたかったんですよ。今は‥結構暇な時期でしてね‥」
 手を伸ばそうとするが、伸びない。身体が‥動かない。
「その浴衣、とっても似合っていますよ。でも‥いつもの服もあなたはお似合いです」
 彼の姿が、意識が‥遠ざかっていく。
「あなたは、いつも輝いています。その笑顔と輝きをいつまでも‥どうか忘れないで‥」
 頬に、何かが触れた気がする。それが‥シノンの最後の記憶だった。

『‥あなたの周りにいつも幸福の風が‥吹きますように‥』

「‥ノン‥、シ‥ン、シノンってば!」
「むにゃ‥あ、姉さん。どしたの?」
 目を擦りながらシノンは肩を揺すった人物の顔を見た。よく見知った‥顔。
「どうしたの? じゃないわよ! お祭りにも行かず寂しそうだっていうから様子を見に着てみれば、そんなカッコして窓辺で寝てるんだもの! 落ちたら危ないわよ」
「へっ?」
 言われて自分のいる場所と格好を良く見てみる。
 着崩れた浴衣。顔にうっすら残る窓枠の跡。確かに‥自分は寝ていたらしい。
「はい、お土産。屋台のお菓子や食べ物いっぱい買ってきたから、ここのみんなで食べて‥あら?」
 床にしゃがみこむ彼女と屋台菓子を見ながらシノンは思う。
(「あれは‥夢だったのかなあ」)
「シノンもお祭り行ってきたの? はい、これ」
 彼女はシノンの手に拾ったものをポンと置いた。
 目を瞬かせて、そして抱きしめる。それは‥夢で無い証。
「可愛い羽兎ね。それ‥」

「シノン、ただいま!」
「お祭り楽しかったよ。シノンも来ればよかったのに」
 帰ってきた子供達を出迎えようと、シノンは部屋を出た。小さな羽兎の額を、軽く押してから‥。

『お帰りなさいませ。楽しんでこられましたか?』
『ああ、楽しかったよ。本当に‥な』
 そうして、彼は、彼女を見つめる。心から、優しい眼差しで‥。

 名前は聞いていなかった。今は、もう顔どころか服装さえ思い出せない。
 だけど‥、灼熱、猛暑の夏だったはずなのに、暑いと思った記憶は無い。
 いつも‥優しい風が吹いていた。
「あたしを、見ててくれるってことかな♪」
 一人ではないのだ。自分は、どんな時でも‥
 彼女は風のように軽やかに笑う。

「ウルギ様の風が、皆に幸福を運んでくれますよーにってね♪」