<東京怪談ノベル(シングル)>
始まりの記憶
ふと少年は立ち止まる。
雑多な人混みの中、路地の片隅で行われている流しの演舞。なんの変哲もないありふれた舞踊だったが、それは少年の目を捉えて離さない。
リズムに合わせて、手足が舞う。着ている布をなびかせ、あたかも生きているように。
その踊りをぼんやりと眺めながら、少年――蒼柳・凪(そうりゅう・なぎ)はかつての記憶を思い起こしていた――――。
◇
――今から四年前。
まだ凪が追われることもなく、元の世界にいた時。
その世界において、太古の神々の血を色濃く受け継ぐ人々の存在があった。彼らは、ほぼ全員が超常的な力を用い、庶民を支配する階級として日々権力争いに身を投じていた。
凪もまたそれらの一族の末裔として、他の貴族達に対して重要な神事を執り行う役目を担っていた。不思議な霊力を伴う舞を、彼らのために奉納するという役目を。
その日。
凪が初めて舞術師として彼らの前で披露するという日――一般には祭りとして、様々な準備が進んでいた。庶民が決して立ち入る事の出来ない、貴族の為だけの祀り。
幼い頃から徹底的に仕込まれてきた舞を初めて舞うという緊張感。
人気のない場所で、何度も何度も練習を繰り返す凪。もはや本番まで時間がない――そんな焦りから、どこか身体が硬くなっているように自分でも感じていた。
「‥‥駄目だ、こんなんじゃあ‥‥」
ポツリと漏れる弱音。
親や親族達からの期待。
役目を得られなかった同年代の者達の羨望と嫉妬。
そして自身のプレッシャー。
ピタリと、糸が切れたように動きを止める凪。つうっと顎を伝う汗が、地面へと流れ落ちる。
ふぅ、と大きく息を吐いた直後。
――ガサッ。
近くの茂みが僅かに動く。
ハッとそちらに顔を向けるが、人の姿はない。
が、気配は感じる。凪は焦ることなく、そちらへ足を進めた。気配は彼のよく知ったもので、身構える必要のないモノ。
「ほら、隠れてないで出てこいよ」
柔らかく声をかければ、
「へへっ‥‥バレたか」
悪戯めいた笑みを浮かべた少年がゆっくりと姿を現した。
「もう。今日はここに入ってきたらマズイって言ったのに」
「悪ぃ悪ぃ。やっぱさ、お前の事が心配だったからよぉ」
そう言って苦笑する少年を、凪はどこか嬉しそうに迎え入れた。
凪にとって、少年は幼馴染みといっていい存在だった。自分と違って庶民の身分である彼は、身に纏うものも薄汚れてボロが入った着物だったが、そんなコトに頓着しない程、二人は仲が良かった。
そもそもは、少年が蒼柳の家に忍び込んできたのが事の始まりだった。
多少ヤンチャだった少年は、泥棒の真似事で入ったその家で凪と出会った。外に出たことのない凪にとって、少年の話すことはどれもが驚きに値した。色々な話を強請る凪の、箱入りの純粋さに少年もまた好感を抱くようになり、二人はいつしか友達と呼べる関係になった。
勿論、二人が会っている事は他の人間には内緒だ。
もしバレたりしたら、きっと少年が非道い目に遭うことを、凪は知っていたから。
だからこそ、貴族達が集まる今日は、それこそいつ他の人間にバレるかわからないのだから。
「今日はたくさん人がいるんだ。他の人達にバレて捕まったりしたらどうするんだ」
誰も信じられない世界で、ただ一人出来た友達。
失いたくない。その一点で心配する凪を、少年は逆に心配すんなと元気付けた。
「大丈夫だって。今までだってバレてねえんだからさ」
「でも‥‥」
「それよりさ、お前の方こそどうなんだ? 今日やるって言ってた舞、大丈夫なんか?」
「それは」
少年の言葉に、凪は思わず押し黙った。今更ながらに緊張が彼の心を占めていく。
思わず俯いた凪に、少年はしょうがないな〜などと軽口を叩き、その頭に手を置いてグシャグシャと掻き乱した。
「うわっ!」
「しゃあねえな、凪は。じゃあさ、お前の初本番、俺がちゃんと見守っててやるよ」
そう少年が勇気づける。
え、と思わず顔を上げた凪の視界で、少年の顔が徐々に近くなる。次の瞬間、額に触れる唇の感触に凪はつい目を見開いた。
「無事に出来るようおまじないだ」
えへへ、と笑う少年に、その時になって凪もようやく笑みを浮かべる事が出来た。
◇
――シャラン。
静寂に響く鈴の音。
ピンと張り詰めた大気の中央、スッと立ち上がるのは舞装束に身を包んだ凪。普段はその年齢からすれば小柄な身体が、この時ばかりはどこか大きく見えた。
痛いほどの沈黙。
閉じていた目蓋をゆっくりと開いていく凪。
そして。
奏でる弦の音――雅楽の演奏が始まると、凪もまたそれに合わせて舞を踊り始めた。
真っ直ぐに伸ばす腕を優雅に振るい、纏いつく布がまるで生き物のようになびいていく。弦はすなわち幻‥‥まぼろしに通じる。幽玄にうたかたを舞う一人の少年。
否、見る者にとっては、すでに彼は男でも女でもなく、ただ神の舞を踏む一体の傀儡(くぐつ)でしかなかった。そこに宿る神秘の霊力を場にもたらし、貴族達の繁栄を支え続ける贄の一つ。
見る者全てを魅了し得る神舞。
それこそが、凪の一族が執り行っていた神事だった。
手の振り、指の動き、呼吸や足運びに至るまで、一挙手一頭足の一つでも間違えてしまえば効果は失われる。その流れるような舞を少年は今、完璧にこなしていた。
やがて。
雅楽の最後の音がポロンと奏でられ、ほぼ同じくして少年の動きがピタリと止まる。
僅かな沈黙の後。
一斉に大歓声が起きた。皆、口々に「素晴らしい」「これで今後も安泰だ」などと彼らは褒め称える。聞こえてきた言葉に、凪はどこか辛い表情になる。
彼らは自分達の事しか考えていない。
どれだけ彼らの為に素晴らしく舞おうと、彼らにとってそれは己の利益の為だけしか考えないのだ。
伏せた視線をそっと彼らから逸らし、そのまま退場しようとした、その時。
「あ‥‥」
ふと目が合ったのは、物陰に隠れていた少年。
こちらを見て、よくやったとばかりに浮かべる笑み。それを見た瞬間、凪の中で本当の意味で舞の達成感が沸き起こった。
自然、浮かんでくる笑顔を、凪は少年へと返す。
――ありがとう‥‥。
声にならない声でそう告げて、凪はゆっくりと舞台を去るのであった――――。
◇
‥‥ぼんやりと思い出されたのは、どこか痛みを伴う記憶。
もう二度と戻れない世界の、会う事の出来ない友のこと。何も知らなかった自分にあらゆる感情を教えてくれた人。
もう――会えない。
郷愁に耽る凪の耳に、やがて雑踏のざわめきが戻ってくる。すでに踊り子は舞を止め、人々はまた喧騒の中に返っていく。
凪もまた、その人混みの中に己の存在を紛らせていく。逃走者である自分は決して目立つ事無く、世界の中に溶け込まなくては。
そんな思いと共に、少年はそのまま雑踏の中へ姿を消した。
抱える友への想いを――胸の内に秘めたまま。
【END】
●ライター通信
葉月です。お待たせして申し訳ありません。
凪クン、初めてのシチュノベということでかなり試行錯誤をしましたが、このような形になりました。如何だったでしょうか? 彼の持つ神秘的な雰囲気が少しでも出ていればいいのですが。
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